井田神社(いだじんじゃ)は その歴史は古く 慶長12年(1607)の上梁文には゛井田荘七箇村鎮守 井田明神゛とあり 『伊豆國神階帳(康永2年(1343)』には゛従四位上 ゐたの明神゛ さらに『延喜式927 AD.』には 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)と所載される由緒を持ちます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
井田神社(Ida shrine)
【通称名(Common name)】
・往古 大古久(だいこく)明神 と称した
【鎮座地 (Location) 】
静岡県沼津市井田1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大己貴命(おほなむちのみこと)〈大国主命〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・農漁商工の守護神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・『伊豆國神階帳(康永2年(1343)』従四位上 ゐたの明神
【創 建 (Beginning of history)】
奉納
井田神社(いだじんじゃ)
祭 神 大己貴命(おおなむちのみこと)
例祭日 十月九日
由緒 当社は延喜式神名長(九二七年 撰進)の伊豆国那賀郡井田神社、伊豆国神階帳の「従四位上ゐたの明神」に相当するという。
往古、大古久明神と称し、永禄十三年(一五七〇)修造、慶長十 二年(一六〇七)の棟札には井田荘七箇村鎮守井田明神とみえる。
村の産土神(うぶすなのかみ)として、農漁商工業の守護神として尊崇されてきた。うっそうとした社叢に数百年の歴史が偲ばれる。社傍の井立山妙田寺は当社の別当寺であったと伝えられる。
明治六年八月村社に列せられた。境内三百四十六坪
社殿本殿・拝殿流造
社宝永禄十三年棟札沼津市教育委員会
現地案内板より
【由 緒 (History)】
由緒
当社は延喜式神名帳(927)伊豆国那賀郡 井田神社にて、伊豆国神階帳 従四位上 ゐたの明神に相当すとなす。
往古、大古久明神と称し、永禄13年(1570)修造、慶長12年(1607)の上梁文に井田荘七箇村鎮守 井田明神として村の産土神であり、農漁商工の守護神とし尊崇され、境内には数百年を経たうっそうたる神林があり、その面影がうかがわれる。
社傍の井立山妙田寺は往古当社の別当なるべしと伝えられる。
明治6年8月 村社に列す境内 207坪 社殿 本殿 権現造 檜皮葺く、向拝に彫刻を施す 雨覆兼拝殿流造 社宝 永禄13年(1570)棟札※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・井田神社 本殿 覆い屋
・社務所or集会所
・手水舎
・石灯籠
・社号標・参道
・社頭・鳥居
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・明神池
『特選神名牒〈明治9年(1876)完成〉』などに 式内社 井田神社について 所在は゛君澤郡井田村に在す、今 池明神と称す゛〈現 井田神社(沼津市井田)〉と記しています ここに云う池とは゛明神池゛の事です
海から分れた 明神池(みょうじんいけ)
煌(きら)めきの丘の眼下には井田(いた)の小さなまちなみと、そのそばに広がる田畑が見えます。田畑の南側には、淡水(たんすい)を湛える明神池(みょうじんいけ)があります。
これら田畑はかつては入り江でした。駿河湾の海流に運ばれた周辺の岩や土砂は戸田の御浜岬(みはまみさき)のように帯状(おびじょう)にたまっていきました。このようにしてできた細長い岬を「砂嘴(さし)」といいます。砂嘴が少しずつ伸びていき、海と切り離されたのが、この井田の集落です。
池には淡水魚(たんすいぎょ)をはじめとした多くの生き物が棲み、周囲に整備された遊歩道では、四季折々の草花を楽しむことができます。
煌めきの丘にある案内板より
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 井田神社
[ふ り が な ](ゐたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ita no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式』に 「ゐたの かみのやしろ」の音を持つ 式内社の類社について
延喜式内社 伊賀國 伊賀郡 猪田神社(ゐたの かみのやしろ)
・猪田神社(伊賀市下郡)
・猪田神社(伊賀市猪田)
延喜式内社 伊豆國 那賀郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)
・井田神社(沼津市井田)
井田神社(いだじんじゃ)は その歴史は古く 慶長12年(1607)の上梁文には゛井田荘七箇村鎮守 井田明神゛とあり 『伊豆國神階帳(康永2年(1343)』には゛従四位上 ゐたの明神゛ さらに『延喜式927 AD.』には 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)と所載される由緒を持ちます
井田神社(沼津市井田)〈『延喜式』井田神社・『伊豆國神階帳』ゐたの明神〉
・気多神社(沼津市内浦三津)
延喜式内社 但馬国 気多郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)
・井田神社(豊岡市日高町鶴岡字城山)
井田神社(いだじんじゃ)は 創建は不祥ですが 元々は倉稲魂命を祀っており 嘉祥元年(848)悪疫流行の際 山城国 石清水八幡宮より誉田別命・気長足姫命の二柱を勧請したと伝わる 延喜式内社 但馬國 氣多郡 井田神社(ゐたの かみのやしろ)です 中世には下津谷伯耆守の居城〔伊福城〕があり 伊福部氏と関係があるのでしょうか
井田神社(豊岡市日高町鶴岡字城山)〈延喜式内社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
戸田漁港から 県道17号を約7.1km北上して 井田海水浴場を目指し井田の集落の東端にあります 車で14~15分程度
県道から井田海岸へ向かう道へと折れてすぐです
井田神社(沼津市井田)に参着
一礼をして鳥居をくぐると社号標があり゛延喜式内 井田神社゛と刻字されています 参道は石積みがあり 石灯籠も立派です 小さな境内ですが 格式を感じます
境内の左手には 社務所兼集会所があります
社殿は本殿の覆い屋となっているようです
扉は開けませんでしたが おそらく拝殿になっているのだと思います
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 境内を戻ります
鳥居の向きは西南西を向いていて その方向には゛明神池゛があります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 井田神社について 所在は゛君澤郡井田村に在す、今 池明神と称す゛〈現 井田神社(沼津市井田)〉と記しています
ここに呼ばれている 池明神とは〈現 池大明神(沼津市井田)〉のことでしょうか?
【抜粋意訳】
井田神社
井田は為太と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕井田、
〇祭神詳ならず
○君澤郡井田村に在す、今池明神と称す、例祭
類社
伊賀國伊賀郡猪田神社神位
國内神階記云、從四位上ゐたの明神、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 井田神社について 所在は゛今 君澤郡井田村にあり、井田明神と云ふ、゛〈現 井田神社(沼津市井田)〉と記しています
【抜粋意訳】
井田(ヰタノ)神社
今 君澤郡井田村にあり、井田明神と云ふ、
凡 九月九日祭を行ふ〔足州志、足柄縣式社取調帳、〕〔〇永禄十三年の棟札に、井田庄七箇村 鎮守井田明神とある証とすべし、〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 井田神社について 所在は゛井田村〔今 田方郡戸田村大字井田〕゛〈現 井田神社(沼津市井田)〉と記しています
【抜粋意訳】
井田(ヰダノ)神社
祭神
祭日 九月九日
社格 村社所在 井田村〔今 田方郡戸田村大字井田〕
今按 豆州志に井田ノ神社 今 池明神と稱す
村老云 此處村の始にして此の祠 最古しと 又云 大古久明神
永祿十三年慶長十二年の上梁文に云 井田ノ庄七箇鎭守井田明神と 今は村の土神と爲と見えたり
式社致讃に云 池明神を式内と思はれたるは 村老の説を信じて謬りたる也 大古久明神は上梁文にも井田ノ明神と有るは更也 今に井田明神と唱來れば 井田神社なること論を俟ず 社傍に井立山妙田寺と云有は必古へ井田神社の別當寺なるべしと云る 實に由あり故今之に從ふ
【原文参照】
井田神社(沼津市井田)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について