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『出雲國風土記』楯縫郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】19社

出典近畿中国森林管理局Webサイト(httpswww.rinya.maff.go.jpkinkisimanemori-enjoyizumonokunihudoki.html)

国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『出雲國風土記』楯縫郡(tatenui no kori)条 所載の神社の数は「28社」です 
 「 9社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
 「19社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)

『出雲國風土記』楯縫郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】19社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "

許豆乃社 (こづの) (kozuno no) yashiro

・許豆神社 (鹿島神社)

一緒に読む
許豆神社〈鹿島神社〉(出雲市小津町)

許豆神社〈鹿島神社〉(こづじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD』の楯縫郡  不在神祇官社「許豆乃社(こづの)のやしろ」とされる伝統ある神社です 江戸時代は鹿島大名神と呼ばれ 明治4年(1871)に「許豆神社」に復しました

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又許豆社 (またこづの) (matakozu no) yashiro

・許豆神社 (稲荷神社)

一緒に読む
許豆神社〈稲荷神社〉(出雲市十六島町)

許豆神社(こづしんじゃ)〈稲荷神社〉は 十六島(うっぷるい)浦を見渡す山の斜面に鎮座します 『出雲國風土記( 733 AD.)』所載社の「又許豆社(またこづ)のやしろ」とされていて 境内摂社の紫菜嶋神社も『出雲国風土記』所載の「紫菜島社(のりしま)のやしろ」とされています

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・許豆神社 (恵美須神社)

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許豆神社〈恵比寿神社〉(出雲市小津町)

許豆神社(こづじんじゃ)〈恵比寿神社〉は 創建年代不詳ですが 出雲國風土記733 AD.』に所載される 楯縫郡 不在神祇官社「又許豆社(またこづの)のやしろ」とされます 境内には「塩の権現」と呼ばれる6世紀頃に築造の古墳があります

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又許豆社 (またこつの) (matakotsu no) yashiro

・許豆神社 (恵美須神社)

一緒に読む
許豆神社〈恵比寿神社〉(出雲市小津町)

許豆神社(こづじんじゃ)〈恵比寿神社〉は 創建年代不詳ですが 出雲國風土記733 AD.』に所載される 楯縫郡 不在神祇官社「又許豆社(またこづの)のやしろ」とされます 境内には「塩の権現」と呼ばれる6世紀頃に築造の古墳があります

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・許豆神社 (稲荷神社)

一緒に読む
許豆神社〈稲荷神社〉(出雲市十六島町)

許豆神社(こづしんじゃ)〈稲荷神社〉は 十六島(うっぷるい)浦を見渡す山の斜面に鎮座します 『出雲國風土記( 733 AD.)』所載社の「又許豆社(またこづ)のやしろ」とされていて 境内摂社の紫菜嶋神社も『出雲国風土記』所載の「紫菜島社(のりしま)のやしろ」とされています

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久多美社 (くたみ) (kutami no) yashiro

・〈玖潭神社に合祀〉貴女社

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玖潭神社(出雲市久多見町)

玖潭神社(くたみじんじゃ)は 「所造天下大神命=大穴牟遅大神(onamuji no okami)」を祀ります 『出雲國風土記』には「玖潭(kutami)」の地名の呼称由来として 御祭神が「にわか雨が くたみ(弱り)やまむ」と云われたからと伝承として記されています

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・三女社〈久多美神社の境内社〉

一緒に読む
久多美神社(出雲市東福町)

久多美神社(くたみじんじゃ)は『出雲國風土記』所載の論社2社が鎮座します 「久多美社(kutami no)yashiro」の分霊を永保元年(1081)「御本殿」に奉遷・同時期に「同久多美社(onajiki kutami no)yashiro」も「境内の三女社」に分霊奉遷します

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同久多美社 (おなじきくたみ) (onajiki kutami no) yashiro

・〈玖潭神社に合祀〉久多美社

一緒に読む
玖潭神社(出雲市久多見町)

玖潭神社(くたみじんじゃ)は 「所造天下大神命=大穴牟遅大神(onamuji no okami)」を祀ります 『出雲國風土記』には「玖潭(kutami)」の地名の呼称由来として 御祭神が「にわか雨が くたみ(弱り)やまむ」と云われたからと伝承として記されています

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・久多美神社

一緒に読む
久多美神社(出雲市東福町)

久多美神社(くたみじんじゃ)は『出雲國風土記』所載の論社2社が鎮座します 「久多美社(kutami no)yashiro」の分霊を永保元年(1081)「御本殿」に奉遷・同時期に「同久多美社(onajiki kutami no)yashiro」も「境内の三女社」に分霊奉遷します

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高守社 (たかもり) (takamori no) yashiro

・〈山口神社に合祀〉羽黒山鎮座 高守神社

一緒に読む
山口神社(出雲市鹿園寺町)

山口神社(やまぐちじんじゃ)は かつて毎年 四人の頭人を定め 毎月晦日に坂浦より潮を汲みて捧げ 祭日に十二番の相撲神事が行われていました 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡  不在神祇官社「高守社(たかもり)のやしろ」「又高守社(またたかもり)のやしろ」「山口社(やまぐち)のやしろ」の論社です

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又高守社 (またたかもり) (mata takamori no) yashiro

・諏訪神社〈山口神社の境内社〉

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山口神社(出雲市鹿園寺町)

山口神社(やまぐちじんじゃ)は かつて毎年 四人の頭人を定め 毎月晦日に坂浦より潮を汲みて捧げ 祭日に十二番の相撲神事が行われていました 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡  不在神祇官社「高守社(たかもり)のやしろ」「又高守社(またたかもり)のやしろ」「山口社(やまぐち)のやしろ」の論社です

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紫菜嶋社 (のりしま) (norishima no) yashiro

・紫菜島神社〈許豆神社 (稲荷神社)境内へ遷座〉

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紫菜島神社〈許豆神社 (稲荷神社)境内へ遷座〉(出雲市十六島町)

紫菜島神社(のりしまじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 不在神祇官社「紫菜嶋社(のりしま)のやしろ」とされ 古代より 十六島海苔(うっぷるい のり)の神様として崇敬されています 大正時代に十六島(うっぷるい)の許豆神社(こづじんじゃ)の境内へ遷座して摂社となっています

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鞆前社 (ともさき) (tomosaki no) yashiro

・鞆前神社

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鞆前神社(出雲市坂浦町)& 日御碕神社(出雲市坂浦町)

鞆前神社(ともさきじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡「佐香浜 さかはま」〈現 坂浦 さかうら〉に鎮座し 楯縫郡の神祇官社「佐加社(さか)のやしろ」と伝わり 不在神祇官社「鞆前社(ともさき)のやしろ」でもあり 由緒深き神社です

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宿努社 (すくぬ) (sukunu no) yashiro

・宿努神社

一緒に読む
宿努神社(出雲市多久谷町)

宿努神社(すくねじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』で御祭神 天御梶姫命(あめのみかじひめのみこと)が 多伎都彦命(たきつひこのみこと)をお産みになられたとする盾縫郡の神名樋山(かんなびやま) そこから流れ下る「虹が滝」をご神体とすると伝わり 楯縫郡 不在神祇官社「宿努社(すくぬ)のやしろ」とされています

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埼田社 (さきた) (sakita no) yashiro

・埼田神社

一緒に読む
埼田神社(出雲市園町)

埼田神社(さきたじんじゃ)は 県の無形文化財の指定を受ける奉納神事としての「青獅子舞(あおししまい)」が有名です 『出雲國風土記733 AD.』に所載の楯縫郡 不在神祇官社「埼田社(さきた)のやしろ」の論社です

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山口社 (やまぐち) (yamaguchi no) yashiro

・山口神社

一緒に読む
山口神社(出雲市鹿園寺町)

山口神社(やまぐちじんじゃ)は かつて毎年 四人の頭人を定め 毎月晦日に坂浦より潮を汲みて捧げ 祭日に十二番の相撲神事が行われていました 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡  不在神祇官社「高守社(たかもり)のやしろ」「又高守社(またたかもり)のやしろ」「山口社(やまぐち)のやしろ」の論社です

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・〈多久神社に合祀〉拝田神社

一緒に読む
多久神社(出雲市多久町)&拝田神社〈多久神社に合祀〉

多久神社(たくじんじゃ)&拝田神社〈多久神社に合祀〉は 神名樋山「大船山」南麓に鎮座し『出雲国風土記』楯縫郡「多久社」&「山口社」とされます 大船山には 阿遅鉏高日子根命と天御梶姫命の御子神「多伎都彦命(たきつひこのみこと)の魂」と伝える「石神」があり 神名の通りタキ〈水の神〉とされ 雨乞いをすれば必ず雨を降らすと風土記にも記されています

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葦原社 (あしはら) (ashihara no) yashiro

・葦原神社

一緒に読む
葦原神社(出雲市西郷町)

葦原神社(あしはらじんじゃ)は ・縁結び・家内安全・五穀豊穣・厄除け「全て成就」のお宮とされています 御祭神は「大国主神」の亦の名「葦原魂男命(ashihara shikoo no mikoto)」を祀ります 古事記上巻の大国主神の事績の条に「大国主の神」は 五つの御名があるがその内の亦の名が「葦原の色許男の神」であると記されています

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又葦原社 (またあしはら) (mata ashihara no) yashiro

・葦原神社

一緒に読む
葦原神社(出雲市西郷町)

葦原神社(あしはらじんじゃ)は ・縁結び・家内安全・五穀豊穣・厄除け「全て成就」のお宮とされています 御祭神は「大国主神」の亦の名「葦原魂男命(ashihara shikoo no mikoto)」を祀ります 古事記上巻の大国主神の事績の条に「大国主の神」は 五つの御名があるがその内の亦の名が「葦原の色許男の神」であると記されています

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田田社 (ただ) (tada no) yashiro

・田々神社

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田々神社(出雲市美保町)

田田神社(たたじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 不在神祇官社「田田社(ただ)のやしろ」2社の論社とされます 旧鎮座地は「東の海辺の山本に 本宮といひて古来社地あり 幣をさして祭る」ところがあったと伝わります

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峴之社 (みねの) (mineno no) yashiro

・峴神社

一緒に読む
峴神社(出雲市万田町)

峴神社(みねじんじゃ)は 『出雲國風土記(733AD)』に所載の楯縫郡 不在神祇官社「峴之社(みねの)やしろ」とされています 明治43年4月(1910)本殿造営にあたり「人骨・石棺」が出土 出雲市の古墳にも指定されています

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阿牟知社 (あむち) (amuchi no) yashiro

・〈能呂志神社に合祀〉

能呂志神社に合祀
能呂志神社(出雲市野石谷町)

能呂志神社(のろしじんじゃ)は 陸地深い静寂の谷にある「海苔石(のりいし)」と呼ばれる 不思議な石があります 「冬に至り 海中に海苔の生ずる時 谷にはかならず この石にも海苔生ず 海苔に似て 海辺の海苔が終わる時分は この海苔も又枯れ失う」という伝承を持つこの石から名付けられた「海苔石谷」に鎮まります  「六所明神」とも云われ6柱の神が祀られて坐ます

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葦原社 (あしはら) (ashihara no) yashiro

・葦原神社

一緒に読む
葦原神社(出雲市西郷町)

葦原神社(あしはらじんじゃ)は ・縁結び・家内安全・五穀豊穣・厄除け「全て成就」のお宮とされています 御祭神は「大国主神」の亦の名「葦原魂男命(ashihara shikoo no mikoto)」を祀ります 古事記上巻の大国主神の事績の条に「大国主の神」は 五つの御名があるがその内の亦の名が「葦原の色許男の神」であると記されています

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田田社 (ただ) (tada no) yashiro

・田々神社

一緒に読む
田々神社(出雲市美保町)

田田神社(たたじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 不在神祇官社「田田社(ただ)のやしろ」2社の論社とされます 旧鎮座地は「東の海辺の山本に 本宮といひて古来社地あり 幣をさして祭る」ところがあったと伝わります

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『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』に戻る

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『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳(Jimmeicho)』399社

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」でありますので 各郡の条に「〇〇郡 神社」として 神社名の所載があります
『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています