実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

⑪小名毘古那神(すくなひこなのかみ)と久延毘古(くえびこ)

大国主神と小名毘古那の二柱の神は 並んで
この国〈日本〉を作り堅めた "国造りの神"として
 描かれる

大国主神(おほくにぬしのかみが 出雲の御大御埼(みほのみさき)にいた時 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)が 海の彼方から天羅摩船(あまのかがみのふね)に乗って寄り来られた

この神のことは 誰もわからなかったが 久延毘古(くえびこ〈山田の案山子〉が知っていて 神産巣日神かみむすひのかみ)の手の股またからこぼれて落ちた御子神と知ることになった
神産巣日神の命令により 大国主神と小名毘古那の二柱の神は 並んで〈共に偉大な神として〉 この国〈日本〉を作り堅めました

その後 小名毘古那神は 常世(とこよ)に渡られました

・天神社(あまつかみのやしろ)《主》少彦名命(すくなひこなのみこと)

『古事記』神話には
大国主神(おおくにぬしのかみが 出雲の御大の御前美保岬にいたときに波立つ上に 天の羅摩船(あめのかがみのふね)に乗りて小名毘古那神(すくなひこなのかみ)が寄られた」と記されます

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天神社〈美保神社 境外社〉(松江市美保関町)

天神社(あまつかみのやしろ)〈美保神社 境外社〉は 『古事記』神話にある 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)が 海の彼方から天羅摩船(あまのかがみのふね)に乗って寄り帰り来た 我が日本国への上陸の地 出雲の御大御埼(みほのみさき)であるとするならば 神代から鎮座する由緒ある古社となります

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粟嶋神社(米子市 彦名町)《主》少彦名命

『古事記』神話には
「その後 その 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)は 常世国(とこよのくに)へと渡られました」と記されます

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粟嶋神社(米子市 彦名町)

粟嶋神社(あわしまじんじゃ)は 粟茎に弾かれて常世(tokoyo)へ渡った少彦名命を祀ります 木々に覆われた長い石段を登り抜けた 粟嶋の頂上は 天空の輝きを纏い 尋常ではない神々しさを放ちます ひょっとすると この神域は「常世の国」に通じている空間?なのでしょうか

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手間天神社(松江市竹矢町)《主》少名毘古那神

『雲陽志(unyo shi)』には
竹屋「手間天神」 少彦名神の神廟なり 本社南向 寛文三年(1663)太守源直政公造営棟札ありと記され
古事記』に記される少名毘古那神が 手間天神と呼ばれる由来〈神産巣日神(カミムスビカミ)の手の股またからこぼれて落ちた子ども〉が描写され 菅原道真公を祀る菅原天神とは誤りである 出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)の「塩盾島(しおたてしま)」とある と記しています

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手間天神社(松江市竹矢町)〈少彦名神の神廟〉

手間天神社(てまてんじんしゃ)は 少彦名神の神廟と伝えられます 社名の手間天神とは 記紀神話にある「神産巣日神の手の指の間から落ちた天神」の名を冠します 733 AD出雲國風土記に所載の不在神祇官社「米那為社(まない)のやしろ」の論社とされています

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・目久美神社米子市目久美町《主》素盞鳴尊(すさのをのみこと)久延毘古命(くえびこのみこと)《合》菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

『古事記』神話には
この 小名毘古那神(すくなひこなのかみのことを申し上げた 久延毘古(くえびこ案山子というのは  山田の曽富騰(そほど山田の案山子〉といいます この神は では歩あるきませんが 天下のことをすかり知ているです」と記されます

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目久美神社(米子市目久美町)

目組神社(めぐみじんじゃ)は 久延毘古命(くえびこのみこと)」が御祭神です 『古事記』神代巻に「この 小名毘古那神(すくなひこなのかみ)のことを申し上げた 久延毘古(くえびこ)というのは 今 山田の曽富騰(そほど)〈山田の案山子〉といいます この神は 足では歩あるきませんが 天下のことをすっかり知っている神です」と記されます

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久延彦神社(桜井市三輪)〈大神神社 末社《主》久延毘古命(くえこのみこと)

『大神神社史1975年 大神神社社務所発行〉によれば 久延彦神社(くえひこじんじゃ神代よりこの地に祀られると伝わります

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久延彦神社(桜井市三輪)〈大神神社 末社〉

久延彦神社(くえひこじんじゃ)は 大神神社の境外末社です 御祭神 久延毘古命は 『古事記』に「世の中の事をことごとく知っている智恵の神様〈山田の案山子〉」と記されています 受験合格・学業向上の霊験あらたか 十二月第一日曜は 入試安全祈願祭があります 

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『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

【抜粋意訳】

そこで 大国主神(おほくにぬしのかみ 出雲の御大御埼(みほのみさき)においでになつた時に 立つに 天羅摩船(あまのかがみのふね)に乗って (ひむし)の皮を剥いで作ったを着て 寄り来る神がいました

その名を聞きましたけれども お答えにならず
また 者の神たちに 尋ねられましたが 皆知りませんでした
ところが 多邇具久(たにぐくヒキガエルが言には「これは 久延毘古(くえびこ案山子がきと知つているでしよう」と申しました

その 久延毘古(くえびこ案山子を呼んで お尋ねになると「これは神産巣日神かみむすひのかみ)の御子(みこ)小名毘古那神(すくなひこなのかみ)でございます」と申しました

 神産巣日神かみむすひのかみ)に申し上げたところ「正〈まさ〉に 我が子だ 子どもの中でも わたしの手の股(また)から こぼれて落ちた御子である あなた〈小名毘古那神〉は 葦原色許男命(あしはらしこおのみことと相並び〈共に偉大な神として〉 この國を作り堅めなさい」と仰せられました

それで それから 大穴牟遅(おほなむぢ)と小名毘古那(すくなひこな)の二柱の神は 並んでこのを作り堅めました

その その 小名毘古那神 常世国(とこよのくに)へと渡られました

この 小名毘古那神(すくなひこなのかみのことを申し上げた 久延毘古(くえびこ案山子というのは  山田の曽富騰(そほど山田の案山子〉といいます この神は では歩あるきませんが 天下のことをすかり知ているでございます

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

⑫幸魂奇魂・御諸山(みもろやま)に坐(ましま)す神 に進む

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⑫幸魂奇魂・御諸山(みもろやま)に坐(ましま)す神

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”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
『古事記』に登場する神話の舞台 に戻る

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”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)『古事記』に登場する神話の舞台

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