豊前国(ぶぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 豊前国 6座(大3座・小3座)の神社です
豊前国(ぶぜんのくに)について
豊前国(Buzennokuni)は 令制国の一つ〈西海道に属する〉
現在の・福岡県東部・大分県北西部
7世紀末 豊国(とよのくに)を分割して 豊後国とともに設けられたと伝わる
豊前国(ぶぜんのくに) 6座(大3座・小3座)
大社3座は3社〈いずれも名神大社〉
小社3座は3社
計6座は6社
※座は神の柱数 社は神社数
郡〈延喜式神名帳に記載〉
・宇佐郡(うさの こおり) 3座(並大)
・田川郡(たかは こおり) 3座(並小)
宇佐郡(うさの こおり) 3座(並大)
八幡大菩薩宇佐宮(名神大)(はちまんだいぼさつうさのみや)
・宇佐神宮(宇佐市南宇佐)
宇佐神宮(うさじんぐう)は 全国4万社余りの八幡社の総本宮です 豊前国一之宮でもあります 神亀2年(725)創建以来 皇室から「伊勢神宮」につぐ「第二の宗廟(sobyo)」としての崇敬を受けています 信仰の地となってから約1300年 境内に足を踏み入れれば 日本の息吹が伝わります
宇佐神宮(宇佐市南宇佐)
比賣神社(名神大)(ひめかみのやしろ)
・宇佐神宮(比売大神)の旧鎮座地 奥宮とされる 大元神社
大元神社(おおもとじんじゃ)は 宇佐神宮の奥宮といわれ 神代の昔に 三柱女神の比賣大神が降臨された神山「御許山(omoto san)」の9合目に鎮座します 山頂近くには3つの巨石を祀る神籬岩があるらしく 古代の磐座信仰が当初の形態ともいわれています
大元神社(宇佐神宮 奥宮)
・宇佐神宮
宇佐神宮(うさじんぐう)は 全国4万社余りの八幡社の総本宮です 豊前国一之宮でもあります 神亀2年(725)創建以来 皇室から「伊勢神宮」につぐ「第二の宗廟(sobyo)」としての崇敬を受けています 信仰の地となってから約1300年 境内に足を踏み入れれば 日本の息吹が伝わります
宇佐神宮(宇佐市南宇佐)
大帯姫廟神社(名神大)(おほたらしひめのみたまや かみのやしろ)
・宇佐神宮
宇佐神宮(うさじんぐう)は 全国4万社余りの八幡社の総本宮です 豊前国一之宮でもあります 神亀2年(725)創建以来 皇室から「伊勢神宮」につぐ「第二の宗廟(sobyo)」としての崇敬を受けています 信仰の地となってから約1300年 境内に足を踏み入れれば 日本の息吹が伝わります
宇佐神宮(宇佐市南宇佐)
田川郡(たかは こおり) 3座(並小)
辛国息長大姫大目命神社(貞)(からくにをきなかおほひめおほめのみことの かみのやしろ)
・香春神社(香春町香春)
香春神社(かわらじんじゃ)は 元々は香春岳(かわらだけ)の三つの峯(第一峰・第二峰・第三峰)の山頂に〈・辛国息長大姫大目神・忍骨神・豊比咩神〉の三神を奉祀したのが創始 三座は三つの山頂から遷座されて 和銅2年(709)゛新宮゛と称し『延喜式神名帳〈927年〉』所載の豊前國 田川郡の三座〈・辛国息長大姫大目神社・忍骨神社・豊比咩神社〉となり現在に至ります
香春神社(香春町香春)
忍骨命神社(をしほねの かみのやしろ)
・香春神社(香春町香春)
香春神社(かわらじんじゃ)は 元々は香春岳(かわらだけ)の三つの峯(第一峰・第二峰・第三峰)の山頂に〈・辛国息長大姫大目神・忍骨神・豊比咩神〉の三神を奉祀したのが創始 三座は三つの山頂から遷座されて 和銅2年(709)゛新宮゛と称し『延喜式神名帳〈927年〉』所載の豊前國 田川郡の三座〈・辛国息長大姫大目神社・忍骨神社・豊比咩神社〉となり現在に至ります
香春神社(香春町香春)
・英彦山神宮(添田町 英彦山)
英彦山神宮(ひこさんじんぐう)は 社伝によれば 鎮座する英彦山は 御祭神が天照大神の御子 天忍穂〈根〉耳命 故に「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれたする この縁起から『延喜式神名帳927 AD.』所載の豊前国 田川郡 忍骨命神社(をしほねのみことの かみのやしろ)の論社ともされます
英彦山神宮(福岡県 英彦山)〈奉幣殿・下津宮〉
豊比咩神社(貞)(とよひめの かみのやしろ)
・香春神社(香春町香春)
〈現在〉
香春神社(かわらじんじゃ)は 元々は香春岳(かわらだけ)の三つの峯(第一峰・第二峰・第三峰)の山頂に〈・辛国息長大姫大目神・忍骨神・豊比咩神〉の三神を奉祀したのが創始 三座は三つの山頂から遷座されて 和銅2年(709)゛新宮゛と称し『延喜式神名帳〈927年〉』所載の豊前國 田川郡の三座〈・辛国息長大姫大目神社・忍骨神社・豊比咩神社〉となり現在に至ります
香春神社(香春町香春)
・古宮八幡宮(香春町採銅所)
〈香春神の三ノ峯の社 元鎮座地 古宮〉
古宮八幡宮(こみやはちまんぐう)は 和銅二年(709)創祀 旧鎮座地は香春三ノ岳の麓 阿曽隈という所から慶長四年(1599)現在地に遷座 養老四年(720)宇佐八幡宮の託宣で神鏡〈三ノ岳の銅を掘り鋳造〉を宇佐八幡宮放生会に奉納した この縁で貞観元年(859)応神天皇 神功皇后を勧請して八幡宮を号する 式内社 豊前國 田川郡 豊比咩神社(とよひめの かみのやしろ)の古宮です
古宮八幡宮(香春町採銅所)
・阿曽隈社(香春町採銅所)
〈古宮八幡宮の元宮〉
阿曽隈社(あそくましゃ)は 香春岳(かわらだけ)の三つの峯(第一岳・第二岳・第三岳)の山頂に奉祀した゛香春の三神゛〈辛国息長大姫大目神・忍骨神・豊比咩神〉内の三ノ岳の東麓 阿曽隈に豊比咩神を祀った旧跡とされ 和銅二年(709)には この地に古宮八幡宮の元宮が祀られ 一ノ岳の南麓には゛新宮〈香春神社〉゛が創建されました これらの旧跡とされています
阿曽隈社(香春町採銅所)〈阿曽隈遺跡〉
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『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました このページは
西海道に鎮座する 107座『延喜式神名帳』の所載一覧
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています
「西海道」に鎮座する(107座…大38・小69)神社の一覧表です