枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は 神武天皇の即位 三年前 勅命を奉じ・天児屋根命・比賣御神の二柱を霊地゛神津嶽゛に祀り創建されました 白雉元年(650)現在地に奉還 神護景雲二年(768)天児屋根命・比賣御神の二神が 春日大社に分祀され「元春日」と呼ばれた後・経津主命・武甕槌命の二柱が増祀され 現在の四殿となりました
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
枚岡神社(Hiraoka shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
大阪府東大阪市出雲井町7番16号
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》
第1殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
第2殿 比売御神(ひめみかみ)
第3殿 経津主命(ふつぬしのみこと)
第4殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・除災招福・開運厄除
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 河内国一之宮
・ 旧社格 官幣大社
・ 別表神社
【創 建 (Beginning of history)】
河内国一之宮 元春日
枚岡神社御由緒
当社の創祀は、初代神武天皇が大和橿原の地で即位されたその三年前と伝えられています。
神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)(後の神武天皇)がご東征の砌、その詔を賜(みことのり)った天種子命(あめのたねこのみこと)が国土平定を念じて霊山と崇める神津嶽(かみつだけ)に、天児屋根命・比売御神の両神をお祀りされたのが始まりです。その後白雉(はくち)元年(六五〇)に現在地に神殿を造営し、山上より還祀されたわが国有数の古社です。
神護景雲二年(七六八)春日大社創建に当たり、当社のご祭神が分祀されたことから、春日大社の元宮とも称えられ、その後 武甕槌命、経津主命が合祀され、四殿並列の美しい枚岡造の御殿が完成しました。「延喜式」では、名神大社として祈年・月次・相嘗・新嘗の各祭に官幣を奉られ、殊に春冬二回、勅使
を遣わされる等、朝廷より最高の優遇を受け、先の大戦まで官幣大社に列していました。
主祭神の天児屋根命は、祭祀を行って天の岩戸開きをされたことから、神事を司る神さまとして称えられ、除災招福・開運厄除の他、幅広い信仰を集めており、社叢は全国「かおり風景百選」に認定されております。
太古より生駒山の湧水地として人々から敬愛されてきた聖域であり、神氣をいただかれ、皆様方の内なる気が蘇り、元気で幸せでありますよう願っております。参道の大看板より
ご由緒
皇紀前三年 神式天皇の詔により、天種子命が 神津嶽に天児屋根命と比売御神の二神を本殿背後の霊地・神津嶽にお杞りされたのが始まりです。
その後 孝徳天皇 白雉元年(六五〇)に中臣氏である平岡進等により、現在の地に奉遷されました。主祭神の天児屋根命は 古代の河内大国に根拠をもち、大和朝廷の祭祀をつかさどった中臣氏(藤原氏)の祖神で、美しい祝詞で天の岩戸を開かれた神事宗源の神様としても知られています。
現在でも国家安泰・家内安全の神様として広く崇敬されています。
御朱印帳シオリより
【由 緒 (History)】
河内国一の宮 旧官幣大社
枚岡神社御祭神
第一殿 天児屋根大神
第二殿 比 売 神
第三殿 経津主大神
第四殿 武甕槌大神摂社 若宮社
御祭神 天忍雲根大神末社 天神地祇社
御祭神 天津神、国津神御由緒
社伝によれば、神武天皇御東征の砌、紀元前三年 国土平定祈願のため、天種子命勅令を奉じて現在地の東方山上の霊地神津嶽に、天児屋根大神、比売神の二柱の神霊を奉祀せられた、その後 孝徳天皇白雉元年(六五〇)平岡連等が、現社地に神殿を造営、山上より二柱の神霊を奉遷し、次いで光仁天皇 宝亀九年(七七八)香取鹿島より、経津主大神、武甕槌大神を勧請奉斎して以来、四柱の神霊が四殿に御鎮座になっている。悠久限りなき上代に勅旨にて創祀せられた故を以って、古来朝廷の尊崇最も厚く大同元年には封戸六十戸を有し、貞観年中に神階正一位を授けられ、同時に春秋の勅祭に預り奉幣を受け、之を以って永例と定められ、更に延喜の制成るや大社として三大祭に案上の官幣に預り、名神祭、相嘗祭の鄭重なる祭祀を受け、殊に春冬の二回勅旨を遣わされて厳粛なる枚岡祭を行わせらるる外、随時祈雨祈病大祓等の祈願奉幣に預る等、最高の優遇を受けた。中世より河内の国一の宮として御社運益々繁栄し河内一円の諸衆を氏子とし、武家、公家、庶民に至るまで根強き信仰を集め、明治四年神社制度が確立されるや、官幣大社に列格され御神威は益々高揚し その後 幾多の変遷を経たが、創祀以来二千六百有余年の由緒を誇る大社としての格式と尊厳を保持し、今日に至っている。
尚摂末社として若宮社、天神地祇社が御鎮座になり、その南方の神苑には数百株の梅樹が植栽され、季節には参拝者の目を楽しませている。
例 祭 二月一日
秋郷祭 十月十四日、十五日
月次祭 毎月一日
節分祭千灯明奉納 二月三日又は四日
家内安全祈願祭千灯明奉納 八月第四日曜日特殊神事として
十二月二十三日 注連縄掛神事、お笑いの神事
一月 十五日 粥占神事
五月二十一日 平国祭
八月二十五日 風鎮祈願祭
九月二十五日 風鎮報賽祭等社頭の案内板より
御由緒
枚岡神社の創祀は、初代神武天皇が大和橿原の地で即位される三年前(今から二六八〇余年前)と伝えられております。神武天皇が御東征の砌、勅命を奉じて 天種子命が国土平定を祈願し、天児屋根命・比売御神の二神を本殿背後の霊地・神津嶽に祀られたのが始まりです。
その後 孝徳天皇 白雉元年(六五〇)に中臣氏である平岡連等により、現在の場所に奉還されました。
称徳天皇 神護景雲二年(七六八)に天児屋根命・比売御神の二神が、春日大社に分祀されたことから、「元春日」と呼ばれ、その後 経津主命・武甕槌命の二神が増祀され四殿となりました。また、延喜式神名帳では、名神大社に列せられ、中世には一宮制度の成立で河内国一之宮となり、明治四年(一八七一)には官幣大社に列せられました。神社配布パンフレットより
【境内社 (Other deities within the precincts)】
感謝と祈りの道
・末社 一言主神社《主》一言主神
末 社 一言主神社 ひとことぬしじんじゃ
御祭神 一言主神 ひとことぬしのかみ
例祭日 五月三日
御神徳 一願成就言葉の力を司る神様。何事も道理をわきまえ善事、悪事を良く聞き分けて幸せを与えてくれます。古来一言願いをすれぼ叶えて下さる神様として信仰が篤い。
案内立札より
・出雲井
出雲井 いづもい
枚岡山の水源地で、太古より浄水が滾々と湧き出て氏子中から深く崇歌されてまいりました。
案内立札より
・摂社 若宮神社《主》天忍雲根命
御祭神 天忍雲根命 あめのおしくもねのみこと
御例祭 十二月十七日
水神祭 四月二十九日摂 社 若宮神社 わかみやじんじゃ
御神徳 農業 産業 知恵 生命 学問 子授け
御本社主祭神・天児屋根命の御子神。また此地は水源地でもあり、古来枚岡の水神として称へられてきました。若々しく神気満ち溢れた御神威は、人々の願いを叶えてくれる霊験あらたかな神様です。案内立札より
・末社 飛来天神社《主》天之御中主神
末 社 飛来天神社 ひらいてんじんしゃ
御祭神 天之御中主神 あめのみなかぬしのかみ
例祭日 五月二十五日
御神徳 健康長寿 生産 縁結び天地万物を司り、天と地(宇宙)を創られた神様、全てのものを結びつけ調和と安定をはかり、大自然に生かされている事に感謝の誠をささげれば幸せが訪れます。
案内立札より
・遥拝所
遥拝所 ようはいしょ
神津嶽本宮 かみさでけほんぐう 皇居 こうきょ
伊勢神宮 いせじんぐう 橿原神宮 かしはらじんぐう
榊を通して全国の神社を遥拝する場所
案内立札より
・白水井
白水井 はくすいい
この水にふれると眼病改善や母乳が良く出ると伝わる
案内立札より
・末社 天神地祇社《主》天津神 国津神 地主神
御祭神 天津神 国津神 地主神
御例祭 三月二十五日末社 天神地祇社 てんしんちぎしゃ
御神徳 家宅守護 建築
明治五年に元々境内地にあった末社と氏地にあった各村の神社を合祀した御社です。住まいを授け氏子区域の住む人をお護り下さる神様です。
案内立札より
【末社 天神地祇社にお祀りしている御祭神】
【明治期に左記の神社(現氏地内)の御祭神がお祀りされました】
(額田村) 額田明神社 若宮八幡社 恵比寿社 山神社 高城社
(豊浦村) 春日神社 東山神社
(出雲井村)八坂神社
(五條村) 八幡社
(客坊村) 市杵島姫神社
(四條村) 春日神社
(松原村) 春日神社 八幡社[境内各所に鎮座していた左記の末社もお祀りしています]
椿本社 青賢木社 太刀辛雄社 素戔嗚命社 勝手社 八王子社 地主社 戸隠社 笠社 大山彦宮 住吉社 門守社 角振社 岩本社 官社殿社 佐気奈邊社現地案内板より
・なで鹿
なで鹿
御祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)様が神鹿に乗って旅立たれた故事(鹿島立)に因みます。
弘化三年(一八四六)名工 日下(くさか)の小平次作で左右の親鹿が仔鹿を優しく育んでいます。
健康と家族の不安、子どもの幸せ旅行の安全等を念じて撫でてください。案内立札より
・注連縄掛神事(通称 お笑い神事)の注連縄
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
・神津嶽本宮〈枚岡神社 創祀の地〉(東大阪市出雲井町)
枚岡神社の本殿背後〈東方〉にある枚岡山の山中に鎮座〈徒歩40分程度 以上〉
神津嶽本宮(かみつだけほんぐう)は 枚岡神社 創祀の斎場であり 太古の聖地です 神武天皇の即位 三年前 勅命を奉じて天種子命が 天児屋根命・比売御神の二神を霊地・神津嶽に祀り創建されました その後 白雉元年(六五〇)神津嶽の霊地より現社地〈枚岡神社〉に社殿を造営〈中臣氏の平岡進等により〉奉遷しました
神津嶽本宮(東大阪市出雲井町)〈枚岡神社 創祀の地〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『続日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
承和三年・承和六年の条では 香取神と鹿島神に並んで 天児屋根命・比売神〈枚岡の神〉の四所大神として 神階奉叙が記されています
承和十年の条では 神職の把笏について記されています
【抜粋意訳】
承和三年(八三六)五月丁未〈九日〉の条
○丁未 奉授
下総國 香取郡 從三位 伊波比主命 正二位
常陸國 鹿嶋郡 從二位勳一等 建御賀豆智命 正二位
河内國 河内郡
從三位勳三等 天兒屋根命 正三位
從四位下 比賣神 從四位上を
其の詔(みことのり)に曰(いわく)
皇御孫命(すめみまのみこと)〈爾〉坐(まします)
四所大神(しところのおほかみ)〈爾〉申し給ひ〈波久〉。大神(おほかみ)等(たち)〈乎〉彌高(いやたか)〈爾〉彌廣(いやひろ)〈爾〉仕奉(つかふまつれ)〈止奈毛(となも)〉思(をほ)〈保志〉食(めす)。是を以件等の冠(かふり)〈爾〉上獻状(あくたてまつるかたち)〈乎〉
・・・・・
【原文参照】
【抜粋意訳】
卷八 承和六年(八三九)十月丁丑〈廿九日〉の条
○丁丑 奉り授く
坐(まします)下総國 香取郡 正二位 伊波比主命
坐(まします)常陸國 鹿嶋郡 正二位勳一等 建御加都智命 並從一位
坐(まします)河内國 河内郡 正三位勳二等 天兒屋根命 從二位 從四位上 比賣神 正四位下
・・・・
【原文参照】
【抜粋意訳】
卷十三 承和十年(八四三)六月乙丑〈八日〉の条
○乙丑
肥後國 阿蘇郡 從三位勳五等 健磐龍命神社 神主
河内國 河内郡 從二位勳三等 平岡大神社 神主等を 永く預らむ把笏(はしゃく)に
【原文参照】
『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承
平岡神に 幣布24端を加えると記されています
【抜粋意訳】
卷八 齊衡三年(八五六)十月己丑〈十九日〉の条
○己丑 加ふ 從一位 平岡神に 幣布廿四端
【原文参照】
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
貞觀元年は 諸国267社の神々と共に・枚岡天兒屋根命・枚岡比咩神の神階奉叙が記されています
貞觀七年は 祭祀について記されています
【抜粋意訳】
卷二 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申の条
○廿七日甲申 京畿七道の諸の神に進む階(くらい)を及ひ 新に叙つ 惣(すべ)て 二百六十七社なり 奉り授に
淡路國 无品勳八等 伊佐奈岐命一品
・・・・・
・・・・・河内國
從一位勳三等 枚岡天兒屋根命 正一位
正三位勳六等 恩智大御食津比古命神 恩智大御食津比咩命神 並從二位
正四位上勳六等 枚岡比咩神 從三位
從五位下 杜本神 正四位下
從五位上 丹比神 正五位下
從五位下 春日戸神 高宮神 弓削神 志紀長吉神 狹山堤神 狹山神 菅生神 並從五位上
【原文参照】
【抜粋意訳】
卷十一 貞觀七年(八六五)十月廿一日 己巳の条
○廿一日己巳 勅の 河内國 平岡の神主一人に 給春冬當色のむ軾絹糸等を 一に如し平野梅宮の神主の 又 春秋の二祭 差神祇官中臣官人一人を 検校しむ祭り事を 兼て付幣帛を 又差琴師一人を 供事しむ祭場に 立て爲恒例と 是の日 以て從五位下 藤原朝臣元利萬侶を爲次侍從と
【原文参照】
【抜粋意訳】
卷十一 貞觀七年(八六五)十二月十七日甲子の条
○十七日甲子
勅す
河内國 平岡神四前 准春日大原野神に 春冬の二祭に奉幣を 永く以て爲例と
・・・・
・・・・
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 平岡神四座祭
二月祭祈年祭(十一月も准じる)
〈祈年祭 年の始めの二月 穀物とくに稲作の豊穣と皇室 国家の隆盛 安泰を祈る祭儀〉
主なる諸神に農作物を奉献していることが記載されています
平岡神(河内国河内郡)には 祭神料として白米六斗四升 糧米一斗二升 大小豆各四升 稲四束等
【抜粋意訳】
巻1神祇 四時祭上 二月祭 平岡神四座祭
祭神料
五色絹(かとり)各二丈四尺、絲四絇、曝布四端、安芸木綿八斤、麻八斤、裹(つつむ)幣帛を料の交易(けうやく)の商布一段一丈七尺、明櫃二合、筥形一具、朸(あつこ)一枝、〈已上幣料、官物、神祇官所請、〉布四端、〈封物、〉白米六斗四升、糯米一斗二升、酒七斗、大小豆各四升、鮨一斗、腊四斤、烏賊、堅魚各四斤、雑盛一篭、海藻四斤、滑海藻(あらめ)二斤、生鮭一隻、塩四升、菓子一斗五升、稲四束、韓竈、由加各二具、箕一枚、埦形(ももかた)四口、叩戸(たたいへ)二口、盆四口、堝五口、酒壷二口、洗盤、片盤各四口、覆坏(をほひつき)廿口、酒盞八口、杯卅口、杓二柄、水桶二口、匏四柄、置簀四枚、食薦十二枚、籮一口、柏三俵、薪五擔、〈已上用河内国正税、〉解除料
五色絁各二尺、凡木綿三斤、麻二斤、鍬四口、交易商布二段、庸布一段、〈已上官物、神祇官所請、〉酒一斗、鮨三升、腊二升、烏賊、堅魚各四斤、海藻四斤、塩二升、稲二束、瓫三口、堝三口、缶四口、坏六口、杓二柄、水桶二口、匏二柄、食薦二枚、籮一口、黄蘗十二枚、〈已上用河内国正税、〉散祭料
五色絁各二丈、絁一疋、絲一絇四両、凡木綿二斤、麻一斤、紙廿張、曝布一端、色紙卅張、五色玉二百丸、五色木綿一百枚、〈已上神祇官所請、〉神殿装束料
五色絁各二丈四尺、絁四尺、麻二斤、綿一屯、黒葛十斤、桧榑一村、〈已上官物、神祇官所請、〉醸神酒(かもし みわ)竈神祭料〈前祭請之〉
五色絁各二尺、倭文一尺、木綿八両、鍬二口、〈已上官物、神祇官所請、〉醸神酒解除料〈前祭請之〉
五色絁各四尺、絁四丈、絲四絇、木綿、麻各二斤、庸布四段、鍬四口、黄蘗八枚、祝詞軾料布一端、〈已上官物、神祇官所請、〉白米五斗、〈用河内国正税、〉盛酒雑用料庸布一段、覆醸酒■【瓦+長】口料布五尺、〈官物、神祇官所請、〉韓竈一具、〈醸酒料、用河内国正税、〉雑色人食料
白米一斛三升二合、鮨一斗八升、腊十一斤四両、和布十一斤四両、塩一升八合、酒三斗五升、〈並用河内国正税、〉斎服料
物忌一人装束、絹四疋九尺、夾纐絁三丈五尺、綿三屯六両、錦九尺五寸、紗七尺、紅花一斤三両、攴子五升、錦鞋一両、紫絲四両、韓櫛二枚、神主一人当色一具、装束料絹二疋、細布二端、綿二屯、布二端、〈神祇官人一人料准此〉軾料絹二疋、絲三絇、布二端、弾琴(みことひき)一人装束料絹一疋三丈、綿三屯、庸布二段、膳部八人料布六端二丈八尺、〈別三丈五尺、〉紅花一斤四両、卜部二人料交易商布二段、〈別一段、並官物、神祇官所請、〉祝、祢宜各一人料布十二端、〈封物、〉同祭禄料
調布卅八端、〈幣帛使、神主各八端、物忌二端、祢宜、祝各八端、弾琴、笛工各一端、卜部二人各一端、〉庸布十六段〈膳部八人各二段、〉
右春二月 冬十一月上申日祭之 官人一人率て雑色人を 供奉祭の事
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭
月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」
大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています
【抜粋意訳】
月次祭(つきなみのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並大 社 一百九十八所
座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、
前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻2「四時祭下」中の「相嘗祭神七十一座」
【抜粋意訳】
巻2神祇 四時祭下 十一月祭 相甞祭神七十一座
枚岡社(ひらをかのやしろ) 四座
絹(キヌ)八疋、絲(イト)十二絇、綿十二屯、調布十二端、庸布六段、木綿六斤八両、鮑二斤八両、堅魚八斤八両、腊(きたい)〈干し肉〉二斗、海藻、凝海菜各八斤八両、塩四斗、筥四合、瓼(サラケ)、缶、水瓫(ホトギ)、山都婆波、小都婆波、筥瓶【瓦+并】、酒垂、匜、等呂須伎、高盤、片盤、短女坏、筥坏、小坏、酒盞、陶臼各八口、酒稲二百束、〈正税、〉
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭
新嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り
大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する
【抜粋意訳】
新嘗祭(にいなめのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所
座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
名神祭 二百八十五座
・・・・・・
恩智神社 二座
枚岡(ヒラヲカノ)神社 四座
杜本神社
飛鳥戸神社 已上 河内國
・・・座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉
加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣))[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)河内郡 10座(大4座・小6座)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 枚岡神社 四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)
[ふ り が な ](ひらをかの かみのやしろ しくら)
[Old Shrine name](Hirawoka no kamino yashiro shikura)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
「元春日(もとかすが)」とよばれる枚岡神社について
神護景雲(じんごけいうん)二年(768)称徳天皇の勅命により 神山である御蓋山ミカサヤマ(春日山)の麓に 春日大社(奈良市春日野町)本殿が造営されました
枚岡神社(東大阪市出雲井町)から 天児屋根命・比売御神の二神が 春日山本宮の峰に影向せられ 春日大社に分霊勧請し祀られました このことが 枚岡神社が「元春日(もとかすが)」とよばれる由縁となっています
春日大社の記事をご覧ください
・春日大社(奈良市春日野町)
春日大社(かすがたいしゃ)は 社記によると 神護景雲二年(768)・武甕槌命〈常陸国 鹿島神宮〉・経津主命〈下総国 香取神宮〉・天児屋根命〈河内国 枚岡神社〉・比売神〈河内国 枚岡神社〉を併せ 御蓋山(みかさやま)麓に四殿の社殿を造営し 四座が鎮座して 春日大社が創建されたと伝えています
春日大社(奈良市春日野町)
経津主命(ふつぬしのみこと)と武甕槌命(たけみかづちのみこと)の祭祀について
経津主命(ふつぬしのみこと)と武甕槌命(たけみかづちのみこと)は それぞれ香取神宮(千葉県香取市)と鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主祭神です
神護景雲(じんごけいうん)二年(768)称徳天皇の勅命により 神山である御蓋山ミカサヤマ(春日山)の麓に 春日大社(奈良市春日野町)本殿が造営された時
経津主命(ふつぬしのみこと)と武甕槌命(たけみかづちのみこと)は それぞれ香取神宮(千葉県香取市)と鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)から分霊されたと 春日大社の社伝には記されています
枚岡神社でも 春日大社と同様に両神を勧請して2祭神から4祭神に改めます
その時期は 春日大社の創建年 神護景雲2年(768)~貞観7年(865)の間と推定されます 枚岡神社の社伝では 宝亀9年(778)の合祀としています
香取神宮(千葉県香取市)と鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の記事をご覧ください
下総国(shimosa no kuni) (千葉県)
・香取神宮(香取市)
香取神宮(かとりじんぐう)は 『延喜式神名帳927 AD.』の中で「神宮」の称号を持つ 3所〈伊勢大神宮・香取神宮・鹿島神宮〉の一つです その所載には 下緫國 香取郡 香取神宮(かとりの かむのみや)(名神大 月次 新嘗)と記され 古来国家鎮護の神としての官幣大社です 又 人々の崇敬を集める下總國一之宮です
香取神宮(香取市)下總國一之宮
常陸国(hitachi no kuni) (茨城県)
・鹿島神宮(鹿嶋市)
鹿島神宮(かしまじんぐう)は 武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)を祀る鹿島神社〈全国に約600社〉の総本宮です 『常陸国風土記713AD.』には 香島天之大神(かしまのあめのおほかみ)・『延喜式神名帳927 AD.』には 名神大社 鹿島神宮(かしまの かむのみや)と記されています
鹿島神宮(鹿嶋市宮中)〈延喜式内社名神大社・常陸國一之宮〉
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄奈良線 枚岡駅の東口改札を出ると すぐ目の前が社頭
一の鳥居は 線路の反対側 西へ700m程の所に建ちます
駅からの東へと階段を上がると 社頭に建つ 二の鳥居
枚岡神社(東大阪市出雲井町)に参着
道路の左手〈北側〉には 石鳥居が建ちますので 一礼をして 石鳥居をくぐります
改めて 一礼をして 二の鳥居をくぐります 扁額には 枚岡神社
山に向かって 緩やかに上る石畳の参道を進むと 参道の広場に出ます
とても 清々しい景観です
参道広場の右手〈南側〉には 斎館があります
参道広場の正面には 青銅製の神鹿の手水所 清めます
参道には 石製の鉾が立ち その先には 斎祀〈注連縄掛神事(通称 お笑い神事)〉の注連縄が懸かる注連縄柱があります
一礼をして 注連縄柱をくぐります
階段を上がると その先には 拝殿の屋根が覗けます
拝殿にすすみます
拝殿の扁額 枚岡神社と記されます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿 向かって左〈北側〉には 鶏鳴殿〈社務所〉があり 拝殿から屋根付きの渡り廊下で繋がります その奥には御神木 御竃殿があります
拝殿 向かって右〈南側〉へ向かいます
拝殿 向かって右〈南側〉には授与所があり 石段の上には 枚岡梅林へと続く 感謝と祈りの道があります
階段を上がり始めると 拝殿の奥には 本殿の神域の瑞垣と神門が見えてきます
右側の石垣からは 湧水が滴り落ちます
本殿の遥拝所があり 注連縄が懸かります
四殿並列の美しい枚岡造の御殿
〈本殿の並び順〉向かって右より2殿・1殿・3殿・4殿 四殿が並列鎮座
第2殿 比売御神(ひめみかみ)
第1殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)
第3殿 経津主命(ふつぬしのみこと)
第4殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
本殿の前には 湧水が流れ 神橋が架かっています
感謝と祈りの道にある 境内社にお詣りをします
社殿に一礼をして 参道を戻ります
石段を下りて 参道広場に戻ると 夕日が沈みかけてきました
夕日に照らされながら 参道を下ります
鳥居を抜けて 深く感謝の頭をたれます
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『河内名所図会(Kawachi Meisho Zue)』〈享和元年(1801年)刊〉に記される伝承
絵図には 本殿 四殿並列の枚岡造が描かれています
【抜粋意訳】
枚岡神社(ひらおかじんじゃ)絵図
枚岡神社 四座(ひらおかじんじゃ よざ)
出雲井村北にあり 国民敬信して 当国一宮と称せり・・・・・正月十五日 御粥占之神事(おかゆうらのしんじ)其の一
其の二 御粥占祝詞の絵(おかゆうらのりとのえ)
【原文参照】
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
今でも 国民の敬信を集めて 国の一之宮である と記されています
【抜粋意訳】
河内郡十座 大四座 小六座
枚岡(ヒラヲカノ)神社 四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)
続日本後紀
〇承和三年(八三六)五月丁未〈九日〉の条 河内國 河内郡 從三位勳三等 天兒屋根命 正三位 從四位下 比賣神 從四位上を
○承和六年(八三九)十月丁丑〈廿九日〉の条 坐(まします)河内國 河内郡 正三位勳二等 天兒屋根命 從二位 從四位上 比賣神 正四位下
○承和十年(八四三)六月乙丑〈八日〉の条 河内國 河内郡 從二位勳三等 平岡大神社 神主等を 永く預らむ把笏(はしゃく)に日本文徳天皇実録
○齊衡三年(八五六)十月己丑〈十九日〉の条 加ふ 從一位 平岡神に 幣布廿四端日本三代実録
○貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申の条 河内國 從一位勳三等 枚岡天兒屋根命 正一位 正四位上勳六等 枚岡比咩神 從三位
○貞觀七年(八六五)十月廿一日 己巳の条 勅の 河内國 平岡の神主一人に 給春冬當色のむ軾絹糸等を 一に如し平野梅宮の神主の 又 春秋の二祭 差神祇官中臣官人一人を 検校しむ祭り事を 兼て付幣帛を 又差琴師一人を 供事しむ祭場に 立て爲恒例と 是の日 以て從五位下 藤原朝臣元利萬侶を爲次侍從と志
在に出雲井村北 今尚 国民敬信 称奉り 国一宮 勤時祭踏歌占穀等祭事 神幸之地 在 豊浦村
和鈔
讃良郡 枚岡 比良乎加
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
枚岡は ひらおか と云い 平岡とも書く と記されています
【抜粋意訳】
枚岡神社 四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)
枚岡は 比良乎加と訓べし 和名鈔 郷名部 讃良郡 枚岡 假字上の如し
祭神 天児屋根命 武甕槌命 斎主命 姫大神
〇出雲井村北に在す 河内志
〇式二 四時祭下 相甞祭神七十一座 枚岡社 四座
式三 臨時祭 名神祭 二百八十五座 枚岡神社 四座
〇当国一宮なり
〇神別記云 高皇産霊四世孫 許止々魂尊子 河内国平岡神也
〇姓氏録 河内国神別 枚岡連 津速魂命十四世孫 鯛身臣之後也
〇永萬記云 平岡社
〇總国風土記 第三残峡云 平岡神社 所祭 天児屋根命神位
続日本後紀
〇承和三年(八三六)五月丁未〈九日〉の条 河内國 河内郡 從三位勳三等 天兒屋根命 正三位 從四位下 比賣神 從四位上を
○承和六年(八三九)十月丁丑〈廿九日〉の条 坐(まします)河内國 河内郡 正三位勳二等 天兒屋根命 從二位 從四位上 比賣神 正四位下
日本三代実録
○貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申の条 河内國 從一位勳三等 枚岡天兒屋根命 正一位 正四位上勳六等 枚岡比咩神 從三位官幣
日本文徳天皇実録
○齊衡三年(八五六)十月己丑〈十九日〉の条 加ふ 從一位 平岡神に 幣布廿四端祭祀
日本三代実録
○貞觀七年(八六五)十月廿一日 己巳の条 勅の 河内國 平岡の神主一人に 給春冬當色のむ軾絹糸等を 一に如し平野梅宮の神主の 又 春秋の二祭 差神祇官中臣官人一人を 検校しむ祭り事を 兼て付幣帛を 又差琴師一人を 供事しむ祭場に 立て爲恒例と
○貞觀七年(八六五)十二月十七日甲子の条 勅す 河内國 平岡神四前 准春日大原野神に 春冬の二祭に奉幣を 永く以て爲例と延喜式一
○四時祭上 二月祭 平岡神四座祭 右春二月 冬十一月上申日祭之 官人一人率て雑色人を 供奉祭の事封戸 社領
式三 臨時祭 枚岡社・・・・
〇当代社領 五石九斗五升社職 把笏
続日本後紀
○承和十年(八四三)六月乙丑〈八日〉の条 河内國 河内郡 從二位勳三等 平岡大神社 神主等を 永く預らむ把笏(はしゃく)に日本三代実録
○貞觀七年(八六五)十月廿一日 己巳の条 勅の 河内國 平岡の神主一人に 給春冬當色のむ軾絹糸等を 一に如し平野梅宮の神主 云々
・・・・・
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
枚岡(ヒラヲカノ)神社 四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)
祭神
天兒屋根(アメノコヤネノ)命
比賣神(ヒメカミ)
武甕槌(タケミカツチノ)命
斎主(イハイヌシノ)命神位
続日本後紀
〇承和三年(八三六)五月丁未〈九日〉の条 河内國 河内郡 從三位勳三等 天兒屋根命 正三位 從四位下 比賣神 從四位上を
○承和六年(八三九)十月丁丑〈廿九日〉の条 坐(まします)河内國 河内郡 正三位勳二等 天兒屋根命 從二位 從四位上 比賣神 正四位下
日本三代実録
○貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申の条 河内國 從一位勳三等 枚岡天兒屋根命 正一位 正四位上勳六等 枚岡比咩神 從三位祭日 二月一日 九月九日 十一月上申日
社格 官幣大社
所在 出雲井村 日下山字枚岡(中河内郡枚岡村大字出雲井)
【原文参照】
枚岡神社(東大阪市出雲井町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」は 律令時代に発生した制度・社格で 律令時代の国司の参拝に伴う制度・社格として生じました 全国各地に現在でも「一宮」の地名が沢山あり 呼び方については「いちのみや」は同じでも 標記の仕方は「一宮」・「一之宮」・「一の宮」「一ノ宮」など様々です
日本全国に鎮座します「一の宮(いちのみや)」について
河内国 式内社 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)について に戻る
河内国(かは〈わ〉ちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 河内国の 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)の神社のことです
河内国 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)