実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

引田部神社(佐渡市金丸)〈『延喜式』引田部神社・佐渡國 三之宮〉

引田部神社(ひきたべじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 『國邑志稿引田は阿倍臣同にて 命之後也 大彦命は孝元帝の皇子にて 阿部臣等七姓之始祖也」とあり 引田氏の子孫が当国に住み祖神を祀ったものであろうとされる延喜式内社 佐渡國 雑太郡 引田部神社(ひきたへの かみのやしろ)です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

引田部神社(Hikitabe shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

新潟県佐渡市金丸488

〈旧住所〉新潟県佐渡郡真野町大字金丸488番地丙

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴命(おほなむちのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

・ 佐渡國 三之宮

【創  (Beginning of history)】

引田部神社

延長(九二七)醍醐天皇に上進された延喜式巻第十神名帳には、佐渡国九座の中、雑太郡(さはだのこおり)五座の一つに引田部神社(ひきたべのかみのやしろ)が載せられている。

祭神 大巳貴命
境内社 八坂神社
祭神  素盞鳴尊
合祀 倉稲魂命

例祭日 四月十五日
宝物 上杉氏制札 天正十七(一五八九)
佐渡市教育委員会

現地立札より

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『佐渡神社誌』大正15年(1926)に記される伝承について

【抜粋意訳】

○郷社 引田部神社 〔大字金丸一二五二番地鎭座〕

祭神 大己貴命 〔祭神の委しき事は祭神通考を見るべし〕

○由緒

 引田部は俗に「ヒキタベ」と訓めど 雄略天皇の御製にも「ヒケダ」とあれば「ヒケタべ」と云ふ可し 祭神も寶暦寺社帳 及 佐渡志に御神號 大巳貴命素戔嗚尊子とせる從ふ可し、明細帳に猿田彦命とせるは延寶年中 橘三喜の猿田彦之神號を納めしに因りて誤られたる也、國邑志稿に阿部引田臣氏の祖 大彦命とせる謂れなきにしも非ざれと 今は古きに從つて採らず、讃岐官社考証迫録に引田神社引田村に在り大神引田公の祖 大巳貴命を祀るとせる傍証に備ふ可し、延喜式内九社の第三に位し 明治六年九月第二大區第二小區の郷社に定めらる。

○境内神社 八坂神社 祭神 素戔嗚尊 合祀 倉稲魂命〔明治四十一年十月二十七日 同字 無格社 稲荷神社を合祀せり〕

【原文参照】

新潟県神職会佐渡支部 編『佐渡神社誌』,新潟県神職会佐渡支部,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971197

【由  (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

新潟縣 佐渡郡 郷社 引田部神社

○新潟縣 佐渡國 佐渡郡眞野村大字金丸

鄉社 引田部(ヒキタベノ)神社

祭神 猿田彦(サルタヒコノ)

 創祀年代分明ならも、醍醐天皇 延喜の制小社に列し、當國九座の一にして、修験観性院 之が別たり(佐渡志)、國邑志稿に、引田は阿倍臣同にて、大命之後也、大彦命は孝元帝の皇子にて、阿部臣等七姓之始祖也」と見え、崇神帝、四道將軍を置かれし時、北陸に下向ありければ由縁あり、引田氏の子孫 當國に住する者 神を祀るにや、明治六年九月郷社に列す、
境内二百四十六坪(官有地第一種)、社殿は本殿、拝殿を備ふ、

別當 修験観性院に景勝の制札をへたり(佐渡志)、

「制札
 右於當地諸軍勢妨狼藉、に竹木剪採之事、堅令ニ 停止、卒若犯之於有之者、立所加 成敗 之由、被成、御朱印者也、仍如件、
天正十七年六月 奉行中」

因に記す、當村には承久の昔、北條氏の爲めに遷されて崩し給ひし順徳天皇を祀れる野宮あ、之を距る事五六町の所に御陵あり。

境内神社 八坂神社

例祭日 陰曆九月九日

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

引田部神社 社殿〈拝殿・幣殿・本殿〉

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引田部神社 拝殿

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・〈拝殿前〉石燈籠

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・〈社殿向かって右 境内社〉八坂神社

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・境内参道

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・鳥居

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・社号標

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)佐渡國 9座(並小)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)雑太郡 5座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 引田部神社
[ふ り が な ](ひきたへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hikitahe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

佐渡國の一之宮 二之宮 三之宮について

引田部神社は 佐渡國 三之宮です

・〈佐渡國 一之宮

・度津神社(佐渡市)〈佐渡國一之宮〉

一緒に読む
度津神社(佐渡市羽茂飯岡)〈佐渡國一之宮・延喜式内社〉

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・〈佐渡國 二之宮

・大目神社(佐渡市吉岡)〈佐渡國二之宮〉

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

佐渡汽船 両津港からR350号経由で南南西へ約14.0km 車での所要時間は23~26分程度

国府川の南岸 金丸地区に鎮座します

社号標には「郷社 引田部神社」と刻字されています

引田部神社(佐渡市金丸)に参着

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朱色の両部鳥居の扁額には「九社第三宮」とあります

これは 延喜式内社 佐渡國九座の三之宮と云う意です

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 引田部神社について 所在は゛金丸本郷に在す゛〈現 引田部神社(佐渡市金丸)〉と記しています

【抜粋意訳】

引田部神社

引田部は比氣多倍と訓べし〔秘釋〕

○祭神詳ならず

○金丸本郷に在す、〔略風土記〕

例祭 九月九日

雑事
 朝野群載云、永曆四年六月十日、奏龜卜御體御卜、〔中略〕坐ニ 佐渡國引田部神云々、〔以下前に同じ〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 引田部神社について 所在は゛金丸村に在り、引田部大明神と云ふ、゛〈現 引田部神社(佐渡市金丸)〉と記しています

【抜粋意訳】

引田部(ヒケタベノ)神社、

 金丸村に在り、引田部大明神と云ふ、

 九月九日祭を行ふ、〔佐渡風土記、神社覈録

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 引田部神社について 所在は゛金丸本 (佐渡郡眞野村大金丸)゛〈現 引田部神社(佐渡市金丸)〉と記しています

【抜粋意訳】

引田部神社

祭神

 今按 佐渡志に祭神 大巳貴神とあるを明細帳に猿田彥神と改めたるは疑はし 引田部は古事記〔雄略段〕に引田部赤猪子と云人みえ書紀〔天武巻〕三輪引田君難波麻呂あり 三代實錄 大神引田朝臣等祖雖 同派別名異云々とあるによらぱ 此姓 大神朝臣と支別なる事著く 大和城上郡牽く田神社祭神大巳貴命なるも績紀大和國人 大神引田公足人云々賜二 姓大神朝臣とあるにもあれば此祭神も同じかるべし

祭日 九月九日
社格 郷社

所在 金丸本 (佐渡郡眞野村大金丸) 

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

引田部神社(佐渡市金丸) (hai)」(90度のお辞儀)

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佐渡国 式内社 9座(並小)について に戻る

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