鷹日神社(たかひじんじゃ)は 延喜式に鷹日神社 出雲風土記に多加比社とあり 古文書に天智天皇の7年(白雉7年 西661)9月11日 天照大神の御神霊をお祀りになった とされます
ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます
①まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記』
➁次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳』
➂最後に『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています
①【約1300年前】About 1300 years ago
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 意宇郡(ou no kori)
神祇官社(jingikan no yashiro )
【社名】多加比社
【読み】(たかひ)のやしろ
【How to read】(takahi no) yashiro
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
➁【約1100年前】About 1100 years ago
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 意宇郡(ou no kori)
【社名】鷹日神社
【読み】たかひのかみのやしろ
【How to read】takahi no kami no yashiro
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)
➂【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
鷹日神社(たかひじんじゃ)
(takahi jinja)
【通称名】(Common name)
【鎮座地】(location)
島根県松江市東津田町1376
【地 図】(Google Map)
【御祭神】(God’s name to pray)
《主》高皇産霊神(Takami musubi no kami)
大日霊女貴尊(Ohirumenomuchi no mikoto)
素盞嗚尊(Susanowo no mikoto)
宇迦之魂命(Ukanomitama no mikoto)
《合》八衢彦命(Yachimatahiko no mikoto)
岐戸大神(kunato no okami)
【御神格】(God’s great power)
・無病息災・商売繁盛・交通安全
【格式】(Rules of dignity)
・『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載社
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )』所載社
【創建】(Beginning of history)
長息の神、商売繁昌の神
延喜式内 鷹日神社の御案内御同座 鷹日道祖神 交通安全守護神様
御祭神 高皇産霊神 たかみむすびのかみ
大日霊女貴神おおひるめむちのかみ(天照大神)
素盞嗚尊 すさのおのかみ(病災除ノ神)
道祖神 八街の神やちまたのかみ 岐戸の神くなどのかみ由緒
延喜式に鷹日神社、出雲風土記に多加比社とあり、古文書に天智天皇の7年(白雉7年 西661)9月11日、天照大神の御神霊をお祀りになった。天智天皇7年夏 天下日照り続きで万民困り果てし時、天皇は諸国をご視察になった或る夜夢に白鷹が良く稔った稲穂を口にくわえて天皇の前に飛び来った。
天皇は、この日照り続きにこんな稔った稲穂がと喜び白鷹に「何処から来たか」と問えば「出雲の国意宇の郷より来た」と答えた。
天皇は夢より醒めたとき、外には雨が降りこの雨のため万民はすくわれた。
天皇は大変喜ばれ、これは天照大神のお助けと、早速出雲に勅使を出し、この白鷹をお探しになった。当社 高皇産霊神使神である白鷹がこの森にいたので新しく社殿を造り天照大神(大日霊女貴神)をお祀りになった。高皇産霊神は天照大神の親神様です。境内案内板より
【由緒】(history)
由緒
天智天皇7年天下日照り続きでこまりはてし時、天皇は夢に白鷹がよく稔った稲穂を口にくわえ天皇の前に現われた。天皇は「何処からきたか」と問えば「出雲の国意宇の郡」と答えた。天皇夢よりさめた時、外に雨が降り、この雨のため万民は救われ、この白鷹をお探しになり、当社の森に白い鷹がいたので、社殿を作り天照大神をお祀りになった。
神社史研究会HPより
【境内社】(Other deities within the precincts)
・馬場稲荷神社 《主》宇迦之魂命
・水玉稲荷神社 《主》宇迦之魂命
【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
松江駅から国道9号経由 南東へ約3.3km 車7分程度
鷹日神社前交差点を右折 鳥居が建ちます
鷹日神社(松江市)に参着
一礼をして鳥居をくぐり 参道を進むと 石段の上に社殿が建っています
石段を上がると正面に拝殿が建ちます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿から 向かって右回りに参拝順路となっていて
最初に岐戸大神(猿田彦大神)の石板があります
本殿と仰ぎ境内社 春日神社にお詣りをします
社殿に一礼をして 石畳みの参道を戻ります
【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
それぞれの文献では 次のように伝承しています
『雲陽志(unyo shi)』意宇郡 出雲江(adakae) にある伝承
『雲陽志(unyo shi)』では
鷹日神社を出雲風土記の意宇郡(ou no kori)多加比社(たかひ)のやしろ であり
延喜式神名帳の 鷹日神社 たかひのかみのやしろ としています
※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]
『原文』参照
国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『出雲国式社考(izumo no kuni shiki no yashiro ko)』意宇郡 にある伝承
鷹日神社は 出雲風土記の 多加比社(たかひ)のやしろ であるとしています
※『出雲国式社考((izumo no kuni shiki no yashiro ko))』[選者:千家梅舎/校訂者:岩政信比古]写本 ,明治02年(1906)
『原文』参照
鷹日神社(松江市)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社
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出雲國の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載されている当時の官社です 出雲國には 187座(大2座・小185座)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています
出雲國 式内社 187座(大2座・小185座)について