実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

阿沼美神社(松山市平田町宮内)〈『延喜式』阿治(阿沼)美神社(貞・名神大)〉

阿沼美神社(あぬみじんじゃ)は 社伝に武国凝別〈第12代景行天皇の皇子〉十城別王〈日本武尊の御子〉の宮居所とあり 天明二年(1782)「阿沼美三島新宮」の古棟板 天保四年(1833)御幸橋の地下から石額「阿沼美宮」が発掘され 延喜式内社 伊豫國 温泉郡 阿治(阿沼)美神社(名神大)(あじみの かみのやしろ)とされます

Please do not reproduce without prior permission.

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

阿沼美神社(Anumi shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

愛媛県松山市平田町宮内983

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大山祗神(おやまみのかみ)
   神(つくよみのかみ)
   高龗神(たかおかみのかみ)
   雷神(いかづちのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

阿沼美神社の由緒

祭神 大山祇神 月読神 高龗神 雷神

例大祭 十月四日

 阿沼美神社 社伝記によると十二代景行天皇の皇子 武国凝別(御村別の祖)日本武尊の御子 十城別王(別王の祖)の宮居された所と伝えられており地名を大内小字を宮内という

 別氏の子孫は阿沼美の神を奉斎して深く尊崇を尽くし 四十代天武天皇 四十五代聖武天皇 五十代桓武天皇 五十二代嵯峨天皇 七十五代崇徳院等は幣帛を奉り勅願により宮殿を再造営した

 別氏の没落後 河野氏は三島の神を合わせ祭り「阿沼美三島大明神」と号して累代崇啓を尽くし神領を三百二十一町六反を寄進した

 さらに河野通直は新たに社殿を築き厳命して「新宮」の二字を加え「阿沼美三島新宮大明神」と称え 一族の潮見山城主 大内伊賀守越智信泰を大宮司として祭事を掌らせた

 河野氏滅亡後「三島新宮」とのみ称するようになっていたが天明二年本殿が大破して再建した際 屋根裏から文禄年度の「阿沼美三島新宮大明神」と記した古棟板が発見され  天保四年九月六日には御幸橋の地下から「阿沼美宮」と刻した延文年間の石額が出土した  天保五年藩命を奉じて天朝に奏し「阿沼美神社」の旧号に復した

 延喜式神名帳に伊予国温泉郡「阿沼美神社名神大」又 同臨時祭式に名神祭(二百八十五座)「阿沼美神社一座」(伊予国)とあるのは当社であるといわれている

境内神社
 稲荷神社 阿那波大明神 多賀神社
 貴布禰大明神 十六皇子神社 神殿神社

現地石碑文より

Please do not reproduce without prior permission.

阿沼美神社(平田町)
所在地と概要

阿沼美神社は松山市平田町にも存在し、旧社格は郷社です。この神社は、景行天皇の皇子である武国凝別命や、日本武尊の子である十城別王が居住していた場所に鎮座していたと伝えられています。後に河野氏が大山祇神を合祀し、阿沼美三島大明神と称されました。

発見と祭神

天明2年(1782年)に本殿から「阿沼美三島新宮」という棟札が発見され、天保4年(1833年)には「阿沼美宮」と彫られた石額が発掘されました。これにより、式内社としての裁許を受けて社号が改められました。

主な祭神は以下の通りです。
大山祇命
月読命
高龗神
雷神

愛媛県 観光 © mytabiより抜粋
https://ehime.mytabi.net/anumi-shrine.php

【由  (History)】

阿沼美神社 あぬみじんじゃ

神社由緒

 延喜式神名帖(平安時代)に伊予国温泉郡阿沼美神名神大とある社と言われています。
 中世、河野氏が三島の神を合祀して阿沼美三島大明神と称え、一族の大内氏に祭事を司らした。
 河野氏滅亡後、三島新宮と称したが(鳥居の額にその名が見られます)、延文年間の石額、文禄年度の古棟札等により、その記載の社名に基づき阿沼美神社としました。

愛媛県神社庁HPより
http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=5533

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

愛媛 伊豫國温泉郡潮見村大字大内平田

郷社 阿沼美神社

祭神
 大山祇(オホヤマツミノ)神 讀(ツキヨミノ)
 高龗(タカオカミノ) (イカツチノ)

創建年代詳ならず、社傳に云く、往古河野氏世々の崇敬社にして、社領の如き、大内郷内三百二十一町六反を寄せ奉り、盬見山の城主 大内伊賀守信泰に命じて、祭事を掌らしむ、然るに同氏没落と共に、屡々兵火に罹り 舊記を失ふ云々と、當社は延文年中迄 阿沼美宮と稱せしを、後陽成天皇 文祿年中より阿沼美新宮と唱へ、寛永年中更に三島新宮大明神と稱せり、然るに天保五年、社頭の御幸橋再興の節、土中より石額を得、石面赭くして火に罹りしが如くにして ,其表面に「阿沼美宮」と刻し、裏に「延文五子年三月願主岡田氏」の文字見えり、即ち延喜式内社阿沼美神社なうしを知るべし、越えて五年、藩命を奉じて之を天朝に奏す、時に勅あり、阿沼美神社と改む、當時 松山藩士碑を建つ、其文に、

 阿沼美宮得 石額之碑

式内名神伊豫國阿沼美神社者、室町氏以還、海内戦爭屡経、兵燹、祀典混乱失 其名號、不可得而知者、・・・・以下略
雲霧時藪 靈光未味 一片石額 以微後代
松山藩大富阪龜謹撰 

とあり、阿沼美神社は、式の温泉郡四座の一にして、名神大社たり、然るに其所在、詳ならず、諸説紛々たりしが、本社々頭に石額を得るに至り、多く本社とせしに、明治の初、命あり、松山市味酒神社と以て式の阿沼美とし、縣社に列せらる、然れども其の徵證薄弱なるは既に同社の項に引ける特選神名牒に依りて知るべきと 同時に、當社を以て式社なりと断定するに亦 躊踏せざるを得ず、特選が郡名の異なるを以て云々するは暫く置き、文祿年中より社號を阿沼美新宮と稱せしといふ新宮の新是なるべし、尚後考を俟つ、明治四年郷社に列す。

社殿は本殿、中殿・拜殿・其他前拜殿・神供所等を具備し、境内は二千九百三坪 (官有地第一種 )あり。

境内神社 稲荷神社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

阿沼美神社 社殿〈本殿、中殿・拜殿・其他前拜殿〉

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

阿沼美神社 拜殿

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内社〉三社合殿が2社

Please do not reproduce without prior permission.

・〈向って右側の三社合殿〉阿奈波大明神《主》磐長比売命・稲荷神社《主》宇賀御魂神・多賀大神宮《主》伊邪那岐命

Please do not reproduce without prior permission.

・〈向って左側の三社合殿〉貴布祢神社《主》闇龗神・十六皇子神社《主》十六皇子神・神殿神社《主》素盞嗚尊

貴布祢神社(元平田町鳥越に鎮座)

祭神 闇龗神

 旧本殿 二尺五寸×二尺 雨覆上屋 五尺四面
 旧社地 八畝 神田三畝十八歩

由緒 水の祖神に坐して農作物に必要なる慈雨を降し灌漑のことを掌り給う。

十六皇子神社(元平田町皇神山に鎮座)

祭神 天神地祇十六柱神

 旧本殿 一間四面 神楽殿 二間半×三間
 旧社地 一町一反二十八歩 神田一反二畝十七歩

由緒 諸願成就、天下泰平、家内安全、息災延命、開運長久の守護神。殊に幼児の病気平癒を祈願する信仰あり。

神殿神社(元平田町土居山に鎮座)

祭神 素盞嗚尊

 旧本殿 二尺×二尺五寸 雨覆上屋 五尺四面
 旧社地 七畝十四歩 神畑三畝十七歩

由緒 悪事、疫病、災難を除き福徳招来の守護神

右三神社の沿革

 明治三年松山藩々命を以て本社境内に奉遷
 明治九年県令の達により十三年旧鎮座地へ奉還
 明治の末葉内務省の指令に図きの処へ奉安
現例祭日 五月十四日

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

・手水舎

Please do not reproduce without prior permission.

・締柱・二の鳥居・石段

Please do not reproduce without prior permission.

・社頭

Please do not reproduce without prior permission.

・一の鳥居

Please do not reproduce without prior permission.

・参道入口

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭Meijin sai)」の条 285座

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂

延喜式巻第3は『臨時祭〈・遷宮天皇の即位や行幸国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で名神祭Meijin sai)』の条に 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています

名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています

【抜粋意訳】

巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座

園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉

・・・
・・・

 丹生都比女神社一座 日前神社一座 国懸神社一座 伊太祁曽神社一座 大屋都比売神社一座 都麻都比売神社一座 鳴神社一座 伊達神社一座 志磨神社一座 静火神社一座 須佐神社一座〈已上紀伊国〉

 淡路伊佐奈岐神社一座 大和大国魂神社一座〈已上淡路国〉

 大麻比古神社一座 天日鷲神社一座〈已上阿波国〉

 粟井神社一座〈讃岐国〉

 村山神社一座 大山積神社一座 野間神社一座 阿治美神社一座〈已上伊豫國

・・・
・・・

座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩

嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合

加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

Please do not reproduce without prior permission.

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豫國 24座(大7座・小17座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)温泉郡 4座(大1座・小3座)

[名神大 大 小] 式内名神大

[旧 神社 名称 ] 阿沼神社
[ふ り が な ]あぬみの かみのやしろ
[Old Shrine name]Anumi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊豫國 温泉郡 阿治(阿沼)美神社(貞・名神大)(あじみの かみのやしろ)の論社について

・阿沼美神社(松山市味酒町)

一緒に読む
阿沼美神社(松山市平田町宮内)〈『延喜式』阿治(阿沼)美神社(貞・名神大)〉

阿沼美神社(あぬみじんじゃ)は 社伝に武国凝別〈第12代景行天皇の皇子〉十城別王〈日本武尊の御子〉の宮居所とあり 天明二年(1782)「阿沼美三島新宮」の古棟板 天保四年(1833)御幸橋の地下から石額「阿沼美宮」が発掘され 延喜式内社 伊豫國 温泉郡 阿治(阿沼)美神社(名神大)(あじみの かみのやしろ)とされます

続きを見る

・阿沼美神社(松山市平田町)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR与讃線 伊予和気駅から東へ約2.1km 車での所要時間は7~8分程度

西を向いている参道の入口に社号標が建ちます

阿沼美神社(松山市平田町宮内に参着

Please do not reproduce without prior permission.

参道には すぐに一の鳥居が建てられています

Please do not reproduce without prior permission.

参道途中に大きな石灯籠があります

Please do not reproduce without prior permission.

社頭には注連柱が建てられてます

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をしてから 注連柱をくぐると 石段の手前に二の鳥居が建ちます

Please do not reproduce without prior permission.

二の鳥居をくぐり抜けて石段を上がり始めると 社殿が見えてきました

Please do not reproduce without prior permission.

石段を上がると狛犬が座し 正面に拝殿があります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます
参拝日は7月31日 茅の輪が設置されていました

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿全体は 本殿 中殿・拜殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 美神社 名神大について 所在は 中古に廃亡して所在は不明であったが近頃 平田村三島大明神を以て舊號に復せり ゛平田村に在す、今 和氣郡に属す、゛〈現 阿沼美神社(松山市平田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

〔治の字 印本 沼に作る 名神祭式秘釋に據て改む〕

美神社 名神大

は假字也

〇祭神詳ならず

〇平田村に在す、今 和氣郡に属す、〔社説〕

例祭

〇式三、〔臨時祭〕名神祭二百八十五座、〔中略〕伊豫國 阿治美神社一座、

 當社中古より廃亡して其在所をしらず、近頃 平田村三島大明神を以て舊號に復せりとぞ

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 美神社 名神大について 所在は 記さずに゛は温泉の義゛と記しています

【抜粋意訳】

(アヂミノ)神社

〔〇按 本書印本、治を沼に作る、今 臨時祭式 及 神名帳諸異本に據て之を訂せり、盖 は温泉の義也、姑附て考に備ふ

醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列る、〔延喜式〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 美神社 名神大について 所在は埋没していて不明であったが 説としては 2説あるがどちらも確証がなく疑わしい
和氣郡平田村に一社
味酒村の味酒明神を以て阿沼美神社

【抜粋意訳】

美神社 名神大

祭神

 今按 阿沼美 一本阿治美に作る 溫泉郡にあるを思ふに阿治美は熱水(アツミ)の義にて 溫泉に由ある神なるべし 註進狀に祭神不詳とあり猶よく考ふべし

祭日
社格(明細帳に宮古町 縣社とあり取調の事)

所在

 今按 註進狀 此社久しく埋埋して所在を知さりしに 和氣郡平田村に一社あり 近世 社前の川を堀て石額を得たり額而 阿沼美宮の四字を彫たり 裏而に延文五子年三月願主 岡田氏とあり 因て吉田家に訴て此社を阿沼美神社と定めたり 然れども神名帳に溫泉那とあるを和氣祁より堀出したる石額 甚疑ふべし 因て卽今 味酒村の味酒明神を以て阿沼美神社と定められたりとある 此 味酒必ずこの神社にあつべき證あるにもあらず 然るに味酒社をあてたるは神名帳考證 當社の下に績紀〔廿九〕溫泉郡人味酒部稻依等賜姓平郡味酒朝臣とみえたるによりて 味酒社 卽 阿沼美神社ならんと妄りに定めたるものなるべし 故 平田村の式社にあらざる事は云ふまでもなく 又 味酒村も疑しければとらす

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

阿沼美神社(松山市平田町宮内 (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

伊豫國 式内社 24座(大7座・小17座)について に戻る

一緒に読む
伊豫國 式内社 24座(大7座・小17座)について

伊豫国(いよのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豫國 24座(大7座・小17座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

続きを見る

  • B!

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています