実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

穴澤天神社(あきる野市深沢)

穴澤天神社(あなさわてんじんじゃ)は 式内社武藏國 多磨郡 穴澤天神社の論社「棚澤天神」ではないかとの誤説もあるようですが 棚澤天神は 奥多摩町棚澤に鎮座しています この神社は 深澤村の各神社合祀した同名の参考神社として ご紹介します

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

穴澤天神社(Anasawaten Shrine)
(あなさわてんじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

穴澤神社(あなさわじんじゃ) 

【鎮座地 (Location) 

東京都あきる野市深沢210

 [  (Google Map)]

 

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》高皇産霊神(Takami musuhi no kami)
   神皇産霊神(Kami musubi no kami)

伊弉諾神(Izanagi no kami)
   少彦名神(Sukunahikona no kami)
   事解乃男神(Izanagi no kami)
   速玉之男神(Hayatama no o no kami)
   大山祇神(Oyamatsumi no kami)
   豊受姫命(Toyoukehime no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社〈参考〉

【創  (Beginning of history)】

創立年代は不詳

【由  (History)】

穴沢天神社
(あなざわてんじんしゃ) 

深沢の入口に鎮座する。創立年代は不詳。大正6年2月狩佐須神社、山神社、稲荷神社を合祀。祭神は高皇産霊神・神皇産霊神・伊弉諾神・小彦名神・事解乃男神・速玉乃男神・大山祇神・豊受姫命である。

あきる野市役所 公式HP 教育部 生涯学習推進課
あきる野市神社一覧」より
https://www.city.akiruno.tokyo.jp/0000000283.html

【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多磨郡 8座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 穴澤天神社
[ふ り が な ]あなさは あまつかみのやしろ)
[Old Shrine name]Anasaha Amatsukami no yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
武藏國 多磨郡 穴澤天神社」の論社について

・穴澤天神社(稲城市矢野口)

一緒に読む
穴澤天神社(稲城市矢野口)

穴澤天神社(あなさわてんじんじゃ)は 社伝によれば 第6代 孝安天皇4年(紀元前389年頃)の創建 主祭神は少彦名命を御祀りした社と伝わり 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の式内社と比定されている大変由緒ある神社です

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・谷保天満宮(国立市谷保)

一緒に読む
谷保天満宮(国立市谷保)

谷保天満宮(やぼてんまんぐう)は 社伝に 延喜三年(903)父君〈菅原道真公〉薨去の報に 道武公は思慕の情から父君の尊容を刻み鎮座したのが起りと伝わり 東日本における最も古い天満宮とされます 『巡礼旧神祠記』〈宝暦十四年(1764)〉には 府中領谷保村 別當 安楽寺の穴沢天満宮は 延喜式内社 武藏國 多磨郡 穴澤天神社(あなさは あまつかみのやしろ)と記されています

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・穴澤天神社〈将門神社境内社〉(奥多摩町棚澤)

・羽黒三田神社(奥多摩町氷川)

一緒に読む
羽黒三田神社(奥多摩町氷川)

羽黒三田神社(はぐろみたじんじゃ)は 社伝によると「貞観二年(860)出雲国の人 土師連行行基が東国に下向し 御嶽山に詣り神告を得て 当地に高皇産霊神 少彦名神の二神を祀り 穴澤天神と号した」と伝わり式内社の論社です その後 永禄九年(1566)六月 穴澤天神の社内に羽黒権現が合祀されましたが 今は 羽黒権現を本殿とし 穴澤天神が合殿となっています

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・穴澤天神社(あきる野市深沢)〈参考〉

一緒に読む
穴澤天神社(あきる野市深沢)

穴澤天神社(あなさわてんじんじゃ)は 式内社「武藏國 多磨郡 穴澤天神社」の論社「棚澤天神」ではないかとの誤説もあるようですが 棚澤天神は 奥多摩町棚澤に鎮座しています この神社は 深澤村の各神社を合祀した同名の参考神社として ご紹介します

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

武蔵五日市から 北西三内川沿いの山道を進み1.6km 車6分程度
三内川深澤沿山道さかのぼります

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カーブのさきに鳥居が見え
穴澤天神社(Anasawaten Shrine)に参着

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社号標には「穴澤天神社」と刻まれていますが 式内社とは明記されていません
一礼をして 鳥居をくぐります

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拝殿の向かって右前には石仏があり 左が「庚申塔」右が「道祖神」それぞれ「安政四年」「享保」刻まれていますので 江戸期の作です

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拝殿にすすみます 大きな扁額には「穴澤天神社」と刻まれています

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 覆い屋囲まれて 本殿が鎮座しています
本殿で再び お詣りをします 本殿の裏は深い谷になっていて 正しく深澤です

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深い杜に木漏れ日が差す境内の隅には 石碑があり「歌碑」でしょうか 

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鳥居を抜けて 社殿に一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承

深澤村条には「稲荷社」「熊野社」「白髪社」の3社「山神社」が5ヶ所「第六天社」2ヶ所が記されていますが 「穴澤天神社」は見あたりません

その内の「稲荷社」が 現在の穴澤天神社(あきる野市深沢)の奥にある 真光院の持 と記されていますので 現在祭神からも考慮すると この「稲荷社」村内の神社を合祀した神社が 穴澤天神社と改称したものと考えられます

【意訳】

巻之109 多磨郡之21 小宮領 深澤村の条

神社
「稲荷社」除地四畝二十歩 村の坤(南西)の方にあり 小社なり 村内 真光院の持
「熊野社」除地三畝六歩 村の中央にあり 百姓持
「白髪社」除地四畝 村の西の方にあり 神体は丸き白石にて 長さ七八寸 これも百姓持 以上三社を村内の鎮守となして 毎年かはるかはる祭れり
「山神社」山々間に5ヶ所あり いづれも小社なり
「第六天社」2ヶ所あり これも山の間にあり 小祠なり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『新編武蔵風土記稿』1830年(文政13年)著者:間宮士信 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 活版 ,明治17年
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

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穴澤天神社(Anasawaten Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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武蔵国 式内社 44座(大2座・小42座)について に戻る       

一緒に読む
武蔵國 式内社 44座(大2座・小42座)について

武蔵国(むさしのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 武蔵国には 44座(大2座・小42座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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