一宮神社(いちのみやじんじゃ)は 元々は阿波国一之宮であった上一宮大粟神社(名西郡神山町)の分祠として 平安時代後期に国府の近くであったこの地に下一宮として祀られて 阿波国一之宮とされていました しかし 室町時代以降は 細川氏の台頭とともに 大麻比古神社が阿波国一之宮となっていきます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
一宮神社(ichinomiya shrine)
(いちのみやじんじゃ)
[通称名(Common name)]
一宮大明神(ichinomiya daimyojin)
【鎮座地 (location) 】
徳島県徳島市一宮町西丁237
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天石門別八倉比売命(ameno iwatowake yakurahime no mikoto)
大宜都比女神(ogetsuhime no kami)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・衣食の神 God of clothes and food
・農業の神 God of agriculture
・商業の神 God of Commerce
・開運の神 Good luck god
・縁結びの神 God who deepens the connection and intimacy with others
・安産の守護神 God watching over a healthy birth
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 阿波国一之宮
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
【由 緒 (history)】
大宜都比売命 御別名 天石門別八倉比売命を奉祀する
衣食 農業 商業 開運の神で 又縁結び 安産の守護神と信仰する人が多い。
延喜式内大社 天石門別八倉比売神社に充てられる古社で 一宮大明神と奉称せられ 阿波国一宮 八倉比売命を祀るから 明治維新まで8月8日が御祭礼日。神仏分離まで 四国巡拝の霊場であった。
一、小笠原氏は 一宮城を構え 大宮司に任じ 蜂須賀侯も社殿を造営し 御初穂 御神馬を奉献 篤く崇敬した 氏子の尊崇は今に変らない。
一宮町の地名 一宮城の称等は 一宮大明神が1千年の昔から此所に御鎮座ましますに由来すると思う。
春祭4月2日 秋祭10月18日 新嘗祭12月18日。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・若宮神社《合》一宮城主代々の御霊
・地神社《合》天照皇大神・倉稲魂大神・大己貴大神
・埴安媛大神・少彦名大神
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)阿波国 50座(大3座・小47座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)名方郡 9座(大1座・小8座)
[名神大 大 小] 式内大社
[旧 神社名 ] 天石門別八倉比売神社(大月次新嘗)
[ふ り が な ](あめのいわとわけ やくらひめの かみのやしろ)(だい つきなみ にいなめ)
[How to read ](amenoiwatowake yakurahimeno kaminoyashiro)(dai tsukinami niiname)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
阿波国には 一之宮を称する神社が二系統あります
古来は 阿波国の一之宮は 一宮神社の系統で
「天石門別八倉比売神社(amenoiwatowake yakurahimeno kaminoyashiro)」とされていました
しかし は室町時代以降になると「大麻比古神社(鳴門市)」が 細川氏の台頭とともに 阿波国一之宮とされていきます『大日本国一宮記』
近年の研究では 当初の阿波国一宮は 上一宮大粟神社で その後 国府近くに御分霊を勧請した下一宮(一宮神社)に移り 南北朝時代になって 大麻比古神社が一宮とされるようになったのではないかと考えられています
これは 南北朝時代(足利尊氏に従って北朝・室町幕府方として台頭した)「細川氏」が 敵対する旧勢力であった「一宮氏」の一宮神社(神職家として代々世襲)から脱却して 新たな阿波国一之宮としての地位を得る為 細川氏の守護所にも近く 伝統的な社格を誇っていた「大麻比古神社(鳴門市)」を選んだのであろうとしています(『中世諸国一宮制の基礎的研究』考察)
1.室町期より以前
一宮氏が神職家として代々世襲した一宮神社の系統
・一宮神社(徳島市)
一宮神社(いちのみやじんじゃ)は 元々は阿波国一之宮であった上一宮大粟神社(名西郡神山町)の分祠として 平安時代後期に国府の近くであったこの地に下一宮として祀られて 阿波国一之宮とされていました しかし 室町時代以降は 細川氏の台頭とともに 大麻比古神社が阿波国一之宮となっていきます
一宮神社(徳島市一宮町西丁)〈阿波国一之宮〉
・天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)
天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)は 杉尾山(標高120m)の上に鎮座し 杉尾大明神と呼称されていました 明治3年(1870)に現号に改称していますが 地元では今でも「杉尾さん」と呼ばれて親しまれています 阿波一之宮とされる式内社「天石門別八倉比賣神社(大 月次 新嘗)」の論社でもあります
天石門別八倉比賣神社(徳島市国府町)〈阿波国一之宮〉
・上一宮大粟神社(神山町)
上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は 御祭神として 古事記に記載されている゛大宜都比売命(おほげつひめのみこと)゛を祀ります 粟国(阿波)を開かれた祖神で 五穀養蚕の神として 古代から農耕を守り生命の糧を恵みむ神で 式内社 天石門別八倉比売(あめのいわとわけ やくらひめの)神社(大月次新嘗)の論社です
上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角)〈阿波国一之宮〉
2.室町期より以後 細川氏の台頭とともに
・大麻比古神社(鳴門市大麻町)
大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は 〈初代 神武天皇の御代〉阿波国を開拓した天太玉命の御孫 天富命(アメノトミノミコト)が 忌部氏の祖神 天太玉命(アメノフトダマノミコト)を祀ったのに始まります その後 猿田彦大神が合祀され 平安期には延喜式の名神大社 中世以降は 阿波国一之宮とされる由緒ある古社です
大麻比古神社(鳴門市大麻町)阿波国一之宮とされる由緒ある古社
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
徳島駅から R192号&R318号 経由 約11.1km 車20分程度
道路の向かいに 現在の四国霊場第13番札所「大日寺」があります
道路側(北側)からも 神社の境内に直接入れます
石柱には「阿波國一宮」と刻まれています
一宮神社(ichinomiya shrine)に到着
鳥居をくぐるには 東側から参道があります
蜂須賀家寄進(蜂須賀侯が入国した時に「国が丸く治まるように」という願いをこめて奉納したことに始まる)と伝えられるの太鼓橋があります 小川に架かるため 川幅が狭いので極端な丸さに治まっている太鼓橋になっています
太鼓橋の先には とても大きな石灯篭が建ちます
青銅の狛犬が座して 朱色の鳥居が建ちます
一礼してくぐり抜けます
鳥居の真正面に社殿が建ちます
左手には手水舎があり 清めます
拝殿の前には 奉納された青銅の神馬が狛犬の両脇に構えています
拝殿にすすみます 扁額には「一宮大明神」とあります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
御神紋は 稲荷に似ています 大宜都比女神(ogetsuhime no kami)を保食神(ukemochi no kami)を同神と見ているためでしょうか
稲穂の束の中に「粟」の文字が顔文字のように描かれています
社殿の前 左右にある神馬の鞍にも それぞれ同様の御神紋(稲穂の束の中に「粟」の文字)があります
玉垣に囲まれた本殿は『三間社流造』の立派な造りです
境内社にお詣りをして 参道を戻ります
境内から直接道路へ出て 振り返り一礼
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
流造の本殿は国の重要文化財に指定されています
境内説明板より
『 重要文化財建造物 一宮神社本殿 (附棟札9枚)
平成5年4月20日 国指定
この本殿は、身舎(もや)の正面柱間が三間で、屋根が後方に短く前方に長く曲線形に流れる『三間社流造(さんげんしゃながれづくり)』である。棟前方に干鳥破風(ちどりはふ)を飾り、さらに先端の中央一間分に軒唐破風(のきからはふ)を設け、木階(きざはし)前方の庇(ひさし)柱まで浜床(はまゆか)を張り出す。また各所に上品な彫刻が埋められ、全体に彩色を施しながらも過度の装飾には陥らずに、華やかな本殿に仕上げている。
向拝(こうはい)の木鼻(きばな)や身舎妻飾(もやつまかざり)りの大瓶束(たいへいづか)下部には蓮華が、繋海老虹梁(つなぎえびこうりょう)や向拝頭貫(かしらぬき)虹梁の底面には錫杖(しゃくじょう)が彫られるなど、神仏混淆(こんこう)の様相を表している。
棟札と正面千鳥破風板の墨書から、寛永7年(1630)の建築であることが判明している。同じ三間社流造で重要文化財である鳴門市大麻町の宇志比古(うしひこ)神社本殿〔桃山時代・慶長4年(1599)〕とともに、徳島県の近世初期を代表する装飾的な大型本殿建築である。徳島県教育委員会 徳島市教育委員会 』
一宮神社(ichinomiya shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
一宮神社の元宮とされている上一宮大粟神社(神山町)の記事もご覧ください
上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は 御祭神として 古事記に記載されている゛大宜都比売命(おほげつひめのみこと)゛を祀ります 粟国(阿波)を開かれた祖神で 五穀養蚕の神として 古代から農耕を守り生命の糧を恵みむ神で 式内社 天石門別八倉比売(あめのいわとわけ やくらひめの)神社(大月次新嘗)の論社です
上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角)〈阿波国一之宮〉
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日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です
日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について
阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について に戻る
阿波国(あわのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 阿波国 50座(大3座・小47座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
阿波国 式内社 50座(大3座・小47座)について