姥神大神宮(うばがみだいじんぐう)は 言い伝えによれば 約570年前の文安4年(1447年)に ニシンの漁法を伝授した「折居姥(おりゐうば)」の草創と伝わります このお陰で 江差は「ニシン漁」で蝦夷地(ezochi)きっての景気にわきかえり 人々は豊かに暮らしてきました 北海道最古の神社とされていて「蝦夷地(ezo chi)の一宮」として 人々に大切に祀られています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
姥神大神宮(ubagami daijingu)
(うばがみ だいじんぐう)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (location) 】
北海道桧山郡江差町姥神町99
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天照大御神(amaterasu omikami)
天児屋根命(amaterasu omikami)
住吉三柱神(sumiyoshi no mihashira okami)
【御神格 (God's great power)】
・大漁満足 Good harvest and big catch
・商売繁盛 Wishing business prosperity
・身体壮健 Physical health
・等 etc
【格 式 (Rules of dignity) 】
・「蝦夷地(ezo chi)一の宮」
【創 建 (Beginning of history)】
創立年代は不詳ですが、言い伝えでは約570年前の文安4年(1447年)に折居姥の草創とされています。
津花町より現在地に移転したのが正保元年(1644年)。文化14年(1817年)には正一位姥神大神社宮号を勅許された北海道最古の神社です。
江差町役場HPより
【由 緒 (history)】
創立年代不詳 古く江差が陸奥國松前と言われていた以前に 折居と言う老姥が住んでいた。老姥は天変地異を未然に知らせ土民は 神の如く敬い折居様と崇め奉っていた。
或る夜、神島(カムイシリ)(今の鴎島)より虹の様な光が草庵を照すので不思議に思い尋ねて見ると白髪の翁が巌上に座し「汝の来たれりを待てり、機、正に熟せり」として瓶子を与えて曰く「之を海中に点すれば鯡(にしん)と言う小魚群来(くき)するに至るべし、之を島人の衣食住の資として吾と共に永く島人を護らん」と告げ、焚火と共に消えた。
折居姥は教えられた如く網を作らせ、手を洗い清め瓶子の水を海中に注ぐと海水が白色に変り鯡が群来し島人を飢えと寒さから救ったのである。
後年、初代藤原永武が老姥の草庵に天照大御神、天児屋根大神、住吉大神の御神像が祀られてあったので姥の名に因み「姥が神」と自ら崇め祀ったのである。
その後、蝦夷地に白金寄すると傳えられ、年々渡島する者増加し「江差の五月は江戸にもない」と言われ経済の中心として遂に本道開拓の基をなしたのである。
現在 折居老姥は姥神大神宮の境内に折居社として祀られている。
又故事に瓶子は古社地の沖にある石と変じ、今も尚、古の歴史を把握しているかの様にその面影を残している。
当姥神大神宮は、藩主の崇敬の念厚くこのため古より北海道開祖神、又蝦夷一の宮とも称し文化14年(1817)神祇官領より10代相模守藤枝政光を召され、正一位の位記、神階並に敕宣姥神大神宮敕額をも進められる。
明治4年郷社、明治17年4月28日縣社に昇格される。姥神大神宮の渡御は、正保元年(1644)津花の地より現在地に遷宮した頃より齋行されたと思われ、現在渡御中、最も古い神輿は、元禄7年(1694)大阪で製作されたものである。
又神輿に供奉する道文化財指定の神功山の人形は寶暦年間、同指定の松寶丸は弘化2年製作、蛭子山、豊年山の天明年間の水引など10数台の山車供奉は、京都八坂神社、言わゆる祇園祭りの形態を撮入れた古の上方文化の傅統を、今もなお姥神大神宮の渡御の中に民衆の傅統的な信仰神事として引継がれている。
昭和62年8月 姥神大神宮 第十八代宮司 藤枝 敬鎮 記
「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]
【境内社 (Other deities within the precincts)】
折居社《主》折居神(orii no kami)
《合》倉稲魂命
折居社
創立年不詳。往古は津花浜手 姥神大神宮古社地に鎮座していたが、安永2
(1773)年以前、現在地に遷座。
江差発展の基となった鰊漁法を伝授した折居姥(おりゐうば)(於隣おりん)の神霊を祀る社である。
境内案内板
天満宮《主》菅原大神
金刀比羅神社 《主》金刀比羅大神
海神社・風神社《主》大綿津見神
厳島神社 《主》市寸島比売命・多岐都比売命・田心比売命
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 北海道最古の由緒(格式ある歴史)を持っています
「姥神大神宮(ubagami daijingu)」は江戸期「蝦夷地(ezo chi)一の宮」でした
「北海道(hokkaido)」は 明治時代に名付けられた呼称です 江戸時代までは「蝦夷地(ezochi)」と呼ばれていて その意味は 江戸時代に使われた「和人地」の対義語として 日本人がアイヌの居住地を指して用いた言葉とされています
江戸時代初期 現在の北海道南西部の渡島半島を「和人地」として ここを統治して領地としたのが「松前藩」です しかし 当時この地は 稲作が不可能だったため 経済基盤の中心産業は「漁業」や「林業」でした
当社は 創立年代は不詳ですが 言い伝えによれば 約570年前の文安4年(1447年)に ニシンの漁法を伝授した「折居姥(おりゐうば)」の草創と伝わり 江差は「ニシン漁」で蝦夷地(ezochi)きっての景気にわきかえり 「蝦夷地(ezo chi)の一宮」として大切に祀られていきます
「江差 姥神大神宮 渡御祭」について [北海道遺産(hokkaido isan)]
江差「姥神大神宮渡御祭」は 約370有余年前もさかのぼる起源があり 蝦夷地(ezochi)最古の祭りと知られています
毎年のニシン漁が終わり 蝦夷地(ezochi)で最も豊かな景気に沸く 夏 8月9日~11日【3日間】豪華な13台の山車が町中を練り歩きます
江差で 豊漁に感謝を込めたお祭り「姥神大神宮渡御祭」として始まったと伝わります
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
「瓶子岩(heishi)」について
場所は 江差の港を日本海の荒波から覆うようにある鴎島の脇です
ちょうど瓶子(heishi)を逆さまにした様な姿で立っていますので この名が付いたとされています
全長30mにおよぶ〆縄が「瓶子岩(heishi)」にかけられています
伝説では「折居姥(おりゐうば)」が 神から託された瓶子(heishi)に入っている水を海に注いだところニシンが集まり 江差でニシン漁が盛んになったと伝わり その瓶子(heishi)が岩に化したとされています
毎年7月の第1土曜日に「かもめ島まつり」が行われ しめ縄飾りの架け替えが行われています
瓶子岩
今から500年もの昔、様々な予言をするひとりの姥がおりました。あるとき、姥はかもめ島で翁から小さな瓶を渡され、教えられたとおり瓶を海に投げたところ、江差にニシンが群来るようになったのです。この瓶が石と化して海上に現われ、瓶子岩になったと伝えられ、姥は人々から折居様と呼ばれ神のようにうやまわれていました。
江差町役場HPより
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
函館空港から 車で移動した場合 R227号経由 約80km 1時間40分程度
日本海側に出て 右手に日本海を見ながらR228号を南下し 江差町を目指します
情緒ある江差のいにしえ街道の街並みに入り進むと鳥居があります
神社の目の前は「姥神大神宮渡御祭」で町中を練り歩く豪華な山車庫があり「豊年山 山車展示中」となっていて 見ることが出来ます
姥神大神宮(ubagami daijingu)に到着
一礼して鳥居をくぐります
境内右手に手水舎があり 清めます
すぐ脇に「鯉のぼり」ではなく「にしんのぼり」江差に来た感があります
その奥には「姥神大神宮渡御祭」で町中を練り歩く山車のミニチュアが飾られています
石段を上がる一段高い境内には 拝殿が朱色の瓦屋根で正面に建ちます
拝殿にすすみます 扁額には「敕宣 姥神大神宮」とあります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿向かって左手境内社にお詣りします
金刀比羅神社 《主》金刀比羅大神
海神社・風神社《主》大綿津見神
拝殿向かって右手境内社にお詣りします
折居社《主》折居神(orii no kami)
《合》倉稲魂命
天満宮《主》菅原神
その奥には「鈴鹿甚右衛門之碑」があります
石段を下ります
社務所でご朱印やお守りを授与して頂きます 珍しい神籤に「にしんみくじ」があります
鳥居をくぐり振り返り一礼
海岸に出て「瓶子岩(heishi)」に向かいます
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事をご紹介します
ニシン漁の始祖神として「折居(おりゐ)という老婆」にまつわる「ニシン漁」の起源についての伝承を持ちます
社伝によると
江差の津花に天変地異を予知し住民に知らせ、神のように敬われていた折居(おりゐ)という老婆が草庵を結び住んでおり、ある日鴎島の巌上に現れた翁から小瓶を授かり、その中の水を海に注ぐと鰊が群来するとの啓示を受け、水を海に注いだところ鰊が群来した。
その後老婆は忽然と姿を消し、草庵に残されていた老婆の祀る5体の御神像を人々が小祠を建立し姥神としてお祀りし、後に老婆も祀ったとある。
北海道神社庁公式より
江差に伝わる"にしん伝説"
にしん漁の起源と 当社が蝦夷地の一宮であったと記されています
今から500年も昔、江差町がまだ寂しい片田舎だったころ、どこからか姥がやってきて、今の津花町に草庵を結びました。
不思議なことに、天地の間、四季の事々、この老女の予言がことごとく当たり、変事が起こるたびに予知して教えるので、人々はこの老婆を「折居様」と呼び、神のように敬いました。
ある年、江差の浜で一匹の魚も捕れないことがあって、老婆は一心不乱に祈りを捧げました。2月はじめの頃、夜の丑三つ時、鴎島の方から突然、銀色の光が老婆の草庵を射ったので不思議に思い、訪ねてみると一人の翁が岩の上に座って、芝をしきりに焚いています。おそるおそる歩み寄ってその訳をたずねてみると、翁は小さな瓶をとりだして「この瓶の中に白い水がある。これを海の中に投げ入れると、ニシンという小さなサカナがうち寄せるだろう。毎年、これを捕って暮らしたらよかろう」と告げて姿を消してしまいました。
そこで老婆は教えられたとおりにしてみると、海水は変わり、今まで見たことのない魚が群れをなして押し寄せてきました。老婆は、これこそがお告げのあった「ニシン」に違いないと、村人たちに教えました。ところが、村人たちは、これだけ大量の魚をどう捕獲するのかわからない。
そこで老婆が祈ると、再びあのみの翁が現れ、一枚の蓑の裏側を示しました。蓑の裏側は糸で編んだ網でした。
翁は網でニシンを捕る方法を教えたのです。そして「ただし、その高さはお前の背の高さ、目の数はお前の年と同じものにせよと言い残し消えました。老婆は村人たちに網の作りを教えました。
喜んだ村人は早速、漁を始め、江差の浜はやがてニシンで満ちあふれました。老婆は、これで住民たちは暮らしに困ることがないだろうと告げ、ある日、こつぜんと去っていきました。人々は驚いて方々を探しましたが行方はわからず、老婆が住んでいた庵に行ってみると、一個の神像があったので、これを折居様とよんで漁業を護る神としてあがめました。
その後、だいぶたってからこの神社の神職に藤原永武という人があらわれて、かの姥の神は天照大神、春日大明神、住吉大神宮の御尊体であると人々に告げたので、正保元(1644)年、その神像を津花から現在の場所に移したのです。これが姥神大神宮の由来です。
ところで、老婆が村人に示した網の大きさは、高さが五尺三寸(約1m59cm)目の数は63だったといいます。老婆はこれを固く守るように村人に言い渡しましたが、欲に目のくらんだ人々はいつしかこれを忘れて、大きな網で漁をするようになりました。それは明治の初めの頃だといいます。このころからニシンが捕れなくなってきたのは、老婆の言い付けを守らなくなったから、と信じる人が今もおります。
江差の人々にニシン漁を教えた折居様。折居様が祈りを捧げた神像を起源とする姥神大神宮。今になっても江差の人々の厚い信仰を集めています。
姥神町の旧社地に「折居様の井戸」が遺構として残っています。
また折居様が、身を清めて白い水を詰めた小瓶を投げたという「折居様の手洗石」は中歌町の埋め立て地に埋没してしまいましたが、海中に投げ入れられた小瓶はやがて石となって海上に現れ、鴎島の「瓶子岩」になったといいます。
姥神大神宮とは別に、折居様を祀っているものに折居社があります。安政4(1857)年に元の江差港入口から現在地に移され、現在の社殿はおよそ110年前に再建されたものです。
姥神大神宮も、はじめ津花町に建てられ、正保元(1644)年に現在地に移されたのです。松前地はもとより蝦夷地の一宮として、代々の藩主、領民の尊崇を集め、藩主の巡国の折には、かならず参殿して藩の隆盛、大漁、五穀豊穣を祈願する祈願所となりました。
江差町役場HPより
ニシンの漁法を伝授した「折居姥(おりゐうば)」の草創の社
姥神大神宮(ubagami daijingu)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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