江神社(えのじんじゃ)は 雨を司る神として 社伝には゛当地は天名川〈中の川〉が流れ 上流は闇淵(くらふち)と称する大沼があって龍神が住んでいた゛と云い 社名を「鈴の宮」〈上社〉と呼んでいた 又 下社もあったとされ これを延喜式内社 大井神社二座としていたと伝わります 又 江神社ともされ 二つの式内社の論社となっています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
江神社(eno shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県亀山市下庄町 2604
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》高龗神(たかおかみのかみ)
《合》大山祇命,建速須佐之男命,石凝姥命,正哉吾勝勝速日天忍穂耳命,白山媛命,火之迦具津知命,大日孁命
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・雨を司る神様で 祈雨・止雨に特に神徳あり
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
式内社 江神社由来記
鎮座地 亀山市下庄町二六〇四
(伊勢國鈴鹿郡晝生村大字下庄字宮の谷)祭神 高龗神 他九柱 合祀
例祭日 十月九日(宵宮祭)十日(大祭)由緒
当社は九二七年(延長五年)の「延喜式」神名帳巻九に登載されていて、一千年以前に下庄宮の谷に鎮座する古社である。
本殿は神明造りで、祭神は雨を司る神様で、祈雨・止雨に特に神徳かあって、古来より農耕の神として五穀豊饒、無病息災を祈願して祭られた。
「江」は中の川の入り組んだ淀みを表わしたことばであろう。社記によれば当地は天名川(今の中の川)が流れ上流は闇淵(くらふち)と称する大沼があって龍神が住んでいたといわれている。
その続きに鈴宮江の森があった。年ごとの出水で沼は浅瀬となり、やがて平地になって、田畑を耕作する人々が集まり聚落かできたのである。宝物「江神社棟札」
一六一三年(慶長十八年)九月二十七日「鈴大明神・・・」と記される棟札は、市内数ある中でも最古のものであり、昭和四十六年亀山市の文化財に指定されている。
一九九六年(平成八年)三月記現地案内板より
【由 緒 (History)】
由緒
下ノ庄の集落は 中ノ川の沿岸にあり当社は集落の北に当たる「宮の谷」に鎮座されている。
「江」は中ノ川の入り組んだ淀みを表わしたことばでもあろうか。
祭神の高龗神は雨を司る神で、社名を「鈴の宮」といっていたらしく、慶長一八年(一六一三)奉納の棟札に『鈴大明神』の神号が書かれている。
社記によれば、当村に沼あり、その続きに字鈴吉江の森というところがあり、当初はここに鎮座されていたが、沼は浅瀬となり、江の森の辺りも村の形をとるようになって、元和元年(一六一五)九月、現在の地に奉遷したのだという。三重県神社・皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPより
https://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63875
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・本殿
・拝殿
・狛犬
・御神木
・参道 石段
・社頭
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
江神社(亀山市下庄町)は 二つの式内社〈伊勢國鈴鹿郡①大井神社二座②江神社〉の論社となっています
①大井神社二座
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)鈴鹿郡 19座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大井神社 二座
[ふ り が な ](をほゐの かみのやしろ ふたくら)
[Old Shrine name](Wohoi no kaminoyashiro Futakura)
②江神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)鈴鹿郡 19座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 江神社
[ふ り が な ](えの かみのやしろ)
[Old Shrine name](e no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)の論社
・関神社(亀山市関町)に合祀
関神社(せきじんじゃ)は 江戸時代には 熊野三所大権現と呼ばれていました 明治42年(1909)地域の各字の神社を合祀して 關神社と改号しました その時 古厩に鎮座していた二つの式内社①大井神社の論社・大井神社(亀山市関町古厩)②片山神社の論社・八王子祠 (亀山市関町古厩)も一緒に合祀されました
關神社(亀山市関町木崎)〈二つの式内社・大井神社・片山神社を合祀〉
・大井神社古社地(亀山市関町)
〈関神社に合祀された旧鎮座地〉
大井神社の遺跡(おおいじんじゃのいせき)は 史跡 鈴鹿駅跡(すずかのうまやあと)にあった延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)とされ ここから北40m程の所には゛都追美井(つつみい)゛〈神社の御神体とされる井戸〉もあります 明治42年(1909)関神社(亀山市関町)に合祀されました
大井神社の遺跡(亀山市関町古厩)〈大井神社の旧鎮座地(明治42年 関神社に合祀)〉
・大井神社(鈴鹿市山辺町)
大井神社(おおいじんじゃ)は 西に約400mの所に゛山辺の御井(やまべのみい)゛もあり 延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)の論社となっています 明治44年(1911)川神社(鈴鹿市河田町)に合祀〈神社合祀令〉された後 地元の熱意によつて昭和26年(1951)3月に再興されました
大井神社(鈴鹿市山辺町)〈延喜式内社 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ)〉
・江神社(亀山市下庄町)
江神社(えのじんじゃ)は 雨を司る神として 社伝には゛当地は天名川〈中の川〉が流れ 上流は闇淵(くらふち)と称する大沼があって龍神が住んでいた゛と云い 社名を「鈴の宮」〈上社〉と呼び 又 下社もあったとされ これを延喜式内社 大井神社二座としていたと伝わります 又 江神社ともされ 二つの式内社の論社となっています
江神社(亀山市下庄町)〈二つの延喜式内社の論社①大井神社二座②江神社〉
伊勢國 鈴鹿郡 江神社(えの かみのやしろ)の論社
・三宅神社(鈴鹿市国府町)
〈明治41年(1908)三宅神社(鈴鹿市国府町)に合祀 樫木大明神)〉
三宅神社(みやけじんじゃ)は 鎮座地が゛國司の宅址゛であり゛屯倉(ミヤケ)の跡地゛と伝わるので 式内社〈①伊勢國 鈴鹿郡三宅神社②伊勢國 河曲郡 大鹿三宅神社〉の論社とされ゛伊勢國總社゛とも呼ばれます 更に 明治41年(1908)に式内社③江神社の論社゛樫木大明神゛を合祀しましたので 現在は 三つの式内社の論社です
三宅神社(鈴鹿市国府町)〈延喜式内社・伊勢國總社〉
・江神社(亀山市下庄町)
江神社(えのじんじゃ)は 雨を司る神として 社伝には゛当地は天名川〈中の川〉が流れ 上流は闇淵(くらふち)と称する大沼があって龍神が住んでいた゛と云い 社名を「鈴の宮」〈上社〉と呼び 又 下社もあったとされ これを延喜式内社 大井神社二座としていたと伝わります 又 江神社ともされ 二つの式内社の論社となっています
江神社(亀山市下庄町)〈二つの延喜式内社の論社①大井神社二座②江神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR紀勢本線 下庄駅から北上約3.4km 車6分程度
江神社(亀山市下庄町)に参着
鳥居の横にある 石柱の社号標には゛式内 江神社゛と刻字されています
一礼をして 鳥居をくぐると 長い石段を上がります
石段を上がると 再び鳥居が建ち 境内地に出ます
あと40段程の石段を上がれば 拝殿が建っています
参道に覆い被るように御神木があり くぐり抜けるように
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 長い石段参道を戻ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 大井神社二座について 所在は゛山辺村に在す、清水あり゛〈現 大井神社(鈴鹿市山辺町)〉と記しています
【抜粋意訳】
大井神社二座
大井は於保為と訓べし
○祭神 稻羽八上姫神、御井神、〔考証〕
○山辺村に在す、清水あり〔考証〕今河曲郡に属す、
類社
山城國 乙訓郡 大井神社の條見合すべし
式内社 江神社について 所在は゛下之庄村に在す゛〈現 江神社(亀山市下庄町)〉と記しています
【抜粋意訳】
江神社
江は假宇也
〇祭神 宇加御玉命歟
○下之庄村に在す、〔俚諺〕考証の説信用しがたし、
〔連胤〕按るに、内宮所摂江神社同躰なるべし、類社
当国度會郡江神社の條見合すべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大井神社二座について 所在は゛下之庄村 産神 東西二社あり゛〈現 江神社(亀山市下庄町)〉と記しています
【抜粋意訳】
大井(オホヰノ)神社二座
今 下之庄村 産神 東西二社あり 即是也、〔式内社検録、本村検地帳、おおい谷の名あり、〕
式内社 江神社について 所在は゛國府村 城山にあり゛〈現 三宅神社(鈴鹿市国府町)〈明治41年(1908)三宅神社(鈴鹿市国府町)に合祀 樫木大明神)〉と記しています
【抜粋意訳】
江(エノ)神社
今 國府村 城山にあり、
凡 九月二十一日祭を行ふ、〔龜山藩神社取調帳、三重縣神社調、〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 大井神社二座について 所在は゛大井神社二座と稱するもの 則此 東西両社なるか゛〈現 江神社(亀山市下庄町)〉と記しています
【抜粋意訳】
大井神社二座
祭神
祭日
社格所在
今按るに 傍注に山邊村と註せるより 考證以下の諸書 これに從ふは妄なり 山邊は河曲郡にして 隷属差へり 其社も新地にして 千古の舊社に非す 又 再考には下庄村 井手明神に配す 併 其社地 山傍少にして 形狀舊祠とは見えす 又 按内記以後の諸書は 勢陽雑記に據て 古厩村に在とす 其社地も亦 狭隘容體 舊社にはあるへからす 傍注雑記等 大井の井を泉井の義として 山邊御井神馬洗井等に牽合するは從ふへからす
再考には堰埭の意とせるは是なり 下庄村は田茂川の北涯にあり 延寶七年檢地帳におおい谷一中七畝貮述拾八步と記し 都合四反九畝二步の地の字とす 村の産神は東西に二社地あり 西を江神社に配すれと明證なし 両社地 舊とは一聯の地勢にて中間を宮カ谷と唱ふ 鬱樹として千歳の舊社地たる事 瞭然たり 南を去て 山傍に井出明神の祠もあれは 大井神社二座と稱するもの 則此 東西両社なるか オオイ谷は大堰谷の謬借なるへけれは 愚據なきにしもあらす
【原文参照】
式内社 江神社について 所在は゛國府村(鈴鹿郡国府村大字平野)(現今同村 国府村社 三宅神社に合祀)〈現 三宅神社(鈴鹿市国府町)〈明治41年(1908)三宅神社(鈴鹿市国府町)に合祀 樫木大明神)〉と記しています
【抜粋意訳】
江神社
祭神
祭日 九月二十一日
社格 村社所在 國府村(鈴鹿郡国府村大字平野)(現今同村 国府村社 三宅神社に合祀)
今按るに
傍注考證等には 國府村 加多伎明神に配し 案内記には 下ノ庄村江の宮とし 遺響宮地記等には 同村 井出明神に配し 雜孟拾遺には 小歧須村に在とす 上件の各社 明證あるにあらす 併龜山藩神社調書に垂仁天皇御字 大神宮奈具波志山に遷幸の時 桑名野代宮より 御船にて鈴鹿川を登り玉ふ 其頃は入江なりけん 今は廣き沼田となり ー野餘川上に船塚碇塚などあり 今も洪水の時は満て入江の如しと云へり 依て姑くこれに從ふ
【原文参照】
伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る
伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について