田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ)・御同座 田上大水御前(たのえおおみずみまえ)神社は 『止由気宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に記載ある古社ですが 中世に頽廃してしまい 権禰宜 出口延良が承応元年(1652)度会四門の氏人らとともに現地に再建したものです 寛文三年の再興では取り上げられず 明治四年の神宮御改正までは氏人により社殿の造替えが続けられました
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
田上大水神社(Tanoe ohomizu shrine)
〈御同座 田上大水御前神社(Tanoe ohomizu mimae shrine)〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市藤里町字大丸679
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
田上大水神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉
《主》小事神主(おごとかんぬし)
御同座 田上大水御前神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉
《主》宮子(みやこ)
〈小事神主の女(むすめ)〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・〈豊受大神宮(外宮)摂社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮要綱』に記される内容
【抜粋意訳】
田上大水神社
田上大水御前神社鎭座地 三重縣度會郡宮本村大字藤里
殿舎
正 殿 神明造、板葺、南面、前社東面、同御垣内・・・貮宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉 垣 連子板打・・・壹重
鳥 居 神明造・・・壹其
右神宮司廰造替田上大水(タノヘオホミヅ)神社・田上大水御前(タノヘオホミヅミマエ)神社も亦、延喜大神宮式及び神名式に載す。
止由氣太欄宮儀式帳には、田上神社に作れり。
本社の祭神が欽明天皇朝の大神主 小事(ヲゴト)に坐すことは、神名祕書•社記及び豊受大神宮禰宜補任次第に見えたり。
猶補任次第には、前社を以て其の女 宮子(ミヤコ)の霊を祀ると爲せり。
小事は乙乃古命の四男にして、度會氏四門の祖なり。
中世以後本社頽廃せしを、承應元年 遠孫 出口延良神主奮記を考へ、氏人に勧めて之を再興せること、外宮引付及び賞爵沙汰文に見ゆ。
かくて寬文三年の攝末社再興に與らざりしが爲めに、永く大神宮司造替の例に漏れ、明治四年の神宮御改正までは、專ら度會氏四門氏人の私力を以て之が造替を継続し來れり。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『大神宮叢書』に記される内容
現在の社地について この地は 俗に丸山と云い度會氏の墳墓であり けっして゛古の田上社゛ではないと 論しています
【抜粋意訳】
外宮宮社 所攝神社 田上大水神社
此社は帳に田上神社、大神宮式に田上大水社とあり。田上は地名か、また田の邊の意か、考がたし。(田上を地名と云は、内宮の帳に家田田上宮と見え、津長大水神社の津長も地名なる故なり。又田上の名 地名に似つかはしからぬを思ふに、大田のほとりなる意かともきこゆれば定めがたし)
式に田上大水社といひ、内宮帳に津長大水神社とあるを思ふに、同神にもあらんか。さらば大水上神にまして水の神と云べし。(外宮の書にいへる僞説は用ひがたし。)
神社地は 神名祕書・神境紀談に継橋郷宮崎にあり。俗に丸山といふ處、といへり。今按ふに、田上社といへば宮崎神田のほとりに近き社地なるべくおぼゆかし。(丸山などいふ處はさいふべき地にあらず。傳への誤れるにんあらんか。内宮攝社考の田上宮の名義をも考へ合すべし。もし前記の如くならば田上は地名にて、此宮崎のあたりならんか。考ふべし。)
神名祕書に、田上大水社、大神主小事霊、東田上、西大水、在に前社と在て、田上大水社を二社とするは例の偽なり。又己が祖なる小事を祭るなどいふは殊におほけなし。
(豊受禰宜補任次第に、神主小事、薨時賜に束國民其墓令作也、其霊 度會宮郡内稱に田上大水社祭之、祝任に神主氏人、與に宮子霊同所、號に前社祭之、としらじらしき僞をいひかざれり。いかでか田上大水社に此石部小事を祭らるべき。又朝廷より民を給ひて墓を作らしむるとあるは、崇神紀に百襲比賣命、垂仁紀に稚武尊、また吉備津比古命の故事あれど、この人々は天皇の御兄弟にまし、大なる功ませばかく御制あれど、此小事はいかばかりの功かはある。また度會宮の神主にして其職いと賤きは明かにしられたるを、度會氏人はいかなる意をもてかくおほけなき事を思ひよりて、其祖をしひはづかしむるならん。又小事の女は齊王の御杖代と僞れる故に附あはせたりとも云べけれど、實の齋王の御親にます親王諸王だにかかる例は物に見えず。まして姓戸をも給はらぬ人をや。僞にもよく僞れかし。かかる事を誰かはうけひくべき。紀談には、東國の民をして其墓を作らしむ。誤て社の地をふむ時はひヾきわり。石郭ある事しるし。此地を俗に車塚といふ、とあり。されば度會氏人の墓墳の上に私に社を造り立たる物ときこゆるを、後世混ひてかく俗に誤り傳へしか。いかでか帳式にのれる神社のきたなき墓地に造り、朝廷より幣帛を奉らるべき。いはずとも知べし。元祿五年攝社引付に、田上大水社、大神主小事宮子霊を祭る。宮崎の田の中、 俗に丸山といふ地にあり。度會氏祖神也 ,としるせり。此は四門氏の祖神とて、慶安五年正月に此氏人再興せしよしをもしるせり。古の田上社と異 地なるべし。)
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
田上大水神社(御同座 田上大水御前神社)は 共に豊受大神宮(外宮)の摂社
・豊受大神宮(外宮)
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています
豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭に並預゛と記されます
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】
伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社 山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭
以下略
【原文参照】
国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 田上大水神社
[ふ り が な ](たのへのおほみつの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Tanohe no ohomitsu no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR伊勢市駅から県道32号経由で南下して約1.4km 車6分程度
県道32号の県庁舎前の信号を右折〈西へ〉
ここから勢田川は朝川と名を変えるが 朝川沿いに200mほど進むと社頭になります
社頭には神宮司廰の立札があり 石段が続いています
田上大水神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉(御同座 田上大水御前神社)に参着
石段を上がると
社殿は 南向きと東向きに〈田上大水神社(御同座 田上大水御前神社)〉2殿が鎮座します
向かって左側の前面に東向きに鎮座するのが前社〈田上大水御前神社〉です
正殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 田上大水神社について 所在は継橋郷宮崎 俗云丸山に在す、〈現 田上大水神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
田上大水神社
田上は多乃倍と読り、大水は前に同し、
〇祭神 大神主 小事
〇継橋郷宮崎 俗云丸山に在す、神名略記
○式四、伊勢大神宮 渡会宮所摂十六座の第六に戴す、
○外宮儀式帳云、田上神社、」
神名略記云、禰宜補任云、乙乃古命四男也、四門始租是也、以に小事女宮子内親王御杖代立奉、爾時天皇安穏人民化楽、仍小事薨時、賜東國民令其墓作也、其霊度會宮崎内、称に田上大水社祭之、祝任神主氏人、又宮子霊同所、號に前社祭之、或説、策田上西大水有に前社、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 田上大水神社について 所在は継橋郷宮崎村の丸山にあり、〈現 田上大水神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
田上大水(タノヘノオホミツノ)神社
又 田上神社と云、延暦儀式帳、
今 継橋郷宮崎村の丸山にあり、神名秘書、神境紀談
天牟羅雲命六世孫 度會神主 小事の霊を祭る 豊受宮禰宜補佐次第
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 田上大水神社について 所在は宮本村大字藤里〈現 田上大水神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
田上大水神社
祭神
祭日 二月十一月並中酉日
社格 外宮所攝 十五所之一(内宮攝社)所在 三重縣継橋郷宮崎丸山(度會郡宮本村大字藤里)
【原文参照】
田上大水神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉(御同座 田上大水御前神社)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る
伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について