実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

阿知江いそ部神社(与謝野町岩屋)〈『延喜式』阿知江いそ部神社〉

阿知江部神社あちえいそべじんじやは 往昔 雲岩と云う巌石の辺りに鎮座されてあったと云われ  現在地に遷したという 西南界を阿知江峠と云い その傍流を部川と云って 社号をもって地名としたと云い伝えがあります 延喜式内社 丹後國 與謝郡 阿知江部神社(あちえいそへの かみのやしろ)の論社です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

阿知江部神社Achieisobe shrine

通称名(Common name)

・〈旧称〉白鬚大明神

【鎮座地 (Location) 

京都府与謝郡与謝野町岩屋763

〈旧住所 与謝郡野田川町岩屋森谷763〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》長白羽命(ながしらはのみこと

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

式内社 阿知江部神社由緒

祭神 長白羽命

 当社は元雲巖あたりに祀られていたのを後 現在地に遷したという。

醍醐天皇の延喜年(紀元九〇五)勅命によって調査記録された延喜式五十巻の内 九巻と十巻が神名であり全の主な神社が載せられている。当社は第十巻に記載されている。所謂延喜所載の式内社である。

 延喜式の作成された年から考察すると当社の創立 或いは遷座は千数百年前と思考される。

 現在の神殿は明治 宮津城主 木荘家の主護神の神殿を譲り受け造営されたもので、其の後 数回増改築され今日に至っている。

 祭神 長白羽命は、天照大神の岩戸隠れの時 青和幣(織物)を作って奉献されたことから、代々白鬚大明神と尊称され崇敬されている。

昭和十八二十四日 神饌幣帛料供進神社に指定された。

例祭日 四月二十五

境内社
 .恵美須神社祭神 事代主命
 二.若宮神社 祭神 市杵島命保食神

昭和五十四月十四日 宮司 坂根富軌 謹書

現地案内板より

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由緒

 1500年前の創立で延喜式内社であり、住昔は当社より西南方の雲岩と云う巌石の辺りに鎮座されてあったと云われ、西南界を阿知江峠と云いその傍流を部川と云って、社号をもって地名としたと云い伝えがある 移転年月日不詳。
 明治3年11月再建され、同年6月2日に村社に列せられる。昭和4年10月再建され、昭和18年5月神饌幤帛供進神社に指定された。昭和19年3月増築される。

 御祭神は長白羽命で天照大神の岩戸隠れ座したとき、高皇座霊神の命を奉じ麻を植えて和幤を作り成り給ひて祭りの代りとされ御名は、これによって給った。

江戸時代には『白ひげ大明神』と称していたが明治になって、阿知江部神社と称するようになった。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

『与謝郡誌』上 大正12年に記される内容

【抜粋意訳】

第貮編 第一章 第五節 村社以下

五六、阿知江部神社

 岩屋村字森谷、村社、祭神 長白羽命、往昔 雲岩庵の邊りにありしを何時の頃か今の地に移し 白髪大明神と崇む、

當社明細帳に式内 阿知江部神社なりと記するも 丹後舊事記、丹後一覽集、丹後細見錄等古書 皆 須須津村にありとし 殊に丹哥府志には須津村 須津彦須津姫大明神といふと社號を表す 式内外の考定 尚ほ研究の除地あるものの如し。

明治三年再建 六年二月村社に列せらる、氏子二百二十五戸、例祭九月十四日、境内恵比須と嚴島社とあり。境外堂屋敷に愛宕祠あり。

【原文参照】

都府与謝郡 編『与謝郡誌』上,京都府与謝郡,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978724

『岩屋村誌』昭和8年に記される内容

【抜粋意訳】

第五編 禮祀 第壹 神社

第壹項 阿知江部神社

 字森谷七百六十三番地 民有神地五百四十三坪 (ー亞七九五 )地上に鎭座、祭神 長白羽命を奉祀し神殿莊嚴、社地高潔、老樹薫蔚、境域幽遂にして神威愈々森嚴なるを覚ゆ。上古の鎭座に係り年歴を詳かにし難きも延喜式神名帳 丹後國與謝郡並小の國幣社として載せられたり。祭祀の沿革また明細を缺くものあるも 江戸時代 白鬚大明神と尊稱せしを明治維新 皇政復古により、其の舊稱 阿知江部神社に復稱し、同六年二月十日所管地方應豊岡縣より村社に列せらる。當社の文獻に現はれたるものを列擧すれば、延喜式神名帳、
・・・〈以下 列挙あり 詳細は原文P523~548を参照〉

【原文参照】

京都府与謝郡岩屋村 編『岩屋村誌』,京都府与謝郡岩屋村,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1208576

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・〈境内社〉恵比須神社《主》事代主神
・〈境内社〉若宮神社《主》市杵島命保食神

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈阿知江磯部神社 旧鎮座地〉

雲岩〈雲巌〉(与謝野町岩屋)の辺り

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹後國 65座(大7座・小58座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)與謝郡 20座(大3座・小17座)

[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 阿知江部神社
[ふ り が な ]あちえ いそへ かみのやしろ
[Old Shrine name]Achie isohe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

丹後國に鎮座する「いそへのかみのやしろ」」の社号を持つ式内社とその論社について

丹後國 與謝郡 阿知江部神社(あちえいそへの かみのやしろ)

・雲岩稲荷神社(与謝野町岩屋)の辺り〈阿知江磯部神社 旧鎮座地〉
・阿知江磯部神社(与謝野町岩屋)

一緒に読む
阿知江いそ部神社(与謝野町岩屋)〈『延喜式』阿知江いそ部神社〉

阿知江いそ部神社(あちえいそべじんじや)は 往昔 雲岩と云う巌石の辺りに鎮座されてあったと云われ 後 現在地に遷したという 西南界を阿知江峠と云い その傍流をいそ部川と云って 社号をもって地名としたと云い伝えがあります 延喜式内社 丹後國 與謝郡 阿知江部神社(あちえいそへの かみのやしろ)の論社です

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・須津彦神社・須津姫神社(宮津市須津)

『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について

『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています

音は「いそへ」と同じでも その要因は 様々な要素から成り立っていて 特定は非常に難しく その為 各々の神社を検証してみます

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『延喜式神名帳』所載「いそへのかみのやしろ」の社号を持つ式内社とその論社について

『延喜式神名帳』に所載される各々の「いそへのかみのやしろ」は 古代の氏族・「石邊公」「石部氏」に関係する神社 又は 海人族の「磯部氏」に関係する神社とも云われ 数多く分布しています 又『延喜式神名帳』所載の「いそへのかみのやしろ」の社号(いそへ)の読みに充てる字は 「石部」「石邊」「部」「磯部」などがあり 様々です

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京都丹後鉄道宮豊線 与謝野駅から府道2号を西へ約5.8km 車での所要時間は11~15分程

境内 参道 社頭は東を向いています

阿知江部神社与謝野町岩屋に参着

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社号標には゛式内 村社 阿知江部神社゛と刻字されています

20段程の石段の上に鳥居が建ちます

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石段を上がり 鳥居をくぐり抜けると 平坦な参道となっています

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 参道を戻り鳥居を抜けます

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 阿知江部神社について 所在は゛倉椅浦須津村に在す゛〈現 須津彦神社・須津姫神社(宮津市須津)〉と記しています

【抜粋意訳】

阿知江部神社

阿知江は前に同じ、岩部は伊曾部と訓べし、

〇祭神詳ならず

〇倉椅浦須津村に在す〔舊事記〕

類社
 伊勢國 朝明郡 石部神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 阿知江部神社について 所在は゛ 阿知江峠の麓 岩屋村にあり、自鬚大明神といふ、゛〈現 阿知江部神社与謝野町岩屋〉と記しています

【抜粋意訳】

 阿知江(アチエイソベノ)神社

 阿知江峠の麓 岩屋村にあり、自鬚大明神といふ、

凡 其祭 九月十四日を用ふ、〔神社明細帳、神社道志流倍、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 阿知江部神社について 所在は゛岩屋村〔字森谷口〕(與謝郡岩屋村大字岩屋)゛〈現 阿知江部神社与謝野町岩屋〉と記しています

【抜粋意訳】

 阿知江(アチエイソベノ)神社

祭神
祭日 十月二十三日
社格 村社

所在 岩屋村〔字森谷口〕(與謝郡岩屋村大字岩屋)

 今按 道志流倍に但馬出石郡へ越る山をアチエ峠と云 其南につづきたる麓に白鬚大明神と云あり よろしき社地也 前に川あり 後ろの山に廃寺の趾あり 上に雲岩とて遙に見上るばかり高く聳えたり云々とみえたる所在の證とすべし 

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

阿知江部神社与謝野町岩屋 (hai)」(90度のお辞儀)

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