実践和學 Cultural Japan heritage

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伊賀國 式内社 25座(大1座・小24座)について

伊賀国(いがのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊賀国 25座(大1座・小24座)の神社のことです

伊賀國(いがのくに)について

伊賀国(Iganokuni)は  令制国の一つ東海道に属する
現在の三重県西部(伊賀市・名張市)

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律令制以前
伊賀国造(いがのくにのみやつこ)の領域であった

飛鳥時代
令制国設置に伴い 伊勢国(いせのくに)が成立

天武天皇9年(680)伊勢国から分立して 伊賀国(いがのくに) 
当初は2郡 後に阿拝郡、山田郡、伊賀郡、名張郡の4郡となる

明治4年(1871)廃藩置県により 津藩は 安濃津(あのつ)県
1876年 度会(わたらい)県と合併 三重県が成立

伊賀国(いがのくに) 25座(大1座・小24座)

大社1座は 1社
小社24座は 24社
計25座は  25社

※座は神の柱数 社は神社数

郡として 4郡
阿拝郡山田郡伊賀郡名張郡

阿拝郡(あべの こおり) 9座(大1座・小8座)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

陽夫多神社(やふたの かみのやしろ)

・陽夫多神社(伊賀市馬場)

一緒に読む
陽夫多神社(伊賀市馬場)

陽夫多神社(やぶたじんじゃ)は 第28代 宣化天皇三年(538)国中に疫病が流行したので屏息祈願のため伊賀国造 多賀連が創建したと伝 以来病気平癒の御霊験あらたかなるをもって藩主の崇敬厚く屡々寄進あり 又一般崇敬者の参拝多しと社記にあり 延喜式内社 伊賀国 阿拝郡 陽夫多神社(やふたの かみのやしろ)とされます

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宇都可神社(うつかの かみのやしろ)

・宇都可神社(伊賀市土橋)〈波多岐神社 境内〉

・宇都可神社(伊賀市内保)

波太伎神社(はたきの かみのやしろ)

・波多岐神社(伊賀市土橋)

須智荒木神社(すちあらきの かみのやしろ)

・須智荒木神社(伊賀市荒木)

敢國神社(大)(あへくにの かみのやしろ)

・敢國神社(伊賀市)

一緒に読む
敢國神社(伊賀市一之宮)〈延喜式内社 大社・伊賀國一之宮〉

敢國神社(あえくにじんじゃ)は 社伝によれば第37代 斉明(サイメイ)天皇4年(658)に創建とされ『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に伊賀国の阿拝(アエ)郡の大社 敢國神社とされます・阿閉臣(アヘノオミ)の祖神 大彦命(オオヒコノミコト)・古代に伊賀を拓いた秦氏の信仰する少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祀ります

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佐々神社(ささの かみのやしろ)

・佐々神社(伊賀市音羽)

穴石神社(あないしの かみのやしろ)

・穴石神社(伊賀市石川)

・都美恵神社(伊賀市柘植町)

・小宮神社(伊賀市服部町)

真木山神社(まきやまの かみのやしろ)

・真木山神社(伊賀市槙山)

・白石神社(伊賀市槙山)〈真木山神社 旧鎮座地〉

小宮神社(をみやの かみのやしろ)

・小宮神社(伊賀市服部町)

山田郡(やまたの こおり) 3座(並小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

鳥坂神社(とさかの かみのやしろ)

・鳥坂神社(伊賀市甲野)

・植木神社(伊賀市平田)に〈合祀鳥坂神社(出後)〈合祀鳥坂神社(平田)

・鸕宮神社(伊賀市島ヶ原)

阿波神社(あはの かみのやしろ)

・阿波神社(伊賀市下阿波)

葦神社(あしの かみのやしろ)

・葦神社(伊賀市上阿波)

・植木神社(伊賀市平田)

・西山春日神社(伊賀市西山)に〈合祀〉木生神社〔木尾権現〕

伊賀郡(いがの こおり) 11座(並小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

木根神社(きねの かみのやしろ)

・射手神社(伊賀市長田)〈境内 木根神社〉

・木根神社(伊賀市長田)〈旧鎮座地〉

田守神社(たもりの かみのやしろ)

・田守神社(伊賀市蔵縄手)

比地神社(ひちの かみのやしろ)

・比地神社〈高土之宮〉(伊賀市比土)〈神戸神社飛地境内社〉

・神戸神社(伊賀市上神戸)に〈合祀〉高土明神(比土村字比地前)

・射手神社(伊賀市長田)〈合祀の比地社〉

大村神社(おほむらの かみのやしろ)

大村神社伊賀市阿保

比比岐神社(ひひきの かみのやしろ)

・比々岐神社(伊賀市北山)

・猪田神社(伊賀市猪田)に〈合祀〉大内天神

比自岐神社(ひしきの かみのやしろ)

・比自岐神社(伊賀市比自岐)

依那古神社(えなこの かみのやしろ)

・猪田神社(伊賀市下郡)に〈合祀〉依名古神社

・依名古神社 古社地(伊賀市依那具)
〈猪田神社(伊賀市下郡)に〈合祀〉依名古神社の古社地

・住吉神社(伊賀市依那具)

猪田神社(ヰたの かみのやしろ)

・猪田神社(伊賀市下郡)

・猪田神社(伊賀市猪田)

乎美祢神社(つみねの かみのやしろ)

・花垣神社(伊賀市予野)に〈合祀〉乎美祢神社

・乎美祢神社(伊賀市桂)
〈花垣神社(伊賀市予野)に〈合祀〉乎美祢神社の古社地

髙瀬神社(たかせの かみのやしろ)

・高瀬神社(伊賀市比土字高瀬)

坂戸神社(さかとの かみのやしろ)

・猪田神社(伊賀市下郡)に〈合祀〉吉田谷の杉谷神社

名張郡(なはりの こおり) 2座(並小)と論社について

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

名居神社(なヰの かみのやしろ)

・名居神社(名張市下比奈知)

宇流富志弥神社(うるふしねの かみのやしろ)

・宇流冨志禰神社(名張市平尾)

・名居神社(名張市下比奈知)

東海道に鎮座する 731座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

一緒に読む
東海道に鎮座する 731座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「東海道」に鎮座する(731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679)神社の一覧表です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています