実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

冨都神社(磯城郡田原本町富本)〈『延喜式』富都神社〔鍬靫〕〉

冨都神社(ふつじんじゃ)は 創建年代等は不祥です 由緒を明確にする資料もありません 延喜式内社 大和國城下郡 富都神社〔鍬靫〕(ふとの かみのやしろ)に比定されていますが 地名「富本(とんもと」の文字が「富(ふつ・とみ)」と物部氏に通じるとの根拠としているらしく 確かな証はないとされています

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

冨都神社(Futsu shrine

通称名(Common name)

・江戸時代には「牛頭天王社」

【鎮座地 (Location) 

奈良県磯城郡田原本町大字 富本(とんもと)字門田194

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》富都大神(ふつのおほかみ)

※祭神には 諸説あり

《主》登美屋彦命《主》建布都神《主》素戔嗚尊《主》武雷命 など

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

田原本歴史遺産 神々を訪ねて

旧 城下郡 富本 延喜式内社 冨都(ふつ)神社

旧村社 祭神 登美屋彦命

 「大和志」城下郡新廟の項に「冨都ノ神社 鍬靫○在 富本」と比定され、延長五年(927)成立の延喜式神名帳に記載された古社である。

 「郷鑑」には「牛頭天王」社地 弐百五拾弐坪 神主なし 供田百廿坪」と記載され、明治の廃仏分離までは、「牛頭天王社」と云われ境内に「牛頭天皇」の石燈籠がある。

冨都神社・本殿 建物について

 1間社、春日造 銅板葺、千木・勝男木付の社で南面する。基壇上に建ち、土台を廻し、向拝、柱方柱、身舎とは海老虹梁で繋ぐ。軒廻り一間垂木、三面に縁を設け、脇障子付、跳高欄、木階5級、登高欄付で、正面中央には、格子戸両開きの建具を用い、他面は板壁となる。

冨都神社・石造物について

 境内の石造物は、奈良県立橿原考古学研究所 奥田 尚共同研究員と田原本史遊会・吉井輝夫会員 共著「遙拝所」の調査平成15年」記載より。
石燈籠 貞享三年(1686)「奉寄進御神前 和州城下郡富本村 氏子中」「貞享三年丁卯年」「九月吉日」
石燈籠 明和六年(1769)「牛頭天皇」「明和六己丑年 九月吉日」
石燈籠 天明四年(1784)「大神宮」「天明四歳辰年 九月吉日」
 犬 天保十二年(1841)「奉献」「當村氏子中」「願主 □庄村庄兵衛 天井村 庄吉」「天保十二天卯□□年吉日」

平成21年度 No.4 田観54 田原本町観光協会

現地案内板より

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【由  (History)】

『奈良県史』第5巻 神社〈平成元年(1989)発行 奈良県史編集委員会編集〉 に記される伝承

【抜粋意訳】

磯城郡 1、田原本町

富都神社 鍬靫 (富本字門田一九四)

 旧都村大字富本集落の東端に鎮座する『延喜式』神名帳登載の式内社に比定されているが『大和志』、富都をほつと読んで大字保律に充てる説もある。

 祭神の富都大神は、『古事記』の神話で伊邪那岐神が 迦具土神を斬り給った時、御剣の本についた血が湯津石村にど走り就いて成りませる神で、中つ国平定にあたって天照大神の命で天鳥船神と共に出雲の伊那佐の小浜に着き、十握剣を抜いて大国主命と談判された勇壮な神である。創建の年代は明らかでない。例祭は十月二十日。

【原文】

『奈良県史』第5巻 神社〈平成元年(1989)発行

『奈良磯城郡誌』大正4年(1915)に記される内容

【抜粋意訳】

 都村 富都(ほつ)神社

 村社にして、延喜式神名帳に在る同社を以て之に充つるも據るべきものなし。

【原文参照】

奈良縣磯城郡 編『奈良縣磯城郡誌』,奈良県磯城郡,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/950933

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城下郡 17座(大3座・小14座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 富都神社鍬靫
[ふ り が な ](ふとの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Futo no kaminoyashiro

【原文参照】

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 大和國城下郡 富都神社〔鍬靫〕(ふとの かみのやしろ)

・冨都神社(磯城郡田原本町富本)

一緒に読む
冨都神社(磯城郡田原本町富本)〈『延喜式』富都神社〔鍬靫〕〉

冨都神社(ふつじんじゃ)は 創建年代等は不祥です 由緒を明確にする資料もありません 延喜式内社 大和國城下郡 富都神社〔鍬靫〕(ふとの かみのやしろ)に比定されていますが 地名「富本(とんもと」の文字が「富(ふつ・とみ)」と物部氏に通じるとの根拠としているらしく 確かな証はないとされています

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・鏡作伊多神社(磯城郡田原本町保津)

一緒に読む
鏡作伊多神社(磯城郡田原本町保津)〈『延喜式』鏡作伊多神社・富都神社〔鍬靫〕〉

鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)は 本殿が二祠〔南本殿・北本殿〕があり 南本殿は伊斯許理度賣命を祀る 延喜式内社 大和國城下郡 鏡作伊多神社(かかみつくり いたの かみのやしろ)の論社です 又 北本殿は宇摩志摩遅命を祀る 延喜式内社 大和國城下郡 富都神社〔鍬靫〕(ふとの かみのやしろ)の論社とされています

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄田原本線 黒田駅から県道197号経由で南下 約1.2km 徒歩での所要時間は17~20分程度

富本集落の東側にある水路の岸に鎮座します

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冨都神社(磯城郡田原本町富本)に参着

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 富都神社について 所在は゛富木村に在す、゛〈現 冨都神社(磯城郡田原本町富本)〉と記しています

【抜粋意訳】

富都神社

富都は假字也

〇祭神 韴靈(フツミタマ)歟

〇富木村に在す、〔大和志、同名所圖會〕

【原文参照】

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『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 富都神社について 所在は゛ 富木村にあり、゛〈現 冨都神社(磯城郡田原本町富本)〉と記しています

【抜粋意訳】

富都(フツ)神社

 富木村にあり、〔大和志、名所圖會〕

已上 五社、醍醐天皇 延喜の制、祈念祭並に鍬靫各一口を加奉る、〔延喜式〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第8,9巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815494

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 富都神社について 所在は゛富本村(磯城郡都村大字富本)゛〈現 冨都神社(磯城郡田原本町富本)〉と記しています

【抜粋意訳】

富都(フツノ)神社

祭神 建布都(タケフツノ)神

 今按 社傳 祭神 登美夜毘賣(トミヤビメノ)命とあれど 社號を富都(トミツ)など非訓して云る説と聞ゆれば とりがたし 又 素戔嗚尊 武雷命とある内 武雷い云るぞ本社の祭神なるべき具は 建御雷之男神 亦名 建布都神とも云れば 建をはぶきて富都神と申せしなるべし 故 今之を訂せり

祭日 九月八日
社格 村社

所在 富本村(磯城郡都村大字富本)

【原文参照】

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冨都神社(磯城郡田原本町富本) (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

一緒に読む
大和國 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)

大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです

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