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山城國 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

山城国(やましろのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 山城国 の122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)の神社のことです

山城国 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

山城国(やましろのくに)について

山城国(やましろのくに)は  令制国の一つ畿内に属する
現在の京都府南部

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(いにしえ)は「山背(やましろ)」「山代(やましろ)」と記されていた

「山背(やましろ)は 平城京〈奈良〉の背〈北側〉にある地域だったので「奈良山のの意
あるいは 奈良京(ならのみやこ)〈平城京から「山のあなた」とされたところの

7世紀に「山背国(やましろのくに)」という表記で国が建てられ
延暦13年(794)桓武天皇(かんむてんのう) 平安京築き遷都する
桓武天皇の詔(みことのり)により 国名山城国(やましろのくに)と改められ

詔(みことのり)
此(こ)の国 山河(やまかわ)襟帯(きんたい)にして自然に城を作(な)す
斯(か)の形勝に因(よ)りて新号を制すべし 宜(よろ)しく山背国を改め山城国となすべし」以後「山城改め

五畿五畿七道内の序列も 大和国(やまとのくに)〈奈良〉に代わって首位となり 名実 都の国とされた

平安遷都 以来 江戸時代末まで 都がおかれた

明治元年(1868)閏4月京都府が置かれ
明治元年 4年7月に淀藩が県となり 同年 11月に丹波国とともに京都府に
さらに 1876年統合されて今日の京都府令制国でいう山城国の全域丹波国の東部丹後国の全域を府域となった

乙訓郡(をとくにの こおり) 19座(大5座・小14座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

羽束師坐高御産日神社(大 月次 新嘗)(はつかしにます たかみむすひの かみのやしろ)

羽束師坐高御産日神社京都市伏見区

一緒に読む
羽束師坐高御産日神社(京都市伏見区羽束師志水町)

羽束師坐高御産日神社(はづかしにます たかみむすひじんじゃ)は 社伝によれば 創建〈雄略天皇21年丁己(477)〉と伝わり 京都でも古社となります 高皇産霊神(たかみむすひのかみ)を祀る 延喜式内社 山城國 乙訓郡 羽束師坐高御産日神社(大月次新嘗)(はつかしにますたかみむすひの かみのやしろ)です

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与杼神社(よひの かみのやしろ)

・與杼神社(京都市伏見区淀本町)

・與杼神社御旅所(京都市伏見区淀大下津町)
〈與杼神社 旧鎮座地〉

大井神社(おほいの かみのやしろ)

・大井神社(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)

・綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)

乙訓坐 大(火)雷神社(名神大 月次 新嘗)(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)の かみのやしろ)

・角宮神社(長岡京市井ノ内南内畑)

・向日神社(向日市向日町北山)
〈向日神社に合祀の火雷神社〉

・菱妻神社(京都市南区久世築山町)

石作神社(いしつくりの かみのやしろ)

・大歳神社(京都市西京区大原野灰方町)
〈相殿に合祀 石作神〉

・早尾神社(京都市西京区大原野石作町)
〈石作神社の旧鎮座地〉

・八幡宮社〈長峰八幡宮〉(京都市西京区)
〈石作神社の旧鎮座地〉

走田神社(はしりたの かみのやしろ)

・走田神社(長岡京市奥海印寺走田)

〈合祀もしくは境内社〉菱妻神社(京都市南区久世築山町)

御谷神社(みたにの かみのやしろ)

・御谷神社(長岡京市浄土谷宮ノ谷)

國中神社(くなかの かみのやしろ)

・綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)

向神社(むかへの かみのやしろ)

・向日神社(向日市向日町北山)

大歳神社(大 月次 新嘗)(おほとしの かみのやしろ)

・大歳神社(京都市西京区大原野灰方町)

茨田神社(またの かみのやしろ)

・〈旧鎮座地〉出雲路の森〈茨田神社 旧鎮座地〉

・〈合祀もしくは境内社〉菱妻神社(京都市南区久世築山町)

・綾戸國中神社(京都市南区久世上久世町)

石井神社(いはいの かみのやしろ)

・石井神社(京都市西京区大原野石作町)

神川神社(かむかはの かみのやしろ)

・神川神社(京都市伏見区羽束師鴨川町)

久何神社(くかの かみのやしろ)

・久我神社(京都市伏見区久我森の宮町)

一緒に読む
久我神社(京都市伏見区久我森の宮町)〈゛興我萬代繼神゛六国史『三代実録』〉

久我神社(こがじんじゃ)は 創建について 神社の旧記には゛桓武天皇が山背長岡に遷都された延暦3年頃(784)王城の艮角の守護神として御鎮座゛とあり 一説には往古 山背久我国造として 北山城一帯に蟠踞した久我氏の祖神 興我(こが)萬代繼神を祀ったとされる 延喜式内社 山城國 乙訓郡 久何神社(くかの かみのやしろ)です

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簀原神社(貞)(すはらの かみのやしろ)

・〈合祀もしくは境内社〉菱妻神社(京都市南区久世築山町)

小倉神社(大月次新嘗)(をくらの かみのやしろ)

・小倉神社(大山崎町円明寺鳥居前)

入野神社(いりの かみのやしろ)

・入野神社(京都市西京区大原野上羽町)

・大原野神社(京都市西京区大原野南春日町)
〈入野神社 旧鎮座地〉

自玉手祭来酒解神社(貞 名神大 月次 新嘗 元名 山埼社)(よりたまてまつりきたる さかとけの かみのやしろ)

・自玉手祭来酒解神社〈酒解神社〉(大山崎町大山崎天王山)

・離宮八幡宮(大山崎町大山崎西谷)

神足神社(かむたりの かみのやしろ)

・神足神社(長岡京市東神足)

葛野郡(かとのの こおり) 20座(大14座・小6座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)

・月読神社(京都市西京区松室山添町)

一緒に読む
月読神社(京都市西京区松室山添町)

月読神社(つきよみじんじゃ)は 『日本書紀』顕宗天皇の段 三年(487)に 壱岐島から月神(つきのかみ)を勧請したと 創建について記されます 『延喜式神名帳927 AD.』所載 山城國 葛野郡 葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)に比定され 現在は 松尾大社の境外摂社となっています

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木嶋坐天照御魂神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(このしまにます あまてるみたまの かみのやしろ)

・木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)(太秦森ケ東町)

一緒に読む
木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)

木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)〈蚕の社〉は 京都市内最古の神社の一つと云われます 境内にある「元糺(モトタダス)の池」には「三柱鳥居(ミハシラノトリイ)」と呼ばれる正三角形に柱を組んだ鳥居があり その正三角形の中心点には円錐形に小石を組みあげた神座が座して御幣が依代として立てられています 「秦氏(はたうじ)」の祭祀に深く関わる神社とされています

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墮川神社(貞)(おちかはの かみのやしろ)

・岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)

阿刀神社(あとの かみのやしろ)

・阿刀神社(京都市右京区嵯峨広沢南野町)

松尾神社二座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(まつのをの かみのやしろ ふたくら)

・松尾大社(京都市西京区嵐山宮町)

深川神社(貞)(ふかかはの かみのやしろ)

・福王子神社(京都市右京区宇多野福王子町)

墮川御上神社(おちかはの みかみの かみのやしろ)

・大森加茂神社(京都市北区大森東町)

・明神祠(京都市北区大森東町)

櫟谷神社(いちいたにの かみのやしろ)

・櫟谷宗像神社(嵐山中尾下町)

平野祭神四社(貞・並 名神大 月次 新嘗)(ひらのの まつりのかみ よやしろ)

・平野神社(京都市北区平野宮本町)

一緒に読む
平野神社(京都市北区平野宮本町)〈全国唯一の「皇太子御親祭」が定められた神社〉

平野神社(ひらのじんじゃ)は 延暦13年(794)平安京遷都の際 第50代・桓武天皇の命により 平城宮〈奈良〉で祀られていた今木神 久度神 古開神をこの地に遷座し 後に相殿に比賣神が祀られて四座となり『延喜式神名帳』には゛山城國 葛野郡 平野祭神四座(ひらのの まつりのかみ よやしろ)並名神大゛と所載されます

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梅宮坐神四社(並 名神大 月次 新嘗)(むめのみやにます かみ よやしろ)

・梅宮大社(京都市右京区梅津フケノ川町)

一緒に読む
梅宮大社(梅津フケノ川町)〈延喜式内社 梅宮坐神四社(並名神大月次新嘗)の論社〉

梅宮大社(うめのみやたいしゃ)は 〔奈良時代前期〕縣犬養三千代の創建と云い その子 橘諸兄により橘氏の氏神となり〔桓武天皇の母〕橘嘉智子により現在地に遷座しました 延喜式内社「山城國 葛野郡 梅宮坐神四社(むめのみやにますかみ よやしろ)並名神大月次新嘗」で 祭神は四座〈酒解神・大若子神・小若子神・酒解子神〉です  

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天津石門別稚姫神社(名神大 月次 新嘗)(あまつ いはとわけ わかひめの かみのやしろ)

・嚴島神社(京都市北区雲ケ畑中畑町)

・岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)

伴氏神社(貞・大 月次 新嘗)(ともうちの かみのやしろ)

・住吉大伴神社(右京区龍安寺)

北野天満宮(京都市上京区馬喰町)境内社 伴氏社

大酒神社(元名 大辟神)(をほさけの かみのやしろ)

・大酒神社(京都 太秦蜂岡町)

一緒に読む
大酒神社(京都 太秦)

大酒神社(おおさけじんじゃ)は 元の神社名称は「大避(おおさけ)」あるいは「大闢(ダイビャク)」とされていて この「大闢」は 中国(China)ではキリスト教の「ダビデ」を意味するとも伝わります 祭神はなんと 秦始皇帝(シンノシコウテイ)です 秦氏に纏わる諸説がある謎多き神社となっています 京都 太秦(うずまさ)の土地神で 元々は 広隆寺の寺内に鎮座していましたが 明治の神仏分離政策で現在地に遷座しています

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愛岩郡(をたぎの こおり・あたごのこおり) 21座(大8座・小13座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

賀茂別雷神社(亦 若雷・名神大 月次 相嘗 新嘗)(かもわけいかつちの かみのやしろ)

・賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市)

一緒に読む
賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)〈山城國一之宮〉

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は 京都最古の歴史を有する一社です 往古この地を支配した古代氏族゛賀茂氏゛の氏神を祀る・上賀茂神社(かみがもじんじゃ)と・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉で 賀茂神社〈賀茂社〉と総称されます 平安京への遷都後は皇城の鎮護社として祀られてきた 山城國一之宮です

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賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉摂社・末社についての詳細は

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山の摂社・末社について

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賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)の境内・境外の摂社・末社について

賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉(京都市北区上賀茂本山)は 御祭神を祀る「本殿(ほんでん)」と常設の仮殿である「権殿(ごんでん)」が国宝に指定されています 広大な境内には 多くの摂社・末社が鎮座しています 平成六年(1994)に境内全域がユネスコ世界文化遺産に登録されています 更に 境外にも摂社・末社が多数鎮座します

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出雲井於神社(大 月次 相嘗 新嘗)(いつもの ゐの うへの かみのやしろ)

・出雲井於神社(京都市左京区下鴨泉川町)〈賀茂御祖神社 境内〉

一緒に読む
出雲井於神社〈比良木大明神〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈賀茂御祖神社 境内〉

出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)は 式内社 山城國 愛岩郡 出雲井於神社(いつものゐのうへの かみのやしろ)であり 出雲郷の総社が「井於〈川=鴨川の辺〉」に鎮座する意味があります 又 厄年の御祈願で神社の周りに御献木すると ことごとく柊の葉の様にギザギザになり お願い事が叶うと云い 比良木社(柊社)とも呼ばれます

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・井上社(京都市左京区下鴨泉川町)〈賀茂御祖神社 境内〉

一緒に読む
井上社〈御手洗社〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社 境内社〉

井上社(いのうえのやしろ)は 賀茂斎院の御禊や解斎 関白賀茂詣の解除に参拝された御手洗社(みたらしのやしろ)で 旧鎮座地は 高野川と鴨川の合流地東岸〈文明二年(1470)焼亡〉文禄年間(1592~96)ここに再興〈井戸の井筒の上に祀られ井上社と呼ぶ〉式内社 出雲井於神社(いつものゐのうへの かみのやしろ)の論社です

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・上御霊神社(京都市上京区上御霊竪町)

一緒に読む
上御靈神社(京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町)

上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)は 平安時代 御霊の祟りを恐れ 貞観5年(863)御霊会が修せられたのが 両御霊神社の創祀と云う 元は愛宕郡出雲郷の出雲路にある出雲氏の氏寺・上出雲寺に祀られた鎮守社 二つの式内社〈出雲井於神社(いつものゐのうへの かみのやしろ)出雲髙野神社(いつものたかののかみのやしろ)〉の論社です

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・下御靈神社(京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町)

一緒に読む
下御靈神社(京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町)

下御靈神社(しもごりょうじんじゃ)は 平安時代 御霊の祟りを恐れ 貞観5年(863)御霊会が修せられたのが 両御霊神社の創祀と云う 元は愛宕郡出雲郷の出雲路にある出雲氏の氏寺・下出雲寺の御霊堂に祀られた鎮守社で 社家は代々出雲路家が司り 延喜式内社 愛岩郡 出雲井於神社(いつものゐのうへの かみのやしろ)ともされます

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賀茂御祖神社二座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(かものみおやの かみのやしろ ふたくら)

・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市)

一緒に読む
賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈山城國一之宮〉

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は 本殿は東西二棟からなり 西本殿には 賀茂別雷神社の〈祖父神〉賀茂建角身命〈古代の京都をひらかれた神〉 東本殿には〈母神〉玉依媛命を祀り 賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉とともに賀茂縣主の氏神を祀り 平安京遷都以降は国家鎮護の神社として 皇室や朝廷からも篤い崇敬を受ける 山城國一之宮です

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賀茂御祖神社〈下鴨神社〉摂社・末社についての詳細は

・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の境内・境外の摂社・末社について

一緒に読む
賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の境内・境外の摂社・末社について

賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の境内・境外は 境内の糺(ただす)の森は 鴨川と高野川の合流する三角州に山背盆地の植生を残す貴重な森林でその美しさは古くから物語や詩歌にうたわれます 多くの摂社・末社が祀られていますので その詳細について 現地の案内板を中心に見て行きます

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出雲髙野神社(いつもの たかのの かみのやしろ)

・出雲高野神社(京都市左京区上高野西明寺山)〈崇道神社 境内社〉

・御蔭神社(京都市左京区上高野東山)

一緒に読む
御蔭神社(京都府京都市左京区上高野東山)〈下鴨神社 境外摂社〉

御蔭神社(みかげじんじゃ)は 太古 賀茂の大神が降臨された所〈御生山(みあれやま)〉と所伝があり 現在でも 葵祭に先立って 祭神を降臨地である御蔭山から賀茂社へ迎える御生(みあれ)神事が行われています 綏靖天皇の御代(BC581)に創建起源とされ 二つの式内社〈①出雲髙野神社②小野神社二座 鍬靫〉の論社でもあります

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・上御霊神社(京都市上京区上御霊竪町)

一緒に読む
上御靈神社(京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町)

上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)は 平安時代 御霊の祟りを恐れ 貞観5年(863)御霊会が修せられたのが 両御霊神社の創祀と云う 元は愛宕郡出雲郷の出雲路にある出雲氏の氏寺・上出雲寺に祀られた鎮守社 二つの式内社〈出雲井於神社(いつものゐのうへの かみのやしろ)出雲髙野神社(いつものたかののかみのやしろ)〉の論社です

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・猿田彦神社(京都市上京区上御霊前町)

一緒に読む
猿田彦神社(京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊前町)〈平安京遷都を託宣せる神〉

猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)は 桓武天皇が この神の託宣により平安遷都を決意され 延暦12年(793)勅願によって社殿を造営と伝えます かつての広大な境内も 応仁の乱以後 度々火災に遭い悉く焼失 寛政5年(1793)現在地に遷座 延喜式内社 山城國 愛岩郡 出雲髙野神社(いつもの たかのの かみのやしろ)の論社です

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賀茂山口神社(かものやまくちの かみのやしろ)

賀茂山口神社(京都市北区上賀茂本山)
〈上賀茂神社 境内摂社〉

一緒に読む
賀茂山口神社〈澤田社〉(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社の摂社〉

賀茂山口神社(かもやまぐちじんじゃ)は 『本朝世紀』康治元年(1142)の条に゛賀茂の社司が澤田明神の傍らの池に蛇が出ると言上したことを受けて 軒廊御卜(こんろうのみうら)を行じた゛と記録のある摂社゛澤田社゛で 明治時代になり 延喜式内社 山城國 愛宕郡 賀茂山口神社(かものやまくちの かみのやしろ)とされました

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山森神社(京都市北区上賀茂本山)
〈上賀茂神社 境内末社〉

一緒に読む
山森神社(京都市北区上賀茂山本町)〈上賀茂神社 境内末社〉

山森神社(やまもりじんじゃ)は 注進略記に「かつては 浮田森在ニ上賀茂乾(北西)六七町(763m程)、賀茂川西也、祭神三座、號ニ山守社、一年、洪水社流」とあり 神社明細帳(明治16年調)に「現在地から約1.1キロ離れた西賀茂山ノ森に鎮座。鎮座地一帯が賀茂別雷神社の社領となり、上賀茂神社の境内に遷座された」とある

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賀茂波爾神社(かものはにの かみのやしろ)

・賀茂波爾神社(京都市左京区高野上竹屋町)〈下鴨神社 境外摂社〉

一緒に読む
賀茂波爾神社〈赤ノ宮〉(京都市左京区高野上竹屋町)〈下鴨神社 境外摂社〉

賀茂波爾神社(かもはにじんじゃ)は 江戸時代には゛赤ノ宮・赤宮稲荷大明神゛と呼ばれました 明治政府の指令により 近世に頽廃した 延喜式内社 賀茂波尓神社(かもはにの かみのやしろ)であるとされ改号したものです 赤ノ宮と呼ばれたのは 稲荷社の社殿が朱色の為 とも 土器の生産原料の赤土〈埴土〉に因んだとも云われます

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・土師尾社(京都市北区上賀茂本山)
〈上賀茂神社 境内社〉
(中門内 一般不可)

一緒に読む
土師尾神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社 本殿廻廊内庭 一般参拝不可〉

土師尾神社(はじおじんじゃ)は 上賀茂神社の本殿廻廊の内庭に鎭座する小祠で 延喜式内社 山城國 愛宕郡 賀茂波爾神社(かものはにの かみのやしろ)の論社です 社名の゛土師(はじお)゛とは 上古に陵墓管理 土器や埴輪 (はにわ) の製作をした人を云い 鴨縣主と同祖 鴨建玉依彦命の後裔である「西泥土部」が祖神を祀った社です

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小野神社二座(鍬靫)(をのの かみのやしろ ふたくら)

・小野神社(京都市左京区上高野西明寺山)〈崇道神社 境内社〉

・御蔭神社(京都市左京区上高野東山)

一緒に読む
御蔭神社(京都府京都市左京区上高野東山)〈下鴨神社 境外摂社〉

御蔭神社(みかげじんじゃ)は 太古 賀茂の大神が降臨された所〈御生山(みあれやま)〉と所伝があり 現在でも 葵祭に先立って 祭神を降臨地である御蔭山から賀茂社へ迎える御生(みあれ)神事が行われています 綏靖天皇の御代(BC581)に創建起源とされ 二つの式内社〈①出雲髙野神社②小野神社二座 鍬靫〉の論社でもあります

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・由岐神社(京都市左京区鞍馬本町)

一緒に読む
由岐神社(京都市左京区鞍馬本町)〈都の北方鎮護の社〉

由岐神社(ゆきじんじゃ)は 天慶年間〈938~947年〉世情不安となった時 天下泰平と万民幸福を祈念し 朱雀天皇が勅により 元は 宮中〈京都御所〉に祀られていた由岐大明神〈大己貴命・少彦名命〉を 都の北方にあたる鞍馬山の地に遷宮をして 鞍馬寺の鎮守社とし 都の北方鎮護を仰せつけられたのが始まりです

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久我神社(こが/くが の かみのやしろ)

・久我神社(京都市北区紫竹下竹殿町)

一緒に読む
久我神社(京都市北区紫竹下竹殿町)〈上賀茂神社 境外摂社〉

久我神社(くがじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 愛宕郡 久我神社(こが/くが の かみのやしろ)です 祭神は゛賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)゛〈神武天皇東征の時 先導した八咫烏(やたがらす)とされ 賀茂別雷神社〈上賀茂神社〉の祭神 賀茂別雷命の祖父〉を祀ります 上賀茂神社の境外摂社となっています

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末刀神社(まとの かみのやしろ)

・愛宕社(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社 境内〉

一緒に読む
愛宕社・稲荷社(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社 境内〉

愛宕社(おたぎのやしろ)賀茂斎院御所の守護神〉・稲荷社 忌子女庁屋の守護神〉の両社は 文明の乱で焼失以降 相殿として旧地に祀られます 又 末刀神が降臨したと伝わる゛水ごしらへ場゛と云う岩〈下鴨神社本殿の傍〉の祭祀が継承された愛宕社は 延喜式内社 山城國 愛宕郡 末刀神社(まとの かみのやしろ)の論社となっています

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・末刀岩上神社(京都市左京区松ケ崎林山)

一緒に読む
末刀岩上神社(京都市左京区松ケ崎林山)〈延喜式内社 末刀神社〉

末刀岩上神社 (まといわがみじんじゃ)は 江戸時代までは社殿がなく 御神体゛大岩゛を磐座(いわくら)として 古代からの自然崇拝が今に続きます 桜井水〈涸れた事のない泉〉が下鴨神社へ流れる泉川の源流とされ 江戸時代に 下鴨神社の摂社 末刀社を名乗り 式内社 山城國 愛宕郡 末刀神社(まとの かみのやしろ)の論社となります

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須波神社(すはの かみのやしろ)

・須波神社(京都市北区上賀茂本山)
〈上賀茂神社の境内に鎮座〉

一緒に読む
須波神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社の摂社〉

須波神社(京都市北区上賀茂本山)は 賀茂別雷神社の摂社で 本社楼門のまえを流れる御物忌川の対岸 片山御子神社のすぐ南 片岡山の麓に鎮座します 江戸時代は゛諏訪社゛と呼ばれましたが 明治以降゛須波神社゛と改称しています 延喜式内社 山城國 愛岩郡 須波神社(すはの かみのやしろ)の論社とされます

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六社由木社・印社・竈神・稲荷社・衢社・諏訪社〉(京都市左京区下鴨泉川町)の諏訪社
〈下鴨神社の境内に鎮座する 河合神社の境内社 六社のうち諏訪社〉

一緒に読む
六社〈・諏訪社・衢社・稲荷社・竈神・印社・由木社〉(京都市左京区下鴨泉川町)

六社(むつのやしろ)は 元々は 河合神社の境内に別々に祀られていた 六つの社〈・諏訪社・衢社・稲荷社・竈神・印社・由木社〉が 江戸時代の式年遷宮の時 一棟に祀られて 六社の名称となり現在に至ります この内の 諏訪社(すはしゃ)は 延喜式内社 山城國 愛岩郡 須波神社(すはの かみのやしろ)の論社です

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・諏訪社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内に鎮座する 三井神社の境内社 諏訪社〉

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諏訪社(京都市左京区下鴨松ノ木町)〈下鴨神社 本殿左側 三井神社の境内社〉

諏訪社(すわしゃ)は 下鴨神社の本殿左隣に鎮座する境内摂社 三井神社の三つ並んで祀られている本殿の向かって左手〈西側〉に 三つの境内社〈・諏訪社・小杜社・白鬚社〉が 並んで鎮座しています その内 一番奥〈北側〉のしゃが諏訪社です 延喜式内社 山城國 愛岩郡 須波神社(すはの かみのやしろ)の論社となっています

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・静原神社(京都市左京区静市静原町)

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静原神社&静原御旅天皇社(京都市左京区静市静原町)

静原神社(しずはらじんじゃ)は 壬申の乱の際 大海人皇子〈天武天皇〉が逆賊に襲われ難を避けて 鞍馬から薬王坂を越えて静原に留まられた時 玉体安らかに御心も静かにあそばされたので それまで賤原もしくは志津原と呼ばれた地名を 静原と称するようになった所 延喜式内社 山城國 愛岩郡 須波神社(すはの かみのやしろ)の論社です

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・河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内゛糺の森゛に鎮座〉

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河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社 境内゛京都で美人祈願゛〉

河合神社(かわいじんじゃ)は  下鴨神社 境内゛糺森(ただすのもり)゛に囲まれて 女性の女性の守護神・美麗の神様として知られる玉依姫命を祀ります 下鴨神社の第一摂社であり 延喜式内社 山城國 愛岩郡 鴨川合坐小社宅神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(かものかはひにます おこそへの かみのやしろ)とされる由緒ある古社です

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鴨川合坐小社宅神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(かものかはひにます おこそへの かみのやしろ)

・河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内゛糺の森゛に鎮座〉

一緒に読む
河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社 境内゛京都で美人祈願゛〉

河合神社(かわいじんじゃ)は  下鴨神社 境内゛糺森(ただすのもり)゛に囲まれて 女性の女性の守護神・美麗の神様として知られる玉依姫命を祀ります 下鴨神社の第一摂社であり 延喜式内社 山城國 愛岩郡 鴨川合坐小社宅神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(かものかはひにます おこそへの かみのやしろ)とされる由緒ある古社です

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・任部社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の 境内に鎮座する 河合神社の境内社 

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任部社〈古称゛専女(とうめ)社゛〉(京都市左京区下鴨泉川町) 〈河合神社の境内社〉

任部社(とうべのやしろ)は 河合神社の創祀の時より祀られる古社 延喜式内社 山城國 愛岩郡 鴨川合坐小社宅神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(かものかはひにます おこそへの かみのやしろ)の論社 古称は゛専女(とうめ)社゛〈稲女と同意 食物を司る神々〉『百練抄』安元元年(1157)の条に「小烏社」を合祀とあり祭神が変遷か

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貴布禰神社(名神大 月次 新嘗)(きふねの かみのやしろ)

・貴船神社 奥宮(鞍馬貴船町)

・貴船神社 結社(鞍馬貴船町)

・貴船神社 本宮(鞍馬貴船町)

鴨岡太〈鴨岡神社(かもをかもとの かみのやしろ)

〈上賀茂神社 境内社〉山森神社(京都市北区上賀茂本山)

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山森神社(京都市北区上賀茂山本町)〈上賀茂神社 境内末社〉

山森神社(やまもりじんじゃ)は 注進略記に「かつては 浮田森在ニ上賀茂乾(北西)六七町(763m程)、賀茂川西也、祭神三座、號ニ山守社、一年、洪水社流」とあり 神社明細帳(明治16年調)に「現在地から約1.1キロ離れた西賀茂山ノ森に鎮座。鎮座地一帯が賀茂別雷神社の社領となり、上賀茂神社の境内に遷座された」とある

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・幸神社(京都市北区上賀茂岡本町)

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幸神社(京都市北区上賀茂岡本町)〈式内社 鴨岡太神社の旧社地〉

幸神社(さいじんじゃ)は 鎮座の年代は不詳ですが 口碑には 大田神社とともに 賀茂に於ける最古の社とも伝わり 古来から ゛神坂山(こうさかやま)゛を祀る社と伝わります〈上賀茂神社の御神体山は神山〉 延喜式内社 山城國 愛宕郡 鴨岡太〈鴨岡本〉神社(かもをかもとの かみのやしろ)の旧社地と云い伝わります

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・厳島神社(京都市左京区静市市原町)

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嚴島神社(京都市左京区静市市原町)〈粟穂辨財天社(あはほのべんざてんのやしろ)〉

厳島神社(いつくしまじんじゃ)は 口伝に「老人の霊夢に 辨財天のお告げがあり 六寸の白蛇 粟の穗(あはのほ)に坐せり これを祀り 永享二年(1430)粟穂御前の鎮座」と伝え 江戸時代゛粟穂辨財天社(あはほのべんざてんのやしろ)゛と呼び 辨天祠を岡本堂の跡と考え 式内社 鴨岡本(かもをかもとの)神社の論社となっています

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・大神宮(京都市左京区静市市原町)

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大神宮(京都市左京区静市市原町)〈岡本郷の産土神〉

大神宮社(だいじんぐうしゃ)は 鎮座地の市原はかつて「岡本郷」と呼ばれ その産土神でした 延喜式内社 山城國 愛宕郡 鴨岡本(かもをかもとの)神社について 伝承には ゛京郡府式内考證に 當社或は市原村の産神なりと云ひ 正保二年(1645)上申の書中に 山城國愛宕郡岡本郷市原村とあるを證としたる゛とあり論社となっています

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伊多太神社(いたたの かみのやしろ)

・〈崇導神社 境内〉伊多太神社(京都市左京区上高野西明寺山)

・江文神社(京都市左京区大原野村町)

太田神社(おほたの かみのやしろ)

・大田神社(京都市北区上賀茂本山)

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大田神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社 境外摂社〉

大田神社(おおたじんじゃ)は 賀茂に於ける最古の社と伝わり 賀茂縣主(かものあがたぬし)の一族が移住する以前から 先住民に長寿福徳の神として祀られていたと云われます 鎮座の年代は不詳ですが 『延喜式』〈延長5年(927)成立〉に 式内社 山城國 愛宕郡 太田神社(おほたの かみのやしろ)と所載される由緒ある古社です

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三井神社(名神大 月次 新嘗)(みゐの かみのやしろ)

・三井社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社 境内〉

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三井神社(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社の境内攝社〉

三井神社(みついじんじゃ)は 下鴨神社の本殿 すぐ左隣(西側)に鎮座する摂社です 奈良時代~平安時代この辺り一帯は蓼倉郷と呼ばれ 『山城國風土記』賀茂社の条「蓼倉里(たてくらのさと)三身社(みつみのやしろ)」とされます 延喜式内社 山城國 愛宕郡 三井神社(みゐの かみのやしろ)(名神大 月次 新嘗)の論社です

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・三井社(三塚社)
〈下鴨神社の 境内に鎮座する 河合神社の境内社 

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三井社〈三塚社〉(京都市左京区下鴨泉川町)〈河合神社 境内社〉

三井社(みついしゃ)は 河合神社の神門前に鎮座します 元々は 蓼倉郷の総(祖)社として祀られていた社で 通称゛三塚社゛とも呼ばれます 『山城國風土記逸文』「鴨社」の条にある「蓼倉里三身社」であるとも 別の社とも両説がありますが 延喜式内社 山城國 愛宕郡 三井神社(名神大 月次 新嘗)(みゐの かみのやしろ)の論社です

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大柴神社(おほしはの かみのやしろ)

・神明神社(京都市左京区大原草生町)

・岩戸落葉神社(京都市北区小野岩戸)

・岩上神社(京都市上京区大黒町)

髙橋神社(貞)(たかはしの かみのやしろ)

・〈北野天満宮 境内〉神明社

片山御子神社(大 月次 相嘗 新嘗)(かたやまの みこの かみのやしろ)

・片山御子神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社 第一摂社〉

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片山御子神社(京都市北区上賀茂本山)〈上賀茂神社の第1摂社〉

片山御子神社(かたやまみこじんじゃ)は 上賀茂神社境内に鎮座する賀茂別雷神社の第一摂社です 六国史『文徳天皇實録』齊衡三年(856)の条に゛山城國 片山神を官社に列し相甞祭に預る゛と記され 延喜式(927年)に 山城國 愛宕郡 片山御子神社(大月次相嘗新嘗)(かたやまのみこの かみのやしろ)と所載される由緒ある古社です

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紀伊郡(きいの こおり) 8座(大3座・小5座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

御諸神社(みもろの かみのやしろ)

・〈伏見稲荷大社に合祀〉御諸神社(京都市伏見区深草藪之内町)

・御香宮神社(京都市伏見区御香宮門前町)

稲荷神社三座(並 名神大 月次 新嘗)(いなりの かみのやしろ みつくら)

・伏見稲荷大社(京都市伏見区深草藪之内町)

大椋神社(おほくらの かみのやしろ)

・廃絶

飛鳥田神社(一名柿本社)(あすかたの かみのやしろ)

・〈伏見稲荷大社に合祀〉(京都市伏見区深草藪之内町)

・飛鳥田神社(京都市伏見区横大路柿ノ本町)

・田中神社(京都市東山区本町)

・田中神社(京都市伏見区横大路天王後)

・飛鳥田神社(京都市伏見区中島樋ノ上町)

眞幡寸神社二座(まはたきの かみのやしろ ふたくら)

・〈城南宮 境内〉眞幡寸神社(京都市伏見区中島鳥羽離宮町)

・史跡 式内眞幡寸神社の跡〈若宮宮〉(京都市伏見区竹田真幡木町)

・藤森神社(京都市伏見区深草鳥居崎町)

宇治郡(うちの こおり) 10座(大5座・小5座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

宇治神社二座(鍬靫)(うちの かみのやしろ ふたくら)

・宇治神社(宇治市宇治山田)

・宇治上神社(宇治市宇治山田)

日向神社(ひむかひの かみのやしろ)

日向大神宮京都市山科区

許波多神社三座(並 名神大 月次 新嘗)(こはたの かみのやしろ みくら)

・許波多神社(宇治市木幡東中)

・許波多神社(宇治市五ケ庄古川) 

天穂日命神社(延)(あめのほひのみことの かみのやしろ)

天穂日命神社伏見区石田森西

宇治彼方神社(鍬靫)(うちをちかたの かみのやしろ)

・彼方神社(宇治市宇治東内) 

山科神社二座(並 名神大 月次 新嘗)(やましなの かみのやしろ ふたくら)

・山科神社(京都市山科区西野山岩ケ谷町) 

・岩屋神社(京都市山科区大宅中小路町) 

久世郡(くせの こおり) 24座(大11座・小13座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

石田神社(大月次新嘗)(いはたの かみのやしろ)

天穂日命神社伏見区石田森西

・石田神社(八幡市岩田里)

・石田神社(八幡市岩田茶屋ノ前)

水主神社十座(並 大 月次 新嘗・就中同水主坐天照御魂神水主坐山背大国魂命神二座預相嘗祭)(みぬしの かみのやしろ)

・水主神社(城陽市水主宮馬場)

荒見神社(あらみの かみのやしろ)

・荒見神社(城陽市富野荒見田)

・荒見神社(久御山町田井荒見)

雙栗神社三座(さくりの かみのやしろ みくら)

・雙栗神社(久御山町佐山双栗)

・雙栗天神社(宇治田原町岩山上田)

水度神社三座(鍬靫)(みとの かみのやしろ みくら)

・水度神社(城陽市寺田水度坂)

椋神社(あさくらの かみのやしろ)

・旦椋神社(宇治市大久保町北ノ山)

伊勢田神社三座(鍬靫)(いせたの かみのやしろ みくら)

・伊勢田神社(宇治市伊勢田町若林)

巨椋神社(おほくらの かみのやしろ)

・巨椋神社(宇治市小倉町寺内)

室城神社(むろきの かみのやしろ)

・室城神社(久御山町下津屋室ノ城)

・室城神社・金刀比羅宮(城陽市水主北垣内)

綴喜郡(つつきの こおり) 14座(大3座・小11座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

樺井月神社(大 月次 新嘗)(くわヰのつきの かみのやしろ)

・〈水主神社 境内〉樺井月神社(城陽市水主宮馬場)

朱智神社(すちの かみのやしろ)

・朱智神社(京田辺市天王高ケ峯)

月讀神社(大 月次 新嘗)(つきよみの かみのやしろ)

・月讀神社(京田辺市大住池平)

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月讀神社(京田辺市大住池平)

月讀神社(つきよみじんじゃ)は 大隅國(おほすみのくに)〈鹿児島〉から当地へ来住した隼人らが祀ったともいわれ 大同四年(809)大住山に霊光を拝して神殿が造営され創建 貞観元年(859)八月に月讀宮と称え 延喜式(927)に月讀神社(大月次新嘗)(つきよみの かみのやしろ)とあり 承暦元年(1077)には天下疱瘡に悩むにつき勅使奉幣ありと伝わる古社です

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・松尾神社(木津川市山城町椿井)〈社記に拠る〉

咋岡神社(鍬靫)(くいをかの かみのやしろ)

・咋岡神社(京田辺市飯岡東原)

・咋岡神社(京田辺市草内宮ノ後)

髙神社(鍬靫)(たかの かみのやしろ)

・高神社(井手町多賀天王山)

内神社二座(うちの かみのやしろ ふたくら)

・内神社(八幡市内里内)

・薪神社(京田辺市薪里ノ内)

粟神社(あはの かみのやしろ)

・粟神社(城陽市市辺大谷)

棚倉孫神社(大 月次 新嘗)(たなくらひこの かみのやしろ)

・棚倉孫神社(京田辺市田辺棚倉)

佐牙乃神社(鍬靫)(さかの かみのやしろ)

・佐牙神社(京田辺市宮津佐牙垣内)

・下の大神宮跡(京田辺市三山木東荒木)〈佐牙神社 旧跡〉

酒屋神社(さかやの かみのやしろ)

・酒屋神社(京田辺市興戸宮ノ前)

甘南備神社(かんなひの かみのやしろ)

・神南備神社(京田辺市薪甘南備山)

天神社(あまつかんのやしろ)

・天神社(京田辺市松井里ケ市)

・朱智神社(京田辺市天王高ケ峯)

・棚倉孫神社(京田辺市田辺棚倉)

地祇神社(くにつかんのやしろ)

・地祇神社(京田辺市普賢寺下大門)

相樂郡(さからかの こおり) 6座(大4座・小2座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

祝園神社(大 月次 新嘗)(はふそのの かみのやしろ)

・祝園神社(精華町祝園柞ノ森)

和伎坐天乃夫支賣神社(大 月次 新嘗)(わきのにます あめのふきめの かみのやしろ)

・和伎坐天乃夫支売神社〈涌出宮〉 (木津川市山城町平尾里屋敷)

綺原坐健伊那大比賣神社(かむはらにます たていなたひめの かみのやしろ)

・綺原神社(木津川市山城町綺田山際)

相樂神社(さからかの かみのやしろ)

・相楽神社(木津川市相楽清水)

岡田鴨神社(大 月次 新嘗)(をかたかもの かみのやしろ)

・岡田鴨神社(木津川市加茂町北鴨村)

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岡田鴨神社(木津川市加茂町北鴨村)〈賀茂氏族の祖神 建角身命を祀る神社〉

岡田鴨神社(おかだかもじんじゃ)は 崇神天皇の御代に賀茂氏族の発展を祈り祖神 建角身命を 洛北の賀茂御祖神社より 岡田賀茂の地に勧請し創建した 延喜式内社 山城國 相楽郡 岡田鴨神社(大月次新嘗)(をかたかもの かみのやしろ)です その後 木津川の水害により 元明天皇の岡田離宮跡に創建された天満宮の境内に遷座しました

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岡田國神社(大 月次 新嘗)(をかたくにの かみのやしろ)

・岡田國神社(木津川市木津大谷)

・春日神社(木津川市加茂町大野宮ノ谷)〈勝手神社 境内社〉

畿内に鎮座する 658座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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畿内に鎮座する 658座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「畿内」に鎮座する(658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427)神社の一覧表です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています