肥後国(ひごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 肥後国 4座(大1座・小3座)の神社です
肥後国(ひごのくに)について
肥後国(Higonokuni)は 令制国の一つ〈西海道に属する〉
現在の・熊本県
火国(ひのくに)後の肥国(ひのくに)の分割により 7世紀末までに成立
肥後国(ひごのくに) 4座(大1座・小3座)
大社1座は1社〈名神大社〉
小社3座は3社
計4座は4社
※座は神の柱数 社は神社数
郡〈延喜式神名帳に記載〉
・阿蘇郡(あその こおり) 3座(大1座・小2座)
・玉名郡(たまなの こおり) 1座(小)
阿蘇郡(あその こおり) 3座(大1座・小2座)
健磐龍命神社(名神大)(たけいはたつのみことの かみのやしろ)
・阿蘇神社(阿蘇市一の宮町宮地)
阿蘇神社(あそじんじゃ)は 社伝によれば 第7代 孝霊天皇九年(西暦前280年)健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子 速瓶玉命(はやみかたまのみこと)〈初代 阿蘇国造〉が 阿蘇宮を創建と傳う 神職家の阿蘇大宮司家は連綿として九十一代現宮司に至る日本屈指の名家です
阿蘇神社(阿蘇市一の宮町宮地)
・〈阿蘇神社の奥宮〉阿蘇山上神社(阿蘇市黒川)
阿蘇山上神社(あそさんじょうじんじゃ)は 阿蘇神社の奥宮〈奥の院〉とされ 古くから阿蘇火山を鎮める神社として朝廷の崇拝を受けてきました 社記には「欽明天皇十四年三月(552)阿蘇山火起って天に接す阿蘇宮の御三社を祀り社家の内笠忠基をして奉仕せしむ これを天宮祝と云う」と伝わります
阿蘇山上神社(阿蘇市黒川)
・〈阿蘇神社の本宮〉国造神社(阿蘇市一の宮町手野)
国造神社(こくぞうじんじゃ)は 阿蘇神社の本宮ともされ その北方にあるので北宮と云う 第十代 崇神天皇の18年(紀元581)初代 阿蘇国造の速瓶玉命(はやみかたまのみこと)を その御子 惟人命(彦御子神)が勅により 阿蘇国造の神として 御居住の地(現在地)に鎮祭したのが創建と伝わります
国造神社(阿蘇市一の宮町手野)
阿蘇比咩神社(貞)(あそひめの かみのやしろ)
・阿蘇神社(阿蘇市一の宮町宮地)
阿蘇神社(あそじんじゃ)は 社伝によれば 第7代 孝霊天皇九年(西暦前280年)健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子 速瓶玉命(はやみかたまのみこと)〈初代 阿蘇国造〉が 阿蘇宮を創建と傳う 神職家の阿蘇大宮司家は連綿として九十一代現宮司に至る日本屈指の名家です
阿蘇神社(阿蘇市一の宮町宮地)
国造神社(貞)(くにつくり かみのやしろ)
・国造神社(阿蘇市一の宮町手野)
国造神社(こくぞうじんじゃ)は 阿蘇神社の本宮ともされ その北方にあるので北宮と云う 第十代 崇神天皇の18年(紀元581)初代 阿蘇国造の速瓶玉命(はやみかたまのみこと)を その御子 惟人命(彦御子神)が勅により 阿蘇国造の神として 御居住の地(現在地)に鎮祭したのが創建と伝わります
国造神社(阿蘇市一の宮町手野)
・阿蘇神社(阿蘇市一の宮町宮地)〈参考論社〉
阿蘇神社(あそじんじゃ)は 社伝によれば 第7代 孝霊天皇九年(西暦前280年)健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子 速瓶玉命(はやみかたまのみこと)〈初代 阿蘇国造〉が 阿蘇宮を創建と傳う 神職家の阿蘇大宮司家は連綿として九十一代現宮司に至る日本屈指の名家です
阿蘇神社(阿蘇市一の宮町宮地)
玉名郡(たまなの こおり) 1座(小)
疋野神社(貞)(ひきの かみのやしろ)
・疋野神社(玉名市立願寺)
疋野神社(ひきのじんじゃ)は 玉名郡司〈大宝律令(701年)〉日置氏(へきうじ)の守護神〈氏神〉として゛へきの神社゛が゛ひきの神社゛となったとされます 平安時代(840年)官社となり 延喜式内社 肥後国 玉名郡 疋野神社(ひきの かみのやしろ)でしたが 日置氏の没落後には衰退・廃絶し 社殿の跡さえ不明となったものを江戸初期 熊本藩主細川氏が再興し 現在に至ります
疋野神社(玉名市立願寺)
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『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました このページは
西海道に鎮座する 107座『延喜式神名帳』の所載一覧
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています
「西海道」に鎮座する(107座…大38・小69)神社の一覧表です