湯前神社(ゆぜんじんじゃ)は 熱海温泉の守り神として 少彦名命が祀られる 式内社「久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)」の論社です 創建は 今から1200年程前 天平勝寶元年(749)と伝わり 伝説では その頃 熱海の海中に沸いていた熱湯を 高僧の萬巻上人が山腹に移し その近くに祠を祀ったのが始まりと伝わります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
湯前神社(Yuzen Shrine)
(ゆぜんじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
静岡県熱海市上宿町4-12
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》少彦名命(Sukunahikona no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
社伝によれば「天平勝寶元年(749)その頃 熱海の海中に沸いていた熱湯を高僧の萬巻上人が山腹に移し その近くに祠を祀ったのが始まりとの伝説」より 以前の創建としています
【由 緒 (History)】
湯前神社(ゆぜんじんじゃ)由来記
祭神 少彦名神(すくなひこなのかみ)
玄古(いにしえ)大己貴神(おおなもちのかみ)、少彦名神の二柱 我が秋津洲の民が夭折(わかしに)することを憫(あわれ)み禁薬(くすり)と温泉の術を制めたまいき(伊豆風土記)とある如く温泉の神として古代から尊崇されている。例祭 二月十日。十月十日
由緒
旧記に依れば「今から一千二百余年前(天平勝宝元年)神、小童に託して曰く、諸人此なる温泉に浴せば諸病悉(ことごと)く治癒(じゆ)せんと因(よ)って里人 祠(ほこら)をたて少彦名神を祀る」とあり。
然れども往古 熱海に温泉の湧出せし時には 既に祀られしものと考えられる。永正十八年、寛文七年に再興している。平安朝の頃より徳川明治に至る迄公家、将軍、大名等を始め入浴者及び一般庶民の崇敬が厚い。特殊神事 献湯祭(けんとうさい)。湯汲(ゆく)み道中。
毎年春秋二季の例祭に当り 神前に元湯の温泉を献湯して 浴客の健康安全を祈り併せて江戸城へ当温泉を献上せし往古を偲んで 古式に則り「湯汲み道中」が行われ此の日は市中が賑わう。
撰文 雨宮治一
書 鈴木丹陽社頭の案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
熱海温泉の開湯とされる 大湯の守護
熱海温泉の歴史は古く 伊豆風土記の記述(713年)によれば「天孫降臨に先立って 大己貴命と少彦名命は 秋津の国の民が若死にするのを憫んで 少彦名命が製薬温泉之術をたずさえ 伊豆国の神の湯に至り この湯は 一昼夜に二度烈しく山岸屈中火焔隆発して 温泉となり出る これを桶に入れ 身を浸すと諸病が悉く治った」とあり この記述が 箱根と熱海の大湯とされます
関東大震災(1923)までは 古来から大湯の間欠泉は 世界の三大間欠泉と云われた世界的にも有名な自噴泉で 昼夜6回 湯と蒸気を交互に激しい勢いで噴出し 地面が揺れるようであった とされています
現在は 人工的に温泉を噴出させています
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っていま
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 久豆弥神社
[ふ り が な ](くつみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kutsumi no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
式内社「久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)」の論社について
・葛見神社(伊東市馬場町)
葛見神社(くずみじんじゃ)は 葛見の庄の初代地頭 工藤祐高公〈伊東家次・・・伊東家の祖〉が社殿を造営し 守護神として京都伏見稲荷を勧進合祀して 伊東家の厚い保護と崇敬を受けて神威を高めてきました 境内の大クスは 樹齢約千年 目通り20mに及び全国でも有数な老樟として有名です
葛見神社(伊東市馬場町)
・湯前神社(熱海市上宿町)
湯前神社(ゆぜんじんじゃ)は 熱海温泉の守り神として 少彦名命が祀られる 式内社「久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)」の論社です 創建は 今から1200年程前 天平勝寶元年(749)と伝わり 伝説では その頃 熱海の海中に沸いていた熱湯を 高僧の萬巻上人が山腹に移し その近くに祠を祀ったのが始まりと伝わります
湯前神社(熱海市上宿町)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
来宮駅から東へ約550m 徒歩8分程度
熱海のあちらこちらに源泉の吹き出しをタンクに貯めています
熱海温泉の開湯の大湯のすぐ脇に鎮座します
坂の下からは 大楠の鎮守の杜があります
湯前神社(Yuzen Shrine)に参着
社頭には道路に面した左手には 幹回り7.2mの「大楠」があり神社の風格を増しています 社号標と鳥居の扁額には「湯前神社」とあります
一礼をして石鳥居をくぐります
すると 驚くことに手水が右手にあるのですが 大きな溶岩の上から 温泉が湧いています 湯の出口辺りには 大己貴命と少彦名命の石像があり 有り難く手水(温泉)で 清めようと思い手を出すと 熱湯に近い温度ですので ご注意を
拝殿にすすみます 扁額には白文字で「湯前神社」と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
湯気の立ち上る参道石段を戻り 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
湯前神社(熱海市上宿町)は 今から1200年程前の天平勝寶元年(749)に創建と伝わり その頃 熱海の海中に沸いていた熱湯を高僧の萬巻上人が山腹に移し その近くに祠を祀ったのが始まりとの伝説があり そのことが記されています
【意訳】
熱海
南上多賀一里十二町三十七歩 初島へ海路三里
往古は 熱泉湧出て 濁流の海に入る故に湯河原村と称す 永正頃迄 この小名あり 湯前ノ神の祠の上梁文に見る
但し 熱泉 海に入るのみならず 海の中にも亦 泌湧す 因りて熱海云う あたみは あつうみ なり
一説に 天平寶字年中 箱根山の僧 萬巻上人 その地に至り 海中の魚亀の焼け死ぬを見て 憫然とし心を痛め 梵を唱えて祈りければ 沸く泉 にわかに山の峡に湧いたと予意ふに 萬巻温泉の能は 病疫を癒しを知って 人の為に この地を開きしなるべし 准后親房の記に 伊豆風土記を引くを云う 人皇44代 養老年間 開基すと定かならず
熱海地誌に云う 云々
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
源実朝(みなもとのさねとも)公の歌碑について
「都より 巽にあたり 出湯あり 名は吾妻路の 熱海といふ 源実朝」
「源実朝の歌碑」について
建仁(けんにん)三年(一二○三)九月一五日、鎌倉三代将軍となった源実朝は、初代 源頼朝(みなもとのよりとも)によって始められた箱根権現(はこねごんげん)と伊豆山(いずさん)(走湯 そうとう)権現の「二所詣(にしょもうで)」を、最も真摯に受け継ぎました。
この歌は建保二年(一二一四)正月、実朝二十三歳、第四回目の二所詣のとき、箱根権現から三島社を経て伊豆山権現に向かう途中、熱海のこの地にさしかかり、海岸に湧出する温泉(大湯)を見て、崇め讃えて詠んだものと思われます。
天和元年(一六八一)に描かれた「豆州熱海絵図」にも湯前神社(ゆぜんじんじゃ)を示す絵図とともに実朝のこの歌が記されています。
案内板提供・湯前神社奉賀会
式内社「久豆弥神社(くつみの かみのやしろ)」の伝承について
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
式内社「久豆彌(クツミノ)神社」の所在について 岡村〈現 葛見神社(伊東市馬場町)〉と記しています
【意訳】
久豆彌神社 岡村
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
熱海の大湯の西にある来宮神社である と記しています
【意訳】
久豆弥(クツミ)神社
〇今曰く 木宮明神在 熱海大湯の西
和抄 直見多見 今の熱海呼
〇越前国 久豆弥神社 丹後国 木積神社
志 元禄10年の棟札に葛見大社 岡村稲荷云々 賀茂郡岡村にあり
〇信友云う 和名抄 田方郡 久寝(クスミ)の書入と見合うべし
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
所在は 岡村〈現 葛見神社(伊東市馬場町)〉と記しています
【意訳】
久豆彌神社
久豆彌は 仮字なり
〇祭神 詳らかならず
〇久寝郷岡村に在す 今 賀茂郡に属す
伊豆志に 元禄10年の棟札に 葛見大社 岡村稲荷云々と云えり
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
式内社「久豆彌(クツミノ)神社」の所在について 諸説あるが 熱海村 温泉明神〈現 湯前神社(熱海市上宿町)〉と定めるのが妥当であると記しています
【意訳】
久豆彌(クツミノ)神社
祭神
祭日
社格
所在
今按〈今考えるに〉
当社 所在未詳
豆志に 久豆彌神社 賀茂郡岡村 元禄10年 上梁文に葛見大社 岡村稲荷 者 藤原朝臣鎌足大臣16代後胤 工藤大夫佑高公の修造なり とみゆ されど葛見大社と有のみにて他に証なければ定め難し
神名帳考証に 木宮明神 在に熱海大湯の西云々 或いは云う 五十猛命と称す 又 熱海村温泉明神なるべし
豆志に云う 伊豆峰記に湯前権現とす
熱海温泉記に云う 天平勝寶元年6月 神小童に託して 温泉を汲取りてこれに浴せば能衆疾を治せんと教え給いぬ 里人因って祠を建て 少彦名命を祀ると 永正18年 上梁文に熱海郷 湯瓦原村 湯宮禰宜 四郎太夫家吉 その外官位人6人と記すとあり
伊豆國風土記に曰稽温泉 玄古天孫未降なり 大己貴尊 少彦名命 我秋津洲 民が夭折(わかしに)することを憫(あわれ)み禁薬(くすり)と温泉の術を制めたまいき 伊津神湯 又 敷而して箱根之元湯これなり 走湯者不然養老年中開基 非尋常出湯 一昼夕二度 山岸屈中火焔隆発 而して出温泉 甚だ烈鈍沸湯以って 桶盛湯 浸す身 諸病治癒とみゆ これによる温泉記の説は旧よりかかる伝えの残るを取り合わせて 天平勝寶とは云いしが 又 社を建てしは この時にや 久豆彌(クツミノ)の地名も この神を祀りしより出たるにて 奇霊(クスビ)ノ神の義ならんとみえ
又 一説に八幡村木宮明神なるべしと云えり この社は豆志に云う一祠両扉なり 大見16村の総鎮守と称す云々とあり 旧く田方郡にして葛見庄とも云いたれば これならん歟 尚よく考べしと云えるが 中に就いて熱海村 温泉明神 所由ありて聞こえれば こり社と定めるべきに似たり
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
式内社「久豆彌(クツミノ)神社」の所在として 三社〈・葛見神社(伊東市馬場町)・湯前神社(熱海市上宿町)・熱海 來宮神社(熱海市西山町)〉あるが 定めがたいと記しています
【意訳】
久豆彌(くずみの)神社
所在未定
賀茂郡 岡村鎮座 葛見(くずみ)神社 国圓豆志考證及び注進の一説
同 郡 熱海村 熱海(あたみ)の湯の明神 神階帳 今称す 湯前神社 考証及び注進の一説特選
同 群 八幡村 来宮(きのみや)社 考證及び注進の一説續攷三社の内 いづれならむ確定めがたしにて 来宮神社は神階帳の多の明神 多の字の下見を脱したるにて多見の明神なるべくゆ八幡村は即ち 大見に属す
ならむの能く攷へまほしき事にこそ
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6 編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』
湯前神社(Yuzen Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について