綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)は 元は綾戸宮と國中宮の二社でしたが 現在は合祀され 左が綾戸宮 右が國中宮となっています 3つの式内社〈延喜式内社 山城國乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)・國中神社(くになかの かみのやしろ)・茨田神社(まむたの かみのやしろ)〉の論社となっています
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
綾戸國中神社(Ayato Kuninaka shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
京都府京都市南区久世上久世町446
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主祭神》
〈綾戸宮〉
大綾津日神(おほあやつひのかみ)〈禍津日神の別名〉
大直日神(おほなほびのかみ)
神直日神(かみなほびのかみ)
〈國中宮〉
素盞嗚尊(すさのをのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
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【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)
元は、綾戸宮(あやとぐう)と國中宮(くなかぐう)の二社であったが、現在では合祀されており、左が綾戸宮、右が國中宮である。
綾戸宮は大綾津日神(おおあやつひのかみ)、大直日神(おおなほひのかみ)、神直日神(かみなおびのかみ)、國中宮は素盞嗚尊(すさのおのみこと)を御祭神とする。社伝によれば、綾戸社は継体天皇十五年(五二一年)に大堰川(おおいがわ)(桂川)七瀬の祓神として、大井社と称して創建された。その後、天暦九年(九六五年)綾戸社に改称された。社号の額は第七十代 後冷泉天皇(ごれいぜんてんのう)の御宸筆と伝えられている。
國中社は本来 蔵王の杜(現 蔵王堂光福寺 ざあおうどうこうふくじ)に社地があって、中世には牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも呼ばれており、古くには久世郷全体の郷社であったと推定される。戦国時代、國中社が綾戸社の境内の移され、以来、綾戸國中神社と称するようになった。
日本三大祭のひとつである祇園祭に欠かせないものとして、綾戸國中神社の「久世駒形稚児」がある。
この「駒形稚児」と祇園祭との関係は、「國中社は素盞嗚尊の荒御魂なり。八坂郷 祇園社は素盞嗚尊の和御魂なり。依って一体にして二神、二神にして一体で神秘の極みなり。」と古文書に記され、「御神幸の七月十七日に訓世の駒形稚児の到着なくば、御神輿は八坂神社から一歩も動かすことはならぬ。若し此の駒故なくしてお滞りあるときは、必ず疫病流行し人々大いに悩む。」とも伝えられている。
駒形を奉持することで稚児は神そのものとされ、神幸祭(しんこうさい)、還幸祭(かんこうさい)では中御座神輿(なかござみこし)の先導をつとめる。
京都市
現地立札より
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【由 緒 (History)】
由緒
昔は綾戸宮と國中(くなか)宮の二社に別れていたが、現在は一社殿とし、向かって左の御扉に綾戸宮、右の御扉に國中宮をお祀りしてある。
大綾津日神、大直日神、神直日神を御祭神とする綾戸宮は、第二十六代継躰天皇15年に綾戸大明神として三柱の神を御勧請され、六十二代村上天皇天暦9年に綾戸宮と改められ、社号の額も七十代後冷泉帝の御震筆によると伝えられている。戦国の兵火にあい宝器、旧記は焼失してしまったが 上久世の里の産土神として古より氏子が崇拝するところである。
素戔鳴神を御祭神とする國中宮は、神代の頃、午頭天皇=素戔鳴尊が山城の地、西の岡訓世の郷が一面湖水のとき、天から降り給い、水を切り流し國となし その中心とおぼしき所に符を遣わし給うた。その符とは素戔鳴尊の愛馬、天幸駒の頭を自ら彫刻して、新羅に渡海の前に尊の形見として遣わし給うたのである。この形見=馬の頭が國中宮の御神体として祀られている。
夏の祇園祭には稚児が駒形の御神体を胸に奉持して(駒形稚児)乗馬で供奉する。社殿は昔は西向きの二社殿であったが 昭和9年の室戸台風で倒壊したため約20米北の地に南向きの一社殿・二扉として昭和11年秋に新築。その後、拝殿、神饌所等を増築して神社としての形態を整えてきたところ、昭和39年の東海道新幹線通過のためやむなく境内地、社殿等を東に移転し現在に至っている。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
綾戸國中神社は 3つの式内社の論社となっています
①山城國乙訓郡 大井神社
②山城國乙訓郡 國中神社
③山城國乙訓郡 茨田神社
①山城國乙訓郡 大井神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)乙訓郡 19座(大5座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大井神社
[ふ り が な ](おほゐの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohoi no kaminoyashiro)
②山城國乙訓郡 國中神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)乙訓郡 19座(大5座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 國中神社
[ふ り が な ](くになかの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kuninaka no kaminoyashiro)
③山城國乙訓郡 茨田神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)乙訓郡 19座(大5座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 茨田神社
[ふ り が な ](まむたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mamuta no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
綾戸國中神社は 3つの式内社の論社となっています
①山城國乙訓郡 大井神社
②山城國乙訓郡 國中神社
③山城國乙訓郡 茨田神社
各々の式内論社について 類社も含めて
「大井神社(おほゐの かみのやしろ)」と『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の式内社と論社について
延喜式内社 山城國 乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社
・大井神社(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)
大井神社(おおいじんじゃ)は 渡月橋の北の詰にあり 大堰神社とも称し 大堰川の守り神として『三代実録』貞観十八年(867)山代大堰神と記載があります 又『延喜式』山城國 乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の式内論社ともされています
大井神社(右京区嵯峨天龍寺造路町)〈『三代実録』山代大堰神『延喜式』大井神社〉
・綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)
綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)は 元は綾戸宮と國中宮の二社でしたが 現在は合祀され 左が綾戸宮 右が國中宮となっています 3つの式内社〈延喜式内社 山城國乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)・國中神社(くになかの かみのやしろ)・茨田神社(まむたの かみのやしろ)〉の論社となっています
綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)〈『延喜式』大井神社・國中神社・茨田神社〉
延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)の論社
・関神社(亀山市関町)
〈明治42年(1909)関神社に合祀された大井神社(亀山市関町古厩)〉
関神社(せきじんじゃ)は 江戸時代には 熊野三所大権現と呼ばれていました 明治42年(1909)地域の各字の神社を合祀して 關神社と改号しました その時 古厩に鎮座していた二つの式内社①大井神社の論社・大井神社(亀山市関町古厩)②片山神社の論社・八王子祠 (亀山市関町古厩)も一緒に合祀されました
關神社(亀山市関町木崎)〈二つの式内社・大井神社・片山神社を合祀〉
・大井神社の遺跡(亀山市関町古厩)
〈大井神社の旧鎮座地(明治42年(1909)関神社に合祀)〉
大井神社の遺跡(おおいじんじゃのいせき)は 史跡 鈴鹿駅跡(すずかのうまやあと)にあった延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)とされ ここから北40m程の所には゛都追美井(つつみい)゛〈神社の御神体とされる井戸〉もあります 明治42年(1909)関神社(亀山市関町)に合祀されました
大井神社の遺跡(亀山市関町古厩)〈大井神社の旧鎮座地(明治42年 関神社に合祀)〉
・大井神社(鈴鹿市山辺町)
大井神社(おおいじんじゃ)は 西に約400mの所に゛山辺の御井(やまべのみい)゛もあり 延喜式内社 伊勢國 鈴鹿郡 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ ふたくら)の論社となっています 明治44年(1911)川神社(鈴鹿市河田町)に合祀〈神社合祀令〉された後 地元の熱意によつて昭和26年(1951)3月に再興されました
大井神社(鈴鹿市山辺町)〈延喜式内社 大井神社二座(をほゐの かみのやしろ)〉
・江神社(亀山市下庄町)
江神社(えのじんじゃ)は 雨を司る神として 社伝には゛当地は天名川〈中の川〉が流れ 上流は闇淵(くらふち)と称する大沼があって龍神が住んでいた゛と云い 社名を「鈴の宮」〈上社〉と呼び 又 下社もあったとされ これを延喜式内社 大井神社二座としていたと伝わります 又 江神社ともされ 二つの式内社の論社となっています
江神社(亀山市下庄町)〈二つの延喜式内社の論社①大井神社二座②江神社〉
延喜式内社 尾張國 山田郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社
・大井神社(名古屋市北区如意)
延喜式内社 常陸國 那賀郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社
・大井神社(水戸市飯富町)
・大井神社(笠間市大渕)
延喜式内社 丹波國 桑田郡 大井神社(をほゐの かみのやしろ)の論社
・大井神社 (亀岡市大井町)
延喜式内社 出雲國 秋鹿郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)の論社
・大井神社
大井神社(おおいじんじゃ)は 大井乃神(oi no kami)と水罔象女神(mitsuha no me no kami)を祀ります 式内社の論社として里人に守られるお社です
大井神社(松江市鹿島町)
・五十田神社
五十田神社(いそだじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 大井社です もとの鎮座地は現在地の東方にあった佐太水海の沖の大井の輪と言われる浜にあったが 洪水により社殿が西の丘麓の大井垣の輪に漂着し大井神社と称した 更に現在地の磯田に遷座し磯田神社となり 『日本書記』にある武甕槌命・経津主命が「出雲の国護りの舞台」五十田狭の小汀に天降ったのは ここなりとしての両神を祀り 五十田神社と改称した
五十田神社(松江市古志町)
「國中神社(くになかの かみのやしろ)」と『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の式内社と論社について
延喜式内社 山城國 乙訓郡 國中神社(くになかの かみのやしろ)
・綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)
綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)は 元は綾戸宮と國中宮の二社でしたが 現在は合祀され 左が綾戸宮 右が國中宮となっています 3つの式内社〈延喜式内社 山城國乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)・國中神社(くになかの かみのやしろ)・茨田神社(まむたの かみのやしろ)〉の論社となっています
綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)〈『延喜式』大井神社・國中神社・茨田神社〉
延喜式内社 河内國 讃良郡 國中神社(くなかの かみのやしろ)
・國中神社(四條畷市清滝中町)
延喜式内社 越前國 今立郡 國中神社二座(くになかの かみのやしろ ふたくら)
・国中神社(越前市国中町)
・國中神社(越前市中津山町)
「茨田神社(まむたの かみのやしろ)」と『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の式内社と論社について
延喜式内社 山城國 乙訓郡 茨田神社(まむたの かみのやしろ)
・出雲路の森〈茨田神社 旧鎮座地〉
〈旧鎮座地〉
・菱妻神社(京都市南区久世築山町)
〈合祀もしくは境外社〉
・綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)
綾戸國中神社(あやとくなかじんじゃ)は 元は綾戸宮と國中宮の二社でしたが 現在は合祀され 左が綾戸宮 右が國中宮となっています 3つの式内社〈延喜式内社 山城國乙訓郡 大井神社(おほゐの かみのやしろ)・國中神社(くになかの かみのやしろ)・茨田神社(まむたの かみのやしろ)〉の論社となっています
綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)〈『延喜式』大井神社・國中神社・茨田神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
J京都線 桂川駅から東へ約500m 徒歩での所要時間7~8分程度
昭和三十九年(1964)新幹線敷設のために 線路の東へ移転し現在に至っています
綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)に参着
社殿 境内 社頭は南を向いています
一礼をしてから鳥居をくぐり抜け境内に進みます
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石畳みの参道を
拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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向って右が 國中宮
向って左が 綾戸宮 です
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社殿に一礼をして 境内参道を戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
綾戸國中神社は 3つの式内社の論社となっています
①山城國乙訓郡 大井神社
②山城國乙訓郡 國中神社
③山城國乙訓郡 茨田神社
各々について
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
①山城國乙訓郡 大井神社
式内社 大井神社について 祭神。所在は詳らかではない と記しています
所在について考証しています
゛沓掛村 今稱ニ 千兒明神゛〈現 大枝沓掛町から遷座した 児子神社(京都市西京区大枝塚原町)〉
゛松尾神社の末社 堰神゛〈現 大井神社(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)〉
【抜粋意訳】
大井神社
大井は於保爲と訓べし
○祭神在所等詳ならず
山城志に、在ニ 沓掛村、今稱ニ 千兒明神と云り、然れども他書にかくいへるものなく、もとより地名なるべきに、此邊に大井てふ名の殘れる所もなけれぱ、今從はず、
〔連胤〕按るに、こは葛野郡 松尾神社の末社 堰神を祭れるより〔堰神は今も大井社と稱して、即ち大井川の北臨川寺の西に在す、〕その號を稱したるにて、當郡の地名にはあらざるべし、故に廢れたるならむ、
類社
伊勢國鈴鹿郡 大井神社二座、尾張國山田郡、常陸國那賀郡、丹波國柴田郡、出雲國秋鹿郡 大井神社、各一座〔連胤〕按るに、各國祭神詳ならずといへども、かならず水神なるべく、かつ神號より地名に押移れるもあるペし、御井神は御井神社とあれば名別なるべし、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
②山城國乙訓郡 國中神社
式内社 國中神社について 所在は記されていませんが 考証しています
゛山崎驛の東・・路傍に自然石を置て、其上に國中神社と彫たる石杭゛があるが これは五十年前に離宮八幡宮の社家が置いたもので 旧地ではない と記しています
【抜粋意訳】
國中神社
國中は久留奈可と調べし
〇祭神在所等詳ならず
〔連胤〕云、今 西國の官道 山崎驛の東、五位川の邊、路傍に自然石を置て、其上に國中神社と彫たる石杭を建たり、こは此五十年ばかり以前に、山崎の社中より建たるものにて、舊地にあらず、此外郡中の社號を記して同じく建てるもあり、其類なりと土人に聞たり、
類社
河內國 讃良郡 國中神社 越前園今立郡 國中神社二座、〔連胤〕按るに、各國祭神詳ならず、猶考ふべし、
氏人
續日本紀、神護景雲二年十一月乙亥、従四位下 國中連公麻呂爲ニ 但馬員外介、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
③山城國乙訓郡 茨田神社
式内社 茨田神社について 所在は゛築山村に今 茨田森といふ小林あり、是 舊跡也、゛〈現 〈旧鎮座地〉出雲路の森〈茨田神社 旧鎮座地〉〉と記しています
【抜粋意訳】
茨田神社
茨田は伊婆良多と訓べし
○祭神詳ならず
○築山村に今 茨田森といふ小林あり、是 舊跡也、〔土人説〕
○姓氏録、〔山城國皇別〕茨田連、彦八井耳命之後也、
山城志に、或云 在ニ 上久世村、今稱ニ 綾戸明神と云り、其證なければ 今從はず、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
①山城國乙訓郡 大井神社
式内社 大井神社について 社名のみ 記されています
【抜粋意訳】
大井神社
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493
②山城國乙訓郡 國中神社
式内社 國中神社について 社名のみ 記されています
【抜粋意訳】
國中神社
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493
③山城國乙訓郡 茨田神社
式内社 茨田神社について 社名のみ 記されています
【抜粋意訳】
茨田(マムタノ)神社
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
①山城國乙訓郡 大井神社
式内社 大井神社について 所在は無記入ですが 考証がされています
゛綾戸(アヤトノ)宮゛〈現 綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)〉
゛沓掛村 今稱ニ 千兒明神゛〈現 大枝沓掛町から遷座した 児子神社(京都市西京区大枝塚原町)〉
゛松尾神社の末社 堰神゛〈現 大井神社(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)〉
【抜粋意訳】
大井ノ神社
祭神
祭格所在
个按 明細帳 上久世 綾戸(アヤトノ)宮を大井神社にあてたれど 大井と云べき由縁をのせず されど京都府考に其社傳に云 綾戸大明神 祭る所 三座大綾津日神 大直日神 神直日神 是也と此 三座は祓除の神にまし 古へ大井川の祓除ありしにも由あり 此社の大井川末流にあるも由ありて聞ゆと云り 是式社ならん歟
神社覈録云 山城志に在ニ 沓掛村 今稱ニ 千兒明神と云り 然れども他書にかく云るものなく 素より地名なるべきに此邊に大井てふ名の殘れる所もなければ 今従はず
〔連胤〕按るに こは葛野郡 松尾神社の末社 堰神を祭れるより〔堰神は今も大井社と稱して 即ち大井川の北臨川寺の西に在す〕其號を稱したるにて當郡の地名にはあらざるべし 故に廢れたるならむと云り 故今定めがたし姑附て考を俟つ
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
②山城國乙訓郡 國中神社
式内社 國中神社について 所在は記されていませんが 考証しています
゛京都府式社考證に上久世村 綾戶宮に別祠あり之を國中神社と稱す゛〈現 綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)〉
【原文参照】
國中神社
祭神
祭日
社格所在
今按 京都府式社考證に上久世村 綾戶宮に別祠あり之を國中神社と稱す 大井國中の兩社は宜しく別地の鎭座なるべしと雖も 中古戦国の時 同地に合するも知るべからず 舊記傳説明かならざるを以て不詳とす 又 山埼驛東五位川の邊に國中神社と彫たる石標を建たるあれど 六十年前に離宮八幡宮の社家の爲す所なれば信ずるに足らずと云り かゝれば上久世村なる式社と定めて可ならん
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
③山城國乙訓郡 茨田神社
式内社 茨田神社について 社名のみ 記されています
所在について 考証がされていて
゛築山村 今 茨田森と云 小林あり゛〈現 〈旧鎮座地〉出雲路の森〈茨田神社 旧鎮座地〉〉
゛綾戸明神゛〈現 綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)〉とする説もあるが その社伝にはなく おそらく廢絶したのであろう と記しています
【原文参照】
茨田神社
祭神
祭日
社格所在
今按 神社覈錄に築山村 今 茨田森と云 小林あり 是 舊跡也〔土人說〕
山城志に或云 在ニ 上久世村 今稱ニ 綾戸明神と云り 其證なければ今從はずと云り 京都府神社考證に北綾戸明神は 其 社傳に大井神社なりと云て 茨田の説聞くことなしとあるを考るに廢絶せしなるべし
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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山城国 式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)について に戻る
山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです
山城國 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)