実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

天香山神社(橿原市南浦町)

天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)は 延喜式神名帳927 AD.所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)とされ 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の本社に相当します 畝尾坐健土安神社うねひのます たけはにやす かみのやしろ)の論社でもあります

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

天香山神社(Amanokaguyama shrine

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

奈良県橿原市南浦町608

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》櫛眞命(くしまのみこと)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

奈良県史』第五巻 神社〈平成元年(1989)五月発行〉によれば

天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)

 近鉄大阪線耳成駅の南々東一・七キロメートル、香久山のま北出屋敷集落の南に鎮座する。『大和志』に「在ニ香具山ノ北ノ麓 属ニ南浦村 乃称ニ北浦ノ神 石華表扁額ニ曰天香久山ノ命」とあり、『延喜式』神名帳に式内大社として登載されている。その割注に「元ノ名大麻等乃知神」とあり、さらに『延喜式』「京中3座(並大)」の中の「左京二条坐神 2座 月次相嘗新嘗」の中の「久慈真智命神の割注に「本社坐ニ大和国十市郡 天香山坐櫛眞命神」とあって、当社が在京の久慈真智命神の本社だと記している。『三代実録』清和天皇の貞観元年(八五九)正月二十七日に[天香久山大麻等野知神」従五位下より従五位上に昇叙と記されていることから貞観元年以前の当社神名を知ることかできる。しかも『延喜式』の制定当峙「櫛真命」と改められていたことがわかる。さらに当吐は既に天平二年(七三〇)の『大倭国正税帳』(正倉院文書)に、神田一町歩を持ち、大同元年(八〇六)に大和国に神戸一戸を寄せられたと『新抄格勅符抄』に出ている。

『本朝世紀』には正暦五年(九九四)四月、中屋氏人を豊命使として当社に奉幣、疫病火災の変について祈願されている。当社境内にハハカの木があり、占の木で、『和名抄』には朱桜とあり一名ニワサクラというとある。『古事記』の天の岩戸の神話に天香久山の雄鹿の肩の骨を抜きとって天香久山の朱桜の木の皮で焼き、吉凶を占ったとある。

 例祭は十月十五日。正月五日は早朝に氏子は沐浴して拝殿に集合、柳の杖の下部を割いて熊野護王の木版刷を侠んで神前に供えて五穀豊穣の祈願の後、護王を持ち帰って苗代の一隅に立てて田の神に水口祭を行う風習がある。宮座に左座と右京あり、十月十日それぞれの当屋のお仮屋に神迎えして座祭か行われる。当社ではまた田植直前にも「ゴウタク」神事と称し五穀豊穣の祈願を行う。

奈良県史』第五巻 神社 著者 奈良県史編集委員会・編集 出版社 名著出版

拝殿扁額について

当社のご祭神は櫛眞命(くしまのみこと)と申します。平安時代の延喜式神名帳(西暦九二七年)に『大和国十市郡 天香山坐櫛眞命神社(元名大麻等乃知神)大月次新嘗』と記載されています。
同祭神を祀る他の神社や古文書には、久慈眞智命、櫛眞智命など「くしまち」として記されますが、いずれも同じご祭神であるとされています。

ご祭神は神意を伺う占いの神であり、国家の大事を判断する亀卜や、天皇陛下即位の大嘗祭に行われる神饌田卜定に関わる神として、重んじられて参りました。

当社が鎮座する天香具山は、古事記、日本書紀、万葉集など多くの文献に、神々や日本国創始との関わりが多く記されていることから、我が国の始まり、すなわち大和朝廷発祥に関わる聖地「物実(ものしろ)」として、八百万の神々と結ばれた神山、我が国の国体と認識され今に至ります。

天香山神社は、この天香具山と一体に櫛眞命を奉祀申し上げ、代々氏子崇敬者が奉護して参りました。

此度、拝殿扁額古損のため、延喜式に記載の社名、当社とゆかりの深い神武天皇を祀る橿原神宮の宮司久保田昌孝様より揮毫をご快諾頂き、当社氏子南浦町米虫一起氏奉納にて、拝殿正面へ掲揚致しました。また拝殿内の正面扁額は、当社氏子一同の奉納により掲揚致しました。
皆様方には天香具山のご神気をお受け頂き、活力を大いに発揚され、穏やかに満たされた日々をお進め頂きますよう、お祈り申し上げます。

平成二十七年 九月吉日
天香山神社 宮司 謹言

現地 拝殿掲載額より

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【由  (History)】

一、車馬を乗り入れる事
一、魚鳥を捕る事
一、竹木を伐る事
右条々境内令禁者也

橿原市南浦町

御祭神   元名 大麻等

櫛は奇(不思議) 真は兆(占い)の古語にて、神武天皇記に、天香山の社が見え創建古し。

末社 春日神社
   八幡神社

天香山神社

境内案内板より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

中央に本殿 その左右に境内社が鎮座します

本殿向かって左側(北側)「春日社」
本殿向かって右側(南側)「八幡社」

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並 大社 一百九十八所

坐別に絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両・・・・云々

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式Engishiki)』巻2四時祭下中の相嘗祭神七十一座

相嘗祭条には 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)](くしまちのみことのかみ)は 太祝詞神社(ふとのとのやしろ)二座とされていて 太祝詞神の如く載せられています

太祝詞神社(ふとのとのやしろ)二座 坐左京二条

絹(キヌ)4疋 絲(イト)2絇2両 綿6屯 調布7端3丈8尺 唐布2段2丈6尺 木綿3斤4両 鮑1斤4両 堅魚5斤4両 (きたい)〈干し肉〉8斤 凝海藻6斤 塩2升 海藻4斤 筥2合 (サラケ)缶(モタイ) 水(ホトギ)山都婆波 小都婆波 筥瓶 高盤片盤 短女杯筥杯小杯陶曰各4口 酒稲100束 神統

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われる
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並 大社 一百九十八所

坐別に絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両・・・・云々
中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に 

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

延喜式神名帳927 AD.所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)とされ 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の本社に相当します 畝尾坐健土安神社うねひのます たけはにやす かみのやしろ)の論社でもあります

①天香山坐櫛眞命神社(大月次新嘗・元名大麻等乃知神)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)十市郡 19座(大11座・小8座)

[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社 名称 ] 天香山坐櫛眞命神社(大月次新嘗・元名大麻等乃知神)
[ふ り が な ]あまの かこやまのます くしまのみこと かみのやしろ)
[Old Shrine name]Amano kakoyamanomasu kushima no miko no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

➁久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)京中 3座…大(預月次新嘗)3(うち預相嘗2)

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)左京二条坐神 2座(並大)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)

[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社 名称 ] 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)
[ふ り が な ]くしまちのみことのかみ)
[Old Shrine name]Kushimachi no mikoto no kami)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

➂畝尾坐健土安神社(大月次新嘗)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和国 286座(大128座(並月次新嘗・就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)十市郡 19座(大11座・小8座)

[名神大 大 小] 式内大社

[旧 神社 名称 ] 畝尾坐健土安神社(大月次新嘗)
[ふ り が な ]うねひのますたけはにやす かみのやしろ)
[Old Shrine name]Unehinomasu takehaniyasu no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

占いに用いられた境内波波迦(ははか)の木 

波波迦(ははか)〈カニワザクラ ウワミズザクラの古名〉を燃やし 鹿の肩甲骨を焼き 割れ目の模様でうらなうものであった

波波迦(ははか)の木

いばら科の木で朱桜(にはざくら)うはみずざくら・こんごうざくら・かばざくら・かにわざくら等の別名があります

古事記によれば、この木の皮で香具山の雄鹿の骨を焼いて吉凶を占ったそうです

平成二年の大嘗祭関連の諸儀で「斉田点定の儀」の亀占に用いるため、波波迦を宮内省の御下命により奉納致しました。

奈良県橿原市南浦町 天香山神社

現地案内板より

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天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗・元名 大麻等乃知神)(あまのかこやまにいます くしまちのみことの かみのやしろ)の論社

天香山神社とする説「國常立神社」とする説があります

・天香山神社(橿原市南浦町)〈本社〉

一緒に読む
天香山神社(橿原市南浦町)

天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)とされ 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の本社に相当します 畝尾坐健土安神社(うねひのます たけはにやす かみのやしろ)の論社でもあります

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・国常立神社(橿原市南浦町)〈奥宮〉

一緒に読む
国常立神社(橿原市南浦町)

國常立神社(くにとこたちじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)の論社で 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の奥宮に相当します

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久慈真智命神(大 月次 相嘗 新嘗)(くしまちのみことのかみ)の論社

京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神の元社として 天香山神社本社 国常立神社奥宮 とする説

・天香山神社(橿原市南浦町)〈本社〉

一緒に読む
天香山神社(橿原市南浦町)

天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)とされ 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の本社に相当します 畝尾坐健土安神社(うねひのます たけはにやす かみのやしろ)の論社でもあります

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・国常立神社(橿原市南浦町)〈奥宮〉

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国常立神社(橿原市南浦町)

國常立神社(くにとこたちじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)の論社で 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の奥宮に相当します

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畝尾坐健土安神社(大 月次 新嘗)(うねをのます はにやすの かみのやしろ)の論社

論社は 4つあります

・畝尾坐健土安神社(橿原市下八釣町)

・天香山神社(橿原市南浦町)

一緒に読む
天香山神社(橿原市南浦町)

天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)とされ 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の本社に相当します 畝尾坐健土安神社(うねひのます たけはにやす かみのやしろ)の論社でもあります

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・春日神社(橿原市戎外町)

・都祁山口神社(天理市杣之内町)

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

南浦町の北側 天香久山の北西麓に鎮座

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社頭には 西向き一の鳥居が建っていて 傍らの石碑には「天香久山埴安伝称地道」と刻まれています

天香山神社(橿原市南浦町)に参着

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一礼をして鳥居をくぐります 扁額には「天香山神社」とあります

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参道右側「波波迦(ははか)の木」が神木として植えられています
波波迦(ははか)とは上溝桜(うわみずざくら)のことで 記紀神話 天岩戸の段では 天香久山の波波迦(ははか)を用いて 鹿卜を行ったと記されています

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の左隣手水舎があり 清めます

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参道を進むと 社殿の建つ社地 一段土地が高くなっていて 石段の上には 二の鳥居が西向きに建っています

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その手前の左側に 明治天皇遥拝所 が祀られています 一礼をします

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二の鳥居をくぐり 境内を進みます

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拝殿にすすみます 扁額には「天香山坐櫛眞命神社」と記されています

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拝殿内には 氏子の絵馬 小学生の作品も奉納されています

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拝所の上に掲げられた扁額には「天香山神社」とあります

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿は 割拝殿となっていて 正面奥には 神橋が架けられたていて その先には 石垣があり 狛犬が座し 中央の石段上に中門があり 左右に玉垣が設けられています

中央に本殿 その左右に境内社が鎮座します

本殿向かって左側(北側)「春日社」
本殿向かって右側(南側)「八幡社」

本殿の背後には 磐座が祀られているはずです
ご神域ですので うかつに立ち入りはしません

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神武天皇ゆかりの「赤埴聖地」の碑

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境内の脇から 香久山の登山道があり 山頂へと向かっていけます

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香久山の山頂に鎮座する 現 国常立神社(橿原市南浦町)

・国常立神社(橿原市南浦町)〈奥宮〉

一緒に読む
国常立神社(橿原市南浦町)

國常立神社(くにとこたちじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)の論社で 京中 左京二条坐神 2座 久慈真智命神(大月次相嘗新嘗)(くしまちのみことのかみ)の奥宮に相当します

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一の鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します


天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗・元名 大麻等乃知神)(あまのかこやまにいます くしまちのみことの かみのやしろ)の伝承

『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

天岩戸の段では 天香久山が占い 神事に関する重要なとして 記されています

日本書紀の天岩戸の段にも同様記述があります 

【抜粋意訳】

天岩戸の段

それで 天照大御神(あまてらすおほみかみ)は見て恐れ 天の石屋の戸を開き 中にお籠りになった
そうして高天原はすっかり暗くなり 葦原中国も全く暗くなった こうして夜がずっと続いた

そこで 大勢の神々の騒ぐ声は 五月に湧き騒ぐ蠅のように一杯になり あらゆるわざわいがすべて起こった
この事態を受けて 八百万の神が天の安の河原に自ずから集まり 高御産巣日神の子の思金神に考えさせ
まず常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて鳴かせ
天の安の河の川上にある堅い石を取り 天の金山の鉄を取って 鍛冶の天津麻羅(あまつまら)を捜し出し 伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に命じて鏡を作らせ
玉祖命(たまのおやのみこと)に命じて八尺の勾玉を数多く長い緒に貫き通した玉飾りを作らせ
天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀玉命(ふとたまのみこと)を呼んで 天の香山の雄鹿の肩の骨をそっくり抜き取ってきて 天の香山の天波波迦(あめのははか)(カニワサクラ)を取って(その皮を焼いて)真男鹿(まおしか)肩骨を焼いて占合(うらない)まかなはしめて 天の香山の茂った五百津真賢木(いほつまさかき)を根ごと掘り起こし その上方の枝に八尺の勾玉を数多く長い緒に貫き通した玉飾りをつけ 中ほどの枝に八咫の鏡をかけ 下方の枝には白い幣と青い幣をさげて このさまざまな品は 布刀玉命が尊い御幣として捧げ持ち 天児屋命が尊い祝詞を寿ぎ申し上げ
天手力男神(あめのたちからをのかみ) 戸の脇に隠れ立ち
天宇受売命(あめのうづめのみこと) 天の香山の日影蔓(ひかげかずら)を襷にかけ 真析蔓を髪飾りにして 天の香山の笹の葉を採物に束ねて手に持ち 天の石屋の戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし 神がかりして胸乳を露出させ 裳の紐を女陰までおし垂らした
すると 高天原が鳴り響くほどに数多の神々がどっと笑った

そこで 天照大御神は不思議に思い 天の石屋の戸を細めに開け 戸の内側から仰った「私がここに籠もっていらっしゃるので 天の原は自然に暗く また葦原中国もすべて暗いだろうと思うに どうして天宇受売は楽をし また八百万神は みな笑っているのか」と仰った
そこで天宇受売が申し上げた「あなた様よりも貴い神がいらっしゃいますので 喜び笑って楽をしているのです」
こう申し上げている間に 天児屋命布刀玉命は鏡を差し出し 天照大御神にお見せ申し上げた 天照大御神はいよいよ不思議に思って 少しずつ戸から出て鏡に映ったお姿をのぞき見なさるその時 脇に隠れ立っていた手力男神がそのお手を取って外へ引き出すやいなや 布刀玉命が注連縄を天照大御神のうしろに引き渡して申し上げた「これから内へおもどりになることは出来ません」と申し上げた
こうして天照大御神 お出ましになった時 高天原も葦原中国も自然と照り明るくなった

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『万葉集(Manyo shu)〈7世紀前半~759年頃〉』に詠まれる歌

第10巻 1812番歌
作者 柿本人麻呂(柿本人麻呂歌集)
題詞 春雜歌

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【抜粋意訳】

巻十 春雑歌1812

訓読
ひさかたの 天の香具山(あまのかぐやま)このゆふべ
(かすみ)たなく春立(はるた)つらしも


天の香具山(あまのかぐやま)に 今日この夕方
(かすみ)がたなびいている ああ春になつたらしい

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『萬葉集』刊本 寛永20年[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

香具山北麓に鎮座 と記しています

【抜粋意訳】

天香山坐櫛眞命神社 大月次新嘗 元名大麻等乃知神

天香山は阿米乃加具夜萬、櫛真は久慈眞智と訓べし
〇祭神明か也
○香具山北麓に在す、今 北浦神と称す、(大和志、同名所図会)、
〇日本紀、神武天皇 戊午年八月、夢有天神訓之曰、宜収天香山社中土、以造天平瓶八十枚、并造嚴瓶而敬祭天神地祇、

類社 左京二條坐久慈真智神

神位 三代実録、貞観元年正月二十七日甲申、奉れ授に 大和国 従五位下 天香山大麻等知神 従五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015


久慈真智命神(大 月次 相嘗 新嘗)(くしまちのみことのかみ)の伝承

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

久慈真智命神は 太祝詞神を主としている 平安京〈現 京都〉遷宮の際 二柱の神は 大和国〈現 奈良〉より遷座して 平安京に近い遷座先の神が尊崇を受け 元社は後れて 神位を授かっている と記しています

【抜粋意訳】

久慈真智(クシマチノ)命神

久慈真智は假字なり
〇祭神明らかなり
〇四時祭式上、新年祭條 卜定神祭二座とある一座なり、
 四時祭式下、相嘗祭條には、太祝詞神社(ふとのとのやしろ)二座と前神の如くにも載せられて、総ては太祝詞神を主として、この神の上まで称(まじ)さざりける也、されば この神を言挙(ことあげ)せるものなし、旧説に大和国より遷せりといへり

類社 大和国 十市郡 天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗 元名大麻等乃知神)

神位 三代実録、貞観元年正月二十七日甲申、奉れ授に 左京職 従五位上 久慈真智命神 正五位下

按るに、この二柱は卜庭を守り給ふが故に、遷都の時に、社を建て、大和国なるを、今の京にも奉斎れるなるべし、然て後は自(オノズ)から帝都に近き方を尊崇せられけむ、本社たる大和国 太祝詞神社には、神位の事も見えず、對馬国なるは、やうやう正五位下に叙し、また大和国 櫛真命神社も、別名もて従五位上を授け給ひ、共に当社には後れたり、かかる例は古今に多き事也けり、

古語拾遺曰、・・・
儀式曰、・・・・・
四時祭式上曰、・・
太政官式曰、・・・
民部省式曰、・・・
掃部寮式曰、・・・
西宮抄曰、・・・・
北山抄曰、・・・・
江次第曰、・・・・
朝野群載曰、・・・

神祇官勤奏・・・・

神祇官
卜ニ時推平否事・・・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015


畝尾坐健土安神社(大 月次 新嘗)(うねをのます はにやすの かみのやしろ)の伝承

『大和志料(Yamato shiryo)』〈大正3年(1914)〉に記される伝承

式内社の畝尾坐健土安神社(大 月次 新嘗)は 現 天香山神社(橿原市南浦町)であり 式内社の天香山坐櫛真命神社(大 月次 新嘗・元名 大麻等乃知神)は 香久山の山頂に鎮座する 現 国常立神社(橿原市南浦町)であるとの説を記しています

【抜粋意訳】

畝尾坐健土安(うねをのます はにやすの)神社

延喜式神名帳に「畝尾坐健土安神社(大 月次 新嘗)」と見ゆ。
大和志に「在 下八釣村に今称す天照大神」と云えるにより、香久山村大字下八釣 南垣内 にあるものを以て式内 畝尾社と称し、現に村社たり、
按ずるに 五群神社記に畝尾社の所在を香久山(かぐやま)の西山尾と記し、
元要記に「天香久山大明神 此山 西麓 西向に坐す」と見え、今 香久山の北浦に天香久山社(西向)と称するあり、これを式内 眞智なりと云えり。然れども かの社の香山の頂上に在るべきは 既に上に述ぶるが如くなれば、所謂 天香久山社は 即ち畝尾社なるべきか、後考を俟つ。

祭神・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『大和志料』著者 奈良県 編 出版年月日 大正3年 出版者 奈良県教育会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813

天香山神社(橿原市南浦町) (hai)」(90度のお辞儀)

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