瀧尾稲荷神社(たきのおいなりじんじゃ)は 弘仁11年(820年)弘法大師(空海)が 滝尾神社と共に開いたと伝わる古社です 「昔 瀧尾上人が朝のお供えを忘れると 稲荷の神が化けて出ては 催促した」という伝説が残っています 東照宮ができる以前は 日光山として仏教の栄えた聖地「白糸の滝」がある滝尾神社本殿奥の境内に鎮座します
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
滝尾稲荷神社(Takinoo inari Shrine)
(たきのおいなりじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (location) 】
栃木県日光市山内
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》倉稲魂神(ukanomitama no kami)(稲荷大明神)
【御神格 (God's great power)】
・五穀豊穣 Pray for good harvest
・家内安全 Pray to God that the home is peaceful
・商売繁昌 Pray to God that the business will flourish
・等 etc
【格 式 (Rules of dignity) 】
・日光二荒山神社(Nikko Futarasan Shrine)の末社
【由 緒 (history)】
滝尾稲荷神社
弘仁11年(820)弘法大師が滝尾神社とともに、稲荷神社も創建。
祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)(稲荷大明神)。
昭和41年9月に台風で流出したため、昭和43年に巴会により再建された。
3月25日が例祭。5月25日の講社大祭には、多くの信者が集まる。
昔、瀧尾上人が朝のお供えを忘れると、稲荷の神が化けて出ては、催促したという伝説が残っている。Tail-Inari Shrine (820) Kobo Daishi founded Inari Shrine with takio shrine. Warehouse rice spirit God's shrine (that only occasionally bite) (Inari daimyojin). 9/1966 to leaked by the Typhoon to the 0/1968 was rebuilt by Tomoe. 3/25 is a celebration.
5/25 Ko cult-group Festival, gathering many followers. There are hving disguised the god Inari, takio is forget the morning offering and, out of that legend.案内立札より From the information board
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
日光 白糸の滝 のある瀧尾神社(Takinoo Shrine)の境内に鎮座します 本殿奥に位置します
滝尾稲荷神社(Takinoo inari Shrine)に参着
本殿の正面に杉の大木があり 向かって右手には「ご神木の三本杉」が並び立っています
三本杉は 女神が降臨されたと伝わる 瀧尾神社(Takinoo Shrine)で最も大切な場所です
その横に 創建時から祀られていたと伝わりますので
御祭神の食物神として 御食神の意味合いがあるのでしょうか
正面の杉の前には 案内の立札と石灯篭があり 10段程の石段の上に鳥居が建ち稲荷社の境内地となっています
一礼して鳥居をくぐり 覆屋の石祠にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
滝尾稲荷神社(Takinoo inari Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
それぞれの記事をご覧ください
・日光二荒山神社 本社(Nikko Futarasan Shrine)の記事をご覧ください
日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は 標高2486m霊峰「男体山(二荒山)」をご神体として 古くから日光における信仰の中心となってきました 残存する最も古い記録には 767年に勝道上人が 日光山を開基したとあり 世界遺産「日光の社寺」の一群で 日光東照宮と日光山輪王寺の中間の位置に鎮座します
日光二荒山神社 本社(日光市山内)〈世界遺産「日光の社寺」〉
日光二荒山神社【別宮】
・本宮神社(Hongu Shrine)
《主》味耜高彦根命(ajisukitakahikone no mikoto)
本宮神社(Hongu Shrine)の記事をご覧ください
本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は 神護景雲元年(766年)勝道上人(shodo shonin)が「山菅の蛇橋」(現在の神橋)を渡りこの地(日光)に神仏を祀り 庵を結んだのが始まりとされています ここは日光の原点であり 二荒山神社発祥の地であり 開運の神社と言われます 古くは 新宮(現在の二荒山神社)と滝尾神社と共に 日光三社と呼ばれていました
本宮神社(日光発祥の地)
・滝尾神社(Takinoo Shrine)(霊石安産子種石・酒の泉)
《主》田心姫命(tagorihime no mikoto)
瀧尾神社(Takinoo Shrine)の記事をご覧ください
滝尾神社(たきのおじんじゃ)は 弘仁11年(820)弘法大師空海(くうかい)が創建したと伝え 江戸時代までは 日光山を信仰する三社の1つとして 日光三社権現(にっこうさんしゃごんげん)(滝尾権現・新宮権現・本宮権現)と呼ばれていました 女峰山を御神体山と仰ぎ 田心姫命(たごりひめのみこと)を祀り「女体中宮」とたたえます
瀧尾神社(日光市山内)〈弘仁11年(820)弘法大師空海が創建 日光瀧尾女躰権現〉
日光二荒山神社【摂社末社】
本社周辺
・若子神社(Jakko Shrine)境内には寂光の滝があります
《主》下照姫命(shitateruhime no mikoto)
祭日:10月30日
弘仁11年(820年)に空海が滝尾神社に続いて この地で修行したと伝わり
元の名称は「寂光寺」または「寂光権現」と呼ばれていて
室町時代には七堂伽藍が立ち並び 釘念仏道場として栄えたとされます
・池石(生石)(ikeishi)寂光の滝へ向かう参道
若子神社遥拝所 本社と若子神社の中間に鎮座する遥拝所(前立て)大きな磐座が祭られ その岩の上にある窪みの水が枯れないことから名前が付いたとされます
若子神社(Jakko Shrine)の記事をご覧ください
若子神社(じゃっこじんじゃ)は 弘仁11年(820)日光を訪れた弘法大師(空海)が 「白糸の滝」で修行し滝尾神社(たきのおじんじゃ)を開き 次いで この「寂光の滝」で修行した時 夢の中で女神のお告げを受け ここに祠を建てたと伝えられます 往時は神仏習合し 寂光権現と称していましたが 明治以降「若子神社」と改められます 境内の直下には日光八景に数えられる「寂光の滝」があります
若子神社(日光市)& 池石(生石)(ikeishi)
・北野神社(Kitano Shrine)滝尾道(稲荷川に沿う道)に鎮座
《主》菅原道真公(sugawara no michizane ko)
祭日:8月25日
寛文元年(1661年)筑紫安楽寺の大鳥居信祐が太宰府天満宮より勧請 梅鉢の紋を掘り込んだ巨岩もあります
北野神社(Kitano Shrine)の記事をご覧ください
・滝尾高徳水神社(Takinotakatokusui Shrine)滝尾神社の参道入り口に鎮座
《主》罔象女大神(mizuhanome no okami)
祭日:10月10日
通称:水神社 昭和52年(1977)横川信夫県知事が藤原町高徳の鬼怒川沿いに鎮座の丹生川上神社より勧請 1998年(平成10年)道路拡幅のため現在地に遷座
滝尾高徳水神社(Takinotakatokusui Shrine)の記事をご覧ください
瀧尾高徳水神社(たきのお たかとく すいじんじゃ)は 奥吉野(奈良県吉野郡東吉野村)の水の宗社「丹生川上神社 中社(にうかわかみじんじゃ ちゅうしゃ)」の御祭神 罔象女命(みずはめのみこと)の御分霊を勧請し 昭和52年(1977)11月26日 当時の栃木県知事 横川信夫氏 より藤原町高徳の鬼怒川沿いに鎮座していましたが 1998年(平成10年)道路拡幅のため現在地に遷座しました
瀧尾高徳水神社(日光市)
・滝尾稲荷神社(Takinoinari Shrine)滝尾神社の本殿裏に鎮座
《主》倉稲魂神(ukano mitama no kami)(稲荷大明神)
祭日:3月25日(例祭)5月25日(講社大祭)
弘仁11年(820年)に空海が滝尾神社と共に開いたと伝わります
滝尾稲荷神社(Takinoinari Shrine)の記事をご覧ください
瀧尾稲荷神社(たきのおいなりじんじゃ)は 弘仁11年(820年)弘法大師(空海)が 滝尾神社と共に開いたと伝わる古社です 「昔 瀧尾上人が朝のお供えを忘れると 稲荷の神が化けて出ては 催促した」という伝説が残っています 東照宮ができる以前は 日光山として仏教の栄えた聖地「白糸の滝」がある滝尾神社本殿奥の境内に鎮座します
滝尾稲荷神社(日光市 滝尾神社境内)