畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
畠田神社(Hatakeda shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県多気郡明和町大字中村 1029
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
御祭神 25柱
《主》火之迦具土命(ひのかぐつちのみこと)
埴山比賣命(はにやまひめのみこと)
稚産霊命(わくむすびのみこと)
建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)
《合祀 式内社の祭神》
・大山祇命(おほやまつみのみこと)
(合祀)濱田鎮座 御山御前神社(伊勢國多気郡 守山神社)
・豊宇氣比賣命(とようけひめのみこと)
(合祀)養川(養田)鎮座 石田神社(伊勢國多気郡 石田神社)
・宇麻志摩治命(うましまじのみこと)
(合祀)志貴鎮座 佐伎栗栖神社(伊勢國多気郡 佐伎栗栖神社二座)
・饒速日命(にぎはやひのみこと)
(合祀)志貴鎮座 佐伎栗栖神社(伊勢國多気郡 佐伎栗栖神社二座)
・伊豆乃賣命(いづのめのみこと)
(合祀)八木戸鎮座 伊呂上神社(伊勢國多気郡 伊呂上神社)
・大日霊命(おほひるめのみこと)
(合祀)内座鎮座 宇気比神社(伊勢國多気郡 宇留布都神社)
・土之御祖命(つちのみおやのみこと)
(合祀)根倉鎮座 國之御神社(伊勢國多気郡 國乃御神社)
・宇迦魂命(うかのみたまのみこと)
(合祀)根倉鎮座 根倉神社(伊勢國多気郡 櫃倉神社)
(合祀)根倉鎮座 根倉神社(伊勢國多気郡 竹佐々夫江神社)
(合祀)根倉鎮座 根倉神社(伊勢國度會郡 荻原神社)
《合祀 祭神》
・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
・天穂日命(あめのほひのみこと)
・天津彦根命(あまつひこねのみこと)
・活津彦根命(いくつひこねのみこと)
・熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
・奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)
・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
・多紀理姫命(たぎつひめのみこと)
〈合祀〉丹川 宇気比神社・田屋 宇気比神社
・菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)
・蛭子命(えびすのみこと)
・品陀和氣命(ほんだわけのみこと)
・入船姫命(いりふねのみこと)
・彌津波能女命(みずはめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
御由緒
社名は、式内社畠田神社です。
御祭神は、火之加具土命(ひのかぐつちのみこと)ほか24柱です。
当社の創始は、「延喜式神名帳」に「畠田神社三座」と記載されていることから、延喜年間(901~923)には存在していたと推測されます。また「倭姫命世記」に命(ミコト)が佐々车江巡行の折、真名鶴が飛来して稲穂を咥えるのを見て「八握穂社ヲ祀ル」とあり、のちに根倉神社と改称し合祀されています。この真名鶴伝説では当地が古くから米の産地であり、神宮の神嘗祭の発祥地であると伝えられています。
明治41年4月,下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を、すべて北藤原の畠田神社に合祀し、更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し、10月10日付けをもっ
て合祀記念日と定め現在に至っています。合祀前の下御系地区24座の中で12座が式内社であり全国でも数少ない極めて珍しい由緒を伝えております。
神社配布パンフレットより抜粋
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御由緒
創建は延喜年間(西暦九〇一年~九二三年)以前なること明白なるも
詳細は不明明治四十一年十月十日次の旧 下御糸村内の神社が合祀され、火之迦具土神外二十四柱の祭神を合祀し、氏神として崇敬され現在に至っている
中 村 畠田神社他二社
北藤原 畠田神社他一社
南藤原 畠田神社
川 尻 須賀神社
内 座 宇気比神社
養 田 石田神社他二社
丹 川 宇気比神社
田 屋 宇気比神社
志 貴 佐伎栗栖神社他一社
八木戸 伊呂上神社他三社
浜 田 白浜真名胡神社他三社
根 倉 根倉神社他三社現地石碑文より
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【由 緒 (History)】
由緒
当社の創始は明らかでないが、『延喜式神名帳』に「畠田神社三座」と記載されている事から、延喜年間(901~923)には存在していたと推測される。
また『倭姫命世記』に命(ミコト)が佐々牟江巡行の折、真名鶴が飛来して稲穂を咥えるのを見て「八握穂社ヲ祀ル」とあり、のちに根倉神社と改称し合祀されている。この真名鶴伝説では、当地が古くから米の産地であり、神宮の神嘗祭の発祥地であると伝えられている。三重県神社庁・皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPより
https://jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63377
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・畠田神社 拝殿
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・〈境内社〉祖霊社《主》護国の英霊
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・社頭
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・神宮遥拝所
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・社号標
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈旧鎮座地〉合祀された式内社24座の旧鎮座地について
由緒によれば
「明治41年4月,下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を、すべて北藤原の畠田神社に合祀し、更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し、10月10日付けをもって合祀記念日と定め現在に至っています。合祀前の下御系地区24座の中で12座が式内社」
①(伊勢國多気郡 畠田神社三座)
・畠田神社 宮蹟(明和町北藤原)
〈畠田神社三座の一座 旧鎮座地〉
・畠田神社 跡(明和町南藤原)
〈畠田神社三座の一座 旧鎮座地〉
②(伊勢國多気郡 守山神社) (合祀)濱田鎮座 御山御前神社
・御山御前神社 跡地(明和町濱田)
〈畠田神社に合祀された 御山御前神社(明和町濱田)〈守山神社の論社〉の旧鎮座地〉
③(伊勢國多気郡 宇留布都神社) (合祀)内座鎮座 宇気比神社
・宇気比神社 古社地(明和町内座)
〈畠田神社に合祀 宇気比神社(明和町内座)〈宇留布都神社の論社〉の旧鎮座地〉
④(伊勢國多気郡 石田神社) (合祀)養川(養田)鎮座 石田神社
・石田神社 舊跡(明和町養川)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉
⑤(伊勢國多気郡 佐伎栗栖神社二座)(合祀)志貴鎮座 佐伎栗栖神社
・佐伎栗栖神社 跡地(明和町志貴)
〈畠田神社に合祀 佐伎栗栖神社(明和町志貴)〈佐伎栗栖神社の論社〉の跡地〉
⑥(伊勢國多気郡 竹佐々夫江神社) (合祀)根倉鎮座 根倉神社
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈竹佐々夫江神社の論社〉の旧鎮座地〉
⑦(伊勢國多気郡 國乃御神社) (合祀)根倉鎮座 國之御神社
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 國之御神社(明和町根倉)〈國之御神社の論社〉の旧鎮座地〉
⑧(伊勢國多気郡 櫃倉神社) (合祀)根倉鎮座 根倉神社
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈櫃倉神社の論社〉の旧鎮座地〉
⑨(伊勢國多気郡 伊呂上神社) (合祀)八木戸鎮座 伊呂上神社
・式内伊呂上神社跡(明和町八木戸)
〈畠田神社に合祀 伊呂上神社(明和町八木戸)〈伊呂上神社の論社〉の跡〉
⑩(伊勢國度會郡 荻原神社) (合祀)根倉鎮座 根倉神社
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈萩原神社の論社〉の旧鎮座地〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
畠田神社(明和町大字中村)は 延喜式内社 畠田神社三座と式内社が9社〈合祀〉されています
①(伊勢國多気郡 畠田神社三座)
②(伊勢國多気郡 守山神社) (合祀)濱田鎮座 御山御前神社
③(伊勢國多気郡 宇留布都神社) (合祀)内座鎮座 宇気比神社
④(伊勢國多気郡 石田神社) (合祀)養川(養田)鎮座 石田神社
⑤(伊勢國多気郡 佐伎栗栖神社二座)(合祀)志貴鎮座 佐伎栗栖神社
⑥(伊勢國多気郡 竹佐々夫江神社) (合祀)根倉鎮座 根倉神社
⑦(伊勢國多気郡 國乃御神社) (合祀)根倉鎮座 國之御神社
⑧(伊勢國多気郡 櫃倉神社) (合祀)根倉鎮座 根倉神社
⑨(伊勢國多気郡 伊呂上神社) (合祀)八木戸鎮座 伊呂上神社
⑩(伊勢國度會郡 荻原神社) (合祀)根倉鎮座 根倉神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
①(伊勢國多気郡 畠田神社三座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[旧 神社 名称 ] 畠田神社三座
[ふ り が な ](はたけたの かみのやしろ みくら)
[Old Shrine name](Hataketa no kaminoyashiro)
②(伊勢國多気郡 守山神社) (合祀)濱田鎮座 御山御前神社
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[旧 神社 名称 ] 守山神社
[ふ り が な ](もるやまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Moruyama no kaminoyashiro)
③(伊勢國多気郡 宇留布都神社) (合祀)内座鎮座 宇気比神社
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[旧 神社 名称 ] 宇留布都神社
[ふ り が な ](うるふつの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Urufutsu no kaminoyashiro)
④(伊勢國多気郡 石田神社) (合祀)養川(養田)鎮座 石田神社
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[旧 神社 名称 ] 石田神社
[ふ り が な ](いはたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ihata no kaminoyashiro)
⑤(伊勢國多気郡 佐伎栗栖神社二座)(合祀)志貴鎮座 佐伎栗栖神社
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[旧 神社 名称 ] 佐伎栗栖神社二座
[ふ り が な ](さきくすの かみのやしろ ふたくら)
[Old Shrine name](Sakikusu no kaminoyashiro)
⑥(伊勢國多気郡 竹佐々夫江神社) (合祀)根倉鎮座 根倉神社
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[旧 神社 名称 ] 竹佐々夫江神社
[ふ り が な ](たけささふえの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Takesasafue no kaminoyashiro)
⑦(伊勢國多気郡 國乃御神社) (合祀)根倉鎮座 國之御神社
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[旧 神社 名称 ] 國乃御神社
[ふ り が な ](くにのみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kuninomi no kaminoyashiro)
⑧(伊勢國多気郡 櫃倉神社) (合祀)根倉鎮座 根倉神社
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[旧 神社 名称 ] 櫃倉神社
[ふ り が な ](ひつくらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Hitsukura no kaminoyashiro)
⑨(伊勢國多気郡 伊呂上神社) (合祀)八木戸鎮座 伊呂上神社
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)
[旧 神社 名称 ] 伊呂上神社
[ふ り が な ](いろのうへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ironouhe no kaminoyashiro)
⑩(伊勢國度會郡 荻原神社) (合祀)根倉鎮座 根倉神社
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小44座)[旧 神社 名称 ] 荻原神社
[ふ り が な ](をきはらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Okihara no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 畠田神社三座と〈合祀〉式内社9社 それぞれの論社について
延喜式内社 伊勢國 多気郡 守山神社(もるやまの かみのやしろ)の論社について
・八柱神社(多気町神坂)の旧鎮座地
〈佐那神社に合祀された 八柱神社〈守山神社の論社〉(多気町神坂)の旧鎮座地 現在 谷を埋めて公園の敷地となっている為 未参拝〉
・佐那神社(多気町仁田)
〈佐那神社に合祀された 八柱神社(神坂村)〉
・御山御前神社 跡地(明和町濱田)
〈畠田神社に合祀された 御山御前神社(明和町濱田)〈守山神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀された 御山御前神社(明和町濱田)〈守山神社の論社〉〉
畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉
延喜式内社 伊勢國 多気郡 宇留布都神社(ふるふつの かみのやしろ)の論社について
・宇留布津神社(松阪市腹太町)
宇留布津神社(うるふつじんじゃ)は 神社名゛字留布都(うるふつ)゛は(うるふと)となり 鎮座地の腹太(はらふと)に訛ったとする説があります 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 宇留布都神社(ふるふつの かみのやしろ)の論社で 明治42年(1909)大國玉神社(六根町)に合祀され 昭和10年(1935)旧社地に分祀されたものです
宇留布津神社(松阪市腹太町)〈『延喜式』宇留布都神社〉
・宇気比神社 古社地(明和町内座)
〈畠田神社に合祀 宇気比神社(明和町内座)〈宇留布都神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 宇気比神社(明和町内座)〈宇留布都神社の論社〉〉
畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉
延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)の論社について
・畠田神社 宮蹟(明和町北藤原)
〈畠田神社三座の一座 旧鎮座地〉
・畠田神社 跡(明和町南藤原)
〈畠田神社三座の一座 旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉
延喜式内社 伊勢國 多気郡 石田神社(いはたの かみのやしろ)の論社について
・石田神社 舊跡(明和町養川)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉〉
畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉
・神垣神社(松阪市高木町)
延喜式内社 伊勢國 多気郡 佐伎栗栖神社二座(さきくすの かみのやしろ ふたくら)の論社について
・佐伎栗栖神社 跡地(明和町志貴)
〈畠田神社に合祀 佐伎栗栖神社(明和町志貴)〈佐伎栗栖神社の論社〉の跡地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 佐伎栗栖神社(明和町志貴)〈佐伎栗栖神社の論社〉〉
畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉
延喜式内社 伊勢國 多気郡 竹佐佐夫江神社(たけささふえの かみのやしろ)の論社について
・竹佐々夫江神社(明和町山大淀)
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈竹佐々夫江神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈竹佐々夫江神社の論社〉〉
畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉
延喜式内社 伊勢國 多気郡 國乃御神社(くにのみの かみのやしろ)の論社について
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 國之御神社(明和町根倉)〈國之御神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 國之御神社(明和町根倉)〈國之御神社の論社〉〉
畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉
延喜式内社 伊勢國 多気郡 櫃倉神社(ひつくらの かみのやしろ)の論社について
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈櫃倉神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈櫃倉神社の論社〉〉
畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉
・津田神社(多気町井内林)
〈津田神社に合祀 菅原神社(鍬形村)〈櫃倉神社の論社〉〉
延喜式内社 伊勢國 多気郡 伊呂上神社(いろのうへの かみのやしろ)の論社について
・式内伊呂上神社跡(明和町八木戸)
〈畠田神社に合祀 伊呂上神社(明和町八木戸)〈伊呂上神社の論社〉の跡〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 伊呂上神社(明和町八木戸)〈伊呂上神社の論社〉〉
畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)の論社について
・葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉
葭原神社(あしはらじんじゃ)は 皇大神宮(内宮)末社16社の内 第3位の末社です『文徳天皇實録』天安2年(858)2月に官社に預り 『延喜式神名帳』所載 伊勢國 度會郡 荻原神社(貞)(をきはらの かみのやしろ)の論社とされますが 中世に廃絶し 明治6年(1873)現在地〈内宮の別宮゛月讀宮゛境内〉に再興されました
葭原神社(伊勢市中村町字向垣外)〈皇大神宮末社〉
・定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)
〈定神社の前身は 奥定(榎村神社)・中定(中の宮)・口定(定古清宮・萩原神社)の三神社からなり この内の・口定(定古清宮・萩原神社)が論社〉
定神社〈佐田神社〉(さだじんじゃ)は 明治44年 地域の神社を荻原神社に合祀 佐田神社と改称 昭和28年 宮川ダム築造でダム湖に沈む集落の地より現在地に遷座゛定神社゛と改称 前身の成立ちは・奥定(榎村神社)・中定(中の宮)・口定(定古清宮・萩原神社)の三神社で その内の・奥定(榎村神社)は榎村神社・口定(定古清宮・萩原神社)は荻原神社と 二つの式内社論社です
定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)
・根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈萩原神社の論社〉の旧鎮座地〉
・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 根倉神社(明和町根倉)〈萩原神社の論社〉〉
畠田神社(はたけだじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多気郡 畠田神社三座(はたけたの かみのやしろ みくら)です 明治41年4月に下御系地区11ヵ字に鎮座していた神社を すべて北藤原の畠田神社に合祀 更に同年8月に中村の畠田神社へ遷し現在に至ります 合祀前の下御系地区24座の中で12座が延喜式内社となっています
畠田神社(明和町大字中村)〈『延喜式』畠田神社三座&〈合祀〉式内社十座〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄山田線 明星駅から北西方向へ約9.0km 車で15分程度
鎮守の杜です
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駐車場の脇に社号標が建ちます
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社頭は東方向を向いています
畠田神社(明和町大字中村)に参着
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一礼をして 社頭の鳥居をくぐり境内へ進むと 由緒書の石碑があります
明治41年に神社合祀令に基づいて 24柱の祭神が合祀されている旨が記されています その内 12座が式内社です
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして 参道の鳥居をくぐり戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 守山神社について 所在は゛神坂村に在す゛〈現 佐那神社(多気町仁田)〈佐那神社に合祀された 八柱神社(神坂村)〉〉と記しています
【抜粋意訳】
守山神社
守山は毛利夜萬と訓べし
〇祭神 五十猛神、〔考證、俚諺〕
○神坂村に在す、〔俚諺〕
考証云、有爾村伊達山乎、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
式内社 宇留布都神社について 所在は゛腹太村に在す、今 飯野郡に属す゛〈現 宇留布津神社(松阪市腹太町)〉と記しています
【抜粋意訳】
宇留布都神社
宇留布都は假字也
○祭神詳ならず
〇腹太村に在す、〔考證、俚諺〕今 飯野郡に属す、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
式内社 畠田神社 三座について 所在は゛北藤原村に在す゛〈現 畠田神社 宮蹟(明和町北藤原)〈畠田神社三座の一座 旧鎮座地〉〉と記しています
【抜粋意訳】
畠田神社 三座
畠田は八太介多と訓べし、和名鈔、〔地部〕畠一曰に陸田、〔八太介〕田土巳耕者爲田、太
〇祭神詳ならず
○北藤原村に在す、〔俚諺〕
○神鳳抄云、畠田御園、
式内社 石田神社について 所在は゛養田村に在す゛〈現 石田神社 舊跡(明和町養川)〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉〉と記しています
【抜粋意訳】
石田神社
石田は伊波多と訓べし
〇祭神詳ならず
〇養田村に在す、〔俚諺〕
類社
山城國久世郡石田神社の條見合すべし
式内社 佐伎栗栖神社二座について 所在は゛志貴村に在す゛〈現 佐伎栗栖神社 跡地(明和町志貴)〈畠田神社に合祀 佐伎栗栖神社(明和町志貴)〈佐伎栗栖神社の論社〉の跡地〉〉と記しています
【抜粋意訳】
佐伎栗栖神社二座
佐伎は假宇也、栗栖は久留須と訓べし、
〇祭神群ならず
○志貴村に在す、〔俚諺〕
類社
河内國若江郡栗栖神社の條見合すべし
式内社 竹佐々夫江神社について 所在は゛祭神在所等詳ならず゛〈所在不明〉と記しています
【抜粋意訳】
竹佐々夫江神社
竹は前に同じ、佐々夫江は假字也、
○祭神在所等詳ならず
○倭姫世記云、遂向に五十鈴宮、〔中略〕從其幸行弖、佐々牟江御船泊給比、其処爾佐々牟江宮造令坐給支、大若子命白鳥之真野國止 國保伎白天、其処爾佐々牟江社定給支、又云、垂仁天皇廿六年秋之比、真名鶴皇太神宮當、天翔從北來天、日夜不止、〔中略〕彼鶴佐々牟江宮前之葦原中還行鳴、使到見、葦原中生稻、本波一基為天、末八百穂茂也、〔中略〕同其鶴住処、入握穗社造祠也、
考證云、按八握穂社者佐々夫江神社歟、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
式内社 國乃御神社について 所在は゛土古呂村に在す゛と記しています
【抜粋意訳】
國乃御神社
国乃御神は久爾能美加美と訓べし
〇祭神 土之御祖神、〔考證、俚諺〕
〇土古呂村に在す、〔同上〕
〇考證云、儀式帳 根倉社、二所神殿其一乎、
〔連胤〕按るに、齋宮式祈年祭小社九十八座、多氣郡の中に當社を戴せずして相鹿社といふあり、此疑らくは同社異名歟、猶考ふべし、
式内社 根倉神社について 所在は゛根倉村に在す゛〈現 根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)〈畠田神社に合祀 國之御神社(明和町根倉)〈國之御神社の論社〉の旧鎮座地〉〉と記しています
【抜粋意訳】
根倉神社
根倉は禰久良と訓べし
〇祭神 根倉甕星神
○根倉村に在す、〔考證、俚諺〕
○御鎮座本紀云、以に大土祖宇賀魂神為に根倉甕星神、
〇儀式帳、〔神宮院行事事條〕多氣佐々牟延宮坐支、彼時竹首吉此古乎、汝國名何問賜支、即櫛田根倉神御田進支、」
外宮儀式帳〔職掌事條〕根倉物忌父、根倉社、二所神殿造理掃浄奉、
式内社 伊呂止神社について 所在は゛兄國村に在す゛〈現 多気郡多気町兄国 該当する神社不明〉と記しています
他の説として 以下の二説を挙げています
゛井口村゛〈現 松阪市井口中町〉
゛八木戸村゛〈現 式内伊呂上神社跡(明和町八木戸)〈畠田神社に合祀 伊呂上神社(明和町八木戸)〈伊呂上神社の論社〉の跡〉〉
【抜粋意訳】
(印本止を上に誤る 今 神鳳抄に拠て改む)
伊呂止神社
伊呂止は假字也
○祭神詳ならず
○兄國村に在す、〔俚諺〕
〇神鳳抄云、伊呂止御園、
考証云、井口村、又一説 八木戸村、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
式内社 葭原神社〈荻原神社〉について 所在は 月読宮南に在す宇加屋社〈現 葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉〉とし
文徳実録 天安2年にすでに官社に預っているのに 延喜の伊勢大神宮式には載せていない これは疎漏である と記しています
【抜粋意訳】
葭原神社
葭原は與之波良と訓べし
○祭神 佐々津比古命、宇加乃御玉御祖命、伊加利比女命、
○月読宮南に在す、宇加屋社此乎、神名略記
○儀式帳云、未官帳社十五処の中に載す 大歳神兒佐々津比古命、形石坐、又宇加乃御玉御祖命、形無、又伊加利比女、形無、
官社
文徳実録、天安2年2月丙戌、在伊勢國正六位上葭原神預官社、〔連胤〕按るに、當社既に官社に預れり、然れば延喜の伊勢大神宮式には、大神宮所摂官社の中に入べきを、延暦の儀式帳に官社廿四処、とあるままを執て、後に當社の官社に加はる事の沙汰なきは疎漏也といふべし、往昔もかかる不調子の事ある、恐るべし、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 守山神社について 所在は゛今 神坂村 産土神 盖是也゛〈現 佐那神社(多気町仁田)〈佐那神社に合祀された 八柱神社(神坂村)〉と記しています
【抜粋意訳】
守山(モルヤマノ)神社
今 神坂村 産土神 盖是也、〔式社案内記、伊勢式内社検録、〕
式内社 宇留布都神社について 所在は゛今 内坐村の乾 宇呂豆の東に産土神あり、盖是也゛〈現 宇気比神社 古社地(明和町内座)〈畠田神社に合祀 宇気比神社(明和町内座)〈宇留布都神社の論社〉の旧鎮座地〉〉と記しています
【抜粋意訳】
宇留布都(ウルフツノ)神社
今 内坐村の乾 宇呂豆の東に産土神あり、盖是也、〔伊勢式内社検録〕〔〇按 宇呂豆の畑林に舊社地あり、大日堂を設て、宇呂豆の大日と云、それより二許町 東に、産神社あるは、後に移せるもの也と云り、〕
式内社 畠田神社 三座について 所在は゛今 中藤原村の東北隅にあり゛〈現 畠田神社(明和町中村)〉と記しています
【抜粋意訳】
畠田(ハタケタノ)神社 三座
今 中藤原村の東北隅にあり、〔伊勢式内社検録〕〔〇按 社東の田を畠でんと唱へ、其東を畠川と云ふ、畠田の名に由あり〕
式内社 石田神社について 所在は゛今 宇尒村の田地に字石田と云處あり、盖 舊址゛〈現 多気郡明和町有爾中〉と記しています
【抜粋意訳】
石田(イハタノ)神社
〔〇按 今 宇尒村の田地に字石田と云處あり、盖 舊址 附て考に備ふ、〕
式内社 佐伎栗栖神社二座について 社号のみが記されています
【抜粋意訳】
佐伎栗栖(サキクルスノ)神社二座
式内社 竹佐々夫江神社について 所在は゛今 大淀西に小入江ありて、其處に佐佐夫江橋といふあり、盖 舊地なり゛〈現 竹佐々夫江神社(明和町山大淀)〉と記しています
【抜粋意訳】
竹佐々夫江(タケササフエノ)神社
〔〇按 神名帳考証、今 大淀西に小入江ありて、其處に佐佐夫江橋といふあり、盖 舊地なり、姑附て考備ふ〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495
栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495
式内社 國乃御神社について 所在は゛相鹿社と云を載て、此社 疑らくは本社を指に似たり゛と記しています
【抜粋意訳】
國乃御神(クニノミカミノ)社
〔〇按 齋宮式、本郡の神五十二座を挙て、斎宮 祈年祭に預ると云り、然るに、相鹿社と云を載て、此社 疑らくは本社を指に似たり、姑く附て考に備ふ、〕
式内社 櫃倉神社について 所在は゛鍬方村の北方 河副に當れば、其 天神と稱する産神社‘〈現 津田神社(多気町井内林)〈津田神社に合祀 菅原神社(鍬形村)〈櫃倉神社の論社〉〉〉と記しています
【抜粋意訳】
櫃倉(ネクラ)神社
〔〇按 式内社検録に、近長谷寺資財帳云、多氣郡相可郷十六條一當惠里十二十三坪 同六反四至、東限ニ横倉ノ社 並岡ヲとあるを條里の制にて、推考ふるに、鍬方村の北方 河副に當れば、其 天神と稱する産神社 即當社なるへしと云り、附て考に備ふ、〕
式内社 伊呂止神社について 所在は゛社地所在詳ならざるを以て決めがたし゛と記しています
【抜粋意訳】
伊呂上(イロノウエノ)神社
〔〇按 神宮雑例集、飯野郡伊呂召御園あり、神鳳抄 伊呂止に作る、之に據るに伊呂上蓋 伊呂止の訛也、然れども、社地所在詳ならざるを以て決めがたし、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495
式内社 葭原神社〈荻原神社〉について 所在について多氣郡根倉村 御玉社〈現 定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)〉としつつ
文徳実録には 〈現 葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
荻原(ヲギハラノ)神社
〇按 延暦儀式帳、文徳実録、に萩原を葭原に作る、
今 多氣郡根倉村 御玉社 蓋是也、伊勢式内社険録
大歳神兒 佐佐津比古命、加乃御玉御祖命、伊加利比女を祭る、佐佐津比古命形石に坐す、倭姫命 祝並 御刀代田を充奉りき、延暦儀式帳、
文徳天皇 天安二年二月丙戌、正六位上 葭原神官就に預る、即是也、文徳実録、
凡 本郡伊佐奈伎宮、伊佐奈彌宮、月讀宮坐荒御魂命三座 及 朝熊社以下 四十六座、並に齋宮祈年祭に預り坐神也、延喜式
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 守山神社について 所在は゛神坂村に守山の字存するを以て 其村の産神を當社に配せるもの 數書あり゛〈現 佐那神社(多気町仁田)〈佐那神社に合祀された 八柱神社(神坂村)〉〉と記しています
【抜粋意訳】
守山神社
祭神
祭日
社格所在
今按るに 神坂村に守山の字存するを以て 其村の産神を當社に配せるもの 數書あり 併注進區別帳等に脱漏して詳にすること能はず
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
式内社 宇留布都神社について 所在は゛今按るに 腹太村に在りと雖も證なし゛〈現 宇留布津神社(松阪市腹太町)〉と云うが証拠がなく
゛内座村の乾位にウロズと字する畑林あり゛〈現 宇気比神社 古社地(明和町内座)〈畠田神社に合祀 宇気比神社(明和町内座)〈宇留布都神社の論社〉の旧鎮座地〉〉も挙げて記しています
【抜粋意訳】
宇留布都神社
祭神
祭日
社格所在(合併)
今按るに 腹太村に在りと雖も證なし 檢錄に内座村の乾位にウロズと字する畑林あり 林を宮地なりける由を傳ふ是れ舊跡にやと云へり
式内社 畠田神社 三座について 所在は゛三重懸中藤原村(多氣郡下御絲大字南藤原)゛〈現 畠田神社(明和町中村)〉と記しています
【抜粋意訳】
畠田神社 三座
祭神
豐宇氣毘賣命
火之迦具土神
埴夜須毘賣神祭日 正月二日 十一月朔日 二十七日
社格 村社所在 三重懸中藤原村(多氣郡下御絲大字南藤原)
一座 南藤原 一座 北藤原今按 檢錄また式社調帳に 村の南東の田を畠でんと云ひ 其東の川を畠川と唱ふ 舊三座なりしを後に南藤原と北藤原との二村にも分ち祀ると云る據ありて聞ゆ 故今之に從ふ
式内社 石田神社について 所在は゛(畠田神社に合併)養田村に在といへど證なし゛〈現 石田神社 舊跡(明和町養川)〈畠田神社に合祀 石田神社(明和町養川)〈石田神社の論社〉の舊跡〉〉とするが証拠がなく
゛飯野郡高木村の北なる産神の社内にあり゛〈現 神垣神社(松阪市高木町)〉とも記しています
【抜粋意訳】
石田神社
祭神
祭日
社格所在(畠田神社に合併)
今按るに 養田村に在といへど證なし 檢錄に飯野郡高木村の北なる産神の社内にあり 村西の地を石田と云ふ其處より遷しにとて 社殿六宇あり其内に當社もあるへきかと云へり
式内社 佐伎栗栖神社二座について 所在は゛本社を志貴村の彦神社に配れど 志貴村の社にはあるベからず゛〈現 佐伎栗栖神社 跡地(明和町志貴)〈畠田神社に合祀 佐伎栗栖神社(明和町志貴)〈佐伎栗栖神社の論社〉の跡地〉〉ではない と記しています
【抜粋意訳】
佐伎栗栖神社二座
祭神
祭日
社格所在
今按 檢錄云 本社を志貴村の彦神社に配れどありて 佐伎と稱せしものを見すと云り かゝれば志貴村の社にはあるベからず 志貴と佐伎と音の近きより推當に云るならん
式内社 竹佐々夫江神社について 所在は゛三重縣 (多氣郡大淀村大字山大淀 )山大淀村゛〈現 竹佐々夫江神社(明和町山大淀)〉と記しています
【抜粋意訳】
竹佐々夫江神社
祭神
今按 倭姫命世記に從其幸行弖、佐々牟江御船泊給比、其處爾 佐々牟江宮ヲ造リ令レ坐給支、其處爾佐々牟江ノ社ヲ定給支とあるを思ふに こも亦 天照大御神の御魂を祭れる御社なるべし
祭日 五月晦日 十一月十九日
社格 村社所在 三重縣 (多氣郡大淀村大字山大淀 )山大淀村
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
式内社 國乃御神社について 所在は゛(多氣郡下御絲村大字北藤原畠田神社に合併 )゛〈現 根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)〈畠田神社に合祀 國之御神社(明和町根倉)〈國之御神社の論社〉の旧鎮座地〉〉とするが証拠はない と記しています
【抜粋意訳】
國乃御神社
祭神
祭日
社格所在 (多氣郡下御絲村大字北藤原畠田神社に合併 )
今按るに 根掠村土古路村等に在りといへど證なし 檢錄に齋宮式相鹿社に作るを以て按るに相可郷の中間北側にありて上町の氏神 上(ウヘノ)宮と稱する産神社ぞ當社なるべき 下宮伊蘇上社に對せるなり 然るに其社を相鹿上社とするは荒凉なりとみえたり 猶よく考へ定むべきなり
式内社 櫃倉神社について 所在は゛三重縣 (多氣郡津田村大字鍬形 )今 飯高郡鍬形村゛〈現 津田神社(多気町井内林)〈津田神社に合祀 菅原神社(鍬形村)〈櫃倉神社の論社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
櫃倉神社
祭神
祭日
社格 (村社)(明細帳 飯高郡に鍬形村なし 多気郡根倉村に根倉神社あれども 彼は葭原神社なりと由緒中にありて 當社に一定せず 兎に角 判明せず)
所在 三重縣 (多氣郡津田村大字鍬形 )今 飯高郡鍬形村
今按 檢錄に近長長谷寺資財帳云 多氣郡相可郷十六條一當惠里十二十三坪同六反 四至東限 櫃倉社並岡南峯 西限 公田 北限 櫛田河とあるを 條里の制にて 推按ずるに相可郷の西極 北牧より東一里の内 十二十三坪の地は鍬方村の北方河副にあたるべければ 其處に在る天神と稱する神社即 當社なるべきこと明亮なり 然るを神名帳考證に横を根の誤字として根倉村に當社を配するは疎忽なり迷ふべからずと云るはまさりて聞ゆ
式内社 伊呂上神社について 所在は゛(畠田神社に合併 )゛と記しています
他の説として
゛兄國弟國村゛〈現 多気郡多気町兄国 該当する神社不明〉
゛井口村゛〈現 松阪市井口中町〉
゛八木戸村゛〈現 式内伊呂上神社跡(明和町八木戸)〈畠田神社に合祀 伊呂上神社(明和町八木戸)〈伊呂上神社の論社〉の跡〉〉
【抜粋意訳】
伊呂上神社
祭神
祭日
社格所在 (畠田神社に合併 )
今按 檢錄に雑例集に値野郡伊呂召御園とあるを 神鳳鈔には伊呂止御園に作る 是 當社所在の地名なるべけれど 今詳ならず 井口村 八木戸村 兄國弟國村等の内に在るべしと云ふ説もあれど 各信するに足らずと云へり
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
式内社 葭原神社〈荻原神社〉について 所在は 度會郡北中村〈現 葭原神社(伊勢市中村町)〈皇大神宮末社〉〉とし その他の説を紹介しています
多気郡久豆村 荻原神社あり口定社と云〈現 定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)〉
又 根倉村と云〈現 根倉神社 跡地・國之御神社 跡地(明和町根倉)〉
【抜粋意訳】
荻原神社
祭神 佐々津比古命 大歳神兒
今按 荻原を大神宮儀式帳には葭原とあり 葭と萩と通はして用たるにや 儀式解に葭原はヲギハラとよむべしアシハラとよむはわろしと云り 姑附て考を俟つ
官社 文德天皇天安二年二月丙戌在 伊勢國 正六位上 葭原神 預官社
祭日
社格 (明細帳 葭原神社 皇大神宮末社とせり 度會郡北中村)(内宮末社)所在 (度會郡四郷村大字北中)
今按 度會縣注進狀に 多気郡久豆村 荻原神社あり口定社と云 祭神 須佐之男命とあり 式社調帳には矢野村川邊社の南にイカリノモリあり 積良村の地なり此地にやと云り
檢錄には儀式帳に祭神を佐々津比古命とす 佐々津葦原の所由を以て多氣郡根倉村の御玉社と云ふや當社なるべきとあり 大神宮儀式解には社地は奧定村 熊野と伊勢の界 大杉谷の邉 より九里はかりせまりにあり 深山中にて九里の間人家なしとあるは 奥定社を謂ふなり
又 同書に宇治中村月夜見宮の南にー小社あり これならんと云へど 此邊イカヒと云ひイカヒの森と云より 葭原神社にます伊加利比女より思ひよせたるにて從ひがたしとみえたれば 積良中村に處のイカリノモリと云もうけがたく
又 口定奥定二處も深山幽遼の地にて式社はあるましく
又 根倉村と云も 祭神の名より推當たる説なれば據がたし猶考べし
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
畠田神社(明和町大字中村)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る
伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について