飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)は 『延喜式927 AD.』巻八『出雲国造神賀詞』に「大穴持命が 賀夜奈留美命を飛鳥の神奈備に坐せて 皇孫命の近き守り神にした」とある伝承の社で『延喜式神名帳』所載の大和國 高市郡 飛鳥坐神社 四座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)(あすかにます かみのやしろ しくら)とされます
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
飛鳥坐神社(Asukaniimasu shrine)
[通称名(Common name)]
大神宮さん(だいじんぐうさん)
【鎮座地 (Location) 】
奈良県 高市郡明日香村飛鳥708
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)
大物主神(おほものぬしのかみ)
飛鳥神奈備三日女命(あすかのかんなび みひめのかみ)
高皇産霊命(たかみむすびのかみ)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・家内安全 商売繁盛 開運厄除 夫婦和合 身体健康 生育安全 念願成就等の御神徳
・「むすひの神」相ふさわしいものを結びつける子宝 安産 縁結びの神
・「創造・創作の導き神」
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
飛鳥坐神社(あすかに います じんじゃ)
御祭神
八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)
飛鳥神奈備三日女神(あすかのかんなび みひめのかみ)
大物主神(おおものぬしのかみ)
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)由緒
当神社の創建は定かではありませんが 古典によりますと 当社御祭神の事代主神は「大国主神の第一子で 国譲りの際信頼を受け 父神のご相談にのられました その後 首渠神(ひとごのかみ)として八十万の神々を統率し高市に集まり この天高市(飛鳥)に鎮まりました」とあります
また 先代旧事本紀には 「大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主神)は高津姫神を娶って一男一女を生み その御子神である事代主神が 高市社である甘南備飛鳥社に鎮座されている」と記載されています なお高市とは「うてなの斎場(いつにわ)」と呼ばれ 「小高い所にあるまつりの庭」を意味するといわれていますまた 万葉集の中でも「飛鳥の神奈備」は 人々の信仰も篤く「手向けの山」として数多く謳われています。
日本紀略によれば 天長六年(八二九)高市郡賀美郷(たかいちぐんかみのごう)にある神奈備山から 同郡同郷である 現在の地(鳥形山)に神託によって遷座されたことが記載されています また 廷喜式神名帳には「飛鳥社四座並びに名神大 月次 新嘗 相嘗」と記され 当時の神社の格付けの中で上位に置かれていたことが伺えます
古代より国・民の重要な守護神として この飛鳥に鎮まる当社には氏子はなく 創始以来お護りしてきた神主家は 神主太比古命が崇神天皇より「大神朝臣飛鳥直(おおみわのあそんあすかのあたい)」の氏姓を賜わり 「飛鳥」の姓で今に至っております 初代は 天事代主神から数えて七世に当たることが「世系図」や「新撰姓氏録」に記され 現在の宮司は八十七代目に当たります
御神徳
事代主神には「都味歯重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)」・「於天事代於虚事代玉籤入彦厳之事代主神(あめにことしろ そらにことしろ たまくしいりひこ いづのことしろぬしのかみ)」という尊称があり 天地・宇宙に広がる御神徳が 八重に積み重なっている神様です家内安全 商売繁盛 開運厄除 夫婦和合 身体健康 生育安全 念願成就等の御神徳があります
また「むすひの神」として 相ふさわしいものを結びつけるとされる
御神徳は 子宝 安産 縁結びの神として全国に広がっています なお「創造・創作の導き神」として芸術に携わる人々の信仰にもつながっています現地案内板より
【由 緒 (History)】
由緒
国のまほろば大和の国に 古代より皇室の守護神として鎮まります 当神社の主神、事代主神は恵美須神の御名で世に広く知られております。
大国主神の第一子で父神とともに力を合わせ、この国土を拓き民の衣、食、住は勿論、その他万物の生きるための基礎作りをされた大神であります。
古典によりますと、神代の昔 皇祖天照大神が皇国の基を定めようとされ、大国主神のもとに国土を天の神に奉るよう御使を遣わされました。大国主神はその事を事代主神に相談され、そのすすめによって国土を捧げられました。そうして大国主神は、わが子事代主神を数多くの神々の先頭に立たせ皇祖に仕えさせたならば、皇祖の国づくりに逆らう神は無いであろうと、皇室の近き守護神として事代主神とその妹神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈留美神)の神霊を奉齊なされたのが当神社の創建であって、実に神代から続いている大社であります。
前述のごとく、この飛鳥の地に永く都のあったことと 神代に当社がこの地に創建されたとする伝承とは決して偶然ではなく、すでに神代の昔から大和の国は将来都と定めるべき美地なることを父神の大国主神は予知されていたのであります。
以来 事代主神、飛鳥神奈備三日女神を始め四柱の神々は 協力して皇室の守護をはじめ、日本人に生活のあるべき道を教え、農業、工業、商業など、産業振興の神として、その由緒の顕著なことは多くの古書に記述されているところであります。
特に子宝、縁結び、厄除、治病、製薬、交通安全、商売繁昌、家内安全、夫婦和合等、専ら国利民福を図られ、その御神徳は著しいものであります。
当社は 天武天皇 朱鳥元年7月に天皇の御病気の平癒を祈る奉幣があったことにも示されるように、皇室の近き守り神として奉祀され、天長六年に神託により神奈備山より現今の鳥形山へ遷祀されました。
延喜式によれば名神大社に列し、祈年、月次、相嘗、新嘗、祈雨等の奉幣に預かり、祈年祭には特に馬一匹を加えられました。
正平元年8月 後村上天皇より金50枚を賜わり中ノ社が再建されております。このように朝廷でも一般でも広く尊崇せられたことが察せられます。
降って 寛永17年(1640)に植村家政が高取城主として封ぜられると、当社がその城の鬼門にあたるため、特に深く信仰されました。
元禄頃には 境内に末社50余社が存したが、享保10年(1725)に本社、末社ともに火災に会い、社殿の大部分が焼失したので安永10年(1781)城主植村出羽守家利が再建し、天明元年(1781)正遷宮が行なわれました。これが現存の社殿であります。このように古代から数々の変遷を経て今に至っています。主な祭典・神事
元旦祭〈1月1日〉当日早旦敬白文を奏す。天地四方を拝し、神前へ雑煮を奉る。
筆供養祭〈1月15日〉文化の発祥地としての飛鳥の地で筆にかかわりのある崇敬者が古筆を持ち寄り供養祭を執り行なう。
おんだ祭〈2月第1日曜〉春の始めにあたって五穀豊穣、子孫繁栄を祈る。参拝者は苗松、福の紙の授与を受けるため日本各地からどっと押し寄せる。夫婦をはじめ、人と人との和合のための祭ともされ、また、西日本三大奇祭の一つでもある。
祈年祭〈2月17日〉年祈の祭といい、年の始めに当たり、その年の豊作を祈願する大切な祭であります。日本は瑞穂の国とも云われ、我が国の最も重要な祭典であります。
交通安全祈願祭〈4月6日〉春の交通安全週間の初日に一年間の無事故、無違反を祈願する。新入園児に村内高齢者達が丹念に育てた「ひょうたん」を御守として授与する。
祖神祭〈4月15日〉御祭神の御神徳を仰ぎ感謝と益々の御守護を祈願する祭であります。特に大神様より口伝により社家に伝えられている「火傷の薬」が当日授与される。
大祓式〈6月、12月晦日〉無病息災と家運隆昌を祈念し、身体を清めることは勿論精神をも清め、清浄な心身に立ちかえり、新しい生活に踏み出すことを願う神事であります。
七夕祭り〈8月7日〉乞功ともいわれ昔から上達祈願を行なうが、短冊に縁結びをはじめいろいろの願いを祈願する。
七五三詣〈11月15日〉万民愛育の御神徳から三歳、五歳、七歳の子供達の成育の健かならんことを祈願する。
新嘗祭〈11月23日〉人間生活の道を守り導かれた大神様へ今年の新穀をお供えし、感謝をあらわすと共に、ひとしく国民の勤労をたたえる重要な祭典である。宝物・文書・記録
大神鏡 径122㎝ 厚6㎝ 量260㎏ 1面 神鏡 径45㎝ 4面 刀剣 6口 古銅印1個 麒麟欄間 左甚五郎彫刻なりと伝う1面 社家縁起 世系図 元禄以来の口宣案、神職裁許状等 その他 飛鳥井 当神社の前にあり、催馬樂詞に飛鳥井に宿りはすべし をけかけもよし 御水もよし 御秣もよし
釈超空歌碑
国文学者である折口信夫先生は当飛鳥坐神社の神主、飛鳥助信の子、造酒ノ介の孫に当たる。若き日の旅の道すがら秋深い飛鳥の里の風趣に思い沁みて詠まれ、古里に寄せる感愛が深くこめられてします。
ほすすきに 夕ぐもひくき 明日香のや わがふるさとは 灯をともしけり 超空他に花田比呂志、宮下歌悌、林光雄先生方の歌碑、句碑がある。神職・氏子
氏子はなく、飛鳥家が代々神職として奉祀されている。飛鳥氏は事代主命七世の孫たる直比古命が崇神天皇の時、飛鳥直の姓を賜はって神主になったと伝え、降って元禄12年(1699)第75代大神助継の時、神祇管領卜部家より正六位下土佐守に任ぜられ、累世付近諸社の神職をも勤めて現在に至っている。現在の宮司は87代目である。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照項目あり
飛鳥坐神社 四座 並名神大 月次 相嘗 新嘗
近鉄橿原神宮駅より東方約三.五メートル、飛鳥川東岸の多武峯山から西北に派生した尾根の先端に鎮座する。
祭神は 事代主神・高皇産霊神・飛鳥三日比売神・大物主神四紳であるが、『日本書紀』朱鳥元年(686)秋七月五日に飛鳥の四社に幣を奉られたとあるが、当時概に四座の神を祀っていたことを示している。
しかし神名については区々である。『出雲国造神賀詞』には、大穴持命が倭大物主櫛甕玉命を大御和の神奈備に、阿遅須伎高孫根命を葛木鴨の神奈備に、事代主命を宇奈提に賀夜奈留美命を飛鳥の神奈備に坐せて皇孫命の近き守り神にしたとあるのは、この四紳を当社に合祀した事を示すとの説もあるが、最初は賀夜奈留美命一座であったのでないか。それがいつのころか四神となった。
『高市郡神社誌』では飛鳥三日比売命とは賀夜奈留美命だとあるが、当社の主神であったのを忘れられて事代主命を主神と見ることになったとも見られる。
『日本紀略』の天長六年(829)三月十日の条に「大和国高市郡賀美郷甘南備山飛鳥社、遷同郡同郷鳥形山、依神託宣也」とあるように当社は甘南備から遷祀したものである。旧甘南備山については今の雷丘・甘樫丘・橘のミハ山など諸説あって定め難い。
貞観元年(859)九月八日他の四十二社と共に遣使奉幣して風雨の祈りをされている(『三代実録』)し、『延喜式』神名帳には名神大社として月次相嘗新嘗に案上官幣に預かる旨記されている。特に四時祭上の祈年祭の項には水分十九社の一として馬一疋を加うとある。
毎年二月の第一日曜日(従来は旧正月十一日)に古式にしたがって御田植祭が営まれ、豊年を予祝する夫婦和合の神事として名高い。
『奈良県史 第五巻 神社』〈平成元年出版〉より抜粋
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・祓戸神社《主》瀬織津比咩神,気吹戸主神,速開都比咩神,速佐須良比咩神
・白髭神社
・八十萬神社
・八幡神社《主》応神天皇,仲哀天皇,神功皇后
・石神と二祠
・五祠
・中の社 八阪神社・金比羅神社《主》大国主神,大物主神
その間に陽石・陰石
・奥の社 皇太神社・奥の大石《主》天照皇太神,豊受皇太神
・陽石と陰石の並ぶ参道
その他
・稲荷社《主》倉稲魂神
・宇賀御魂神社《主》神武天皇
・八神殿《主》高皇産霊神,神皇産霊神,足産霊神,大宮売神,魂留産霊神,生産霊神,天之事代主神,御膳神
・飛鳥山口神社《主》大山津見乃神 久久乃知之神 猿田彦乃神《式内社》
・飛鳥山口坐神社(明日香村飛鳥)〈飛鳥坐神社 境内〉
飛鳥山口坐神社(あすかやまぐちにますじんじゃ)〈飛鳥坐神社 境内〉は 『延喜式』「第8巻 祈年祭祝詞」に「山口坐皇神 等能前白久 飛鳥 石村 忍坂 長谷 畝火 耳無 御名者白」とあり「大和六所山口神社」とされます 大和國 髙市郡 飛鳥山口坐神社(大月次新嘗)(あすかやまくちにます かみのやしろ)とされます
飛鳥山口坐神社(明日香村飛鳥)〈飛鳥坐神社 境内〉
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
旧鎮座地「神奈備山」について
いくつか候補地があり 今の雷丘・甘樫丘・橘のミハ山など諸説あって定めがたい
飛鳥坐神社の酒殿跡とされる「酒船石(さかふねいし)」
・酒船石(明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡〉
酒船石(さかふねいし)は 長さ約5.5m 幅約2.3m、厚さ約1mの大きさで 上面に丸いくぼみ それにつながる溝が直線で刻まれています 飛鳥坐神社の旧酒殿跡とも御旅所跡とも 飛鳥山口坐神社の旧鎮座地とも云われます 第37代 斉明天皇が 豊穣の祈願などさまざまな祭祀をここで行ったともされますが 用途は不明です
酒船石(明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 二月祭 祈年祭
〈飛鳥山口坐神社のこと〉祈年祭の項に 水分十九社の一として馬一疋を加う と記されます
【抜粋意訳】
髙御魂神(たかみむすひのかみ)・大宮女神(おほみやのめのかみ) 及び
甘樫(あまかし)飛鳥(あすか)石根(いはね)忍坂(をさか)長谷(はせ)
吉野(よしの)巨勢(こせ)賀茂(かも)当麻(たひま)大阪(おほさか)膽駒(いこま)都祁(つき)養布(やふき)等の山口に吉野(よしの)宇陀(うだ)葛木(かつらき)竹糸(たけいと)等の水分(みまくり)十九社には 加(くわえる)に 馬一疋を
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭
月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」
大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています
【抜粋意訳】
月次祭(つきなみのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所
坐別に絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両・・・・云々
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻2「四時祭下」中の「相嘗祭神七十一座」
【抜粋意訳】
相嘗祭神七十一座
飛鳥社(あすかのやしろ)四座
絹(キヌ)8疋 絲(イト)12絇 綿12屯 調布12端 唐布6段8尺 木綿6斤8両 鮑2斤8両 堅魚8斤10両 腊(きたい)〈干し肉〉2斗 海藻8斤10両 塩4斗 筥4合 瓼(サラケ)缶(モタイ) 水瓫(ホトギ)山都婆波 小都婆波 筥瓶 酒垂匜等 呂須伎 高盤片盤 短女杯 筥杯 小杯 酒杯 陶曰 各8口 酒稲200束 百束は神税 九十二束は正税
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭
新嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り
大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する
【抜粋意訳】
新嘗祭(にいなめのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所
座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
【抜粋意訳】
巻3 名神祭 二百八十五座
・・・・
・・・・
飛鳥神社 四座(あすかの かみのやしろ しくら)
・・・・
・・・・座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺 綿(ワタ)1屯 絲(イト)1絇 五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺 木綿(ユウ)2兩 麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉
加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺 絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)髙市郡 54座(大33座・小21座)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 飛鳥坐神社 四座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)
[ふ り が な ](あすかにます かみのやしろ しくら)(みょうじんだい つきなみ あいなめ にいなめ)
[Old Shrine name](Asukani masu kamino yashiro shikura)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式』〈延長5年(927)〉巻八『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)』に記される伝承
「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」と書かれ
大国主神が 皇室の守護神として 賀夜奈流美命の御魂を 飛鳥の神奈備に奉斎したと記されます
【抜粋意訳】
延喜式 巻8 神祇 祝詞 出雲国造神賀詞
その時 大穴持命は 御自分の和魂を 倭の大物主なる櫛厳玉命と御名を唱え 大御和の社〈大神神社〉に坐(ましま)す
御自分の御子 阿遅須伎高孫根命(あぢしきたかひこねのみこと)の御魂を葛木の鴨の社〈高鴨神社〉に坐(ましま)す
事代主命(ことしろぬしのみこと)の御魂を宇奈提〈河俣神社〉に坐(ましま)す
賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の社〈飛鳥坐神社〉に坐(ましま)す
〈御自分の和魂と三柱の御子神を〉皇御孫命〈天皇〉の守護神として置かれた
〈御自分は〉杵築宮〈出雲大社〉に坐(ましま)す
【原文参照】
『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)』に記される
大穴持命が〈御自分の和魂と三柱の御子神を〉皇御孫命〈天皇〉の守護神として置かれた4つの神社と御自分の鎮まる出雲大社について
⑴御自分の和魂祀る 大御和の社〈大神神社〉に坐(ましま)す
〈延喜式内社〉大和國 城上郡 大神大物主神社 名神大 月次相嘗新嘗
・大神神社(桜井市三輪)
大神神社(おおみわじんじゃ)は 『記紀神話』に創建に関わる伝承が記されており 『延喜式』には名神大社と所載される 大和国一之宮です 古来から本殿は設けず 拝殿の奥にある三ッ鳥居を通し 三輪山〈御神体〉に祈りを捧げる原初の神祀りで 我が国最古の神社と呼ばれています 神社の社殿が成立する以前の祭祀の姿を今に伝えています
大神神社(桜井市三輪)〈三輪山を〈御神体〉とする大和國一之宮〉
⑵御自分の御子 阿遅須伎高孫根命(あぢしきたかひこねのみこと)の御魂を葛木の鴨の社〈高鴨神社〉に坐(ましま)す
〈延喜式内社〉大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗
・高鴨神社(御所市鴨神)
高鴨神社(たかかもじんじゃ)は 阿遅志貴高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)別名 迦毛之大御神〈かものおほみかみ〉を祀ります 記紀神話に 大御神と名のつく神は 天照大御神 伊邪那岐大御神と同神の三神のみ 死した神々をも甦えらせる御神力の強き神で『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の大和國 葛上郡 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗とされます
高鴨神社(御所市鴨神)
⑶事代主命(ことしろぬしのみこと)の御魂を宇奈提〈河俣神社〉に坐(ましま)す
〈延喜式内社〉大和國 高市郡 高市御縣坐鴨事代主神社 大
・河俣神社(橿原市雲梯町)
河俣神社(かわまたじんじゃ)は 『出雲国造神賀詞』に「事代主命(ことしろぬしのみこと)の御魂を宇奈提(うなて)に坐(ましま)す」と記され《式内社》髙市御県坐鴨事代主神社 大月次新嘗(たかいちの みあかたにます かものことしろぬしの かみのやしろ)に比定されます また《式内社》川俣神社三座 並大月次新嘗(かわまたの かみのやしろ)の論社でもあります
河俣神社(橿原市雲梯町)
⑷賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の社〈飛鳥坐神社〉に坐(ましま)す
〈延喜式内社〉大和國 高市郡 飛鳥坐神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗
・飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)は 『延喜式927 AD.』巻八『出雲国造神賀詞』に「大穴持命が 賀夜奈留美命を飛鳥の神奈備に坐せて 皇孫命の近き守り神にした」とある伝承の社で『延喜式神名帳』所載の大和國 高市郡 飛鳥坐神社 四座(並名神大 月次 相嘗 新嘗)(あすかにます かみのやしろ しくら)とされます
飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)
・酒船石(明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧鎮座地〉
酒船石(さかふねいし)は 長さ約5.5m 幅約2.3m、厚さ約1mの大きさで 上面に丸いくぼみ それにつながる溝が直線で刻まれています 飛鳥坐神社の旧酒殿跡とも御旅所跡とも 飛鳥山口坐神社の旧鎮座地とも云われます 第37代 斉明天皇が 豊穣の祈願などさまざまな祭祀をここで行ったともされますが 用途は不明です
酒船石(明日香村岡)〈飛鳥坐神社 旧酒殿跡〉
⑸〈御自分は〉杵築宮〈出雲大社〉に坐(ましま)す
〈延喜式内社〉出雲國 出雲郡 杵築神社 名神大
・出雲大社(出雲市)
出雲大社(いずも おおやしろ)は ”遠き神代に 国を譲られた”「大国主大神(おほくにぬしのおほかみ)」の偉業と その誠に感謝なさって 「天神(あまつかみ)」が 天日隅宮(あめのひすみのみや)を献上されたことに始まるとされています
出雲大社(出雲市)【前編】
詳しくは
出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について
出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています
出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄橿原線 橿原神宮駅から東へ約4.4km 車10分程度
旧鎮座地「神奈備山」には いくつか候補地があり その内の有力候補 雷地区にある「雷丘(いかづちのおか)」を曲がり 南下します
甘樫丘(あまかしのおか)からは 東1km程 徒歩15分程度
飛鳥の古い街並みを抜けて進みます
『日本紀略』に記されている「鳥形山」にあたる丘の上に鎮座しています
丘の西側が社頭となっていて 西向きに鳥居が建っています
社号標には「式内大社 飛鳥坐神社」とあります
飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)に参着
すぐ左手に手水舎があり清めます 飛鳥坐神社の酒殿跡とされる「酒船石(さかふねいし)」をイメージして 岩の上に穿たれた溝を水が流れる手水舎です
一礼をして鳥居をくぐります 扁額には「飛鳥社」と記されています
鳥居をくぐると左手が社務所になって居ますが 玄関には 表札がかかり「飛鳥」となっています これは由緒にある通り
「氏子はなく、飛鳥家が代々神職として奉祀されている。飛鳥氏は 事代主命七世の孫たる直比古命が崇神天皇の時、飛鳥直の姓を賜はって神主になったと伝え、降って元禄12年(1699)第75代大神助継の時、神祇管領卜部家より正六位下土佐守に任ぜられ、累世付近諸社の神職をも勤めて現在に至っている。」
参道を進むと階段途中に民俗学者・国文学者である折口信夫博士の歌碑がある
「ほすゝきに 夕ぐもひくき 明日香のや
わがふるさとは 灯をともしけり 迢空」
坂を上っていく途中に 万葉歌碑
みもろは 人の守る山
もとへは あしひ花さき
すゑへは 椿花さく
うらくはし 山そ
泣く子守る山 八一三諸者 人之守山 本邊者 馬醉木花開
末邊方 椿花開 浦妙 山曾 泣兒守山 (巻13-3222)
會津八一の墨蹟を集字したものです
神の山の春の装いを賛美しています。
いくつか石段を上り北側の石段上に南向きに社殿が建っています
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
丹生川上神社上社 がダム建設に伴う遷座の際に譲渡された社殿は 大正六年(1917)に建立された
やはり 水分(みまくり)の神としてのご縁なのだろうか
拝殿後方に鎮座する本殿は 瑞垣で見ることができません
南側に 社殿と向かい合い神楽殿が北向きに建っています
社殿の横に 万葉歌碑
斎串立て 神酒すゑ
奉る 神主部の うずの
玉蔭 見れば ともしも五十串立 神酒座奉 神主部之 雲聚玉蔭 見者乏文 (巻13-3229)
神主が神を祭るときの様子を描き その髪飾りに心がひかれることを詠んでいます。
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉』に記される伝承
天武天皇の病気平癒の祈願がなされ 幣帛が奉られた と記しています
【抜粋意訳】
天武天皇(即位15年)朱鳥元年(686)秋7月5日〈癸卯〉の条
幣帛(みてぐら)を
紀伊国(きいのくに)の国懸神(くにかかすかみ)〈國懸神宮〉
飛鳥四社〈飛鳥坐神社四座〉
住吉大神〈住吉大社〉に奉られた
【原文参照】
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
畿内に鎮座する42の神々と共に 遣使奉幣して風雨の祈り が記されます
【抜粋意訳】
貞観元年(859)九月八日庚申の条
山城國 月讀神・・・
大和國 大和神・・・飛鳥神・・・
河内國 枚岡神・・・
和泉國 大鳥神
摂津國 住吉神・・・名次神等に
遣使 幣(みてぐら)を奉る 為に 風雨を祈る焉
【原文参照】
『日本紀略(nihonki ryaku)』〈11世紀後半~12世紀頃 編纂と伝わる〉に記される伝承
神託により 甘奈備山より 現在の鳥形山へ遷座した と記しています
【抜粋意訳】
天長六年(829)
三月 庚辰
地大震〈大地震あり〉三月 己丑
大和国の高市郡 賀美郷 甘南備山(かんなびやま)飛烏社(あすかのやしろ)遷座(せんざ) 同郡同郷 鳥形山(とりがたやま)依(より)神託(しんたく)宣(のたまう)なり
【原文参照】
『大和名所図会(Yamato Meisho Zue)』〈寛政3年(1791年)刊〉に記される伝承
祭神は 本社四座 事代主神 高照光神 建御名方神 下照姫命
酒殿は 岡村のうえにある大石〈現 酒船石(明日香村岡)〉であるという
絵図は 現在とほとんど同様の神社の様子が記されています
【意訳】
飛鳥坐(あすかにいます)神社
飛鳥村にあり
神名帳出 四座合殿 小祠五十余り
又 酒殿は岡村のうえにあり大石あり 縦一丈五尺 横五尺 石面に槽七道が彫刻をされており 枡酒がこした沃宿をといふ本社四座 事代主神 高照光神 建御名方神 下照姫命
中社二座 素戔嗚尊 大己貴神
奥社二座 天照太神宮 豊氣太神宮
末社 八十座
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
祭神について「事代主命、相殿三座詳ならず」と記しています
【抜粋意訳】
飛鳥坐神社四座 並名神大月次相嘗新嘗
飛鳥は阿須加と訓べし
○祭神 事代主命、相殿三座詳ならず
○飛鳥村に在す、大和志、同名所図会
〇式二、四時祭下 相嘗祭 神七十一座、飛鳥社四座、」
同三、臨時祭 名神祭 二百八十五座、中略、大和國 飛鳥神社四座、」
同 祈雨祭 神八十五座 並大 云々、飛鳥社四座、
〇旧事紀、地神本紀 都味歯八重事代主神、坐ニ 倭国 高市郡 高市社、亦云ニ 甘南備飛烏社、
頭注に、高市社云ニ甘南備飛鳥社とあるは、亦の字脱たるなるべし、また飛鳥社 賀夜奈流美命といへるも、疎漏なる書欄にて解しがたし、
〇式八 祝詞 出雲国造神賀詞に、己命乃御子、事代主命能御魂 乎 宇奈提爾坐、祝詞考に、宇奈提乃神南備に作る、賀夜奈流美命能御魂乎、飛鳥乃神南備爾坐天云々、
〇類聚三代格一、貞観十年六月二十八日、太政官符、応以ニ大社封戸修理小社事、四箇条の初段 云々、其祖神 則貴而有封、其裔神 則微而無封、假令 飛鳥神之裔天太玉、櫛玉、白瀧、賀屋鳴比女、此等類也、云々、
〇姓氏録、大和国神別 飛鳥直、天事代主命之後也、
考証に、社司云、四座 事代主命、建御名方命、高照姫命、下照姫命也、
此説 與格文不合恐非也乎、と云へる却て非也、
然るは 此四座を除きて如何いはんや、己が考を以て、飛鳥神者 高皇産霊尊、大己貴命也 明矣といへど、さては二座たらず、且 高皇産霊 大己貴といふ事、古書に見えず、此社司は 累世連綿の家なれば、古傳の遺れる事ありて、事代主 及 四神と云ならんには、是ぞ正しかるべき、
連胤、云、神賀詞に事代主命能御魂乎宇奈提爾坐といひ、
和名鈔、郷名部 高市郡雲梯(宇奈天)と、あるに、此帳 宇奈提といふ社なきに惑ひて、考証は 高市御縣社とす、古事記伝十一 六十六丁に、万葉七に、真鳥住卯名手之神社之云々、十二に、不想乎想当云者、真鳥住卯名手乃杜之神思將御知、などよめる神社の御事と聞えたり、然るに式に此社の戴ざるは、いといと不審きわざならずや、此事は師も疑ひ志かれき、
又 かの神賀ノ文の連に、賀夜奈流美命能御魂乎、飛鳥乃神奈備爾坐天とあるも、式に高市ノ郡伽夜奈留美命神社は別に有て、飛鳥ノ神社とは異なれば、此又いぶかしきことなり、
故つらつら思ふに、彼文は、事代主ノ命能御魂乎、飛鳥乃神奈備爾坐、賀夜奈流美命能御魂乎、宇奈提爾坐天、とあるべきがまがひで、誤れる物なるべし、其故は、飛烏ノ神社ぞ事代主ノ命にて、加夜奈流美ノ神社は、雲梯村にありと、今國人も云り、弘仁十三年四月官符に、賀屋鳴比女社とあるは、決て此神社と聞えたるに、此を飛鳥ノ神の裔神の由あり、然るを彼ノ神賀ノ文の如くならば、賀夜奈留美ノ命即飛鳥神なれば、裔神たること違ヘり云々、此は彼村飛鳥に近く、又名の似たる故に、彼ノ神賀ノ文と合せて、推当に定めつるならむと云り、鎮坐
日本紀略、天長六年三月己丑、大和國高市郡賀美郷甘南備山飛烏社、遷同郡同郷鳥形山、依神託宣也官幣
日本紀、天武天皇朱鳥元年七月癸卯、奉幣飛鳥四社、』
三代実録、貞観元年九月八日庚申、大和國飛鳥社、遣便奉幣、為風雨祈焉、
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
四座の祭神について 現在とは異なり
事代主(コトシロヌシノ)命
建御名方(タケミナカタノ)命
高照比費(タカテルヒメノ)命
下照比資(シタテルヒメノ)命 と記しています
【抜粋意訳】
飛鳥坐(アスカニマス)神社 四座 並名神大月次相嘗新嘗
祭紳 事代主(コトシロヌシノ)命
建御名方(タケミナカタノ)命
高照比費(タカテルヒメノ)命
下照比資(シタテルヒメノ)命今按〈今考えるに〉
祭紳四座は 神伝 右の如し事代主命のことは 旧事記に都味歯八重事代主紳 坐 倭國 高市郡 高市社 亦云 甘南備飛鳥社とみえたるが如し 又 出雲国造神賀詞に賀夜奈流美命能御魂乎飛鳥乃神南備坐 また三代格に飛鳥紳之裔天太玉臼瀧賀屋嗚比女とあるによらば この神も当社にますべきを社伝にみえざるは如何あらむ 是に因て紳名帳考証に此説 興格文不合非也乎とあるを 神社覈録に この社司は累世連綿の家なれば 古傅の遺れることありて云るなるべけれぱ 是ぞ正しかるべきと云り 叉 古事記伝に神賀詞に賀夜奈流美命能御魂乎飛鳥乃神奈備坐天とあるも 式に高市郡 加夜奈留美神社は別にありて 飛島神社とは異なれぱ此叉いぶかしきこと之故つらつら思ふに 彼文は 事代主命能御魂乎 飛島乃神奈備爾坐 賀夜奈流美命能御魂乎 字奈堤爾坐天とあるべきがまがひて誤れるものなるべし 其故は 飛鳥神社ぞ事代主命にて加夜奈美神社は雲梯村にありと 今 國人も云り
弘仁十三年四月官符に賀夜鳴比女社 とあるは決て この神社と聞こえたるに 之を飛鳥神の裔神の山あり 然るを彼 神賀文の如くならば 加夜奈留美命 即ち飛鳥神なれば裔神たること遠へりと云れど 実は事代主神も加夜奈留美命も飛鳥社にまして 加夜奈留美は格文に賀屋嗚比女とある如く 比女神と聞ゆれば もしくは社伝に 所謂 下照比賣命に賀夜奈流美神社は神賀詞に云るとは同神ながら別に祭れる社なるべし官幣 天武天皇朱鳥元年七月癸卯、奉幣飛鳥四社焉
祭日 一月十一日 十一月朔日
社格 村社
所在 飛鳥村 字神奈備 又 諸神岳と云(高市郡飛鳥忖大字飛鳥)今按 日本紀略 天長六年三月 巳巳大和國高市郡賀美郷 廿南備山飛鳥社遷於同郡同郷鳥形山依神託宜也とあるは今地なるべし附て考に備ふ
【原文参照】
『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承
四座の祭神について 複数説あるが
第一 杵築大己貴命、
第二 神南火飛鳥三日女神。
第三 上鴨味耜高彦命。
第四 下鴨八重事代主命
と記しています
【抜粋意訳】
飛鳥坐(アスカニマス)神社
飛鳥村大字飛鳥ノ烏形山と称す。今 これに従う。
延喜式神名帳に「飛鳥坐神社 四座(名神大 月次 相嘗 新嘗)」と見え、名神大社にして月次 相嘗 新嘗の官幣に預れり。
もと飛鳥山 一名 神名備山にありしを 天長六年ここに移す。
日本紀略に「天長六年三月己丑 大和國高市郡賀美郷甘南備山飛烏社 遷同郡同郷鳥形山 依神託宣也」と即ちこれ。今 指定村社たり。創立 祭神
大神分身類社鈔 文永年中 率川阿波社司 大神家次に「飛鳥坐神社 四座 大和國高市郡 亦曰に 遠飛鳥神社 共名神大 月次 相嘗 新嘗 鴨都味歯八重事代主命 考昭天皇御宇 造るに神殿奉るに勧請 高照光姫命、木俣命、建御名方富命」とあり、これに依れば 事代主命は 考昭天皇の御宇 創祀せられたるものにして、その遠飛鳥社の名称は同記を案ずるに 高市御縣坐鴨事代主社を近飛鳥社と称するに対するのみ。事、彼の社の下に詳なり。
但し配祀の三神に異説あり、
廣大和名勝志に引ける飛鳥社略縁起 大神土佐に「本社四座、事代主神、高照比賣命、建御名方命、下照姫命」と見ゆ。
伴信友が神名帳考証に社司の伝説として引けるも亦これに同じ。
然れども五郡神社記に拠るに、高照比賣は加夜奈留美命社に祭られ、下照姫は宇須多伎比賣命社に祭られ、各々別に社殿を有し 共に延喜式内社たり。将た建御名方命は別宮と称し 本社の東南隅に在りとすれば 三神当社に祭らるべき理由なし。顧ふに これ等の社頭退転し、名称・位置を失いし後 終いに本社の祭神と混沌せるものならん。今は事代主神・髙皇産霊神・天照大神を祭るも、その髙皇産霊神・天照大神は記録に所見なし。何れに拠るを知らず。
案ずるに 五郡神社記に「飛鳥坐六箇處神社、帳云。飛鳥坐六箇處神社 四座在に加美郷 鳥形山 尾前。
社家者説に和邇古邊曰、飛鳥坐六箇處神社 四座、
第一 杵築大己貴命、
第二 神南火飛鳥三日女神。
第三 上鴨味耜高彦命。
第四 下鴨八重事代主命 也。己上詳載に於 飛鳥崇秘 神号 私考
〇以下は加夜奈留美、宇須多伎の二社を謂う・・・・
又 案するに 第二 飛鳥三日女神者 天照大日孁尊の隠号なり云々」と見ゆ。宜しくこれを以って正となすべし。奉幣
日本書記曰 朱鳥元年七月癸卯、奉幣・・・飛鳥四社
三代実録曰 貞観元年九月八日庚申 大和國・・飛鳥社・・遣便奉幣、為風雨祈焉
【原文参照】
飛鳥坐神社(明日香村飛鳥)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る
大和国(やまとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 大和國の286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)の神社のことです
大和国 286座(大128座(並月次新嘗就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)