天志良波神社(あめのしらはじんじゃ)は 『三代實録』に゛天之白羽神゛とあり 『延喜式』には 常陸國 久慈郡 天之志良波神社(あまのしらはの かみのやしろ)と所載があり 一説に延暦十四年(795)坂上田村磨将軍東征の時に創建とも云う古社です 祭神は衣服の神 麻の神とされる天白羽命(あめのしろはのみこと)です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
天志良波神社(Ameno shiraha shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
茨木県常陸太田市白羽町1670
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天白羽命(あめのしろはのみこと)
《合》天之志良波神(あめのしらはのかみ)
長白羽神(ながしらはのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・衣服の神 麻の神 音楽の神 御琴の神 弓道の神 産業の祖神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
【御由緒】
御祭神は天照大神天岩戸にかくれましし時、天太玉命に属し、麻で青和幣を作り、父神 天日鷲命は白和幣を作られた。
弟神 健葉槌命と共に麻を植え織物を広めた神であり、麻績氏の祖神である、白羽は衣服のことである。
茨城県神社庁HPより
https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/ibaraki/kenhoku/jinja/05052.html
【由 緒 (History)】
由緒
御祭神は天照大神天岩戸にかくれまし時、天太玉命に属し、麻で青和幣を作り、父神 天日鷲命は白和幣を作られた。弟神 健葉槌命と共に麻を植え織物をされた。白羽は衣服のことである。
一説に延暦十四年坂上田村磨将軍東征の時に、創建すと云うも詳かでない。
天志良波神社、又長白羽神(古語拾遺)貞観八年五月二十七日正六位上天志良波神従五位下、同十六年十二月二十九日従五位上の神階(三代実録)式内小社久慈郡七座の一、天文十三年十二月十一日佐竹義篤社殿修営遷宮式あり。(棟札)元禄中水戸藩徳川光圀公の命で大聖院の社務をやめ神職の奉仕とす。享保十二年九月徳川実堯公社殿の営修あり、神宝を献じ圭田二石六斗三升七合を納る。天保十五年斎昭公の命により白羽、田渡、西宮、三才、小沢五ヶ村の鎮守となる。
明治四年四月一日郷社に列格、同六年四月村社となる。同四十四年六月十二日(第三〇〇号)供進指定。昭和二十七年六月十六日宗教法人設立。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・天志良波神社 社殿
・天志良波神社 本殿〈瑞垣で囲われています〉
・天志良波神社 拝殿
・〈拝殿向かって左手の境内社〉
・〈拝殿向かって右手の境内社〉
※境内社は 9社と伝わりますが どの祠が どれに該当するのかは わかりません
天照皇大神宮《主》大日霊貴命(おほひるめむちのみこと)
白山神社《主》菊理姫命(くくりひめのみとこ)
藤森神社《主》舎人親王(とねりしんのう)
琴比羅神社《主》金山彦命(かなやまひこのみこと)・思姫命(おもうひめのみとこ)
厳島神社《主》瑞津姫命(たぎつひめのみこと)・市杵島姫命(いちきしまひめのみとこ)
稲荷神社《主》保食神(うけもちのかみ)
天満宮《主》菅原道眞公(すがわらのみちざねのきみ)
大杉神社《主》猿田彦命(さるたひこのみこと)
鷺森神社《主》月読命(つくよみのみこと)・保食命(うけもちのみこと)
三峰神社《主》伊弉諾命(いさなぎのみとこ)・伊弉冉命(いざなみのみこと)
・石段の踊り場に祭祀場〈祠跡か?〉・石祠もあり
・拝殿前の参道石段
・鳥居・社号標
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
天之白羽神とされ 從五位下を授ると記されています
【抜粋意訳】
卷十二 貞觀八年(八六六)五月廿七日庚午
○廿七日庚午
授に
常陸國
從五位上勳七等 薩都神 正五位上
正六位上 天之白羽神 天之速玉神 並に從五位下を備前國 旱疫す以て 正税十萬束を假に貸窮民に
【原文参照】
天之白羽神とされ 從五位上を授ると記されています【抜粋意訳】
卷二十六 貞觀十六年(八七四)十二月癸未廿九日
○癸未廿九日
授に
常陸國
正五位上勳七等 薩都神 從四位下
從五位下 天之白羽神 天之速玉神 並に從五位上河内國
正六位上 掃部神
佐渡國
正六位上 花村神 並從五位下是の日 詔め以て 權律師法橋上人位興照を爲に少僧都と 權律師法橋上人位宗叡を爲に權少僧都と 傳燈大法師位平恩 傳燈大法師位眞然 傳燈大法師位圓宗並に爲律師と 傳燈大法師位長朗 傳燈大法師位平智 傳燈大法師位豐榮 傳燈大法師位延壽並に爲に權律師と
酉時 地大震動
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)常陸國 38座(大7座・小31座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)久慈郡 7座(大1座・小6座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 天之志良波神社
[ふ り が な ](あまのしらはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Amano shiraha no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
御祭神 天白羽命(あめのしろはのみこと)について
長白羽神(ながしらはのかみ)の別名とされています
別名としては 長白羽命、天白羽鳥命、天白羽神、天之志良波神 などが挙げられています
長白羽神は 『古語拾遺』には 天岩戸に登場する神として 思兼神に命じられ 麻を育て青和幣(あおにぎて)を織ったと云う 神麻続機殿神社で伊勢神宮に奉納する荒妙(あらたえ)を織った神麻続部(かんおみべ〈神麻績部〉)の祖神とされ 白い衣類を白羽と呼んだのは長白羽神に由来すると伝わります
延喜式内社 常陸國 久慈郡に記載される 衣服に功績のある神について
『特選神名牒〈明治9年(1876)完成〉』祭神についての考証には
『古語拾遺』に記される天太玉神に従った衣服に功績のある神が この久慈郡に゛靜神に候文神 健葉槌命を祭り(静神社) 幡村に長幡部 遠祖 多氏命を(長幡部神社) 本社に天之志良波神を祭り(天志良波神社)゛祀られていると記しています
天志良波神社の由緒には
御祭神は 天照大神天岩戸にかくれましし時、天太玉命に属し、麻で青和幣を作り、父神 天日鷲命は白和幣を作られた。
弟神 健葉槌命と共に麻を植え織物を広めた神であり、麻績氏の祖神である、白羽は衣服のことである。とあります
延喜式内社 常陸國 久慈郡 長幡部神社(なかはたへの かみのやしろ)
・長幡部神社 旧鎮座地(常陸太田市幡町)
・長幡部神社(常陸太田市幡町)
延喜式内社 常陸國 久慈郡 天之志良波神社(あまのしらはの かみのやしろ)
・天志良波神社(常陸太田市白羽町)
天志良波神社(あめのしらはじんじゃ)は 『三代實録』に゛天之白羽神゛とあり 『延喜式』には 常陸國 久慈郡 天之志良波神社(あまのしらはの かみのやしろ)と所載があり 一説に延暦十四年(795)坂上田村磨将軍東征の時に創建とも云う古社です 祭神は衣服の神 麻の神とされる天白羽命(あめのしろはのみこと)です
天志良波神社(常陸太田市白羽町)〈三代實録 天之白羽神・延喜式 天之志良波神社〉
延喜式内社 常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)
御祭神 天速玉姫命神は 天之志良波神の妻神とする説もあります
・泉神社(日立市水木町)
泉神社(いずみじんじゃ)は 『常陸國風土記(713年)』に「密筑里(みつきのさと)の清浄(いずみ)大井(おほゐ)と謂(いう)夏は冷たく 冬は温かく 湧流(わきなが)れて川となる」と記されます 又『三代實録』天之速玉神・『延喜式』常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)の論社です
泉神社(日立市水木町)〈三代實録 天之速玉神・延喜式 天速玉姫命神社〉
・鹿嶋神社 (常陸太田市春友町)
鹿嶋神社(かしまじんじゃ)は 創立年歴は不詳ですが 初めは 天速玉姫命を祀っていたと云い 又『新編常陸国誌』には 鎮座地の春友(はるとも)は 旧名を速玉(はやたま)と云ったと記されていて このことから延喜式内社 常陸國 久慈郡 天速玉姫命神社(あめのはやたまひめのみことの かみのやしろ)の論社とされています
鹿嶋神社(常陸太田市春友町)〈延喜式内社 天速玉姫命神社の論社〉
延喜式内社 常陸國 久慈郡 静神社(名神大)(しつの かみのやしろ)
・靜神社(那珂市静)
静神社(しずじんじゃ)は 『常陸國風土記(713年)』には 初めて織物(綾織 しずおり)を織った「静織の里(しどりのさと)」と呼ばれたと伝えられ 『三代實録(901年)』に゛静神゛として 神位 從五位上を授かったと記載のある 延喜式内社 常陸國 久慈郡 靜神社 名神大(しつの かみのやしろ)であるとされます
靜神社(那珂市静)〈常陸二ノ宮 延喜式内名神大社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR常陸太田駅から R349号を北上 約7.1km 車で13分程度
県道37号から 白羽スポーツ広場 方面に右折します
700m程 進むと゛延喜式内 郷社 天志良波神社 入口゛の案内版があり そこを左折します
道の突き当りに 鳥居が見えてきました
天志良波神社(常陸太田市白羽町)に参着
社号標には゛延喜式内 郷社 天志良波神社゛
クリーム色の鳥居には゛天志良波神社゛と記されています
一礼をして鳥居をくぐります
右手に 境内に通じる参道石段があります
石段を上がると踊り場に祭祀場〈祠跡か?〉かあり 石段の正面に拝殿が建ちます
拝殿にすすみます
拝所の足場には 自然石が敷かれています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 瑞垣に囲まれて 本殿が鎮座しています
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 天之志良波神社について 所在は゛太田郷白羽村に在す、白羽明神と稱す、゛〈現 天志良波神社(常陸太田市白羽町)〉と記しています
【抜粋意訳】
天之志良波神社
天之は 阿女乃と訓べし、志良波は 假字也、
○祭神明か也
〇太田郷白羽村に在す、白羽明神と稱す、例祭 月 日、
〇舊事紀、〔神祇本紀〕復令 麻續祖長白羽神 種麻以爲青和幣、今衣稱に白羽、此其縁也、」
古語拾遺云、令に長白羽神種麻以爲に青和幣、鎭坐云、中世以に佐竹永義〔或作に長義〕為に別当職、是謂に今宮大納言、按佐竹家譜云、永義佐竹昌義十六代右京大夫義舜之次子也、爲に真壁大先達住に小野邑、当に此之時爲に志良波祠別当、称に今宮大納言、蓋不に官位也、所謂大納言者、今猶に修験者流宰相少將少納言之類可に以知、
神位
三代實録、貞観八年五月二十七日庚午、授に常陸國 正六位上 白羽神 從五位下、同十六年十二月二十九日癸未、授に常陸國 從五位下 天之白羽神 從五位上、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 天之志良波神社について 所在は゛今 白羽村にあり、白羽明神といふ、゛〈現 天志良波神社(常陸太田市白羽町)〉と記しています
【抜粋意訳】
天志良波(アメノシラハノ)神社
〔〇三代実録、志良波を白羽に作る、〕
今 白羽村にあり、白羽明神といふ、〔巡拝舊祠記、鎮守帳廿八社考、〕
盖 長白羽神を祭る、〔古語拾遺、延喜式、〕
上古 此神 麻を種て青和幣を作り仕奉りき、〔古語拾遺、〇按 本書注云、今の世 衣服を白羽い云は、此縁なりと云り 此に據るに、天之志良波神 蓋 衣服の事ある神なるを以て、此稱あるに似たり、姑附て考に備ふ、〕
清和天皇 貞観八年五月二十七日庚午、天之白羽神に從五位下を授け、十六年十二月二十九日癸未、從五位上を授く、〔三代実録〕
凡 毎年四月九月十二月十日祭を行ふ、十二月之を衣替神事といふ、〔廿八社考〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 天之志良波神社について 所在は゛白羽村字菅田 (久慈郡佐都村大字白)゛〈現 天志良波神社(常陸太田市白羽町)〉と記しています
祭神についての考証には 『古語拾遺』に記される天太玉神に従った衣服に功績のある神が この久慈郡に゛靜神に候文神 健葉槌命を祭り(静神社) 幡村に長幡部 遠祖 多氏命を(長幡部神社) 本社に天之志良波神を祭り(天志良波神社)゛祀られていると記しています
【抜粋意訳】
天志良波神社
祭神 長白羽命
今按 古語拾遺に 天太玉神 率諸部神造幣帛當 此之時 伊勢國 麻績之祖 長白羽種麻以僞 清和幣今衣稱白羽此其緣也とあり さて靜神に候文神 健葉槌命を祭り 幡村に長幡部 遠祖 多氏命を 本社に天之志良波神を祭りて 共に衣服の事に功業ある神等の 同郡に坐すは 深き故ある事ならむと思はるるに 附て猶考るに 本社 享保の棟札に常陸州久慈郡白羽邑鎭座者天志良波命一名長白羽神とあるが如く 長白羽神は天之志良波命の一名なること著し
神位
清和天皇 貞観八年五月二十七日庚午 授 常陸國 正六位上 白羽神 從五位下、同十六年十二月二十九日癸未、授に常陸國 從五位下 天之白羽神 從五位上、祭日 一月四月十日
社格 村社所在 白羽村字菅田 (久慈郡佐都村大字白)
【原文参照】
天志良波神社(常陸太田市白羽町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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常陸国(ひたちのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 常陸国には 28座(大7座・小21座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
常陸國 式内社 28座(大7座・小21座)について