火雷神社(ほのいかづちじんじゃ)は 丹生川の吉野川への合流地点に近い南岸に鎮座 『延喜式』には火雷神を祀る゛大和國 宇智郡 火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)゛とされます 祭神は・火産霊神・軻遇突智神など諸説あり 又一説に 火雷神とは 井上皇后の若皇子とされ 地元では若宮大明神とも称されます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
火雷神社(Honoikazuchi shrine)
【通称名(Common name)】
・若宮さん(わかみやさん)
【鎮座地 (Location) 】
奈良県五條市御山町74
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》火雷神(ほのいかづちのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『大和志料』下巻〈奈良県教育会,大正3〉に記される内容
【抜粋意訳】
火雷(ホノイカヅチ)神社
西宇智村大字御山にあり、俗に雷神と稱す、延喜神名帳に火雷神と見ゆるものにして今村社たり、案するに霊安寺假名緣起〔廣大和名勝志所引〕に「霊安寺には井上皇后と早良親王と他戸親王と此三柱まします、雷神は丹生川を隔て本社より五町許西ノ方にまします、御山村ノ内なり、彼御山ノ里の内に小山あり其山に井上皇后ノ墓を築たり、夫れよりしを其山を御墓山といふ、御墓山ある里なる故に里の名をも御山と呼付たりと云傳へたり、彼里に御母皇后ノ御墓ましませば御母ノ墓を守護し奉らんと思召神慮にてやましますらん、雷神は彼里に宮造してまします、是を若宮と申すなりとありて井上皇后ノ御子を祭れるなり。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『奈良県史』第五巻 神社〈平成元年 奈良県史編集委員会編集〉より抜粋
9五条市 7、南宇智地区
火雷神社
(御山町宮山七四)
丹生川の吉野川への合流地点に近い南岸に鎮座の神社を式内小社火雷神社にあてられている。祭神火雷神とは、井上皇后の若皇子で、地元では、若宮大明神ともいっている。しかし祭神や鎮座地については異説もある。『大和志』は御山村にあり、また雷神と称すといい、「神名帳考証」は火打野村で火産霊神とし、伴信友の「神名帳考証」は火打野村 一説御山村亦雷神と称すとし、「特選神名帳」は軻遇突智神を祭神といっている。
すでに、『続日本紀』の大宝二年 (七〇二)七月二日の条に「山背国乙訓郡火雷神早毎に雨を祈るに頻る微験あり」とあることは、水神としての火雷神であることを示すが『三代実録』貞観元年 (八五九 )四月十日に正四位上から従三位に、元慶三年 (八七九 )六月八日正三位に昇叙している。火雷神とは、必ずしも当社の神と断定できぬにしても、本来の当社の神は火の神か水の神である自然神が祭神であったと考えられる。御霊信仰が宇智郡を風靡することになって、当社の神も「霊安寺御霊大明神略縁起」 (宮前霹靂神社の項参照)にあるように、井上皇后の御子を雷神として当社に祀り御霊社の若宮と呼ぶことになり、当社遷宮も霊安寺僧の奉仕によって行われることになった。鎮座地も前述のように、火打町の地に求める説もある。
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・本殿
・〈本殿向かって右側(南東側)境内社〉八幡社〈本殿を向いて鎮座〉
・〈本殿向かって左側(北西側)境内社〉春日神社〈本殿を向いて鎮座〉
・割拝殿
・〈三宇の境内社〉向かって右から・桜木社・蛭子社・御霊社
・鳥居・境内社 八坂社
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
火雷神社(五條市御山町)は 二つの式内社〈①宮前霹靂神社②火雷神社〉の論社です
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
①宮前霹靂神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)宇智郡 11座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 宮前霹靂神社
[ふ り が な ](みやさきのかんとけの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Miyasakino kanatoke no kaminoyashiro)
②火雷神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 火雷神社
[ふ り が な ](ほのいかつちの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Honoikatsuchi no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
火雷大神(ほのいかづちのおほかみ)について
神名の示す通り゛雷神゛
別名を・火雷神(ほのいかづちのかみ)・雷神(いかづちのかみ)・八雷神(やくさいかづちのかみ)とされ
農耕民族であった古代日本人の信仰から生まれた神で 雷に対する畏れ 稲妻と共にもたらされる雨の恵みをもたらす神と考えら 水神とも結びついています
『記紀神話』では 火雷大神(ほのいかづちのおほかみ)とは
伊邪那美命の体に生じた8柱の雷神それぞれが 雷が起こす現象を示す神として描かれています
・大雷神は強烈な雷の威力を
・火雷神は雷が起こす炎を
・黒雷神は雷が起こる時に天地が暗くなる事を
・咲雷神は雷が物を引き裂く姿を
・若雷神は雷の後での清々しい地上の姿を
・土雷神は雷が地上に戻る姿を
・鳴雷神は鳴り響く雷鳴を
・伏雷神は雲に潜伏して雷光を走らせる姿を
火雷神(ほのいかづちのかみ)は この8柱の雷神〈火雷大神〉の1柱です
『山城国風土記逸文』によれば 火雷大神のうちの1柱 火雷神(乙訓坐火雷神社の祭神)は のちに丹塗矢となって賀茂建角身命の子 玉依日賣のそばに流れ寄り 賀茂別雷命が生まれたと伝えます
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 火雷神社(ほのいかつちのかみのやしろ)と その論社について
律令時代には 宮中大膳式に祀られ 火の神としても信仰され 『延喜式』にも記載されています
宮中神36座
大膳職坐神 3座(並小)(おほかしわでのつかさにますかみ みくら)
・御食津神社(貞)(みけつの かみのやしろ)・火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)・髙倍神社(たかへの かみのやしろ)
山城國 乙訓郡 乙訓坐 大(火)雷神社(名神大 月次 新嘗)(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)の かみのやしろ)
・角宮神社(長岡京市井ノ内南内畑)
・〈向日神社に合祀の火雷神社〉向日神社(向日市向日町北山)
・菱妻神社(京都市南区久世築山町)
大和國 廣瀬郡 穂雷命神社(ほのいかつちの かみのやしろ)
・穂雷神社(広陵町安部)
穂雷神社(ほのいかづちじんじゃ)は 『日本三代実録』〈延喜元年(901年)〉に゛保沼雷神゛として 神階の奉授が記されます しかし 当社本来の神は 火の神゛軻遇突智命゛であろうとされ 廣瀬大社の相殿に祀られる穂雷神と並び 延喜式内社 大和國 廣瀬郡 穂雷命神社(ほのいかつちの かみのやしろ)の論社とされます
穂雷神社(広陵町安部)
・〈相殿 穂雷神〉廣瀬大社(河合町川合)
廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は 創建は崇神天皇9年(前89)゛大和盆地を流れる全ての河川が合流する地点に祀られ治水と五穀豊穣を司る゛と由緒にあり 大和川は 鎮座地から 龍田を抜け奈良盆地を下り流れる 『日本書紀』天武天皇4年4月の条には 風神を龍田の立野〈龍田大社〉に 大忌神を広瀬の河曲〈廣瀬大社〉を祀る と記されます
廣瀬大社(北葛城郡河合町川合)〈崇神天皇九年(前八九)鎮座の式内社〉
大和國 忍海郡 葛木坐火雷神社二座 並名神(かつらきにます ほのいかつちの かみのやしろ)
・葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)
葛木坐火雷神社(かつらきにいます ほのいかづちじんじゃ)は 延喜式内社 葛木坐火雷神社二座(並名神大月次相嘗新嘗)(かつらきにます ほのいかつちの かみのやしろ ふたくら)です 創建は 神代とも神武天皇の御代とも云われ 二座の内 笛吹神社は 上古以来 朝廷が大事を卜定められる毎時 波波迦木を進献していたと伝わります
葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)〈延喜式内社 名神大社〉
大和國 宇智郡 火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)
・火雷神社(五條市御山町)
火雷神社(ほのいかづちじんじゃ)は 丹生川の吉野川への合流地点に近い南岸に鎮座 『延喜式』には火雷神を祀る゛大和國 宇智郡 火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)゛とされます 祭神は・火産霊神・軻遇突智神など諸説あり 又一説に 火雷神とは 井上皇后の若皇子とされ 地元では若宮大明神とも称されます
火雷神社(五條市御山町)〈二つの式内社〈①宮前霹靂神社②火雷神社〉の論社〉
和泉國 大鳥郡 火電神社(いなひかりの かみのやしろ)
・愛宕神社(堺市中区福田)
〈火電神社の古社跡地〉
愛宕神社(あたごじんじゃ)は 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 火電神社(いなひかりの かみのやしろ)の古社跡地です 愛宕大権現〈式内社 火電神社〉は 明治41年(1908)明治政府の「神社令」により 陶荒田神社に合祀されました 現在の社殿は 戦後新たに福田の人々の信仰によって 元の境内地の一隅に愛宕神が奉斎されたものです
愛宕神社(堺市中区福田)〈延喜式内社 火雷神社の古社跡地〉
・陶荒田神社(堺市中区上之)
〈火電神社 現在の合祀先〉
陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)は 第十代 崇神天皇の勅により太田田根子〈素盞鳴命十世の孫〉が創建し 社号゛陶荒田(すえあらた)゛は 地名の゛陶邑(すえむら)゛〈古代の陶器生産地〉・人名の゛荒田直(あらたのあたい)〈祖神の祭祀を司る一族〉から付きました
陶荒田神社(堺市中区上之)〈古代の陶器の生産拠点゛陶邑(すえむら)゛鎮座〉
上野國 那波郡 火雷神社
・火雷神社(玉村町下之宮)〈上野國八之宮〉
火雷神社(からいじんじゃ)は 延喜式内社 火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)です 社伝によると 崇神天皇元年の鎮座 火雷宮と号したと伝え 桓武天皇 延暦十五年(796)には官社に預り 上野国八之宮とされ 利根川南岸に鎮座し 北岸に鎮座する倭文神社(上野国九之宮 上之宮)に対して「下之宮(しものみや)」と称されます
火雷神社(佐波郡玉村町大字下之宮)〈上野國八之宮〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR和歌山線 五条駅から 南下して吉野川を渡り 約3.6km 車約10分程度
神社の北側は 丹生川の吉野川への合流地点に近い南岸で 社殿と境内は南を向いています
火雷神社(五條市御山町)に参着
ちょうど 鳥居を新しく建て替えているところでしたので 鳥居はくくらずに横から境内に進み 参拝します
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 鳥居工事の邪魔にならないように 戻ります
私の参拝が終わると 工事車両は境内に入り片付けが始まりました
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 宮前霹靂神社について 所在は゛西久留野村に在す、今雷神と称す゛〈現 宮前霹靂神社(五條市西久留野町〉と記しています
式内社 火雷神社について 所在は゛御山村に在す、今雷神と稱す゛〈現 火雷神社(五條市御山町)〉と記しています
【抜粋意訳】
宮前霹靂神社
宮前は美夜左岐と読り、霹靂は加美止介と訓べし、〔古點にはナルカミ、又サクイカツチとあり、〕和名鈔、〔鬼神部〕霹靂、〔加美於豆、一云、加美止介〕
○祭神 八雷神歟
○西久留野村に在す、今雷神と称す、〔大和志、同名所図会、〕
類社
石見國 邇摩郡 霹靂神社、同國同郡 國分寺霹靂神社、火雷神社
火雷は保乃伊加都知と訓べし
〇祭神明か也
〇御山村に在す、今雷神と稱す、〔大和志、同名所圖會〕
類社
山城岡乙訓郡乙訓坐火雷神社の下見合すべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 宮前霹靂神社について 所在は゛西久留野村にあり 雷神といふ゛〈現 宮前霹靂神社(五條市西久留野町〉と記しています
式内社 火雷神社について 所在は゛御山村にあり、又雷神といふ゛〈現 火雷神社(五條市御山町)〉と記しています
【抜粋意訳】
宮前霹靂神社
今 西久留野村にあり 雷神といふ
火雷(ホノイカツチノ)神社
今 御山村にあり、又雷神といふ、〔大和志、名所圖會〕
清和天皇貞観元年四月乙未、正四位上火雷神に從三位を授け、陽成天皇元慶三年六月丁卯、正三位を授く、〔三代実録〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 宮前霹靂神社について 所在は゛西久留野村 字産屋ヶ峰゛〈現 宮前霹靂神社(五條市西久留野町〉と記しています
式内社 火雷神社について 所在は゛御山村字宮山゛〈現 火雷神社(五條市御山町)〉と記しています
【抜粋意訳】
宮前(ミヤサキ)ノ霹靂ノ神社
祭神 雷神
今按 社傳に光仁天皇皇后井上内親王を奉祀す皇后此地にて皇子を産玉へるより産屋峯など云は取に足らず 宮前は地名にして其地に霹靂神を祭れること著し 霹靂神とは和名抄に霹靂加美於一云加美止介云々所經皆破折也とみえ 大和志に雷神と唱ふる由しるせれば 雷神を祭れるなるべし故今定めて雷神と記せり
祭神 九月十六日
社格 村社所在 西久留野村 字産屋ヶ峰(字智郡北宇智村大字西久留野)
今按 神名帳考証に本社の所在を今在ニ御山村 若宮神稱ニ雷神とあり
一説に御山村の゛ミヤマ゛と゛ミヤマヘ゛と音近しと 然らば御山の方 當社にや猶よく考ふべし火雷(ホノイカツチノ)神社
祭神 軻遇突智(カクツチノ)神
今按 社傳 祭神不詳 或云 若宮と稱す井上皇后の貶せられし時 産玉へる皇子の霊荒ひ玉ふを以て火雷ノ神と祝ひ奉る由云るは 妄誕にて取るに足らず火ノ雷ノ神は大膳職三座の内 火雷神まし當國忍海郡 葛木ノ火ノ雷ノ神社 廣瀬郡穂ノ雷ノ神社ありて何れも軻遇突智神を祭れるを以て本社にも同神を祭れること明らけし故今決めて記せり
祭日 九月十六日
社格 村社所在 御山村字宮山 (宇智郡南宇智村大字御山 )
【原文参照】
火雷神社(五條市御山町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)