葦原中国(あしはらのなかつくに)への最終使者
天照大御神(あまてらすおほみかみ)は 次なる 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を 建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)しました
・鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)《主》武甕槌大神
『古事記』神話には
「天照大御神(あまてらすおほみかみ)は 次なる 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 伊都之尾羽張神(いつのをはばりのかみ)がよろしい もし この神でなければ その神の子 建御雷之男神(たけみかづちのかみ)を遣(つかわ)すべきでしょう
しかし 天尾羽張神(あめのをはばりのかみ)は 天安河(あめのやすのかわ)の水を塞(せ)き止め 逆流させ 道を塞ぎ 他の神では進めませんので 天迦久神(あめのかくのかみ)〈鹿神〉を 遣(つかわ)してみましょう」と記されます
鹿島神宮(かしまじんぐう)は 武甕槌大神(たけみかづちのおほかみ)を祀る鹿島神社〈全国に約600社〉の総本宮です 『常陸国風土記713AD.』には 香島天之大神(かしまのあめのおほかみ)・『延喜式神名帳927 AD.』には 名神大社 鹿島神宮(かしまの かむのみや)と記されています
鹿島神宮(鹿嶋市宮中)〈延喜式内社名神大社・常陸國一之宮〉
・石船神社(茨城県東茨城郡城里町)《主》鳥之石楠船神〈天鳥船神〉
『古事記』神話には
「そこで 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を 建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)しました」と記されます
石船神社(いしふねじんじゃ)は 鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)〈別名を天鳥船神〉を祀ります 『古事記』では 天照大御神の詔により 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)したとあります
石船神社(東茨城郡城里町岩船)〈延喜式内社〉
『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承
【抜粋意訳】
ここに 天照大御神(あまてらすおほみかみ)は仰せられた
「どの神を遣(つかわ)したらよいか」
すると 思金神(おもいかねのかみ)と諸神が申されるには
「天安河(あめのやすのかわ)の 河上(かわかみ)天石戸(あめのいわと)に居る 伊都之尾羽張神(いつのをはばりのかみ)がよろしい もし この神でなければ その神の子 建御雷之男神(たけみかづちのかみ)を遣(つかわ)すべきでしょう
しかし 天尾羽張神(あめのをはばりのかみ)は 天安河(あめのやすのかわ)の水を塞(せ)き止め 逆流させ 道を塞ぎ 他の神では進めませんので 天迦久神(あめのかくのかみ)〈鹿神〉を 遣(つかわ)してみましょう」と言いました
天迦久神(あめのかくのかみ)〈鹿神〉を 遣(つかわ)して 天尾羽張神(あめのをはばりのかみ)に 尋ねてみると
「謹みお仕えいたします しかし わたしの子 建御雷神(たけみかづちのかみ)を 遣(つかわ)しましょう」と答えた
そこで 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を 建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)しました
【原文参照】
⑱国譲り(くにゆずり)伊那佐之小浜(いなさのおはま) に進む
天照大神(あまてらすおほみかみ)の使いとして 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)が 出雲国の 伊那佐の小浜(いなさのおはま)に降り立ち 大国主神(おおくにぬしのかみ)に 国譲り(くにゆずり)を迫ります
⑱国譲り(くにゆずり)伊那佐之小浜(いなさのおはま)と多芸志之小浜(たぎしのおはま)
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう
”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台