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布自伎美神社(松江市上東川津町)

布自伎美神社(ふじぎみじんじゃ)は 出雲風土記733 AD.』所載の島根郡  神祇官社の三つ布自伎彌社(ふじきみ)のやしろ」「多氣社(たけ)のやしろ」「門江社(かどえ)のやしろ」の論社で 風土記には 鎮座する嵩山だけさん 出雲の5つの烽火(とぶひ)〈のろし〉の一つで 布自枳美烽(ふじきみのとぶひ記されています

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ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます

①まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した出雲風土記733 AD.

➁次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)完成した『延喜式神名帳927 AD.

➂最後に出雲風土記733 AD.』と『延喜式神名帳927 AD.の論社(現在の神社)となっています

①【約1300年前】About 1300 years ago

出雲風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.

⑴本殿 ⑵嵩神社〈境内社〉⑶〈合祀〉国石大明神の三つが それぞれ論社となっています

布自伎美神社

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 島根郡(shimane no kori)

   神祇官社(jingikan no yashiro )

【社名】布自伎彌社
読み(ふじきみ)のやしろ
How to read(fujikimi no) yashiro

⑵〈布自伎美神社の境内社〉嵩神社

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 島根郡(shimane no kori)

   神祇官社(jingikan no yashiro )

【社名】多氣社
読み(たけ)のやしろ
How to read(take no) yashiro

⑶〈布自伎美神社に合祀〉国石大明神

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 島根郡(shimane no kori)

   神祇官社(jingikan no yashiro )

【社名】門江社
読み(かどえ)のやしろ
How to read(kadoe no) yashiro

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

➁【約1100年前】About 1100 years ago

延喜式神名帳engishiki jimmeicho所載社(Place of publication)
The shrine record was completed in December 927 AD.

⑴本殿 ⑵嵩神社〈境内社〉⑶〈合祀〉国石大明神の三つが それぞれ論社となっています

布自伎美神社

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 島根郡(shimane no kori)

【社名】布自伎美神社
読みふしきみの かみのやしろ
How to readFushikimi no kami no yashiro

⑵〈布自伎美神社の境内社〉嵩神社

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 島根郡(shimane no kori)

【社名】多氣神社
読みたけの かみのやしろ
How to readTake no kami no yashiro

⑶〈布自伎美神社に合祀〉国石大明神

【國】 出雲(izumo no kuni)
【郡】 島根郡(shimane no kori)

【社名】門江神社
読みかとえの かみのやしろ
How to readKatoe no kami no yashiro

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用

➂【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine

【神社名】(shrine name) 

布自伎美神社(Fujigimi shrine)

【通称名】(Common name)

嵩神社だけさん

【鎮座地】(location)

島根県松江市上東川津町1

【地 図】(Google Map)

【御祭神】(God’s name to pray)

布自伎美神社
主》都留支日子命つるひこのみこと

 多気社 天永二年(1111)合祀
《配》大己貴命(おほなむちのみこと)

 若宮八幡社 明治6(1873)合祀
《合》仁徳天皇(にんとくてんのう)

 宮嶋社 明治6(1873)合祀
《合》多紀理毘売命 狭依毘売命 多紀都毘売命

 伊豆御魂神社 明治40(1907)合祀
《合》天照大御神(あまてらすおほみかみ)

 国石大明神(式内社 門江神社) 明治40(1907)合祀
《合》国常立命(くにのとこたちのみこと)

 新宮神社 明治40(1907)合祀
《合》伊弉冉命 速玉男命 事解男命

 天満社 明治40(1907)合祀
《合》菅原道真朝臣(すがわらのみちざねあそん)

 牛尾神社 明治40(1907)合祀
《合》牛尾民部左衛門霊(うしおみんぶさえもんのれい)

【御神格】(God’s great power)

武道の神様

【格式】(Rules of dignity)

・『出雲風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.所載社
・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創建】(Beginning of history)

嵩山(だけさん)・布自伎美神社(ふじぎみじんじゃ
寝仏さん 川津見守る (だけ)・和久羅(わくら)

嵩山さんは右隣に並ぶ和久羅山と合せて「寝仏さん」の愛称で親しまれている。出雲國風土記の項には布自枳美髙山(ふじきみたけやま)と呼ばれた。また、のろしの施設を持つ山であったと記される。

山頂(いただき)に祀られた布自伎美神社は、地元の氏子篤(あつ)い信仰に守られ、今も人々は元旦のお参りをかかさない。331mの頂に立つと、「日本一の大庭園」と称(たた)えられた大山、中海、大根島、弓ヶ浜も一望の大パノラマを心ゆくまで堪能(たんのう)できる。

 昭和58年、登山道や駐車場等が整備された。休日には、登山を楽しむハイカーや家族連れで賑わっている。リピーターが多いのも当山の特徴。皆さんもぜひトライしてみてはいかが。

川津公民館 - 松江市「川虎(かわこ)の郷 かわつ」より抜粋chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/http://www1.city.matsue.shimane.jp/machidukuri/rekimachikeikaku/wagamachijiman/index.data/kawatu.pdf

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【由緒】(history)

由緒

本社は延喜式所載の古社にして、都留支日子命を鎮祭す 別に合殿あり 式内多気神社は大已貴命を祭る その他 合祀 式内 門江神社小祀縁結社あり

出雲風土記に「須佐男命ノ御子、都留支日子命ノ詔リタマワク吾敷キマセノ山口ノ処ナリト詔ヒテ山口ト負ハセ給ヒキ故山口トイフナリ」とあり
「風土記ニ布自伎爾社トアリ 布自伎美山モアリテ 其山二座神ナリ 東川津村ノ山高ナル 嵩大明神 是也 大穴持神ヲ祭ル」といえり

社伝の古文書によれば 都留支日子命 布自枳美山に宮所を領め吾吉所なりと詔り玉ふとあり
社伝に「おいて」創筆の由来を見るに 最初は素より社殿なく 大神は此山全体に清清しき神奈備に御親ら御開顕玉える幽宮にし鎮座ましましと活気勇ましく嵩の神山を命の光輝くたる神威により永久に領有き給いて神代より鎮り玉ふ

後世に至り 雄略天皇(第21代)の御宇に初めて顕宮を建立したものと考察される。
なほ、寛永年間(1624)頃までは 山7分以上社有であった

多気神社 後方 弥仙に影向石と称する石神体の小祀あり 世俗、石の宝殿と称す、式にも風土記にも布自枳美社、多気社と2社ありと見れば往古には2社あれど 天永2年(1110)に1社を建立して合殿したとある。

本社は 明治初年 郷社に列せられ
大神の御神徳は 高大で武徳の守護神として御霊験顕著なり 国司崇敬社にして 松平家の尊信厚く鼓の奉納あり 弓矢の大神として武人の崇拝頗る盛んなり
神社縁記に「藩士松平氏の客家老 三谷半太夫の祖 正徳4年(江戸1711)当社大神の神助により一命を助かり為に神社を再建し宝剣を納め代々信仰す」とあり 由緒異常なる古社にて 棟札に「天永2辛卯歳神主吉岡次郎左衛門」とあるは 現宮司(吉岡惇雄)の祖先にして なんじ子孫相次いで当社に奉仕している。

布自伎美峰山は 海抜326mにして山頂めがけて四季の眺望最高にして 境内より 東へ10歩淡彩をこらせる中海の海波慢々として 東南の山麓お洗ひ富士を思わせる小さな出雲富士きぜんとして東天に天橋立を模して拡大なる如き夜見ヶ浜の延々なる清影の水に映して横斜せるを見る 西は松江市 及び 静に美容を装したる女性湖水に嫁島眼下に眺め 遠くは斐川平野より出雲石見の境なる佐比売山を双眸の中に収むべく せみ色に覆われ高低参差たる雲南群山の遠影を隅なく展望する 更に眺望すれば 日本海面双眸掠め晴天の日には隠岐の国をも煙波の中に望まるるのみならず
鑑識家の言にいわく 嵩山は山体の幾何的体式と山容の美術的形式と樹林青々の美彩とを巧に調和して一種の山岳美を具象せる之をハルマントンの所謂第1次形式美の点より観察すれば土壌安排の様式円滑にして山じわを畳める細大斜線の配合また最隠和なれば大いに静的量美の発揮に成功せり伝伝と実に神人の感賞措かざるまのあるも宜なりというべし。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社】(Other deities within the precincts)

・稲荷社《主》宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)

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 国石大明神(式内社 門江神社)
嵩神社《主》大己貴命(おほなむちのみこと)

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

出雲風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社多氣社(たけ)のやしろ」の論社について

・多氣神社 

一緒に読む
多気神社(松江市上宇部尾町)

多気神社(たけじんじや)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社「多氣社(たけ)のやしろ」とされ 女嵩の山麓にあって「多気」の字を「竹」にかけて竹宮神社〈式内社 多気神社〉と称していましたが 明治期に津森神社と合併して遷座し現社号に復しています

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・嵩社〈布自伎美神社の境内社〉 

一緒に読む
布自伎美神社(松江市上東川津町)

布自伎美神社(ふじぎみじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡  神祇官社の三つ「布自伎彌社(ふじきみ)のやしろ」「多氣社(たけ)のやしろ」「門江社(かどえ)のやしろ」の論社で 風土記には 鎮座する嵩山(だけさん)は 出雲の5つの烽火(とぶひ)〈のろし〉の一つで 布自枳美烽(ふじきみのとぶひ)と記されています

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出雲風土記733 AD.』所載の島根郡 神祇官社門江社(かどえ)のやしろ」の論社について

・〈布自伎美神社に合祀〉国石大明神

一緒に読む
布自伎美神社(松江市上東川津町)

布自伎美神社(ふじぎみじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡  神祇官社の三つ「布自伎彌社(ふじきみ)のやしろ」「多氣社(たけ)のやしろ」「門江社(かどえ)のやしろ」の論社で 風土記には 鎮座する嵩山(だけさん)は 出雲の5つの烽火(とぶひ)〈のろし〉の一つで 布自枳美烽(ふじきみのとぶひ)と記されています

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・横田神社(美保関町下宇部尾)〈参考〉

一緒に読む
横田神社(美保関町下宇部尾)

横田神社(よこたじんじゃ)は 大己貴命(おほなむちのみこと)を祭神とします 『出雲國風土記733AD.』所載の島根郡 神祇官社「横田社(よこた)のやしろ」の論社とされますが 美保関町森山にも横田神社があり こちらも論社になっています 又 一説には「門江社(かどえ)のやしろ」であるとも云います

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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)

松江駅から 北東へ6.2km 車20分程度で駐車場まで

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駐車場の位置は 嵩山(だけさん)・和久羅山(わくらさん)の中間辺りにあります

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この山は「寝仏さん」と呼ばれますが 案内板によれば 駐車場辺りが 「寝仏さん」の首の部分になるそうです 山頂までは40分で到着と記されています

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宍道湖北山県立自然公園 嵩山地区

宍道湖北山県立自然公園は、宍道湖(しんじこ)をはじめ、それをとりまくように連なる北山山系(きたやまさんけい)嵩山(だけさん)・和久羅山(わくらさん)などの優れた自然の風景地を保護するとともに、利用の増進を図る目的で指定された県立自然公園です。

 嵩山(だけさん)〈331m〉は、松江市街から見た山の形が人が仰向(あおむ)けで横たわった形をしていることから寝仏(ねぼとけ)の名で親しまれています。
頭の部分が和久羅山(わくらさん)〈262m〉、胸から下が嵩山(だけさん)にあたり、ちょうどこの駐車場あたりが、首の部分に位置します。
植生は、・・・・

 山頂へはこの駐車場から40分で到着します山頂には布自伎美神社(ふじぎみじんじゃがあり、ここが嵩山(だけさん)の山頂にあたります。山頂からの眺めはよく、布自伎美神社の先にある広場からは島根半島中海大山が、途中の休憩所からは、松江市街や宍道湖が望めます。
島根県

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社頭には 嵩山登山歩道入口 頂上まで1100Mと立札が立ち
出雲風土記登場地の石碑には「布自枳美髙山嵩山)」頂上は「烽火(とぶひ)」〈のろし〉が置かれた と記されています

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注連縄柱立てられていて 一礼をして神の山へと進みます

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布自伎美神社(松江市上東川津町)に参着

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賽銭をおさめ お祈りです 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿の奥には 境内社が祀られています

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【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)

それぞれの文献では 次のように伝承しています

出雲風土記(izumo no kuni fudoki)733 AD.』にある伝承

巻の末尾に (のろし)を上げる山〈古代には 山の峯で「のろし」を焚いて 通信手段として使われていた〉として 5つの峯を上げています

(のろし)は 烽(とぶひ)とも云ったようです

その中の一つに 布自枳美(ふじきみ)烽(のろし)〈現 松江市東川津町・嵩山〉が記されています

【意訳】

馬見(まみの)烽(のろし)〈現 出雲市大社町・壺背山〉 出雲郡家(いずもぐうけ)西北三十二里二百四十歩

土椋(とくら)烽(のろし)〈現 出雲市稗原町大袋山〉 神門郡家(かんどぐうけ)東南一十四里

多夫志(たぶし)烽(のろし)〈現 出雲市国富町旅伏山〉 出雲郡家(いずもぐうけ)正北一十三里四十歩

布自枳美(ふじきみ)烽(のろし)〈現 松江市東川津町・嵩山〉 島根郡家(しまねぐうけ)正南七里二百一十歩

暑垣(あつがき)烽(のろし)〈現 安来市田頼町・車山〉 意宇郡家(おうぐうけ)正東二十里八十歩

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

口郷の山口とは 嵩山(だけさん)〈標高331m〉への入口を指しています

【意訳】

山口郷(やまぐちのさと〈現 松江市東川津町・嵩山の西側の山麓の辺り

郡家の正南四里二百九十八歩

須佐能袁命(すさのをのみことの御子 都留支日子命つるひこのみこと吾が敷きます山口の處に在りと詔りたもうて (ゆえ)に山口と頂き給ひき

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『雲陽志(unyo shi)1835AD.』島根郡 上川津 にある伝承

『雲陽志(unyo shi)では

上川津嵩大明神と記され

「大巳貴命なり 社 七尺四方 南向き 拝殿 二間 梁 四間
 祭禮 九月十三日

「嵩山と記され

風土記に載る 布自枳美高山是なり 山頭に布自支彌社 多氣社 二神を一社に合祭嵩大明神と号す 此山 近村の高山なり獄とも書」 と記しています

【原文参照】

※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用

※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用

出雲国式社考(izumo no kuni shiki no yashiro ko)1906AD.島根郡 にある伝承

【意訳】

布自伎美神社

風土記に 布自伎彌社(ふじきみ)のやしろ とあり 又 布自伎美山もありて その山に坐(まします)神なり

東川津村の嵩山なる大明神これなり 大穴持神を拝祭るといへり 神殿七尺四方 南面 拝殿五間に三間 祭禮九月十三日

多気神社

風土記に同じ 手染郷宇部尾村 竹宮明神をいふなるへし 岸崎の鈔に この社も布自伎美山にありといへる 誤りなり 火酢芹命(ほすせりのみこと)を拝祭る神殿四尺四面 東向き 祭日二月八日 吉日 天文十九年の棟筒有り

門江神社

風土記に同じ 鈔に東川津村 今俗曰く 門戸谷(もんどだに)久仁志大明神なりとあれど 門江をモン江と訓じるに依りて もんと谷を牽強せるなりへし 予按に門江は 加度延と訓むへし 社地未考

【原文参照】

※『出雲国式社考((izumo no kuni shiki no yashiro ko))』[選者:千家梅舎/校訂者:岩政信比古]写本 ,明治02年(1906)国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国式社考』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040615&ID=&TYPE=&NO=画像利用

※『出雲国式社考((izumo no kuni shiki no yashiro ko))』[選者:千家梅舎/校訂者:岩政信比古]写本 ,明治02年(1906)国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国式社考』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040615&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【意訳】

〇島根縣 出雲國 八束郡 川津村大字上東川津

郷社 布自伎美(ふしきみの)神社

祭神 都留支日子命つるひこのみこと

合殿 多氣(たけの)神社 高皇産霊命 大己貴命

合殿 仁徳天皇(にんとくてんのう)

   多紀理毘売命 狭依毘売命 多紀都毘売命
   宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
   菅原道真朝臣(すがわらのみちざねあそん)
   国常立命(くにのとこたちのみこと)
   伊弉冉命 速玉男命 事解男命
   天照大御神(あまてらすおほみかみ)
   牛尾民部左衛門霊(うしおみんぶさえもんのれい)

本社は、延喜式神名帳所載の神社なれども、その創立由緒共に詳らかならず、

出雲風土記に、「須佐能袁命(すさのをのみことの御子 都留支日子命つるひこのみこと吾が敷きます山口の處に在り と詔りたもうて (ゆえ)に山口と頂き給ひき」とあり、

式社考に「風土記に 布自伎彌社(ふじきみ)のやしろ とあり 又 布自伎美山もありて その山に坐(まします)神なり

東川津村の嵩山なる大明神これなり 大穴持神を拝祭るといへり」

又 神明帳考証に「知久美村乎、倭名抄、千酌、埴安神、風土記云、布自枳美高山、郡家 西南七里二百十一歩」とあり、御神体は石體なる由、

明治の初年 郷社に列す、社殿は本殿、南向きなり、幣殿、拝殿、社務所、廊等を具備し、境内坪数六百十二坪を有せり、社域は高山の上に鎮座し、境内より東すること十歩、海波漫漫として東南の山麓を洗い、伯耆の大山悠然として正東に聳え、晴天の日には、隠岐の国をも煙波の中に望むべく、西は松江市及び宍道湖を眼下に眺め、遠くは出雲石見の境なる佐比賣山さえ双眸の中に望むべく、景趣佳絶なり、
宝物は剱一口とす、又 基本金現在高 八百参拾八円弐拾参銭 及 山林一町二反三畝歩を有し、
神職は、数百年前より、連綿として吉岡氏奉仕し、以って現時の晴見氏に至る。

祭日 十月十三日

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

『出雲国風土記考証(Izumonokuni fudoki koshiyo)〈大正15年(1926)〉』に記される伝承

【意訳】

布自伎彌社(ふじきみ)のやしろ

嵩山(だけやま)の頂上の南部にある。延喜式に布自伎美神社とある。
都留支日子命つるぎひこのみことを祀る。山口郷といふ名は、この山の登り口である所の、東川津の辺りから起こったものであらう。

多氣社(たけ)のやしろ

今は 布自伎彌社に合せ祀る。大己貴命を祀ると云ってあるが、出雲國式社考には「手染郷宇部尾村 竹宮明神をいふなるへし 火酢芹命(ほすせりのみこと)をまつる」と云って居る。上宇部尾は、手染郷であったか否かわからぬが、竹宮明神と云うことは正しからう。

門江社(かどえ)のやしろ

東川津の門戸谷(もんどだに)にある國石大明神(くにしだいみょうじん)である。按ずるに、クニシは、國主からクニシと転訛したもので、もとは都留支日子命つるぎひこのみこと)か、大国主命かを祀ったものであろうが、雲陽志には、国常立命を祀ると云ってある。

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『出雲国風土記考証』大正15年(1926)後藤蔵四郎 著 出版者 大岡山書店https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020570映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『出雲国風土記考証』大正15年(1926)後藤蔵四郎 著 出版者 大岡山書店https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020570映像利用

布自伎美神社(松江市上東川津町)に (hai)」(90度のお辞儀)

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『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る

一緒に読む
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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『出雲国 式内社 187座(大2座・小185座)について』に戻る 

一緒に読む
出雲國 式内社 187座(大2座・小185座)について

出雲國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 出雲國には 187座(大2座・小185座)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています