実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

濱殿神社(対馬 仁位)

濱殿神社(はまどのじんじゃ)は 仁位川(にいがわ)の河口近くの畔丘にあり「豊玉彦命(とよたまひこのみことの御陵慕」との言い伝えがあります 『延喜式神名帳(927年12月編纂)所載の「対馬島 上県郡 波良波神社(はらへの かみのやしろ)」の論社でもあります

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

濱殿神社Hamadono Shrine)
(はまどのじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市豊玉町仁位

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊玉彦命Toyotamahiko no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

・不詳

【由  (History)】

※参考

和多都美神社(対馬)2014年9月16日  

○濱殿祭(はまどのさい)濱殿神社(はまどのじんじゃ)にて濱殿典饌の儀を執り行いました
夜、平山家の屋敷に仁位の重役が集まり、神饌の入った重箱を風呂敷に包んで、濱殿様へ向かいます。
濱殿典饌とは、神饌(龍宮御饗)を濱殿様にお供えする祭儀で、「濱殿」とは海神「豊玉彦命(大綿津見神)」の事を指しています。
龍宮御饗(りゅうぐうのみあえ)は、平山家が代々調製して、濱殿、御子神社、和多都美神社(現在は途絶中)にお供えしてきました。
彦火火出見尊が和多都美宮で、豊玉姫の持て成しを受けた時に出されたお食事だと伝わっています。
本来は、濱殿様、御子神社に加え本社の和多都美神社の旧暦6月1日と旧暦11月1日にも供えられました(※五社祭)。
かつては、平山家の当主が和多都美神社の太田浜に生息するシラモ、アジをとってきて天日干しに乾燥させ、米は御子神社の神田があったので、そこでとれたものを炊いて、ご飯を準備していました。アワビ殻(アワビの貝殻)に、①シラモ、②アジ(又はイワシ)、③ご飯をもって献饌します。濱殿には米、お神酒とこの龍宮御饗のみをお供えしますが翌日の御子神社ではこの他に、アワビ、マガリ貝をかたどった餅、山の幸として柿、栗、梨を供えます。

濱殿神社は
豊玉彦命の御陵とされ、この森からは古代の氏族を葬ったとみられる箱式石棺が発見されています。また、和多都美宮司の屋敷もすぐそばにあり、この濱殿様のあたりは対馬阿曇氏の拠点だった可能性が非常に高い地域です。

豊玉彦命は、隠居すると和多都美宮の守護を豊玉姫に託し、この濱殿様の地へ住まわれたともいいます。

和多都美神社にお参りされる方は、濱殿様と御子神社へもぜひお参りしてください。この三社は、海神の親(濱殿)、子(和多都美)、孫(和多都美御子)の三世代の神様をそれぞれお祀りするので初詣などで家内安全、繁栄のご祈願をされたい方は、この三社を詣でるのがお勧めです。

和多都美神社公式FBより
https://www.facebook.com/wamiya.nii/posts/706615979431728/

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

当神社は 現在
和多都美御子神社(対馬 仁位)」の境外社となっています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
對馬嶋 上縣郡 和多都美御子神社(貞・名神大)」の論社です 記事をご覧ください

一緒に読む
和多都美御子神社(対馬 仁位)

和多都美御子神社(わたつみみこじんじゃ)は 承和7年(840)11月 に官社となり 927年12月編纂『延喜式神名帳』には「名神大」として所載される古社です 貞和5年(1349)大宰府より天満宮を勧請し合祀して「天神宮」と称していたので 明治初期に和多都美御子神社と改称したけれども 和多都美としての由緒は無いとしています

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 波良波神社
[ふ り が な ]はらへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Harae no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
対馬島 上県郡 波良波神社Harae no kamino yashiro)の論社は2つあります

①濱殿神社(対馬 仁位)

一緒に読む
濱殿神社(対馬 仁位)

濱殿神社(はまどのじんじゃ)は 仁位川(にいがわ)の河口近くの畔丘にあり「豊玉彦命(とよたまひこのみこと)の御陵慕」との言い伝えがあります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「対馬島 上県郡 波良波神社(はらへの かみのやしろ)」の論社でもあります

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②波良波神社(和多都美神社 境内)

一緒に読む
波良波神社(和多都美神社 境内)

波良波神社(ハラハジンジャ)は 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に「対馬島 上県郡 波良波神社(Harae no kamino yashiro)」と所載されている古社です もともとは 仁位(ニイ)の波浪(ハロウ)と呼ばれた場所に鎮座したか もしくは 濱殿神社の場所であったとも 言われています いつの頃か 和多都美神社(対馬 仁位)の境内に移し祀られたと云い伝わります

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

対馬空港から 約25km 車35分程度
仁位川の河口近くの畔丘にあり 対岸から見ると良く判ります

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丘の麓に鳥居が建ちます
濱殿神社Hamadono Shrine)に参着

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一礼をして 鳥居をくぐります扁額には「濱殿神社」と刻まれています

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急勾配の石段先には 椎の老木が茂り欝蒼としています

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石段を上がると境内となっていて 狛犬が座しています
敷地は 木の根が張り巡り 神氣が漂っています

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境内を進みます 社殿へは 真横から向うような感じとなります 

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社殿は 西を向いて建てられていて すぐ目の前は崖地となっています
拝殿の後ろには屋根に覆われて 本殿は石の祠が鎮座しています

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賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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境内を戻ります 境内の両側は崖地となっていて もしかすると かつてはこの地は 海に張り出した岬であったのかもしれないな 鳥居のあった入口は船着き場であって 参拝は船で詣り であったのかもしれない それならば合点がいくなどと一人Time slip

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行には気付きませんでしたが 参道の横に「豊玉彦命 之 御陵慕」と記された石標があります 
ご祭神「豊玉彦命Toyotamahiko no mikoto)」の御陵墓としているのは 本殿の石祠の真裏に石棺(古墳)参道のにも石棺があったようです

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石段を下り 鳥居をくぐり振り返り一礼をします

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再度対岸から眺めると かつてこの辺りは海岸線であったらしく 入り江に張り出した御崎だったのであろうとの感を強くします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本後紀(shoku nihon koki)』貞観11年(869)に記される伝承

対馬嶋の神々が 官社となる と記されています

意訳

承和7年(840)11月 庚辰(8日)

對馬嶋(ツシマノシマ)の
和多都美御子神(ワタツミノミコノカミ)
波良波神(ハラハノカミ)
都都知神(ツツチノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)を 並びに (カンシャ)に (アズ)く 

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

所載地仁位村 和多都美神社 境内」としています

現在も 和多都美神社の境内には 境内社として「波良波神社」が鎮座します

一方で 和多都美神社の由緒によれば
現在の「濱殿神社」の鎮座地も 嘗ては 広大な和多都美神社の境内地であったと伝わります

意訳

波良波神社

祭神 豊玉彦命

今 按〈考えるに〉
明細帳 式内社記 ともに祭神「豊玉彦命とあれば その伝説も詳(ツマビラ)かならねば疑わし 附て 後考を俟(マ)つ

官社 仁明天皇 承和7年(840)11月 庚辰(8日) 官社となる

祭日 6月1日
社格 村社
所在 仁位村 和多都美神社境内

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

濱殿神社Hamadono Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

一緒に読む
對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について

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