実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)

夜夫多神社(やぶたじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)に所載式内社 伊勢國(いせのくに)河曲郡(かわのこおり)夜夫多神社(やふたの かみのやしろ)とされます 祈年祭(御鍬)~田打ち(馬の砂かけ)は 境内に約2トンの砂を運び入れ そこを水田に見立てて 昔ながらの田起こしから田植えまでを再現されます

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

夜夫多神社(Yabuta shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県鈴鹿市甲斐町 1184

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大穴牟遅命(おほあなむぢのみこと)

《合》天屋根命(あめのこやねのみこと)
   大雀命(おほさざきのみこと)〈第16代 仁徳天皇〉
   建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)
   大山津見神(おほやまつみのかみ)
   護国の英霊(ごこくのえいれい)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒

延喜式内社にして 醍醐天皇の代(今から1,087年前)延喜式神名帳にすでに記載されている。
延宝3年(1673)9月 棟札には鈴鹿郡甲斐薮田村とあり、宝歴9年(1759)8月の上進社記に藪田神社とあり、古称名 夜夫多神社、矢太村とあり、この社号は地名をもってすとあり、藤ケ森に古い宮の森あり、夜夫多神社の古跡なり、往古流水して現地に移したり、とある。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

祈年祭(御鍬)~田打ち(馬の砂かけ)

境内に約2トンの砂を運び入れ、そこを水田に見立てて、昔ながらの田起こしから田植えまでを再現する。祈年祭が行われる日の夜にこの行事(田打ち)を行う。御鍬目録に従い、宮番の年行事が一節ずつ唱えて一連の作業が進められる。境内に集まった子供たちが、田打の木(空木)で作ったシャモジで張りぼての馬に砂をかけ、馬が倒れるほど砂をかけると、その年は豊作と云われている。

三重県鈴鹿市 牧田地区文化遺産HP 夜夫多神社より
https://suzuka-makita.com/yabuta-shrine

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.189811861051322.45321.189614271071081&type=3

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・山神と石碑

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)は 2つの式内社〈夜夫多神社酒井神社〉の論社となっています
夜夫多神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)河曲郡 20座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 夜夫多神社
[ふ り が な ]やふたかみのやしろ)
[Old Shrine name]Yahuta no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

酒井神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)郡 13座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 酒井神社
[ふ り が な ]さかゐかみのやしろ)
[Old Shrine name]Sakai no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊勢國 河曲郡 夜夫多神社(やふたの かみのやしろ)の類似社

延喜式内社 伊賀国 阿拝郡 陽夫多神社(やふたの かみのやしろ)について

・陽夫多神社(伊賀市馬場)

一緒に読む
陽夫多神社(伊賀市馬場)

陽夫多神社(やぶたじんじゃ)は 第28代 宣化天皇三年(538)国中に疫病が流行したので屏息祈願のため伊賀国造 多賀連が創建したと伝 以来病気平癒の御霊験あらたかなるをもって藩主の崇敬厚く屡々寄進あり 又一般崇敬者の参拝多しと社記にあり 延喜式内社 伊賀国 阿拝郡 陽夫多神社(やふたの かみのやしろ)とされます

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延喜式内社 伊勢國 奄芸郡 酒井神社(さかヰの かみのやしろ)の論社

・酒井神社(鈴鹿市郡山町)

一緒に読む
酒井神社(鈴鹿市郡山町)

酒井神社(さかいじんじゃ)は 社伝は天智天皇10年(671)の創祀という 又 稻生三社大明神に日参していた信任長者と云う人に神託があり 郡山に稻生新宮を造立しました これが郡山大明神と伝わる 延喜式内社 伊勢國 奄芸郡 酒井神社(さかゐの かみのやしろ)の論社です その他に 境内には゛服織神社御旧跡〈延喜式内社 伊勢國 奄藝郡 服織神社の旧跡とも〉゛があります

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・酒井神社(鈴鹿市徳居町)

一緒に読む
酒井神社(鈴鹿市徳居町)

酒井神社(さかいじんじゃ)は ゛社伝によれば 当社の瑞籬の麓の井戸を眞井(まない)と称し 古来より旱魃の時 当社へ祈請し雨を乞うときは 神応著しく忽ち霊験を賜う゛とあります 明治36年(1903)以前は「宇気比神社」と呼称されていて それ以後 酒井神社と称しています 延喜式内社 伊勢國 奄芸郡 酒井神社(さかゐの かみのやしろ)の論社です

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・夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)

一緒に読む
夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)

夜夫多神社(やぶたじんじゃ)は 『延喜式神名帳(927年12月編纂)』に所載の式内社 伊勢國(いせのくに)河曲郡(かわのこおり)夜夫多神社(やふたの かみのやしろ)とされます 祈年祭(御鍬)~田打ち(馬の砂かけ)は 境内に約2トンの砂を運び入れ そこを水田に見立てて 昔ながらの田起こしから田植えまでを再現されます

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄鈴鹿線 鈴鹿駅から県道27号を西へ約3.6km 車10分程度

鈴鹿川の南岸 甲斐町

夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)に参着

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社号石碑には゛延喜式内 夜夫多神社゛と刻字

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木製の一の鳥居があり 一礼してくぐり抜け 参道へと進みます

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参道の先には 旗立てがあり その先に古木が茂り 二の鳥居が建ちます

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境内の入り口に 二の鳥居が建ち すぐ脇には手水舎
清めて 鳥居をくぐります

拝殿にすすみます

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社殿は 修繕中でした

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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新設の瓦屋根だろうか

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拝殿の奥には 離れて 本殿があり その脇には 山神が祀られています

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介しま

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 夜夫多神社について 所在は甲斐村に在す〈現 夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)〉と記しています

【抜粋意訳】

夜夫多神社

夜夫多は假字也
○祭神詳ならず
〇甲斐村に在す、考証、俚諺
〇神鳳抄云、夜夫多御厨、

類社
伊賀國 阿拝郡 陽夫多神社

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

式内社 酒井神社について 祭神は不祥 所在は郡山村に在す、酒井川と云あり〈現 酒井神社(鈴鹿市郡山町)〉としています

【抜粋意訳】

酒井神社

酒井は佐加為と読り
○祭神詳ならず
○郡山村に在す、酒井川と云あり、俚諺

連胤云、考証の説從ひがたし、按るに、越前國坂井郡 坂名井神社 同称にて、福井神を祭るにはあらぬか、猶考ふべし、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 夜夫多神社について 所在は鈴鹿郡甲斐村の薮田にあり〈現 夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)
本社は 薮田源蔵という者の宅地にあり 村中に薮田姓が多く住んでいて 産土神として奉祀されている と記しています

【抜粋意訳】

夜夫多(ヤブタノ)神社

今 鈴鹿郡甲斐村の薮田にあり、神名帳考証、亀山藩神社取調帳、式内社検録、
〇按 本社は薮田源蔵と云者の宅地にあり、村中に薮田を稱する者多く住て、産神と奉祀すと云り、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

式内社 酒井神社について 所在は郡山村に在〈現 酒井神社(鈴鹿市郡山町)〉と記しています

【抜粋意訳】

酒井(サカヰノ)神社

今 郡山村に在り、郡山明神と云、蓋是也、式内社検録、
傳云ふ 稲生三社明神を移し奉る、故に名て稲生新宮とす、稲生明神縁起

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 夜夫多神社について 所在は甲斐村〈現 夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)
甲斐村は 鈴鹿郡と河曲郡の堺にあり 現在は鈴鹿郡であるが 旧古は河曲郡であった と記しています

【抜粋意訳】

夜夫多神社

祭神
祭日
社格 村社

所在 甲斐村 (鈴鹿郡牧田村大字甲斐) 

 今按るに傍注考証以下の諸書 甲斐に在と云ひて異論なし 但 村民 薮 田氏多くして社頭も藪田氏の境内なるか如し 兆域九畝に足らねと大樹も存して古色なきにしもあらす 棟札云奉再営 夜夫多神社宮殿 承應二年戌戌三月とある由なれは 舊古の社の遺せるならむ 然して甲斐村は河曲鈴鹿両郡の境に在り 撰式の頃は河曲に属せしにそあるへき

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

式内社 酒井神社について 所在は郡山村 郡山大明神〈現 酒井神社(鈴鹿市郡山町)〉と記しています

甲斐村〈現 夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)〉という説もあるが 證據が無いとも記しています

又併せて 郡山大明神の縁起を記していて 稻生三社大明神に日参していた信任長者と云う人があって 洪水でお参りに行けなかったときに 神託があり 郡山に稻生新宮を造立した これが郡山大明神である この出来事は延喜式より以前の事で 此の新宮を酒井神社として 式内社に列したものであろうと載せています

【抜粋意訳】

酒井神社 稱 郡山大明神

祭神
祭日 丑辰未戍に一度三月朔日至三
社格 村社 (明治三十五年郷社昇格)

所在 郡山村 (河藝郡榮村大字郡山 )

 今按るに傍注には甲斐村とし考証は德居村とす共に無証の憶断信じがたし再考に郡山村に酒井川在といへるに依て始て案内記に郡山村に在と決定す 其以後の諸書從て 郡山大明神に配し 舊藩よりも酒井神社の石標を社前に建つ 酒井河は郡山村の南にある小流にて 其水源に酒井と云ふあり 酒香ありなと云へり
 其 郡山大明神社は 稻生神社縁起云 郡山大明神 御神體 稻生三社大明神也 昔秋永村に信任長者と云人有 発大信力而 稻生大明神 仁 日参其道程二十町餘間仁 川有 或時 大洪水而不能詣 当社長者大に悲む云云 其夜大明神 夢告曰 自今以後 郡山仁新宮建立而可念云云 從爾 此社造営 則額正一位稻生新宮とある社にして神殿三宇の造制より祭日に至るまて都て稻生の本社に准す 然して 信任長者の造立 延喜の以前にして 其新宮を酒井と稲して神名帳に列せしにや 其證跡を見されば 不審少からねと社地の體裁千古の風あれは姑く古説に從ふものなり

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について

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