楊原神社(やなぎはらじんじゃ)は 伊豆国三之宮とされる名社で 三嶋大社に次ぐ古い歴史を持ち『延喜式神名帳』所載の名神大社です この地は 三嶋大社の境外摂社として かつて伊豆国の国府があった場所の付近に鎮座していますので 沼津に鎮座する楊原神社を国司が遥拝する為の遥拝所とした説や 国境が変わったので遷座したのであろうとの説もあります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
楊原神社(yanagihara shrine)(三島市)
(やなぎはらじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (location) 】
静岡県三島市北田町4-7
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大山祇神(oyamazumi no kami)
事代主神(kotoshironushi no kami)
【御神格 (God's great power)】
・災難除 Avoid disasters and hardships
・病気平癒 God cures the disease
・安産の神 God celebrating the birth of a healthy child and the safety of the mother
【格 式 (Rules of dignity) 】
・名神大社(myojin taisha)
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・三嶋大社 摂社 八所別宮
・伊豆国三之宮
【創 建 (Beginning of history)】
【由 緒 (history)】
楊原神社(やなぎはらじんじゃ)
鎮座地 三島市北田町4番7号
御祭神 大山祇神(おおやまずみのかみ)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
例祭日 7月5日由緒
三嶋大社の境外摂社、伊豆国の三ノ宮と称せられ、伊豆国の名社である。
本社は昔、駿河国 駿東郡 香貫村(沼津市)の地にあったが 後に 伊豆国地内の本社 三嶋大社の鎮座地 三島市小中島に遷座して地名をも楊原と称した。そして元和9年(1623)徳川家光が社殿を現地に遷しまつったと伝えられる。
古くから、災難除、病気平癒、安産の神として篤い信仰がある。境内の案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内 名神大社(myojin taisha)
[旧 神社名 ] 楊原神社(名神大)
[ふ り が な ](やなきはらの かみのやしろ)
[How to read ](yanakiharano kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
当社が『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載の論社には 2通りの説があります
①「国府からの遥拝所」とする説
三島にあったとされる伊豆国の国府の傍に鎮座しますので 沼津の元社「楊原神社(yanakiharano kamino yashiro)」の「国府からの遥拝所」と推測している説
➁元宮の遷座とする説
沼津の元社「楊原神社(yanakiharano kamino yashiro)」の鎮座地が 駿河国に編入されたので中島に遷座します のちに同所に徳川家光公が 御殿を建設された折 現在の三島市北田町に遷座したという説
ここに出る 沼津の元社「楊原神社(yanakiharano kamino yashiro)」とされている楊原神社(yanagihara shrine)(沼津市)の記事もご覧ください
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
三島田町駅から 北側へ 230m 徒歩3分程度 三島市役所の西側に周りを住宅地に囲まれて鎮座します
楊原神社(yanagihara shrine)(三島市)に到着
道路に面して玉垣があり 鳥居が建ちます
一礼してから鳥居をくぐり抜けます
鳥居の左後ろには 社号標が建っていて「官幣大社 三島神社摂社 楊原神社」と刻まれています
石畳の参道が真っ直ぐに伸び 正面には社殿が建ち 左手にはおそらく「神輿庫」が建っています
参道の右側に「三島の七石(nana seki)」の1つ蛙石(kaeru ishi)があります(三島七石⇒・山田の鬼石・蛙石・市子石・祟り石・笠置石・蛇石・耳石)
蛙石は、神社入口から見ると、いかにも蛙が向こう向きに座ったような形で置いてある自然石である。
昔から「三島七石」の一つとして宿場に住む人々に親しまれ、愛されてきたという。その形状が親しみ深かったのだろう。
平成八年三月 三島市教育委員会”境内立て看板より
樹齢400年のケヤキの大木が 本殿を囲むように立ち並んでいます
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
参道を戻り 鳥居をくぐり抜けて 振り返り一礼
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』に記される伝承
意訳
「 三島の楊原に「楊原神社」があって 第三宮とされている
この神社は 式内社で そのころ伊豆国領内であった沼津の香貫に祀られていましたが 駿河の国に国境が変わったため「伊豆三島御殿地(第三代将軍家光公の三島御殿の建設地)に遷宮されて祀られた 楊原という地名は神社に因んで呼ばれている
元和 9年(1623)第三代将軍家光公が 上洛のために三島御殿の建設に当たり(東へ200m程) 現在の地(三島市役所西)に移された 」と記されています
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
三嶋大社の境外摂社で 伊豆国三之宮とされる名社です かつて伊豆国の国府があった場所付近に鎮座していて 三嶋大社に次ぐ古い歴史を持ちます
楊原神社(yanagihara shrine)(三島市)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
三嶋大社の記事もご覧ください
三嶋大社(みしまたいしゃ)は 古くから伊豆諸島の噴火・造島活動を司る神として 朝廷の尊崇を受ける 伊豆国一之宮です 平安中期以降に伊豆国賀茂郡から現在地に移ったとされ 平安末期には源頼朝が 源氏の再興を願い参詣祈願の後 治承4年(1180)旗挙げを果たし 鎌倉武家政権を樹立し 鎌倉幕府崇敬の神社となり 現在に至ります
三嶋大社(三島市大宮町)〈延喜式内社 名神大社・伊豆國一之宮〉
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伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について