多岐原神社(たきはらじんじゃ)〈皇大神宮(内宮)摂社〉は 内宮別宮の瀧原宮から宮川を約6km下ったところに鎮座します ここは倭姫命が 皇大神(天照大神)を奉じて巡幸中 宮川を渡ろうとしたが 砂も流れる早瀬があり 渡河難渋であった時 真奈胡神(まなごのかみ)があらわれ その案内で渡ることができた 故に多岐原神社が定め祀られたと伝わります
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
多岐原神社(Takihara shrine)
【通称名(Common name)】
まなごさん
【鎮座地 (Location) 】
三重県度会郡大紀町三瀬川字久保海道94
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》真奈胡神(まなこのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・〈皇大神宮(内宮)摂社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮要綱』に記される内容
【抜粋意訳】
多岐原神社
鎭座地 三重縣度會郡瀧原村大字三瀨川
殿舎
正 殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉 垣 連子板打・・・壹重
鳥 居 神明造・・・壹其多岐原(タキハラ)神社は延喜大神宮式竝に神名式に載す。皇太神宮儀式帳瀧原神社に作る。
彼の太神宮本記に倭姫命の皇大神を奉じて相鹿瀨(アフカセ)より宮河の上流に沿ひて遡りましし時、砂をも流す速瀨ありて渡り煩ひ給へるに眞奈胡(マナコ)の神の参り相ひて渡し奉りし緣故により、其の瀨を眞奈胡の御瀨と號けて、御瀨の社定め給ふと記せるもの卽ち本社の起原なりとす。
祭神の麻奈胡神なることは、儀式帳に見えたり。
寛文三年現地に再興、明治二十五年上地官林三段十八步を復す。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
御由緒
倭姫命が皇大神を奉じて相鹿瀬より宮川に沿って遡ったところ、砂も流れる早瀬があって、 渡河難渋であった時、眞奈胡の神の案内で渡ることができたので、その縁によって当社を創祀した。とするのである。
『式内社調査報告』より引用
御祭神
《主》眞奈胡神
当社の祭神は眞奈胡神である。この眞奈胡は小石を意味し、当社が瀧原宮に近いことより、この神が瀧原神の御子神、つまり眞之子の義とする解釈が中川経雅『大神宮儀式解』に見え、以来議論があるが、後考を俟ちたい。
→式内社調査報告(昭和52年発行) 皇學館大学出版部
https://www.jinja-net.jp/takihara-jinja/より
『内宮私考』に記される内容
【抜粋意訳】
多岐原神社
此の社は 度會郡瀧原村大字三瀨川に在り
祭神は 眞奈胡神に座せり
但 大神宮本記皇太神宮延曆儀式帳神名秘書に據る
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・三瀬の渡し跡〈神社の目前 150m程 宮川の渡し跡〉
『倭姫命世記』の伝承によれば
倭姫命が 皇大神(天照大神)を奉じて巡幸中 宮川を渡ろうとしたが 流れが速く渡れず 困っていると 真奈胡神(まなごのかみ)があらわれて 倭姫命を渡れるところに御案内し助けた 故に多岐原神社が定め祀られたとされます
『倭姫命世記』では 多岐原神社は ゛御瀬社゛と記しています
三瀬の渡し(みせのわたし)
『こめはば』を代表する双子岩から約五百米下ったところに通称トウケンと呼ばれている大きな岩がありこの付近が三瀬の渡し場。滝原宮の三大祭に、伊勢神宮の幣使の一行(約百五十人)は対岸三瀬川へ渡る時、宮川を眺め一服した腰掛け岩が渡し上方にあった。渡しの料金は一人六文、三瀬氏の収入源とされた。
現地案内より
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
多岐原神社は 皇大神宮(内宮)の摂社です
・皇大神宮(内宮)
皇大神宮(こうたいじんぐう)は 私たち日本人の総氏神「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」と全国の人々で賑わう伊勢詣が有名です 通称を゛伊勢の内宮(ないくう)゛鎮座は゛垂仁天皇26年〈今から2000年前〉 御祭神は゛皇祖神 天照大御神゛御神体は皇位のしるし三種の神器の一つ゛八咫鏡(やたのかがみ)゛です
皇大神宮〈内宮〉(伊勢市宇治館町)〈伊勢神宮〉
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭に並預゛と記されます
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社
度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭
以下略
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 多岐原神社
[ふ り が な ](たきはらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Takihara no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
伊勢神宮125社(内宮・外宮の摂社 末社 所管社)について
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
皇大神宮(内宮)別宮の゛瀧原宮゛から川を約6km下ったところに鎮座します
多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に参着
一礼をして 石段を上がると゛皇大神宮摂社 多岐原(たきはら)神社 御祭神 麻奈胡乃神(まなこのかみ)゛と立札があります
正殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 多伎原神社について 所在は宮川上三瀬村に在す〈現 多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
多伎原神社
多伎原は多支波羅と訓べし
○祭神 麻奈胡乃神
○宮川上三瀬村に在す、神名略記
○式四、伊勢大神宮 大神宮所摂廿四座の第廿三に載す、
○倭姫世記云、從其幸行奈留、御饗奉神参相支、汝国名何問給、白久、白濱真名胡国中、其所眞名胡神社定賜支、」
儀式帳云、瀧原神社、稱に麻名胡乃神、形石坐、倭姫内親王代定祝、連胤云、多伎原と真名胡は、同社異名といふ証はなけれど、考へ合せて当社に附属す、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 多伎原神社について 所在は三瀬村河原にあり〈現 多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
多岐原(タキハラノ)神社
〇按 延暦儀式帳、多岐を瀧に作る
又 御瀬社といふ、神名秘書、
今 三瀬村河原にあり、延暦儀式帳、神境紀談、神名帳考証、
麻名胡乃神と稱す、形石に坐り、倭姫命 定祝奉る、延暦儀式帳、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 多伎原神社について 所在は度會郡瀧原村大字三瀬川〈現 多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
多岐原神社 稱 御瀬社
祭神 麻名胡乃神
今按 儀式帳に瀧原神社とあり 倭姫命世紀に御瀬社とあるは御瀬川上村にあるを以てなり
祭日 二月十一月十二日
社格 内宮所攝 二十四所之一(内宮所攝)所在 三重縣度會河上三瀬河村(度會郡瀧原村大字三瀬川)
【原文参照】
多岐原神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
お伊勢さん125社について
゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉
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伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です
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