旦椋神社(あさくらじんじゃ)は 元々は『日本書紀』仁徳天皇 十二年秋七月に載る「栗隈縣の大溝(おおうなで)」この東側〔地名 旦椋(アサクラ〕に鎮座していた古社 延喜式内社 山城國 久世郡 且椋神社(あさくらの かみのやしろ)です 天文十九年(1550)に焼失し 永禄九年(1566)現在地に移転再興されたと伝わります
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
旦椋神社(あさくらじんじゃ)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
京都府宇治市大久保町北ノ山109番地1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》高皇産靈神(たかみむすびのかみ)
神皇産靈神(かみむすびのかみ)
《合》菅原道眞公(すがはらみちざねこう)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
式内 旦椋神社
[祭神]
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
菅原道真公(すがはらみちざねこう)[縁起]
当 旦椋(あさくら)神社は、養老四年(七二〇)の日本書紀に栗隈県(くりくまのあがた)の大溝(おおうなで)(栗隈大溝)の東側(地名旦椋)に、古社としてあったと伝えられていますが、この社は天文十九年(一五五〇)に焼失しました。
現在の社は、大久保町旦椋の地より永禄九年(一五六六)にこの地に移転再興されたことが、吉田兼右の「兼右卿記(かねすけきょうき)」に見えます。
また、延喜年間(九〇一~九二三)に編さんされた「延喜式(えんぎしき)」に記録されている神社を延喜式内社とよび、旦椋神社もその中のひとつです。本殿は延宝二年(一六七四)に改築されたもので、京都府登録有形文化財(昭和六○年五月)に指定されました。
現地案内板より
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【由 緒 (History)】
『大日本地名辞書 上巻 二版』〈1907年〉に記される内容
【抜粋意訳】
大久保
大久保村、今 大久保廣野の二大字に分る、栗隈天神社 大久保の東に在り、式內 旦椋神社是也。
旦椋(アサクラ)神社
神祇志料云、今栗隈社と稱す、社の後に七の小家あり土人 七社(ナナノヤシロ)といふ、其家邊を字 淺食(アサクヒ)と云ぶ由 水帳に見えたるは旦椋(アサクラ)の轉音なるべし。
○旦椋は栗隈縣の屯倉(ミヤケ)にして 古言 丸木を架し造れる庫を云ふ、後世 校倉(アセクラ)と云ふに同し。
山城志云、桓武帝第七子 彈正尹明日香親王墓、在廣野村東、呼曰 別所墓。河田氏云、別所墓は大久保の東にして 舊 旦掠社の後にあり、其親王墓たるや否やは詳ならず。
【原文参照】
吉田東伍 著『大日本地名辞書 上巻 二版』,冨山房,1907/10/17. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2937057
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)久世郡 24座(大11座・小13座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 旦椋神社
[ふ り が な ](あさくらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Asakura no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載「アサクラ ノ カミノヤシロ」の名称を持つ式内社について
『延喜式神名帳』に所載「アサクラ ノ カミノヤシロ」の名称を持つ式内社は 三つあります
各々の論社について 下記の記事を参照
①延喜式内社 山城國 久世郡 且椋神社(あさくらの かみのやしろ)
・旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)
旦椋神社(あさくらじんじゃ)は 元々は『日本書紀』仁徳天皇 十二年秋七月に載る「栗隈縣の大溝(おおうなで)」この東側〔地名 旦椋(アサクラ〕に鎮座していた古社 延喜式内社 山城國 久世郡 且椋神社(あさくらの かみのやしろ)です 天文十九年(1550)に焼失し 永禄九年(1566)現在地に移転再興されたと伝わります
旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)〈『延喜式』且椋神社〉
②延喜式内社 紀伊國 名草郡 朝椋神社(あさくらの かみのやしろ)
・朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)
朝椋神社(あさくらじんじゃ)は 社傳には「神代 大國主命が伯耆國より難をさけ 紀伊國の大屋毘古神(伊太祁曽神)を訪れた時 此地に來くると「天つ空なほ明けやらで物の色さへ わからなかったので其地をさして朝暗(あさくら)と名付けた」と云う 延喜式内社 紀伊國 名草郡 朝椋神社(あさくらの かみのやしろ)です
朝椋神社(和歌山市鷺ノ森明神)〈『延喜式』朝椋神社〉
③延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)
・朝倉神社(高知市朝倉)
朝倉神社(あさくらじんじゃ)は 神社後方の赤鬼山を神体山として朝日さす南東の麓より拝むべく現在の所に社殿を建てられたと伝わります 天津羽羽神を祀り 後の世の遷座もなく 古代より此処に鎮座まします延喜式内社 土佐國 土佐郡 朝倉神社(あさくらの かみのやしろ)で 土佐国中でも稀な古社です
朝倉神社(高知市朝倉)〈『延喜式』朝倉神社〉
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄京都線 大久保駅から南方向へ約400m 徒歩での所要時間5~6分程度
瓦葺の神門が南を向いて建っています
旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)に参着
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ここから後を振り返ると 参道はさらに南へと延びていて 鳥居が建っています
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神門をくぐり抜けて境内に進むと 正面に拝殿が建っています
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割拝殿にすすみます
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割拝殿の前には「撫で牛」 おそらく祭神に菅原道眞公が祀られているので 天神信仰があるのでしょう
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割拝殿を進むと 屋根の付いた廊下が 本殿の前まで続いています 左右の石灯籠には「天満宮」と刻まれていますので やはり 天満宮として 認識されていることがわかります
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この「天満宮」と刻まれた石燈籠の右手には 覆い屋があり 境内社が2宇祀られています
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本殿の前に拝所があります
本殿には「天満宮」の提灯が掲げられています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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本殿は 中門と透塀に囲まれて建てられています
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本殿の造りは 檜皮葺 一間社春日造で 彩色が施されています
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社殿に一礼をして 割拝殿を戻ります
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境内参道を戻り 神門へと向かいます
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参道は さらに南へと延びています
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 旦椋神社について 所在は゛大久保村に在す、今 栗隈社と稱す、゛〈現 旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)〉と記しています
【抜粋意訳】
旦椋神社
且棕は阿左久良と訓ベし
○祭神詳ならず
○大久保村に在す、今 栗隈社と稱す、〔山城志〕
類社
紀伊國名草郡 朝掠神舎、土佐國土佐郡 朝倉神社、
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 旦椋神社について 所在は゛今 大久保村 栗隈社にあり、゛〈現 旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)〉と記しています
【抜粋意訳】
旦椋神社、
今 大久保村 栗隈社にあり、〔山城志、式社考徵、〕〔〇按 栗隈社の後に七の小家あり、土人 七社といふ、其家邊を字 淺食と云由 水帳に見えたるは、旦椋の轉音なるべし〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493
栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815493
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 旦椋神社について 所在は゛大久保村 栗隈山 (久世郡大久保村大字大久保 )゛〈現 旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)〉と記しています
【抜粋意訳】
旦椋神社
祭神
今按 社傳に祭神 旦椋神は土佐國土佐郡 朝倉神社 同神か さらば土佐風土記に土佐ノ郡有ニ 朝倉郷 郷中ニ有 社ヲ名ニ 天津羽々神(アマツハハノカミ) 天ノ石帆分ノ命(イシホワケノミコト) 今 天ノ石門別ノ神 子也とある天津羽々神ならん 又 石見國安濃郡に朝倉彦命神社あり 之によらば朝倉彦命ならん欺 定めがたし姑く附て考に備ふ
祭日 七月五日 九月七日
社格 村社所在
大久保村 栗隈山 (久世郡大久保村大字大久保 )
今按 山城志 在ニ 大久保村栗隈杜 社後有ニ 小家七 土人號ニ 七社とあり
式社考徵に今 實地を見るに彼神社は邑より東にあり 小家七は邑より西にありて 其小家の邊を字浅食と云 郷内水帳にみゆ境内百四十間四面除とある浅食は旦掠の轉訛なるべし姑附て考に備ふ
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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山城国 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです
山城國 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)