実践和學 Cultural Japan heritage

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朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)〈『延喜式』朝椋神社〉

朝椋神社(あさくらじんじゃ)は 社傳には「神代 大國主命が伯耆國より難をさけ 紀伊國の大屋毘古神(伊太祁曽神)を訪れた時 此地來くると「天つ空なほ明けやらで物の色さへ わからなかったので其地をさして朝暗(あさくら)と名付けた」と云う 延喜式内社 紀伊國 名草郡 朝椋神社(あさくらの かみのやしろ)です

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

朝椋神社(Asakura shrine

通称名(Common name)

・鷺ノ森明神(さぎのもりみょうじん)

【鎮座地 (Location) 

和歌山県和歌山市鷺ノ森明神丁22番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大国主命 (おくにぬしのみこと)

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別説に土佐の「朝倉神社」「天石門別安國玉主天神社」の関係が示唆されています

『紀伊続風土記』『特選神名牒』等は 土佐 朝倉神社の祭神と同神〈天石門別神の子 天石帆別神〉
《主》天石帆別命〈天津羽々神

『古屋家家譜』は 大伴氏の祖神として 土佐 天石門別安國玉主天神社の祭神
《主》天石門別安国玉主命

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『和歌山市の神社』昭和19年(1944)〉に記される内容

【抜粋意訳】

朝椋(あさくら)神社

所在地 和歌山市鷺ノ森明前丁(市電宇治停留所下車南へ入る)

社 格 村社

祭 神 大國主命

 本社は「鷺ノ森明神」と呼ばれてゐる。社傳によると大國主命 伯耆の國より難をさけて、この國の大屋毘古(おほやびこ)神(伊太祁曽神)の許に來り給ふとき天つ空なほ明けやらで物のいろさへ わからなかったので其地をさして朝暗(あさくら)となづけられたという。

 後、ここに社を建て命を祀り朝椋神社と稱へ奉った。上古、鎭西将軍 兵を率いて神前を過ぎ下馬牓(げばふだ)を犯して馬より墜ち おそれかしこみて凱旋の後、本社を建造した。
天正年間兵亂にかかり社領等没収せられ後、桑山氏再建せるも火災にかかり 徳川氏また再營して ようやく荘麗を加えた。有名な靈松は大正六年 白蟻のため枯死した。大正十三年 境内を整理し本殿を移転修築し 幣殿其他を新營した。境内神社十社、内町西一圓、宇治、内東、始成、番丁の一部の産土神、氏子数三千戸。
(例祭日 十月十五日)

【原文参照】

和歌山市学務課 編『和歌山市の神社』,和歌山市,昭和19. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1091128

【由  (History)】

由緒

 和歌山県神社明細帳(明治12)によると「勧請年月不詳、延喜式名草郡 朝椋神社、紀伊国神名帳従四位上 朝椋神、紀州名勝志 朝椋神社伝へ曰ク上古 鎮西将軍不何御子知何許人攻代之砌為寂勲故ニ建造、寛弘2年5月摂社修葺云々。

マタ永徳2年5月、應永18年4月、永享10年12月、康正3年8月、永正年間等造営ノ事アリ。ソノ後天正12年国乱ニ罹リ社領等掠取ラレ、当時ノ神官杉原景政秘ニ神櫃ヲ負テ山林ニ隠ル。海部郡栄谷村渓間有国津神谷号神櫃暫鎮坐ノ地。」という。

その後 文禄五年、桑山修理大夫宗栄再建。萬治2年12月、旧殿回禄に罹り徳川氏再営す。明治6年4月、村社と記されている。

また紀伊続風土記には往古境内に「社霊の松」として松の大樹あり、本居宜長の献詠歌に「広まえに緑も深く枝たれてよにめずらしき神かきの松」と記し奉献いるとある。昭和20年7月戦災に罹り焼失し、昭和36年現社殿が再建された。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

朝椋神社(あさくらじんじゃ)

 平成29年(2017)3月 和歌山市教育委員会

 本願寺鷺森別院(さぎのもりべついん)北東の鷺ノ森明神丁(さぎ゛のもりみょうじんちょう)に位置する大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る朝椋神社は和歌山城下町北部の産土神(うぶすながみ)です。『紀伊国名所図会(きいのくにめいしょずえ)』では神社の鳥居の内側には門があり、その門の傍(そば)には松の大木がありました。また、朝椋神社と鷺森御坊(さぎのもりごぼう)の間には、神社に背を向けた建物が並ぶ片町(かたまち)があり、この絵を見れば「片町」の名の由来がよくわかります。

 この「片町」のほか、「新道」「堂前丁(どうまえちょう)」「中ノ丁」「東ノ丁」「西ノ丁」「南ノ丁」「明神丁」「専光寺門前丁」「曲尺丁(さしがねちょう)」の10町は永禄(えいろく)6年(1563)に秋葉山から鷺森に移ってきた御坊(鷺森御坊)を中心とする寺内(じない)とよばれる鷺森御坊地内の地名です。第二次世界大戦後の土地区画整理事業によって寺内の街路は大部分が付け替えられましたが、地名はそのまま残りました。

【周辺の文化財】

 本願寺鷺森別院は永禄6年(1563)に秋葉山から鷺森に移ってきた御坊(鷺森御坊)を前身とします。この鷺森御坊を含む鷺ノ森遺跡(さぎのもりいせき)は弥生時代~江戸時代にかけての複合遺跡でこれまでに10数度の発掘調査がおこなわれています。平成4年(1992)の城北公園の発掘調査では中橋筋と(なかばしすじ)交差する鍛冶屋町通の道路跡が検出されました。町人町は、通を挟んで向かい合う町並みを一つの街とする路線式町割で、町と待ちの間には背中合わせに「大水道」と呼ばれる排水施設が通っていました。東鍛冶屋町と西ノ店(たな)の町境で検出された「大水道」の一部は伏虎義務教育学校の敷地に接する場所に移設されています。また、現在の中橋線を南下すると史跡和歌山城があります。

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・〈境内社〉神明神社《主》天照大御神(あまてらすおみかみ) 豊受大御神(とようけのおみかみ)
・〈境内社〉子守勝手社《主》天之水分神(みくまりのかみ) 国之水分神(くにのみまくりのかみ)

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)紀伊國 31座(大13座・小18座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)名草郡 19座(大9座・小10座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 朝椋神社
[ふ り が な ](あさくらの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Asakura no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載「アサクラ ノ カミノヤシロ」の名称を持つ式内社について

『延喜式神名帳』に所載「アサクラ ノ カミノヤシロ」の名称を持つ式内社は 三つあります
各々の論社について 下記の記事を参照

延喜式内社 山城國 久世郡 且椋神社(あさくらの かみのやしろ)

・旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)

延喜式内社 紀伊國 名草郡 朝椋神社(あさくらの かみのやしろ)

・朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)

一緒に読む
朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)〈『延喜式』朝椋神社〉

朝椋神社(あさくらじんじゃ)は 社傳には「神代 大國主命が伯耆國より難をさけ 紀伊國の大屋毘古神(伊太祁曽神)を訪れた時 此地に來くると「天つ空なほ明けやらで物の色さへ わからなかったので其地をさして朝暗(あさくら)と名付けた」と云う 延喜式内社 紀伊國 名草郡 朝椋神社(あさくらの かみのやしろ)です

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延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)

・朝倉神社(高知市朝倉)

一緒に読む
朝倉神社(高知市朝倉)〈『延喜式』朝倉神社〉

朝倉神社(あさくらじんじゃ)は 神社後方の赤鬼山を神体山として朝日さす南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を建てられたと伝わります 天津羽羽神を祀り 後の世の遷座もなく 古代より此処に鎮座まします延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)で 土佐国中でも稀な古社です

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

南海電鉄 和歌山市駅から東へ約600m 徒歩での所要時間9~10分程度

境内の西側に 社頭が西向き

朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)に参着

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜け 参道を進みます
左手には社務所

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境内は広くありませんが 二の鳥居もあり くぐり抜けます
手水舎の前には〈境内社〉神明神社があります

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二の鳥居をくぐり抜けると すぐに手水舎があり 清めます

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 朝椋神社について 所在は゛宇治郷鷺森に在す、゛〈現 朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)〉と記しています

【抜粋意訳】

朝椋神社

朝椋は阿左久良と訓べし、和名鈔、〔郷名部旦來、

○祭神 大己貴命〔社傳〕

○宇治郷鷺森に在す、〔名勝志、神社録、〕
例祭 年中四箇度、

 社記云、〔神社録所ニ 引用〕大己貴神、欲見ニ 兄五十猛命 而到ニ 紀伊國、來ニ 此地時、天未 辨 色平原花木深、神將欲 住ニ 此地、故號ニ 其地 曰ニ 朝暗、後建 祠而祀ニ 大己貴命、故因曰ニ 朝掠社 據ニ 古事記、御祖神言、汝在ニ 此間 遂爲ニ 八十神所ニ 滅矣、乃速遣ニ 於紀國之 大屋彦神之御前 云云、當社 古號ニ 朝椋森、亦稱ニ 神主森、文祿年間、治部法印桑山宗榮、和歌山城ヲ鎭スル時、白鷺爲 群城頭ニ 集ル時、以テ瑞トス、因テ當社ヲ奉崇シ、永ク鎭府ノ神トシ、多ク神田ヲ寄ス、後又 新ニ 殿宇ヲ營ス、其棟簡今存ス、

類社
 山城國久世郡 旦掠神社の條見合すべし

神位
 本國神名帳、從四位上朝掠神、
 

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 朝椋神社について 所在は゛今 宇治村の鷲森にあり、驚森神といひ、又 國主大明神といふ、゛〈現 朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)〉と記しています

【抜粋意訳】

巻之十九 紀伊國 名草郡

朝椋(アサクラノ)神社

 宇治村の鷲森にあり、驚森神といひ、又 國主大明神といふ、

本國にて國主明神と云は大國主神也、
故に刺田比古神社の相殴に大國主坐すを以て、之をも國津明神と云り、〔南紀名勝志、神名帳考証、紀伊式社考、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 朝椋神社について 祭神について 土佐國の式内社 朝倉神社と同神 天石帆別命ではないだろうかと考証しています

所在は゛宇治村鷺森 (和歌山市片岡町大字鷺森明神町)゛〈現 朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)〉と記しています

【抜粋意訳】

朝椋神社

祭神

 今按 紀伊續風土記 鷺森にあり 此地  櫲(よしょう)の大樹あり 白鷺 常に其上に群集る 土人仍て鷺森神社と云 又 九頭大明神と稱す 宇治内野産土神なり 按るに延喜式 土佐國土佐郡 朝倉神社あり 此御神と同神にて天石帆別命を祀るならん 天石帆別命は國栖の祖神なるを以て 國栖明神と稱し二郡中 九頭神多くして 唱への近きに因て誤り混して九頭明神となししなりと云て 祭神 天石帆別命にて國栖の祖と定めたれと姓氏錄に國栖 出自 石穂押別神とみえて 天石帆別命とは もとより別神なるを混らして云るは誤れり 式社考には祭神 大國玉命としたるは 此國にて國津明神と云ふは 大國主神を祭る故に云るなるへし されと土佐朝倉神社の祭神と同じく天石帆別命と定むへき款

祭日
社格 村社
所在 宇治村鷺森 (和歌山市片岡町大字鷺森明神町)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神) (hai)」(90度のお辞儀)

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紀伊国 式内社 31座(大13座・小18座)について に戻る

一緒に読む
紀伊国 式内社 31座(大13座・小18座)について

紀伊国(きいのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 紀伊国(きいのくに)には 31座(大13座・小18座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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  • B!

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