走田神社(はしりたじんじゃ)は 創建年代不詳ですが 社号「走田」は゛初穂(走り穂)を作る田んぼ゛早稲田(わせだ)の守護神と云う意味 神仏習合期に寂照院(じゃくしょういん)の鎮守として「妙見社(みょうけんしゃ)」と呼称 明治期「走田神社」に改称 延喜式内社 山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)の論社です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
走田神社(Hashirita shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
京都府長岡京市奥海印寺(おくかいいんじ)走田3
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天津児屋根命(あまつこやねのみこと)〈天児屋根命〉
《配》武甕槌神(たけみかづちのかみ)
経津主神(ふつぬしのかみ)
姫大神(ひめおほかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
走田神社(はしりたじんじゃ)
奥海印寺(おくかいいんじ)・長法寺(ちょうほうじ)両村の産土神(うぶすながみ)。式内社で、「延喜式」にのる乙訓十九坐の一つである。
祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)・姫大神(ひめおおのかみ)の春日四神を祀(まつ)る。かつては「妙見社(みょうけんしゃ)」と言われ寂照院(じゃくしょういん)の鎮守であったが、明治以降、正式に「走田神社」と呼ばれるようになった。
社名の「走田」は初穂をつくる田を指し、早稲田(わせだ)の守護神であったであろう。なお、正月十三日には御千度詣(おせんどまい)りや弓講(ゆみこう)が行われる。また、明治初め頃まで同じ祭神を祀(まつ)る小倉(おぐら)神社(大山崎町円明寺)の御輿(みこし)がこの社まで渡御(とぎょ)し、その道がまだ古老達によって語り継がれている。長岡京市観光協会
㈳京都府観光連盟現地立札より
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走田神社(はしりだじんじゃ)
走田神社の名前は、初穂(走り穂)を作る田んぼ、つまり早稲田という意味です。
ご祭神は、春日の四柱神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)・姫大神です。
平安時代中期の法令集『延喜式』の神名帳に記載されていた「式内社」で、平安時代から格式の高い神社であったことが分かります。ちなみに、乙訓地域は他に神足神社や小倉神社、角宮神社が『延喜式』に載っています。
長岡京市HPより抜粋
https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001263.html
【由 緒 (History)】
走田神社 由緒
吉田本、金剛寺本とも走田神社。妙見社とも稱せられてゐた。創建年代不詳。
古くから妙見菩薩が合祀されてゐたが、明治の神佛分離の折り、これは海印寺寂照院に移された。明治16年の明細帳に記された由緒書では「鎮座傳記不詳。御局上ヶ知神社。除地妙見社930年餘以前責字年中勤請之由申傳。造立之年數不分明。社地東西15間南北9間、外ニ境内有之旨元禄5申年ニ取調書上ヶ候。尚慶應4辰年3月右之趣書上ヶ候。後去ル明治10年6月ニ至リ社號改テ延喜式内走田神社ニ確定セラル前明治6年6月村社ニ公定セラル」となつてゐる。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・〈本殿覆い屋向かって右 境内社〉稲荷神社・熊野神社
・〈拝殿向かって左 境内社〉春日神社
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)乙訓郡 19座(大5座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 走田神社
[ふ り が な ](はしりたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Hashirita no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の「走田神社(はしりたの かみのやしろ)」について
『延喜式神名帳』には「走田神社(はしりたの かみのやしろ)」と号されている式内社が二つあります
①山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)
②丹波國 桑田郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)
①延喜式内社 山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)
・走田神社(長岡京市奥海印寺走田)
走田神社(はしりたじんじゃ)は 創建年代不詳ですが 社号「走田」は゛初穂(走り穂)を作る田んぼ゛早稲田(わせだ)の守護神と云う意味 神仏習合期に寂照院(じゃくしょういん)の鎮守として「妙見社(みょうけんしゃ)」と呼称 明治期「走田神社」に改称 延喜式内社 山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)の論社です
走田神社(長岡京市奥海印寺走田)〈『延喜式』走田神社〉
・菱妻神社(京都市南区久世築山町)
〈合祀もしくは境外社〉
菱妻神社(ひしづまじんじゃ)は 簀原大明神が前身とされるが 詳細は明らかではありません 13世紀頃社名を乙訓坐火雷神社 16世紀頃 菱妻神社に変更と云う 延喜式内社 山城國乙訓郡 乙訓坐大雷神社〔名神大月次新嘗〕・走田神社・茨田神社・簀原神社と4つの式内論社となっています
菱妻神社(久世築山町)〈『延喜式』乙訓坐火雷神社 名神大・走田・茨田・簀原神社〉
②延喜式内社 山城國 乙訓郡 走田神社(はしりたの かみのやしろ)
・走田神社(亀岡市余部町)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
阪急京都線 長岡天神駅から府道79号経由で西へ約1.8km 車での所要時間は5~6分程度
住所の海印寺(かいいんじ)は 空海の十大弟子の一人 道雄僧都(どうおうそうず)が(819年)創建した真言宗の古刹です
現在は 寂照院があり この寺の奥(北側)に参道の入口があります
走田神社(長岡京市奥海印寺走田)に参着
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ここから 少し山へと進みますと 参道石段下の社頭となります
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一礼をしてから鳥居をくぐり抜け 長い石段を上がります
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参道石段の途中にあるのは「勧請縄(かんじょうなわ)」です
大しめ縄 とも呼ばれているそうで しめ縄には12個の御幣(榊)が取り付けられていて この御幣の下がり方によって年間の気候や豊凶を占っていたと云う
大正時代頃からは米相場の上がり下がりを占ったようです
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石段を上がり切った境内は白壁で囲まれています
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石段を上がると 正面に拝殿〈舞殿〉その先に本殿の覆い屋が建てられています
拝殿にすすみます
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拝殿向かって左には〈境内社〉春日神社が祀られています
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本殿の覆い屋が拝所となっています
その本殿覆い屋向かって右には〈境内社〉稲荷神社・熊野神社が祀られています
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拝所に進みます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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社殿に一礼をして境内を戻ります
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石段を下ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 走田神社について 所在は゛奥海印寺村 山林の中に在す、゛〈現 走田神社(長岡京市奥海印寺走田)〉と記しています
【抜粋意訳】
走田神社
走田は波世多と訓べし〔舊訓ハシリダとあるは、文字の上に泥めるなるべし、〕
○祭神詳ならず
○奥海印寺村 山林の中に在す、〔巡行志〕今 妙見と称す、
例祭 九月二十一日、
〔土人云〕此社邊に今も字 走田(ハセタ)といふ所あれば、正しかるべし、
山城志に、在ニ 長法寺村といヘど、此村は奥海印寺の北に隣りたるのみ、神社は奥海印寺村領なるよし、是亦 土人に聞り、
【原文参照】
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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 走田神社について 所在は゛今奥海印寺村に在り゛〈現 走田神社(長岡京市奥海印寺走田)〉と記しています
【抜粋意訳】
走田神社、
今奥海印寺村に在り、
〔神社覈録、京都府式社考證、○按 村内水帳に、倉神輿 當社に至りて申す祝詞に、四月五日の夕日降りに、頓宮より御輿たたして、走田社にいてまし、木宮にかへらしめ云云 とある者、徴とすへし、〕
【抜粋意訳】
栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 走田神社について 所在は゛奥海印寺村〔字走田林〕(乙訓郡海印寺村大字奥海印寺)゛〈現 走田神社(長岡京市奥海印寺走田)〉と記しています
【抜粋意訳】
走田神社
祭神
祭日 四月三日
社格 村社所在地 奥海印寺村〔字走田林〕(乙訓郡海印寺村大字奥海印寺)
今按 神社覈録云 山城志に在ニ 長法寺村と云へど 此村は奥海印寺の北に隣りたるのみ 神社は奥海印寺村領なる由 土人に聞りとあり 志には隣邑なるによりて誤りしなるべし
明細帳にも奥海印寺村 氏神社 往古は走田神社と云由聞傳へたり 今 妙見社と稱すとみえぬ 京都府式内考證に小倉神社 例祭 神輿 此地に至る 其時の說詞に掛巻も畏き大神 四月五日の夕日降りに頓宮より御輿立して走田社に幸まし玉ひ本宮に還らしめ云云 とあるもの證とするに足れり 故之に従ふ
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
走田神社(長岡京市奥海印寺走田)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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山城国 式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)について に戻る
山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです
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