実践和學 Cultural Japan heritage

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健男霜凝日子神社 下宮(竹田市神原)

健男霜凝日子神社 下宮(たけおしもこりひこじんじゃ げくう)は 上宮が鎮座する「祖母山(ソボサン)山頂」と対面する山の南面の中腹に鎮座しています 参拝には 山麓から約240段の石段を上ります すると山肌に巨大な岩窟があり その岩窟中に社殿が建っています 第36代 徳天皇 白雉2年(650)当所に社殿を建立し 下宮と称し遥拝所とされたと伝わります 延喜式内社の論社です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

健男霜凝日子神社 下宮Takeoshimokorihiko Shrine Geku
たけおしもりひこじんじゃ げくう

 [通称名(Common name)]

下宮様(げくうさま)

【鎮座地 (Location) 

大分県竹田市神原1822

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》健男霜凝日子神Takeoshimogorihiko no kami〈比古
《配》豊玉姫命(Toyotamaheme no mikoto)〈比咩神
   彦五瀬命(Hikoitsuse no nikoto)
   大太夫夫婦Daidayufufu)
   花乃本姫Hananomotohime)

〈合祀神〉

明治41年(1908)合祀 山神社(神原字山ノ神  鎮座)〉
《合》大山祇命,奥津彦命,奥津姫命,少名毘古那神,猿田彦命

明治41年(1908)合祀 天神社(中角字田久保 鎮座)〉
《合》菅原道真,木花咲夜比売命,大己貴命,面足尊,惶根尊

昭和2年(1927)2月21日合祀 穴森神社

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

晴雨風雪等 天候の守護神

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

神代の頃より鎮座し 祖母山を御神体として山頂に石祠(上宮)を祀られ
第36代 徳天皇 白雉2年(650)当所に社殿を建立し 下宮と称し遥拝所とする

式内 建男霜凝日子神社(下宮)

中古 正一位 嫗嶽稲荷大明神として遠近の信仰篤かりしも 社殿無く 崇敬者の願意に従い 昭和5212月社殿を建立す

当社は上宮、下宮、遥拝所ありて、
上宮は 神代より祖母山頂に鎮座し、健男霜凝日子神を奉祀す
下宮は 当所 岩窟内にありて、白雉2 社殿を建立す
中古 豊玉姫命、彦五瀬命を配祭せり
明治1211 県社に列せらる
晴雨風雪等 天候の守護神として近郷に信仰篤し
社頭案内掲示より

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【由  (History)】

由緒

神代の頃より鎮座し、祖母山を御神体として山頂に石祠(上宮)を祀れり、
孝徳天皇 白雉2年(650)、当所に社殿を建立し、下宮と唱へ遥拝所とす。
続日本後紀には 承和10年(843)、豊後国 無位 健男霜凝日子神 奉授 従五位下と。
また、三代実録には元慶7年(883)、奉授 正五位下と記され、平安朝初期より京都にその存在を明にしていた。
又、当社 別称 嫗岳大明神は 平家物語、源平盛衰記に伝説として記載されている。社号は嫗岳大明神とも鵜羽明神 祖母山大明神とも唱へられていた。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【境内社 (Other deities within the precincts)】

稲荷大明神(うばだけいなりだいみょうじん)〈稲荷神社〉
《主》倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

神幸所(みゆきしょ)
当社から東400m 神原川「山やまの神橋」の側 昭和8年(1933)建

・健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉(竹田市神原)

一緒に読む
健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉(竹田市神原)

健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉は もともとは 祖母山の神・山頂の上宮・遥拝所の下宮・穴森神社の神幸所でした 國幣小社への昇格の為 昭和9年(1934)相応規模の社殿が建築され とても立派な里宮の形式をとっています 終戦により計画は中断し 神幸所として現用されています

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・昭和2年(1927)に摂社となる 穴森神社

・穴森神社(竹田市神原)

一緒に読む
穴森神社(竹田市神原)

穴森神社(あなもりじんじゃ)は かつて神池があり その池底にあった岩窟をご神体としています 姥嶽大明神(祖母山)の化身である大蛇が住んでいたとされた岩窟からは 元禄16年(1703)大蛇の骨が発見され 藩命で宝永2年(1705)現在の岩穴に神体として祀ったと伝わります 『平家物語』には 岩窟〈穴森神社〉に住んでいた大蛇 姥嶽大明神(大蛇)と華御本姫(はなのおもとひめ)との神婚伝説(神と人との婚姻説)が記されています

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)豊後国 6座(大1座・小5座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)直入郡 1座(小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 建男霜凝日子神社
[ふ り が な ]たけをしもこりひこ かみのやしろ)
[Old Shrine name]Takeoshimokorihiko no miko no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
豊後國 直入郡 健男霜凝日子神社」の論社について

・建男霜凝日子神社 上宮(祖母山 山頂)

・健男霜凝日子神社 下宮(竹田市神原)

一緒に読む
健男霜凝日子神社 下宮(竹田市神原)

健男霜凝日子神社 下宮(たけおしもこりひこじんじゃ げくう)は 上宮が鎮座する「祖母山(ソボサン)山頂」と対面する山の南面の中腹に鎮座しています 参拝には 山麓から約240段の石段を上ります すると山肌に巨大な岩窟があり その岩窟中に社殿が建っています 第36代 孝徳天皇 白雉2年(650)当所に社殿を建立し 下宮と称し遥拝所とされたと伝わります 延喜式内社の論社です

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・健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉(竹田市神原)

一緒に読む
健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉(竹田市神原)

健男霜凝日子神社 里宮〈神幸所〉は もともとは 祖母山の神・山頂の上宮・遥拝所の下宮・穴森神社の神幸所でした 國幣小社への昇格の為 昭和9年(1934)相応規模の社殿が建築され とても立派な里宮の形式をとっています 終戦により計画は中断し 神幸所として現用されています

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・穴森神社(竹田市神原)

一緒に読む
穴森神社(竹田市神原)

穴森神社(あなもりじんじゃ)は かつて神池があり その池底にあった岩窟をご神体としています 姥嶽大明神(祖母山)の化身である大蛇が住んでいたとされた岩窟からは 元禄16年(1703)大蛇の骨が発見され 藩命で宝永2年(1705)現在の岩穴に神体として祀ったと伝わります 『平家物語』には 岩窟〈穴森神社〉に住んでいた大蛇 姥嶽大明神(大蛇)と華御本姫(はなのおもとひめ)との神婚伝説(神と人との婚姻説)が記されています

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

豊後竹田駅から 県道639号〈道狭い山道有り〉経由 約17km 車30分程度
神原川(コウバルガワ)沿いに上流へと向かいます

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案内板「式内 建男霜凝日子神社(下宮)鳥居が山裾建っています
健男霜凝日子神社 下宮Takeoshimokorihiko Shrine Gekuに参着

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一礼をして鳥居をくぐります 先までは見通せない程の長い真っ直ぐの階段が続いています 気を締めて上がります

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階段の途中に小さめの木製鳥居が建ち 扁額には「稲荷神社」とあり 摂社の稲荷社の鳥居です この位置からでも 未だ 階段の先は見通せません

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更に階段を上がると 鬱蒼とした木々中に 二の鳥居建っています
かつては建屋が建っていたのでしょうか 鳥居の前には 山城のように石垣で養生された ならされた平地が残っています 

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二の鳥居をくぐると ようやく長い階段の上あたりに 再び山城のような石垣が見えて来て  そこから少しばかり上がると 鳥居が建っていて いよいよ境内地だろうとかと 安心をします

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境内入口三の鳥居をくぐり ようやく境内地へと〈約240段の石段〉 正面にある赤鳥居は「稲荷神社」です ちょうど社殿の向かって右手上方に鎮座しています

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もともとは岩窟が遥拝所であったらしく その後 岩窟中に祠を建て 昭和45年(1970)5月に 岩窟上部をコンクリートで養生して コンクリート造の社殿に改築したようです 誰もいない山の中腹の境内で 且つ 岩窟にある社殿ですので 気が引き締まります

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岩窟の拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

窟の横幅も奥行きも 社殿をすっぽりと包み込んでしまう程 結構大きく何とも言えない只ならぬ雰囲気を醸し出しています

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境内摂社稲荷神社」の石段を上がりお参りをします

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稲荷神社」は 社殿を見下ろすような位置に鎮座しています

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境内入口の鳥居を抜けて 振り返り一礼をします 長く急な石段を下り 麓の一の鳥居迄もどます

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『続日本後紀(Shoku nihon koki)』〈貞観11年(869)完成〉に記される伝承

健男霜凝日子 比咩神(タケオシモコリヒコ ナラビ ヒメノカミ)として ヒコ神とヒメ神の2柱に 神階の奉授が記されています

【意訳】

承和10年(843)9月 甲辰の条

始置(ハジメテオク)に
陸奥国(ムツノクニ)鎮守府(チンジュフ)に
掌一員を令に 帯びるて 刀(ツルギ)を把笏(ハシャク)せなり

対馬島(ツシマシマ)
(ムイ)雷命神(イカヅチノミコトノカミ)


豊後国(ブンゴノクニ)
(ムイ)健男霜凝日子 比咩神(タケオシモコリヒコ ナラビ ヒメノカミ)

無位(ムイ)早吸比咩神(ハヤスヒメノカミ)

日向国(ヒュウガノクニ)
無位(ムイ)高智保皇神(タカチホノカミ)
無位(ムイ)都濃皇神(ツノノカミ)

(ナラビ)に(タテマツ)れ (サヅク)に 5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』〈延喜元年(901年)成立〉に記される伝承

凝神(タケオシモコリノカミ)に神階の奉授が記されています

【意訳】

元慶7年(883)9月2日の条

・・・・・
・・・・・
授(サズク)に
豊後国(ブンゴノクニ)
従5(ジュゴイウエ)
凝神(タケオシモコリノカミ)

早吸咩神(ハヤスフミノカミ)
宇奈支比咩神(ウナギヒメノカミ)

 並(ナラビ)に 5位下(ショウゴイゲ)を

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神階と鎮座地について記しています

【意訳】

建男霜凝日子(タケヲシモコリヒコノ)神社

続日本後紀 承和10年(843年)9月 甲辰の条・・5位下
日子神  比咩神 二座 

三代実録 元慶7年(883)9月2日の条・・正5位下

 

九重(クジュウヤマ)に坐す

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

社家注進には 上宮の所在を嶽山(ウバダケヤマ)〈祖母山(そぼさん)〉と記しています

【意訳】

建男霜凝日子神社

建男霜凝は 多祁袁志毛呉利訓ずべし 日子は仮字なり
〇祭神 明らかなり 咩神相殿に坐すべし

嶽山(ウバダケヤマ)に在す 社家注進
嶽明神と称す 今 上宮 下宮 2所に奉祀す

神位
続日本後紀 承和10年(843年)9月 甲辰の条・・5位下
三代実録 元慶7年(883)9月2日の条・・正5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

鎮座地として 下宮を記しています

【意訳】

建男霜凝日子神社

祭神 彦五瀬命 旧 嶽明神(ウバダケミョウジン)

神位
仁明天皇 承和10年(843年)9月 甲辰の条・・5位下
陽成天皇 元慶7年(883)9月2日の条・・正5位下

祭日 6月26
社格 郷社(縣社)
所在 井手上村(明細帳神原村字下宮とあり)(直入郡 嶽村 大字 神原

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)』〈明治45年(1912)〉に記される伝承

様々な書伝記載せ 豊后國志に一書 彦五瀬命となすは、嶺南に五固川あるに附会せるもののみ、最も洞察を要す」とも記しています

【意訳】

大分豊後国 直入(ナホイリ)郡 嶽村 字 神原 字 井手ノ上

縣社 建男霜凝日子(タケヲシモコヒコノ)神社

祭神 建男霜凝日子(タケヲシモコヒコノ)
   豊玉(トヨタマヒメノ)
   彦五瀬(ヒコイツセノ)

創建年代詳ならすと雖も、
神名帳考証に云、「建男霜凝日子神社、大八洲霊、古事記云、波邇夜須毘古神、大和國健土安神社、日本紀云、処々小島皆是潮沫凝成者矣、按霜輿島言通、霜凝日子者洲壌之霊乎」と見え、
神社覈録に云建男霜凝は多祁袁志毛呉利と訓べし、日子は假字也、祭神明か也(比咩神も相殿に坐すべし)嫗嶽山に在す、嫗嶽明神と称す、今 上宮 下宮 二所に奉祀す。神位、続日本後紀、承和109月甲辰、無位 建男霜凝並比咩神 奉授 從五位下、三代実録、元慶792日乙丑、授 豊後國 從五位上 建雄霜起神 正五位下とあり、
神祇志料に云、建男霜凝子神社、今 大田郷 井手上村 神原山の嫗嶽にあり、嫗嶽大明神と云、建男霜凝日子及比咩神を祀る(按、豊後国志云、彦五瀬命、豊玉比咩命を祭ると云へり、然れども文書の他に徴する者なきを以て、其果して然るや否を決め難しと雖も、其日子比咩二神を祭る事、続日本後紀と自ら符合るに似たり、故今附て考に備ふ云々と見え、共に直入郡式の小社に列せり、社記に依れば、孝徳天皇 御宇 白雉2年の艸創なりと云」、又
豊後國志に「在 入田郷 神原村山中、延喜神祇式曰、健男霜凝日子神社 即是、以 豊玉媛命、配祀 彦五瀬尊、爲 嫗嶽神、故称 嫗嶽明神、孝徳天皇 白錐2年所創、続日本後紀曰、承和109月甲辰 無位 健男霜凝日古並比咩神、奉授日從五位下、三代実録 元慶792日乙丑、授豊后國 從五位上 健男霜起神 正五位下、其爲山、素翠蔚云々、巨岩窟中、有祠、嫗嶽本祠也、祠傍有路、達嫗嶽之嶺々有一石祠、后世所造、天正中廃、寛永中再修、里人以称上宮、以本祠爲下宮、又下隔一渓、曰波具合村有叢祠、名穴森、昔者有巨蛇潜焉、平語、盛衰記、以爲嫗嶽明神誤矣、豊以淫神事、涜明神徳哉」
と云へり、而して 亀山随筆にも「此白雉2 創造の由棟札に明かなり、又 白雉の旧材今も残れり、比咩社は 下宮の御神 五瀬尊の御組母神 豊玉姫を祀る、故に神を比咩神と申し 山を嫗嶽と云、と見え、而して 神徳の顯著なるは「此社の神宝に鰐口あり、銘に永和4年正月吉辰、願主 神孫 日向國 臼杵郡 三田井小太郎十三歳敬白」とあるを以て知るぺし、又 亀出随筆に、神田一段二畝は領主 中川家より寄附し、神官 相馬氏なりとあるを以て、如何に士民崇敬の厚きかを察すべし、
地名辞書に云く、「嫗嶽神社、神祇志料は 以て 霜凝日子神社に充つ、或は云此山即ち 高千穂峯なり」、と云ひ、
かくて豊后國志に、「按嫗嶽を豊玉媛を祀ると云、其所以たきに非ず、此山九州の大嶽にして臼杵の高千穂とも称す、降臨の霊跡を伝へ豊玉媛を祀れる歟、而して 豊後國 志肥後志並此祠を以て 延喜式 霜凝日古神となす、男女の相異あり、続紀に拠れば 本来古比咩二神鎮座し 天孫に坐しますと、推想すれば火々出見尊、並豊玉媛命なるべし、一書 彦五瀬命となすは、嶺南に五固川あるに附会せるもののみ、最も洞察を要す」と云へり、
記して後考に備ふ、先是 文禄3 中川秀成 入封 以後 崇敬も厚く、数次社殿を修築し 該て 神領若干を寄附し、維新の際に迫るまで以て恒例とす、明治6年郷社に列し、同12 縣社昇格す。
社殿は 本殿・幣殿、拝殿、神楽殿、渡殿、社務所等にして、境内311坪(官有地第一種)あり、老木森々社域神厳なりと云ふ。

例祭日 9月13

【原文参照】国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用『明治神社誌料』1 『明治神社誌料』2

健男霜凝日子神社 下宮Takeoshimokorihiko Shrine Geku (hai)」(90度のお辞儀)

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豊後国 式内社 6座(大1座・小5座)について に戻る 

一緒に読む
豊後国 式内社 6座(大1座・小5座)について

豊後国(ぶんごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 豊後国 6座(大1座・小5座)の神社です

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