宇努刀神社(ウノトジンジャ)は 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐(サンカンセイバツ)より 凱旋の時に 対馬の上縣郡 豊村に現れて 島大国魂(シマオオクニタマ)神社を拝しのち 佐賀村に 島大国魂神社の御分霊を 皇后(コウゴウ)親(ミズカ)ら祀ったとされ 更に 延徳3年(1491)6月14日 佐賀村より下県郡 厳原八幡宮 境内へと 遷座したと伝わります 六国史『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)(901年)成立』貞観12年(870)3月5日 丁巳の条に神階の昇叙が記され 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載される古社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
宇努刀神社(Unoto Shrine)
(うのとじんじゃ)
[通称名(Common name)]
祇園社(ぎおんしゃ)
【鎮座地 (Location) 】
長崎県対馬市厳原町中村645-1
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》須佐之男命(Susanowo no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
延徳3年(1491)6月14日 佐賀村より下県郡 厳原町 八幡神社 境内に遷し祀るとあります
社号 宇努刀神社
祇園社 旧 村社祭 神 須佐男命
例祭日 旧暦6月15日本社は
神功皇后 新羅征伐 畢らせ給ひ 凱還の時 上県郡豊村に着給ひて 島大国魂神社を拝し夫より 佐賀村に着せられ 此の地に 島大国魂神社の神霊を分って 皇后 親から祭り給ふ
是 延喜式神社名帳に載る上県郡 宇努刀神社 定なり
延徳3年6月14日 佐賀村より下県郡 厳原町 八幡神社 境内に遷し祭る
明治13年11月12日 社格村社に列せらる境内案内板より
【由 緒 (History)】
長崎県 式内社記
古は 上縣郡 佐賀村にありしを
延徳3年(1491)6月14日 下縣郡 厳原 清水山鎮座 和多都美神社の境内に遷し奉る
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 宇努刀神社
[ふ り が な ](うのとの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Unoto no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
当神社は「厳原八幡宮神社」の境内に鎮座します
「厳原八幡宮神社」には 本殿を含めて
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の3つの論社が鎮座します
①(對馬嶋 下縣郡 和多都美神社 名神大)
・厳原八幡宮神社(対馬 厳原)
厳原八幡宮神社(いづはらはちまんぐうじんじゃ)は 文明8年(1476)の棟札に「当社は 雍州 男山八幡宮の原廟と記す」とあり 八幡信仰の中心 京都 男山の「石清水八幡宮の起源」とも云われ 社伝には 神功皇后(ジングウコウゴウ)〈第14代 仲哀天皇の皇后〉が 三韓征伐からの凱還の時 対馬の清水山に行幸し 神霊の止まるべき山であるとして 山頂に神鏡と幣帛を置き 天神地祇(テンジンチギ)を祀り 磐境(イワサカ)を設けた その後 第40代 天武天皇の勅命(677)により 清水山の麓に社殿を造営 5柱の神を祀り 八幡宮と称したと伝
厳原八幡宮神社(対馬 厳原)
➁(對馬嶋 下縣郡 平神社)
・平神社(厳原八幡宮 境内社)
平神社(ひらのじんじゃ)は 厳原八幡宮の境内社です しかし 文献に現れるのは 六国史『続日本後紀(しょくにほんき)』の条文に「承和8年(841)8月・・従5位下」と神階の昇叙が記され 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)にも所載される由緒ある古社です
平神社(厳原八幡宮 境内社)
③(對馬嶋 上縣郡 宇努刀神社)
・宇努刀神社(厳原八幡宮 境内社)
宇努刀神社(ウノトジンジャ)は 神功皇后(ジングウコウゴウ)が 三韓征伐(サンカンセイバツ)より 凱旋の時に 対馬の上縣郡 豊村に現れて 島大国魂(シマオオクニタマ)神社を拝しのち 佐賀村に 島大国魂神社の御分霊を 皇后(コウゴウ)親(ミズカ)ら祀ったとされ 更に 延徳3年(1491)6月14日 佐賀村より下県郡 厳原八幡宮 境内へと 遷座したと伝わります 六国史『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)(901年)成立』貞観12年(870)3月5日 丁巳の条に神階の昇叙が記され 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載される古社です
宇努刀神社(厳原八幡宮 境内社)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
厳原港フェリーターミナルから 約1.2km 徒歩15分程度
厳原八幡宮神社(Izuhara Hachimangu Shrine)の鳥居をくぐると 参道階段が3つあり 二ノ鳥居の正面の階段を上がります 右手の階段は八幡宮へ
宇努刀神社(Unoto Shrine)に参着
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承
對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています
意訳
貞観12年(870)3月5日 丁巳の条
詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに
對馬嶋(ツシマノシマ)の
正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)並びに 正5位下
大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承
意訳
宇努刀(ウノトノ)神社
神階 貞観12年3月5日 丁巳の条・・従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容
意訳
宇努刀神社
祭神 須佐之男命
今 按〈考えるに〉
本社 由緒書に神功皇后(ジングウコウゴウ) 新羅征伐より 凱旋の時 上縣郡 豊村に著(アラワ)せたまいて 島大國魂(シマオオクニタマ)神社を拝し 同郡 佐賀村に著(アラワシ)御(ギョ)す
この地にも 大國玉神社の神霊を分けて 皇后(コウゴウ)親(ミズカ)ら 祭りたまう これ宇努刀神社なりと云り
附て後考に備ふ神位
清和天皇 貞観12年3月5日 丁巳の条・・従5位上祭日 6月15日
社格 村社 明細帳に下縣郡 中村町 郷社 八幡宮 境内にあり
所在 今屋敷村字清水山 和多都美神社境内
今 按〈考えるに〉
式内社記に 古は 上縣郡 佐賀村にありしを
延徳3年(1491)6月14日 下縣郡 厳原 清水山鎮座 和多都美神社の境内に遷し奉ると伝える
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』明治45年(1912)に記される伝承
厳原八幡宮のページに 一行 境内社として紹介されています
意訳
祇園社(ギオンノヤシロ)あり 是(コレ)は 延喜式(エンギシキ)宇努神(ウヌノカミ)なるべし
【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』
宇努刀神社(Unoto Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る
對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています
對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について