実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

多賀宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

多賀宮(たかのみや)〉は 今から約1500年前 第21代 雄略天皇22年 天照大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌都神として迎えられ 豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています 豊受神宮(外宮)には多賀宮土宮月夜見宮風宮の四別宮があり その第一の宮とされます

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

多賀宮Taka no miya

通称名(Common name)

高宮(たかのみや)

【鎮座地 (Location) 

三重県伊勢市豊川町〈豊受大神宮の境内〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊受大御神荒御魂(とようけのおほかみのあらみたま)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

豊受大御神の荒御魂 神様の御魂のおだやかな働きを「和御魂」と申し上げるのに対して 荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを「荒御魂」とたたえます

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社
・〈豊受大神宮(外宮)別宮〉

【創  (Beginning of history)】

『神宮綜覧〈1915〉』に記される内容

雄略天皇22年(478)外宮創祀と創立せられ と記しています

【抜粋意訳】

受大神宮別宮

多賀宮(タカノミヤ)

受大神宮宮域内に鎭坐す。當宮は、豊受大神荒御魂(トヨウケオホカミノアラミタマ)を奉齋す。
本宮と同時に創立せられ、古來豊受大神宮第一の別宮として、恒例臨時の祭祀も本宮と同日に行はるるなど、皇大神宮に於ける荒祭宮に同じ。中世式年遷宮の制衰へて、假殿とのみ御造営ありしを ,寬永八年に正遷宮ありて、式年の制復奮せられしかど猶規模の上に古儀を損ずるもの多かりしに、明治四十二年度の御遷宮に際し、玉垣及び玉垣御門と增設せられたう。

〔殿舎〕
正殿壹宇 神明造、萱葺、鐵金物打立、御階付、南面、
瑞垣御門壹重 猿頭門、扉付、
瑞垣壹重 袖繰板打
玉垣御門壹間 猿頭門
玉垣壹重 角柱横貫
幄舎壹宇 切妻板打

【原文参照】

神宮司庁 編纂『神宮綜覧』,国史研究会,1915.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1907594

神宮司庁 編纂『神宮綜覧』,国史研究会,1915.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1907594

【由  (History)】

多賀宮の由緒と沿革

多賀宮は古くは「高宮」とも称され、延暦23年(804)の『止由気宮儀式帳』に「高宮一院等由気太神之荒御玉神也」と記されています。小高い丘の上にご鎮座されることからそのように呼ばれたと考えられます。

多賀宮は今から約1500年前、第21代雄略天皇22年に天照大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌都神として迎えられ、豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています。外宮には多賀宮、土宮、月夜見宮、風宮の四別宮がありますが、多賀宮だけは『止由気宮儀式帳』および『延喜神名式』に記載され、他の別宮が後年、宮号宣下されたことに比べると、別宮として特別な待遇を受けています。

お祭りは正宮に準じて行われ、祈年祭・神嘗祭・新嘗祭の奉幣の儀も、正宮につづき勅使が参向して幣帛が奉られます。また、20年に一度の式年遷宮が、第一別宮のみ正宮と同年に斎行されることからもその重要性がうかがえます。

神宮司庁HPより
https://www.isejingu.or.jp/about/geku/betsugu.html

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

多賀宮は 豊受神宮(外宮)の宮域内に鎮座する別宮

・豊受神宮(外宮)

一緒に読む
豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉

豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承

伊勢國の 荒祭 月讀 瀧原 伊雜 高宮神宮内人五人が めて把笏ったと記されています

【抜粋意訳】

卷九 天安元年(八五七)九月壬寅

○壬寅
在加賀國 正六位上 治田若御子神 授從五位下
伊勢國 荒祭 月讀 瀧原 伊雜 高宮 神宮内人五人 始預把笏

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 『日本文徳天皇実録』元慶3年(879年)完成 選者:藤原基経/校訂者:松下見林 刊本 ,寛政08年 10冊[旧蔵者]農商務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047714&ID=M2018040912122716848&TYPE=&NO=

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

月粮〈月料(げつりょう)〉〔毎月支給された食料〕が 高宮物忌に奉られたと記しています

【抜粋意訳】

卷卅六 元慶三年(八七九)閏十月十九日乙巳

○十九日乙巳

伊勢 高宮物忌 准諸宮物忌 永充月粮 以神封物給之

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次

月次祭つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」

大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています

【抜粋意訳】

月次祭つきなみのまつり

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 三百四座 並大社 一百九十八所

座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、

前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
 右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
 紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭

嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り

式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ

春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する

【抜粋意訳】

新嘗祭(にいなめのまつり)

奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所

座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺

前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式Engishiki)』巻4神祇四 伊勢太神宮

「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています

【抜粋意訳】

伊勢太神宮

太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。

荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。

伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座

月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座

瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】 

瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】 

伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。

度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。

多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】

諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社
度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社 右諸社,並預祈年、神嘗祭。

以下略

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)

[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 髙宮 (大 月次 新嘗)
[ふ り が な ]たかのみや
[Old Shrine name]Taka no miya

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

お伊勢さん125社について

一緒に読む
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉

゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉

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外宮 別宮(べつぐう)4宮

別宮とは ゛正宮のわけみや゛の意味

神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされます

多賀宮 (たかのみや)外宮の別宮〉

延喜式内社 伊勢國 度會郡 髙宮(大 月次 新嘗)(たかのみや)

・多賀宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》豊受大御神荒御魂(とようけのおおみかみのあらみたま)

一緒に読む
多賀宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

多賀宮(たかのみや)〉は 今から約1500年前 第21代 雄略天皇22年 天照大御神の御神勅によって豊受大御神が丹波の国から御饌都神として迎えられ 豊受大神宮が創立されたのと同時に創建されたと伝えられています 豊受大神宮(外宮)には・多賀宮・土宮・月夜見宮・風宮の四別宮があり その第一の宮とされます

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土宮 (つちのみや)外宮の別宮〉

土宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》大土御祖神(おおつちみおやのかみ)

一緒に読む
土宮〈豊受大神宮(外宮)別宮〉

土宮(つちのみや)は 外宮鎮座以前から山田原に祀られていた鎮守神でした 外宮が鎮座した後 宮域の゛地主神゛となり その後 大治3年(1128)宮川の洪水から外宮を守る堤防の守護神として゛別宮゛に昇格しました ご祭神は大土乃御祖神(おほつちのみおやのかみ)で 神域内の御池にかかる「亀石」を渡った西側に 他の宮とは異なり〈外宮鎮座以前の姿のまま〉社殿は東を向き鎮座します

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月夜見宮 (つきよみのみや)伊勢市宮後

延喜式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)

・月夜見宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》月夜見尊(つきよみのみこと)月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)

一緒に読む
月夜見宮〈豊受⼤神宮(外宮)別宮〉

月夜見宮(つきよみのみや)は 古くは 高河原(たかがわら)と呼ばれ 農耕の神を祀る神社であったと云います 延喜式〈927年12月編纂〉式内社 伊勢國 度會郡 月夜見神社(つきよみの かみのやしろ)の時は 外宮摂社の首位でした その後 土御門天皇の承元四年(1210)土宮の嘉例に淮じ豊受大神宮(外宮)の別宮に昇格しました

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風宮 (かぜのみや)外宮の別宮〉

風宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉
《主》級長津彦命(しなつひこのみこと)級長戸辺命(しなとべのみこと)

一緒に読む
風宮〈豊受大神宮(外宮)の境内 別宮〉〈お伊勢さん125社〉

風宮(かぜのみや)は 鎌倉時代 蒙古襲来・2度の元寇(1274年文永の役・1281年弘安の役)の時 伊勢の神風を吹かせ給い 国難を救ったと伝えられ 皇大神宮(内宮)の風日祈宮(かざひのみのみや)とともに 末社の格「風神社(かぜのかみのやしろ)」から 正応6年(1293)豊受大神宮(外宮)別宮に昇格し゛風宮゛と号します

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊勢市駅から 外宮の社頭まで 約450m 徒歩8分程度

豊受神宮(外宮)

一緒に読む
豐受大神宮〈外宮〉(伊勢市豊川町)〈伊勢神宮〉

豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は 今から約1500年前 内宮の御祭神 天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)として 丹波国から現在の地にお迎えされました 御饌殿では 今日も神々に食事を供える日別朝夕大御饌祭が続けられています 内宮に対して外宮と並び称され 衣食住 産業の守り神としても崇敬されています

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神明造の白木鳥居に一礼をして

外宮参道を進みます

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正殿でお参りをして 南へ折れて 別宮へと進みます

途中 亀石を渡ります

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別宮への参道に入ると 向かって左手に゛風宮゛ 向かって右手に゛土宮゛
正面の石段(檜尾山(ひのきおやま)を上がると゛多賀宮゛となっています

参拝の順序は・多賀宮・風宮・土宮と云われています

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正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)へと続く 98段の石階の上に鎮座しますので かつては「高宮」とも称されました

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多賀宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉に参着

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殿にすすみ お祈りをしま

ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます

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古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉
以前2004年には 現在とは東西が入れ替わっています

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 高宮について 多賀宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉であると記しています
祭神については 伊吹戸主神 豊受大神荒魂の二柱を挙げています

【抜粋意訳】

高宮 大月次新嘗

高は多賀と訓べし、亦は多賀宮とも称す

○祭神 伊吹戸主神 豊受大神荒魂

○大神宮南六十丈に在す、神名略記 大神宮式云、去大神宮南六十丈、
○御鎮座次第記云、止由気大神荒魂、亦曰伊吹戸主神是也、御霊形鏡坐也、」
 外宮儀式帳云、管高宮壹院(止由氣大神宮之荒御玉神也)

把笏
文徳実録、天安元年月壬寅、伊勢国高宮神宮内人一人、始預把笏

月糧
三代元慶年閏十九日乙巳、伊勢高宮物忌准諸宮物忌、永充月糧、以神封物給之、

前件高宮及土宮、月読宮、風宮、三社は式外也 等を度会宮別宮四処と称す、〇高宮造替以下の事、式、儀式帳、其外神宮の諸書を見るべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 高宮について 多賀宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉であると記しています

【抜粋意訳】

高宮(タカノミヤ)

又 多賀宮と云ふ、延喜式
豊受宮の南にあり、延喜式神名帳考証
豊受大神の荒魂を祭る、醍醐天皇 延喜の制、大社に列り、祈年月次、新嘗の案上祭幣に預る、延喜式
凡 高宮、月夜見宮、土宮、風宮、之を豊受宮四所の別宮とす、神名略記

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 高宮について 多賀宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉であると記しています

【抜粋意訳】

高宮 大月次新嘗

祭神 等由氣大神之荒御魂神

祭日 二月祈年 六月十二月十七日 月次 九月十七日 神甞
社格 外宮所攝 別宮四所之一

所在 度會宮域内大宮南

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

多賀宮〈豊受神宮(外宮)別宮〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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お伊勢さん125社について

一緒に読む
お伊勢さん125社について〈神宮は正式名称 伊勢神宮125社の総称〉

゛伊勢神宮〈お伊勢さん〉゛ その正式名称は 二文字゛神宮゛(かみのみや or じんぐう)で 125のお社の総称とされます〈内訳は゛正宮〈内宮・外宮〉2所・別宮(わけみや)14社・摂社(せっしゃ)109社・末社(まっしゃ)24社・所管社(しょかんしゃ)34社・別宮所管社8社゛〉

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伊勢國 式内社 253座(大18座・小235座)について

伊勢国(いせのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 伊勢国の 253座(大18座・小235座)の神社のことです 伊勢国(いせのくに)の式内社 253座は 一つの国としては 日本全国で最多数です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています