宇須乃野神社(うすののじんじゃ) 〈御同座 縣神社(あがたじんじゃ)〉は 豊受大神宮(外宮)の摂社・末社で 両社ともに『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に載る古社です 中世に廃絶し社地も不明となり 寛文三年(1663)宇須乃野神社は現在地に再興され 明治三年(1870)縣神社は御同座されました
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
宇須乃野神社(Usunono shrine)
〈御同座 縣神社(Agata shrine)〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市御薗町高向南世古2653
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉
《主》宇須乃女命(うすのめのみこと)
〈御同座 縣神社(外宮 末社)〉
《主》縣神(あがたのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・五穀の守り神〈宇須乃女命〉
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社(宇須乃野神社)
・〈豊受大神宮(外宮)摂社〉(宇須乃野神社)
・〈豊受大神宮(外宮)末社〉(御同座 縣神社)
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮要綱』〈昭和3年〉に記される内容
【抜粋意訳】
宇須乃野神社
鎭座地 三重縣度會郡御蘭村大字高向
殿舎
正 殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉 垣 連子板打・・・壹重
鳥 居 神明造・・・壹其
右神宮司廰造替宇須乃野(ウスノノ)神社も亦、延喜大神宮式及び神名式に載す。其の祭神は御鎭座本縁に五殺の霊 宇須乃女(ウスノノメ)神と為し、神名祕谷及び社記には五穀霊神と註す。寬文三年現地に再興す。
縣神社
鎭座地 攝社 宇須乃野神社 御同座
縣(アガタ)神社は 長徳檢錄に高向に在りと註す。祭神明かならず。明治三年攝社 宇須乃野神社の域内に再興せしも、翌四年神宮御改正以來、同神社に御同座のことゝなれり。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『大神宮叢書』前篇〈昭和7-9年〉に記される内容
【抜粋意訳】
神宮典略三 外宮宮社
所攝神社 宇須乃野神社
此社帳に宇須乃野社、式に宇須乃野社と出たり。此宇須乃野も地名なるべし。〔蔀野・清野と同列なり。〕
祭神さだかならず。〔神名秘書に五穀霊神、神名略記に宇須乃女神を祭る五穀霊神也としいへり。今按ふに、宇須乃女神の五穀の霊神なること物に見えず。もし宇賀乃女神を思ひ誤れるにはあらざるか。こは五穀の霊神なり。〕
社地は神名秘密に、在に高向郷高向村、二社同玉垣内・烏居一基、薗御社與同座也、といへり。此社再興の事なければ詳に知がたし。
不載官帳攝社 縣神社
此社は帳に縣神社とあり。此縣の義詳ならず。もし誤れる文字などあらんか。〔縣は物語文にあがた見にゆくとは、みな京都より放れる他國に行事なれば、國府に祭る神社のよしか。成務紀に大縣小縣の名見えれるは、後に郡となれる地なり。さればー郡をさして縣ともいふべし。又縣宮と云は禁裡の西方北御門の邊にあり。諸國外官の輩除目行なはるる時に、まづ此社に詣て除位を祈るよし拾芥抄に見えたど、此神社には似つかはしからず。神名帳に、伊勢國鈴鹿郡懸主神社も見ゆ。此主は桁字にて縣神社ならんか。倭名鈔同郡に英多郷を安加多とよみ、谷川氏の説に、同郡今岑の川崎に縣大明神といふは此神といへば、かたがたよしあれど、此神を祭れるともきこえず。〕
祭神も例の考えず。〔外宮人の書に攝社の神名をいへる事多かれど、此神社をいへる説をささ見えざれば、古より知がたきならん。〕
社地は、神祇本源に高向に在とのみ云、神境紀談には舊跡知がたしといへり。〔本源の高向は郷名か、また村名か、知がたし。されば尋ぬべきたづきなかるべし。〕
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・大楠
〈クスは社殿の左手前 幹周が7mを越す大楠樹齢1000年を超えると伝〉
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〈御同座 縣神社(外宮 末社)〉
・豊受大神宮(外宮)
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています
豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭に並預゛と記されます
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】
伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社 山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭
以下略
【原文参照】
国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 宇須乃野神社
[ふ り が な ](うすのの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Usunono kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』について
延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの
平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです
両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました
皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて
延暦23年(804)に成立しました
宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〈御同座 縣神社(外宮 末社)〉は『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)〈延暦23年(804)〉に載る 古社です
内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
R23号バイパスの宮川ICから南方向へ約1.3km 車5分程度
高向(たかむく)の集落の中央部に南を向いて鎮座します
宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〈御同座 縣神社(外宮 末社)〉に参着
一礼をして境内に進みます
社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉
正殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 宇須乃野神社について 所在は 高向郷高向村に在す〈現 宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
式外社 縣神社について 所在は 高向だが 今は廃亡していて所在は不明と記しています
【抜粋意訳】
宇須乃野神社
宇須乃野は假字也
〇祭神 宇須乃女神
○高向郷高向村に在す、〔神名略記〕
○式四、〔伊勢大神宮〕度會宮所攝十六座の第十四に載す、
御鎮座本紀云、宇須乃女神、五穀霊、號に字須野社也、〇附録 式外社 大神宮別宮摂社 縣神社
祭神詳ならず
〇高向に在す、神祇本源、 今存亡を知らず
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 宇須乃野神社について 所在は 高向郷高向村園社同處にあり〈現 宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
宇須乃野(ウスノヌノ)神社
今 高向郷高向村園社同處にあり、神名秘書、神祇本源、神境紀談、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 宇須乃野神社について 所在は 三重縣高向郷高向村〈現 宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
宇須乃野神社
祭神
祭日 六月九月十二月並十八日
社格 外宮所攝十五所之一 (外宮攝社 )所在 三重縣高向郷高向村 (度會郡御菌村大字高向 )
【原文参照】
宇須乃野神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〈御同座 縣神社(外宮 末社)〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る
伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について