都萬神社(つまじんじゃ)は 社傳に云く「景行天皇 日向國 土蜘蛛を征し給ふ時、兒湯縣に行幸 当社勅願し給ひしことを傳ふ 以てその太古の創建なるを知るべし」とあります 『續日本後紀 妻神』『三代實録 都萬神』『延喜式』に日向國 兒湯郡 都萬神社(つまの かみのやしろ)と記載のある由緒ある古社です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
都萬神社(Tsuma shrine)
【通称名(Common name)】
妻万様(さいまんさま)
【鎮座地 (Location) 】
宮崎県西都市大字妻1番地
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 日向國二之宮
【創 建 (Beginning of history)】
都萬神社案内
この神社は天孫ニニギの尊の妃 木花咲耶姫(このきなさくやひめ)を祀り 都萬神社または妻萬宮と申します
祭神 木花咲耶姫はオオヤマズミの命の姫君で ニニギの尊との御結婚にはコトカツ クニカツ ナガサの神が媒酌をとりもち 日本最初の正式な華燭の式典を挙げられました 故に古来から この結婚の喜びにあやかりたいと 崇敬の厚いお宮であります
祭神 木花咲耶姫は青島神社のヒコホホデミの尊の母君 鵜戸神宮のウガヤフキアエズの尊の祖母君にあたり 宮崎神宮の神武天皇の曽祖母で 日本民族の彌来をもたらせた国母神でありますから 女性の守護神 お産の神と敬い 家内安全の祈願に参拝の多い神社であります。西都原御陵参考地の正面にある女狭穂塚は この神社の祭神 木花咲耶姫の御陵とつたえられています。
都萬神社 社務所
現地案内板より
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延喜式内社 日向二之宮 都萬(つま)神社
一、御祭神
木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト) 天照皇大神の御孫 瓊々杵命妃
一、鎮座地
宮崎県西都市大字妻一番地
一、主な祭日
歳旦祭 一月一日 大祓 六月三十日、十二月三十一日 更衣祭 七月七日
例大祭 十一月十九日 鎮火祭 旧十一月二日 除夜祭 十二月三十一日一、社殿
本殿 流造丹塗一棟十二坪桃山様式(西都市文化財指定)
拝殿 入母屋造十二坪(昭和四十三年御造営)一、境内 四三七三坪
ハナガガシ・クスノキ・タブ・イチイガシ・アラカシなどの常緑広葉樹(照葉樹)が繁茂して、「鎮守の杜」を形成しており、国指定の天然記念物「妻のクス」は、過去の台風の災害や火災に耐え、推定樹齢一二〇〇年を生き続けている。
また、ソメイヨシノやヤマザクラなどが植栽され、春の参道を華やかに彩る。一、由緒沿革
御創建の年代は定かではないが、当神社が初めて史書にみえるのは、「続日本後紀」で、仁明天皇承和四年(八三七年)八月の条に「日向国子湯郡妻神、官社に預かる」とあり、また、「三代実録」の天安二年(八五八年)の条にも神階昇格の記載がある。
更に延喜式神名帳には、日向国四座の内、児湯郡二座として、都農神社とともに都萬神社が記載されており、式内社といわれる所以である。
当神社はこれらの文献にみえるより更に古く、奈良時代には存在していたと思われる。
建久年間(一一九〇年代初頭)伊東氏日向を領するや供田を献じて奉賽に務め、慶長八年(一六○三年)島津以久公 佐土原に封ぜられ、四代藩主忠高は妻村内三百十五石を社領として安堵するなど、伊東氏に引き続き島津氏も都萬神社に対する尊崇の誠が示されており、往年の盛儀が偲ばれる。
その後、明治六年県社に列せられ、明治四十年には神饌幣帛料供進指定を受けるなど古来からの尊崇は明治維新以後も衰えることはなかった。
一、特殊神事
毎年七月七日に斎行される更衣祭(七夕祭)。前日の六日、奉仕する神職等が高鍋町堀之内海岸に浜下りし御禊の後 神事を行う。翌七日更衣祭当日、御神像に白衣の御衣装を着付け、御頭に真綿の御被衣(おかつき)を飾り付け、紅、白粉で化粧が施され、祭が斎行される。
この日、氏子・崇敬者から白衣が奉納されるが、その多少によってその年の天候が占われる。
一、都萬神社の大太刀
社伝によれば、上古第十二代景行天皇 熊襲御親征のため、都於郡高屋行宮に駐まらせ給うた時、御太刀を奉献、賊徒平定を御祈願されたと伝え、現在太刀は社殿に宝蔵されている。
都萬神社
現地案内板より
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由緒
◎天孫降臨と都萬神社 恋にやさしい縁結びの神
当都萬神社は大山祗神の娘 木花開耶姫命をお祀りする延喜式内のお宮で妻萬宮とも申します。
天孫瓊々杵尊と木花開耶姫命が逢初川で見逢いされ、事勝国勝長狭神の仲人により日本最初の正式な結婚式が八尋殿で挙げられ、新婚生活を送られた処と伝えられ、サクヤ姫は結婚一夜にしてご懐妊されたので、天孫ニニギの尊ははたして自分の子供であろうか?と疑われたのを恥給い、木花開耶姫命は身を以て貞節を示さんものと〃無戸室〃産殿に火を放ち「もし貴方の子供でなかったら私は焼け死ぬでありましょう、貴方の子供であれは火に害のう事なく無事に生まれましょう」と誓いをたてられ、無事に三人の皇子(火闌降命、彦火火出見尊、火明命)をお生みになり女性としての純潔を示されたところと伝えられます。
そのことは『日本書紀』に次のように記されています。天孫瓊々杵尊曰く「汝は(サクヤ姫に対し)霊異しき威有し。子等復倫に超れたる気有り」と仰せになり木花開耶姫命をいたわり敬愛の情をお示しになっています。
三皇子の御名は火の中でお生まれになったので火の字が附してあります。尚無戸室産殿でお生まれになった三皇子の産湯をお使いになった〃児湯の池〃が史跡として保存されています。さて無事に御生まれになった三皇子をお育てになるに母乳で足りない分を補うため一方ならぬ御苦心の程が伺われます。西都原よりわき出づる水を利用して狭名田と言う細長い田を作り、その田の稲(お米)で甘酒えお造り、その甘酒を以て三人の皇子を御養育されたと伝えられています。
都萬神社では今尚秋の大祭には必ず甘酒を神前にお供えしてお祭りをすることになっています。又『日本書紀』に木花開耶姫命「卜田を以て狭名田と曰う、その田の稲を以て天の甜酒を醸みて新嘗す、渟浪田の稲を用て飯に為しぎて新嘗す」とあります。
是が地上における新嘗祭の起源ともなっています。甜酒美酒のことなりとあり、我国で始めてお米を以て造られたお酒の発祥地は西都市であり、木花開耶姫を祀る都萬神社であることが『日本書紀』により証明されています。都萬神社南西に当たる処に現に酒元と云う部落がありバス停留所もあります。◎恋の願いが叶い良縁に恵まれる 特殊神事〃更衣祭〃
都萬神社の更衣祭は日本のお祭りの中でも最も珍しい祭典行事であります。
祭神 木花開耶姫命が天孫瓊々杵尊に逢初川のお見逢いによって長狭神の媒介によりお嫁入りされる時の古事そのままの姿をおつくりする神事で、晴れの婚礼衣裳をサクヤ姫の御神像にお着せ申し、白粉や口紅をつけ角隠しの帽子をかぶせ、花嫁姿になられる有様を生でじかに行うゆかしい神事であります。この神事が我が国婚姻儀礼のハジメであると社伝にあります。当日は午後三時まで全く可愛らしい清らかな姿を御神殿正面に御遷座申し上げ、その間一般参拝者に拝観が許されます。
良縁に恵まれ仕合せな結婚が出来た人。又良縁に恵まれたい人の参拝が多く、殊にお母さん方のお参りが多いのは母親の愛情から女性の守り神として崇敬が厚いからでありましょう。青年男女のお参りは特に正月の年頭参拝は押すな押すなの盛況ぶりで最近は東京方面からの女性参拝も多くなっています。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
宮崎縣 兒湯郡 縣社
〇宮崎縣 日向國 兒湯郡下穂北村大字妻字上妻
縣社 都萬神社
祭神 木花開耶姫(コノハナサクヤヒメノ)命
神名帳考證には「抓津姫命」とあり、創建年代詳ならざるも、社傳に云く、景行天皇日向國 土蜘蛛を征し給ふ時、兒湯縣に行幸 当社勅願し給ひしことを傳ふ、以てその太古の創建なるを知るべし、往時は妻萬宮、或は日向総廟と呼べり(太宰管内志、鹿藩名勝考、地理纂考)
延喜の制式内小社に列す、
續日本後紀に「仁明天皇承和四年八月壬辰朔日日向國子湯部 妻神 預官社」
三代實録に「清和天皇天安二年十月二十二日授ニ 日向國従五位上 都萬神 從四位下」とあり、社領は建久圖田帳に「妻萬宮領九十八町」と録す、
後陽成天皇慶長六年九月島津氏祭田三百十五石餘を寄す(太宰管内志鹿藩名勝考地理纂考)太宰管内志に云く、
「日向國人云、兒湯郡妻萬(ツマ)村に妻萬(サイマン)宮とてある是 都萬神社なり、木花咲也姫を祭ると云傅ふ、佐土原城主より神領三百十五石を寄附し給へり、(神官三十餘家あり(中略)(此宮より半里許にして邇々杵尊宮ありきさして大なる社にもあらず 横三間許にして舞殿、拝殿あり この處より又半里許にして 邇々杵尊 木花咲也姫陵といふものあり さて妻萬宮は佐土原の内 邇々杵尊社は天領なれども毎年の祭には木花咲也姫神 邇々芸命宮に御幸あり 邇々芸命祭の時は開也姫社に御幸ありしを 近世この事絶えて 只社人ばかり往来することなり」 と、又 笠狭大略記に云く、
「妻宮木花咲耶姫命、御崎ヨリハ艮ニ当テ十丁余ノ地ニ在座リ、マタ本ッ宮ノ地ハ是ヨリ北五丁ノ所嵯呼櫻ノ宮ト稱ス、傳来ニ曰ク、天孫酒本ノ海濱ニシテ、御釣ノ御遊在座シケルトソ、今池上山ノ池中ニ於テ御釣ノ池ノ舊迹アリ、而ルニ又開耶姫命ニ於テハ妻苑ノ川ニ水汲ニ往給へルヲ、天孫姫ヲ見ソナハシテ叡慮ニカナハセ給ヘルヲ以テ、事勝神媒介シ給ヒ御后トシテ立セ給ヒタルトナリ、此ノ奮跡御釣ノ池ヨリ北一丁ノ所ニ於テ今愛初川ノ奮跡アリ、此所妻園トイフ、今コノ周流ハ公領ニシテ、コノ所五反歩計リノ飛地ト成リテ妻宮ノ卿社地タリ、亦吾国ニ於テ夫婦互ニツマトイへルモ此処ヨリ始ル卜云リ、而ルニ此命天下ノ美女ニ在座ガ故ニ、窈窕ナル御容貌ヲ櫻木ノ花二譬へ参ラセ、木花開耶姫命卜美称シ奉ルノ尊号ナリ、亦吾国ニ桜ヲ以テ花ノ王ト称スルコ卜モ命ノ御名ニヨルガ故ナリ、伝来ニ曰、天孫降臨在座ルガ放ニ御后ノ儲トシテ開耶姫生レ出給ヘリ、而ルニ亦地祇ノ御子ナルトキハ美ナリ卜雖モ、群ヲ離レ給フニアラズ、故ニ天女爰二降リ給ヒテ大山祇神ノ妻トナリ、生ミ給へル磐長姫開耶姫御兄弟ノ命ナリ卜云リ、亦花卜謂フテハ櫻ニ限ルモ、世ノ常ノ美卜謂ニハアラズ、其ノ霊妙ノ美ナル事此ノ命ニ限ルガ故ナリ、此故ニ亦花ノ王トス、夫吾国ノ花の花王ナルコトモ天孫ノ御世ニ於テ此ヨリ出タル古言ナリ、今花嫁卜云ル言葉モ此ニ自似リ奉レルナリ、夫妻ノ宮尊號ノコト斯ノ如シ、因之花王川花王馬揚コノ號卜モナリテ、御社地ニモ此ヲ植テ神木トシテ崇へルモコノ由緒ニ拠テナリ、亦花王宮ハ命ノ春ノ舎ナリ、故二花王田、花王街道、花王森コノ号ヲモ伝へ、御腰掛ノ石マデモアルコトハ春ノ花ノ時二於テ爰ニ御遊ビ給ヘバナリ、亦后宮一人御覧セルノ花ニハ非ズ、故ニ此道筋ニ今日ノ道卜唱フル処ノ地名遺レリ、此則大君ノ行幸ノ道筋ナル故ナリ、尚花王田ノコト一般ノ旧迹ニシテ伝説等モアルコトナガラ爰ニ略キヌ、然ルニコノ地妻邑ト称シテ上妻、中妻、下妻卜三所ノ號アリ、此上妻ノ地二鎮座在座ス、亦御社地妹田卜称スルコトハ此神前ニ妹田ノ御田アリ、御妻ノ命ナルコ卜ヲ妻宮卜崇敬成シ奉レルノ宮号ナリ、云々」と見ゆ往時は末社四十四社、神官三十餘家、社僧二家ありきといふ(太宰管内志、鹿藩名勝考、地理纂考)、その盛大想見すべし、
明治六年縣社 兼 郷社に列せらる、
社殿は本殿、舞殿、祀詞殿、神饌殿等を具備し、境内四千九百十六坪(官有地第一種)あり、境内老樹鬱蒼として四面を囲み、東西に櫻川の清流を帯び、南西に桜馬場あり、その西側に小池あり、紅白の蓮多し、春夏の候風光殊に佳なり、笠狭大略記に曰く
「妻宮の御池花王川の流れに在て片目の鮒魚生ずるなり傳来曰 開耶姫命 御池に臨て御遊給ふ然るに命の玉の鈕落て鮒の目を貫けり 爾来今に片目の魚生ず 亦これを眷属と称す これよりして玉鈕落の三字を以て布那と訓るは此地に於て傅来の文宇の訓なり」と、
寶物には 景行天皇土蜘蛛征討の際奉納し給ひしと伝ふる御劒あり。
【原文参照】
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313
明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・都萬神社 本殿 幣殿
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・都萬神社 拝殿
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・〈拝殿内〉日本一の大太刀(全長約三・五m)
第十二代 景行天皇が 熊襲御親征のため都於郡 高屋行宮に駐まらせ給うた時 賊徒平定を御祈願され御太刀を奉献 これに倣って宝徳二年(一四五〇)日下部成家が奉納したと伝えらます
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・〈拝殿前〉千年楠の洞洞木
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・手水舎
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・日本清酒発祥の地
日本清酒発祥の地の由来
西暦七二〇年に編纂された「日本書記」の中で、木花開耶姫の三皇子 出産の部分に次のような件があります。
「神吾田鹿葦津姫(かみあたかあしつひめ)(木花開耶姫)卜定田(うらへた)を以(も)て號(なづ)けて狭名田(さなた)と曰(い)ふ、其の田の稲を以(も)て天甜酒(あまのたむざけ)を醸(か)みて嘗(にはなひ)す、又 淳浪田(ぬなた)の稲を用(も)て飯(いひ)に為(な)して嘗(にはなひ)す」
つまり、当神社の御祭神木花開耶姫命が占いによって定められた田を開き、収穫された稲で酒と飯(御飯)を造られ、天照大神にお供えになり自らも召し上がられたということです。
お米を原料にして造った酒の最古の伝承で、現に神社近くに「酒元(さかもと)」という地名の集落もあります。
また、木花開耶姫が 三皇子を出産された時、母乳代わりに甘酒でお育てになったという言い伝えもあります。
現地案内板より
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・〈境内社〉大山祇神社《主》大山津見命
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山の神 大山祇(おおやますみ)神社
この神社の祭神(さいしん)は大山祇命であります
命(みこと)は 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の父君で 國土の山野を占有(りょうゆう)し之を司(つかさ)どった御方であります
故に山の神も御父様 小戸神社 宇白神社 またサクヤ姫を祀(まつ)る本殿の北奥の森に卸陰居住(ごいんきょすまい)として鎭座(ちんざ)ましていましたので奥の宮とも申します。
昔から林産業者の崇敬(すうけい)ことのほか厚(あつ)く旧曆正月 五月 九月の十六日を「山の神祭り」として神事を続けています、
尚 本宫は火鎭(ひしづめ)の御神徳(ごしんとく)とくに深く、徳川三代家光の時代頃から地方の信仰と鎭火祈願(ちんかきがん)の場として旧暦十一月初巳の日を「うとん祭」と呼んで 現在も市街地 この近郷の消防諸員が主となり夕刻(ゆうこく)から夜間に祭典を続けています。創立(そうりつ)の年代はつまびらかではありませんが おそらく九曜星(くようぼし)の紋章(もんしょう)が社殿に保存されてありますので 伊東時代(五百年以前)の建立(こんりゅう)かと推察(すいさつ)されますが、この以前にも社があったものと想像されます。その後 延宝(えんぽう)二年八月十七日(昭和四十六年から凡や三百年前)當時 大宮司 越智朝臣 川野氏部太禅道直が大工 松本九穴衛門尉に改修 造築させたと社殿屋根裏壁板に記録してあります。
然るに昭和四十二年頃から社殿の小板葺(こけらぶき)破損はなはだしく、この貴重な文化財を失ふことは独り氏子の慙愧(ざんき)のみでなく三百年上の永い間保存を続けた崇敬者(すうけいしゃ)の信仰心情も捨てがたく、この程山林業者の方々の御協賛援助を得、現在の様に屋根を葺替(ふきかへ)修理をほどこし、原型のまま凡そ二十メートル 昔の位置から前方に遷座(せんざ)いたしました。
昭和四十六年六月八日 都萬神社
(附記)
西都原石貫から石段を登りつめた右側に大山祇命の古墳と云ふのがあります。長さ九○メートル、直経約二十五メートル、高さ約十メートルの柄鏡式古墳であります
サクヤ姫古墳と云ふのは御陵内にあります
現地案内板より
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・〈境内社〉四所神社《主》磐長姫神、豊受姫神、天児屋根命、太玉命
・〈境内社〉霧島神社《主》瓊々杵尊
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・〈境内社〉八坂神社《主》素盞男命
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・〈境内社〉稲荷神社《主》宇迦之御魂命
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・〈境内社〉乳神
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・社務所
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・生産河
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生産河(しゅさんご)
水(みず)が自然に湧き出ている泉(いずみ)です。
滑(なめ)らかな大きい石をなでると子宝(こだから)に恵まれるという言い伝えがあります。
【御神池(みいけ)です。石(いし)や木切れなどを投げ込んだり 生きものを獲ったりしないでください。】
都萬神社 Syusango God of easy delivery
現地案内板より
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・大クス『妻のクス』
妻のクス
国指定天然記念物 指定年月日 昭和二十六年六月九日
都萬神社の本殿南側にそびえる 妻のクスは、昭和四十二年と平成二年一月の二回、樹幹の空洞部から出火し被災したり、過去に強風で樹幹を失ったものの、今では樹勢をとりもどし、精力的な神秘さをただよわせています。
推定樹齢一二〇〇年・根廻り一〇,八メートル・高さ四○メートル(現二十メートル)
平成四年十一月二十五日 西都市教育委員会
文化財を大切に
現地案内板より
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・相撲場〈土俵〉
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈境外社〉妻恵比須宮《主》事代主尊
・〈境外社〉妻水神宮《主》水波能女大神
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
日向國の4社〔現在の・都農神社・都萬神社・江田神社・霧島神宮〕が官社に列せられています
【抜粋意訳】
承和四年(八三七)八月壬辰朔
○八月壬辰朔
日向ノ國
子湯郡 子都濃神 妻神
宮埼郡 江田神
諸縣郡 霧嶋岑神を 並に預らしは 官社に
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
都萬(ツマノ)神として 神階 從四位下を授かっています
【抜粋意訳】
卷一 天安二年(八五八)十月廿二日己酉
○廿二日己酉
授に 日向ノ國
從五位上 高智保(タカチホノ)神 都農(ツノノ)神 等 從四位上
從五位上 都萬(ツマノ)神 江田(エタノ)神 霧嶋(キリシマ)神 並に從四位下伊豫國
正六位上 布都(フトノ)神 從五位下を
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)日向國 4座(並小)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)兒湯郡 2座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 都萬神社(貞)
[ふ り が な ](つまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Tsuma no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
御祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と『記紀神話』について
『記紀神話』の伝承については 別の記事を参照
邇々杵尊(ににぎのみこと)木花之開耶姫(このはなさくやひめ)『記紀神話』の伝承
「記・紀の道」ひむか神話街道 HIMIKA MYTH ROAD
日本で最も古いと言われる「古事記」「日本書紀」には、日本神話の根幹をなす日向神話のことが書いてあります。
その伝承の中心になるのは、天孫二ニギノ尊とその妃コノハナサクヤ姫にまつわる説話です。
この説話の道筋にあるものが神社や神話伝承地であり古墳です。そして本市においてこの道筋となるものが、古事記の「記」と日本書紀の「紀」から名づけた「記・紀(きき)の道」です。歩いて一時間の道程(4・8K)、ロマンの道を楽しんでください。
都萬神社300m御舟塚
ひむか神話街道について
宮崎県は「神話と伝説のふるさと」と称されるように「西都原古墳群」をはじめとする数々の史跡や、天孫降臨神話などの伝承、神楽などの民俗芸能が数多く残されています。
このルートは、高千穂町から五ヶ瀬町・椎葉村・南郷村・西都市と通う高原町(南の高千穂)を結ぶ神話と伝承の道です。西都市観光協会
現地案内板より
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記・紀の道「都萬神社」
この神社は、コノハナサクヤ姫が祭ってあり、縁結びの神様として有名です。また、ニニギノ尊とコノハナサクヤ姫の間に生まれた3人の子どもを育てるのに母乳だけでは間に合わず、代わりに甘酒を飲ませて育てたと言い伝えが残る「清酒発祥の地」と言われています。
現に酒元(さかもと)という集落も近くにあります。
ひむか神話街道 HIMUKA MYTH ROAD
都萬神社 御舟塚 300m西都市観光協会現地案内板より
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お乳の神様のいわれ
都萬神社の御祭神、木の花開耶姫の大神は、三つ子の皇子を無戸室(うつむろ)の産屋でおうみになり母乳だけでは足りないので、狭田の稲で甘酒をお造りになり、これをお乳代りとして御養育されたと伝えられ、今尚、秋の例大祭には甘酒を造って奉献する習慣がのこっています。婦人がお産されて母乳の足りない方はこの神社にお参りして祈願され、お乳が出るようになったら甘酒を持ってお参りされることになってます。
昭和四三年三月三日 都萬神社社務所
妊産婦の方は産気づかれると御符とお石を枕もとにおいて、先に御符をお水でのんで お産の重いような時は、お石をしっかり握りしめ、手の熱がお石に伝わり、あたたかくなるころ、無事出産すると伝えられています。
現地案内板より
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
東九州自動車道 西都ICから県道18号・R219号経由で北上 約5.7km 車での所要時間は8~10分程度
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都萬公園の中に境内地があります
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公園の横に参拝者の駐車場があり そこから境内へと進みます
〈境内社〉乳神と御神木の楠があります
都萬神社(西都市大字妻)に参着
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南からの参道がありました
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境内への石段の上には 二の鳥居が建てられています
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二の鳥居からは 東方向へ参道が伸びていて 一の鳥居が見えています
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すぐ脇に「みやざきの巨樹百選」に選ばれているクスノキ『妻のクス』があります
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社殿 境内 鳥居 参道は すべて東を向いています
石段を上がります
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拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿の奥には 幣殿 本殿があります
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社殿の向かって右側には 境内社が祀られています
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社殿に一礼をして 参道石段を下ります
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ここから西へ2.5km程には「西都原古墳群」があります 邇々杵尊 木花咲也姫陵であるとも伝わる「男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳」もありますので
向います
邇々杵尊 木花咲也姫尊の伝承地「西都原古墳群」の記事を参照
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 都萬神社について 所在は゛妻町に在す゛〈現 都萬神社(西都市大字妻)〉と記しています
【抜粋意訳】
都萬神社
都萬は假宇也
○祭神詳ならず、〔考證、抓津姫命といふ、今從はず、〕
○妻町に在す〔社家注進〕
神位官社
績日本後紀、承和四年八月壬辰、日向國子湯郡妻神預ニ 官社、
三代實錄、天安二年十月廿二日己酉 ,授二 日向國從五位上 都萬神 從四位下
【原文参照】
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 都萬神社について 所在は゛妻村穂木原に在り、妻萬宮と云ふ、゛〈現 都萬神社(西都市大字妻)〉と記しています
【抜粋意訳】
都萬(ツマノ)神社、
○〔按 續日本後紀 妻神に作る〕
今 妻村穂木原に在り、妻萬宮と云ふ、〔鹿蕃名勝考、神名帳考、宮崎縣神社調〕
蓋 都農神の姫神也、仁明天皇承和四年八月壬辰、官社に列り、〔續日本後紀〕
清和天皇 天安二年十月已酉、從五位上より從四位下を授く、〔三代實録〕
凡 十月廿八日祭を行ふ、〔宮崎縣神社調〕
後鳥羽天皇 建久八年に至て、妻萬宮領 凡九十八町あり、〔地理纂考引日向國圖田帳、〕
【原文参照】
栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 都萬神社について 所在は゛妻村〔架木村〕 (兒湯郡下穂北村大字妻 )゛〈現 都萬神社(西都市大字妻)〉と記しています
【抜粋意訳】
都萬神社 (稱 都萬神社)
祭神 木花佐玖夜比咩命
神位
仁明天皇 承和四年八月壬辰 日向國子湯郡 妻神 預官社
文德天皇 天安二年十月廿二日己酉 授 日向國從五位上 都萬神 從四位下祭日 十月廿八日
社格 縣社所在 妻村〔架木村〕 (兒湯郡下穂北村大字妻 )
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
都萬神社(西都市大字妻)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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日向国(ひむかのくに / ひゅうがのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 〈現在の宮崎県〉日向国 4座(並小)の神社です
日向國(ひむかのくに)式内社 4座(並小)について