実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

青沼浅間神社(甲府市)

青沼浅間神社(あおぬませんげんじんじゃ)は 社伝によれば「貞観7年 平安初期 西暦865山梨郡 稲門東青沼村 現在地に建立す」とあります 延喜元年(901年)成立の『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』に記されている山梨郡に祀られた浅間明神」とされています 『延喜式神名帳(927年12月編纂)の論社でもあります

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

青沼浅間神社(Aonuma sengen Shrine
あおぬませんげんじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

山梨県甲府市青沼3-5-3

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》木花咲耶姫命Konohanasakuyahime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】

・安産の神
・防火の神
・災厄徐の神
・家内安全
・交通安全
・婦道の神

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社(名神大)〈論社〉

【創  (Beginning of history)】

 

御祭神 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
大山祇命の御女にて天孫・瓊瓊杵尊の妃であらせられ、
皇室の始祖大祖母と仰ぎ奉る大神なり。
御神徳 安産の神、防火の神、災厄徐の神、家内安全、交通安全、
婦道の神として敬仰し奉る。
御由緒
貞観7年 平安初期 西暦865年
人皇第56代清和天皇の御代 山梨郡稲門東青沼村現在地に建立す。
爾来 1100余年の歳月を得、
当初は 武家の信仰厚く 黒印朱印社領を有し 崇敬奉祀極めて
鄭重にして 明治4年村社に列せられたり。
現在の社殿は 昭和20年の戦災の後、氏子1300余名の浄財に依り再建したるものにて神社本庁の所属になる。古くより野良浅間社と伝えられしが、現在は青沼淺間神社と称す。

御祭典
歳旦祭 1月1日
建國祭 2月11日
禊 祭 7月20日
例大祭 9月22日・23日
七五三詣 11月15日
徐夜祭 12月31日

青沼鎮座 浅間神社

現地案内板より

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【由  (history)】

貞観7年今を去る1119年前 人皇第56代清和天皇の御代山梨郡稲門東青沼村(現在地)に建立す。以来1000余年の歳月を得て 当初は武家の信仰厚く 黒印朱印社領を有し崇敬奉仕極めて鄭重にして 明治4年村社に列せられたり。現在の社殿は昭和20年の戦災後氏子430余名の浄財に依り再建したるものにて神社本庁の所属になる 古くに野良浅間神社と伝えられし由。現在は青沼浅間神社と称す。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)甲斐国 20座(大1座・小19座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)八代郡 6座(大1座・小5座)
[名神大 大 小] 式内名神大社

[旧 神社 ] 淺間神社
[ふ り が な  ](あさまの かみのやしろ)
[How to read ]Asama no kamino yashiro) 

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)(927年12月編纂)の論社について

甲斐国Kai no kuni) 八代郡Yashiro no kori)
 淺間神社Asama no kamino yashiro)名神大社 の論社

文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模とも言われる「富士山の貞観大噴火」貞観6年(864年)~貞観8年(866)の噴火活動の中で
『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』(延喜元年(901年)成立)によれば 貞観7年12月9日(865)朝廷は 甲斐国司に対して 浅間神社の神を奉じて 鎮祭するよう命じています

・12月9日の条では 八代郡に「浅間明神 祠一」とあり
・12月20日の条では 山梨郡に「浅間明神一」を八代郡と同に祀るとあります

この解釈は 様々な説があり それに伴って 式内社の論社が多数あります

当神社は この「山梨郡に祀られた浅間明神」であるとされています

浅間神社 (笛吹市)  &山宮神社(旧鎮座地 

論社
浅間神社(笛吹市一宮町一ノ宮)〈甲斐國一之宮・延喜式内社〉

浅間神社(あさまじんじゃ)は 社伝には 第11代 垂仁天皇8年(約2000年前)山宮神社の地に3柱の神を祀り創始されます その後〈富士山〉貞観大噴火時〈貞観7年(865)〉鎮火神として木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)1柱を現在地に遷座し創建されたと云う 国府も近く 甲斐國一之宮とされる延喜式内社 名神大社です

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河口浅間神社富士河口湖町 

論社
河口浅間神社(富士河口湖町)

河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)は 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火〈貞観の大噴火〉を鎮めるために 勅命により 甲斐国に浅間名神を祀ることになったのが創始とされています この大噴火では 富士山の北麓にあった広大な湖「剗の海(セノウミ)」の大半(現在の青木ヶ原樹海)が 溶岩で埋め尽くされて 西湖と精進湖が僅かに 現在に残ったとされています

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・一宮浅間神社市川三郷町 

論社
一宮浅間神社(市川三郷町)

一宮浅間神社(いちみやあさまじんじゃ)は 地元の言い伝えによれば 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火の時に 浅間の神である 木花咲耶姫命を 現鎮座地の南方にある正体山に噴火の難を逃れるために遷ったのが始まりと伝わります 明治27年(1894)鳥居原狐塚古墳(市川三郷町大塚)から中国の呉の年号である赤烏元年(238年)の銘がある銅鏡「神獣鏡」1面が出土し奉納され 国の重要文化財に指定(現在東京国立博物館展示)されています

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青沼浅間神社(甲府市) 

論社
青沼浅間神社(甲府市)

青沼浅間神社(あおぬませんげんじんじゃ)は 社伝によれば「貞観7年 平安初期 西暦865年に山梨郡 稲門東青沼村 現在地に建立す」とあります 延喜元年(901年)成立の『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』に記されている「山梨郡に祀られた浅間明神」とされています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社でもあります

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

甲府駅から平和通り南下して 青沼通り経由 約2.7km 車10分程度
甲府市総合市民会館の東側 玉垣に囲まれて 社殿と神楽殿が建っています

青沼浅間神社(Aonuma sengen Shrineに参着

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社伝と境内は共に 東向きです 甲斐國一之宮(Kai no kuni ichinomiya)浅間神社 (笛吹市)では 社殿は同じように東向きでした
一礼をして 鳥居をくぐり抜けます 鳥居の扁額は「淺間社」です

拝殿にすすみます 扁額「淺間神社」と掲げられています
駿河国(静岡)では「せんげん」と呼び 甲斐国(山梨)では「浅間」を「あさま」と呼ぶ事が多いですが 当神社は「せんげん」と言います

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

境内は 敷地には小砂利が敷かれていて こざっぱりとしています 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本三代実録(nihon sandai jitsuroku)』(延喜元年(901年)成立)に記される伝承

文献記録に残る富士山噴火のうちで最大規模とも言われる「富士山の貞観大噴火」貞観6年(864年)~貞観8年(866)の噴火活動の中 朝廷は 甲斐国司に対して 浅間神社の神を奉じて 鎮祭するよう命じています

・貞観7年12月9日の条では 八代郡に「浅間明神 祠一官社に列す」
・貞観7年12月20日の条では 山梨郡に「浅間明神を八代郡と同じに祀る」とあります

この「官社に列す」の解釈は 場所など様々な説があり 式内社の論社が多数あります

当神社は この「山梨郡に祀られた浅間明神」であるとされています

意訳

貞観7年12月9日丙辰条(865)

詔して
甲斐国八代郡に浅間明神の祠を立てて官社に列す

即ち 祝・禰宜を置き 時に随ひて 祭を致さしめ給ひき
是より先 彼の国司言へらく(国司の報告によれば)
『先の年(前年)
八代郡に暴風大雨雷電地震があり 大振動(大地震)して 雷電と暴雨 雲や霧が毎度あり 山と野も判然とせず

駿河国 富士山の西の峰 たちまちに熾火(噴火)有りて巌谷を焼き砕きました
今年 八代郡の擬大領(郡司の候補者)で 無位「伴直眞貞(Tomono masada)」が託宣して云はく
「我は浅間明神なり この国に斎き祭られることを得んと欲し
この年頃 国吏の為に 凶咎(トガ)(祟り)を成して 百姓(民)の病死を引き起こしています

然るに 曾て(まったく)悟っていません
よって この恠(シルマシ・噴火)を成せり
すばやく神社を定めて 祝禰宜(ハフリ・ネギ)を兼ねて任じ

よろしく潔め奉祭するべし」と

その時 眞貞の身(体格)は 或いは 伸びて八尺と可り 或いは 屈みて二尺と可り 躰を替へて(変化させ) 長短をなし 件の詞を吐きき(上記の詞を述べた)
国司は これを卜筮(ボクゼイ・占い)に求めると 告げる所では 託宣と同じであった
是に於て 明神の願いによって
眞貞を以て 祝と為して 同郡の人・伴秋吉(Tomono akiyoshi)を禰宜と為して 郡家の南に 神宮を造り建て 且つ 鎮謝するものである

然りと雖も(いえども)異火の変 今だに止まず

使者を遣りて 検察するところには 剗海を埋むること千町許り
仰いでこれを見ると 正中の頂きに 社宮を飾り造り 垣が四隅に有り 丹青の石を以て その四面に立つ 石の高さ一丈許り 石の門を相去ること一尺にして 中に一重の高い楼閣有り 石を以て構営(構造) 彩色の美麗は 言ふに勝ることはない
願わくは 斎き祭り 兼ねて 官社に預かん』との報告があり 之を許した

貞観7年12月20日丁卯条(865)

令に 甲斐国に於て 山梨郡に致し祭る 浅間明神を八代郡と同じに一つ

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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青沼浅間神社(Aonuma sengen Shrine (hai)」(90度のお辞儀)

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甲斐国 式内社 20座(大1座・小19座)について に戻る       

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甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について

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