実践和學 Cultural Japan heritage

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多賀神社(三島市谷田)

多賀神社(たがじんじゃ)は もと三嶋大社 摂社の一つで 田川神社とも田河とも称された 2つの式内社① 石徳神社いはとくのたかの かみのやしろ)➁ 劔刀乎夜尓命神社けむとをやにのみこと かみのやしろ)の論社です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

多賀神社(Taga Shrine)
たがじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

静岡県三島市谷田164

 [  (Google Map)]

https://www.google.com/maps/dir/''/%E3%80%92411-0801+%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E4%B8%89%E5%B3%B6%E5%B8%82%E8%B0%B7%E7%94%B0%EF%BC%91%EF%BC%96%EF%BC%94+%E5%A4%9A%E8%B3%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.1192949,138.9246174,15.67z/data=!4m14!4m13!1m5!1m1!1s0x6019908eac92c45d:0xa048b638a1ef04ba!2m2!1d138.9259153!2d35.1110034!1m5!1m1!1s0x6019908f8c8c5e4d:0x98e8522c3342ac55!2m2!1d138.9289795!2d35.1168123!3e0

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊弉諾尊(Izanagi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

多賀(たが)神社

鎮座地 三島市小山164番地
御祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
例祭日 10月15日

由 緒
もと三嶋大社、摂社(せっしゃ)の一つで、田川神社とも田河とも書かれた。
神木の巨樹を見ても古社であることが窺われる。神社は西向きに建てられて、神社と大場川との間にはいくつもの古井戸の跡があり、昔の集落を推測される。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は男神で 伊弉冉尊(いざなみのみこと)は女神で、結ばれて、国土を生み神々を生み、殊に禊祓(みそぎはら)いをして、三貴神(さんきしん)といわれる天照大神(あまてらすおおかみ)・素戔嗚尊(すさのをのみこと)・月讀尊(つきよみのみこと)の親神になられたと神話にある。

現地案内立札より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

多賀神社(三島市谷田)は 2つの式内社の論社です
① 石徳神社いはとくのたかの かみのやしろ)
➁ 劔刀乎夜尓命神社けむとをやにのみこと かみのやしろ)

① 石徳神社いはとくのたかの かみのやしろ)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 石徳神社
[ふ り が な ]いはとくのたか かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ihatokuno taka no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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➁ 劔刀乎夜尓命神社けむとをやにのみこと かみのやしろ)

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 劔刀乎夜尓命神社
[ふ り が な ]けむとをやにのみこと かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ihatokuno taka no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
式内社「石徳神社いはとくのたかの かみのやしろ)」の論社

・守山八幡宮(伊豆の国市寺家)

一緒に読む
守山八幡宮(伊豆の国市寺家)

守山八幡宮(もりやまはちまんぐう)は 1180年(治承4年)源頼朝公が 源氏再興を祈願して挙兵した時に本陣を張った北條郷の地で 辺りには北条氏の屋敷があり 源頼朝公は 襲い討った山木判官平兼隆の屋敷から火の手が上がるのをこの辺りから見たとされます

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・豆塚神社(伊豆の国市北江間)

一緒に読む
豆塚神社(伊豆の国市北江間)

豆塚神社(まめづかじんじゃ)は かつて石徳高命が降られたという雄徳山に式内社「石徳高神社」が祀られていました その後 狩野川が流路を西に変え 郷(依馬郷)が 江間と北條に二分されたので 鎮守も二社(当社と守山八幡宮)に分祀されたものと伝わります

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・多賀神社(三島市谷田)

一緒に読む
多賀神社(三島市谷田)

多賀神社(たがじんじゃ)は もと三嶋大社 摂社の一つで 田川神社とも田河とも称された 2つの式内社「① 石徳髙神社(いはとくのたかの かみのやしろ)➁ 劔刀乎夜尓命神社(けむとをやにのみことの かみのやしろ)」の論社です

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・岩徳高神社(伊豆市徳永)

一緒に読む
岩徳高神社(伊豆市徳永)

岩徳高神社(いわとくたかじんじゃ)は 境内に昭和50年頃まで樹齢約500年の年輪を数えたスギの大木があったという 昔から八軒の世襲の鍵取が決まっていて 当番の鍵取はその年一年は 毎月1日15日に献饌などの奉仕をし 氏子は蒜(ヒル)を栽培すると災いがおきるとの禁忌があり 今もその伝えは守られている

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『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
式内社「劔刀乎夜尓命神社けむとをやにのみこと かみのやしろ)」の論社

・劔刀神社(伊豆の国市戸沢)

・赤王神社(三島市大場)

・多賀神社(三島市谷田)

一緒に読む
多賀神社(三島市谷田)

多賀神社(たがじんじゃ)は もと三嶋大社 摂社の一つで 田川神社とも田河とも称された 2つの式内社「① 石徳髙神社(いはとくのたかの かみのやしろ)➁ 劔刀乎夜尓命神社(けむとをやにのみことの かみのやしろ)」の論社です

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

三島駅から 南東へ約2.7km 車10分程度

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R1号線沿いに鎮座しています
多賀神社(Taga Shrine)に参着

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一礼をして 鳥居をくぐります

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小さな境内ですが 新しく整備されていて 雑草一本生えていません
有難いことです

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拝殿にすすみます 扁額には「多賀神社」と記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

神社名が記されています

【意訳】

多賀神社 谷田

供前晃ゆ

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=

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式内社「石徳神社いはとくのたか かみのやしろ)」の伝承

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

石徳高(イハトコ)神社として 記されています

【意訳】

石徳高(イハトコ)神社

〇按 徳高言 泉觱佛 今 熱海温泉 艮隅 湯前権現 これ乎 釈書垣舜博曰 舜甚宴浪遊豆州説法 温泉神祠云々 下に劔刀石床別命神社あり

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

石徳髙は 伊波登古(いはとこ)訓じると記しています

【意訳】

石徳神社

石徳髙は 伊波登古と訓ずべし
〇祭神 詳らかならず
〇徳永村に在す 今 那賀郡に属す 
考証に 徳高言 泉觱佛 今 熱海温泉 艮隅 湯前権現 これ乎と云う
〇元享釈書云 垣舜博 舜甚宴浪遊豆州説法 温泉神祠

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

雄徳山の山頂に祀られていた神であったが 諸説ある中でも その後 村里の区分の時に豆塚に遷した〈現 豆塚神社(伊豆の国市北江間)〉と寺家村の守山に遷した〈現 守山八幡宮(伊豆の国市寺家)〉の2所が 後継であろうと記しています

【意訳】

石徳(いはとくのたかの)神社

祭神
祭日
社格
所在
今按〈今考えるに〉
足柄縣 注進状に 石徳神社は 君澤江間村 雄徳山神社なるべし それは石徳は石床の意高は タケと訓て嵩の意と聞こえるを この山の岩壁よく石床の称にかない 山頂の旧祠の址に 宝殿平前殿殿平神楽など云称の遺るのみに非ず 山名の雄徳は石徳の訛転と聞こえるなど 証とすべし 

斯のて後に 社を西麓 チム野に遷し 亦 丸山に豆塚に移せり豆志に記せる如く 寺家村八幡も この雄徳山より遷してもと 此山上に石特高神社の鎮座地なりし確証と云いしも 強言に非じさるは この江間郷北條郷はもと一郷なるを 村里の区分せるより 総鎮守とある雄徳山の神を江間の郷にては チン野に遷し 北條の郷にては 寺家村の守山に遷したるより 山上の本社遂に廃絶に及び 雄徳山の称号のみ遺れる事となりしなり この他 諸説あれど この2所にて定ぬるべき事なるべし                                                                  

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承

地理の変更によって 二社に分祀されている
一社は〈現 豆塚神社(伊豆の国市北江間)
一社は〈現 守山八幡宮(伊豆の国市寺家)〉であると記しています

【意訳】

石徳(いはとこたけの)神社 

今は 分祀して二社となり

その一は 君澤郡江間(えま)村鎮座の いのい明神 神階帳 今称する豆塚神社 考証注進特選

その二は 田方郡寺家村 八幡神社 社伝豆志考證の一説續攷 なりにて 

蓋地理の変更に因りて分祀せる例 少なからず等しく この同神なり 何ぞ囂(かまびす)しく その本末を諍う事を為べき

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6  編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090 『伊豆国式社攷略』1 『伊豆国式社攷略』2

式内社劔刀乎夜尓命神社けむとをやにのみこと かみのやしろ)」の伝承

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

戸沢村 今 劔刀明神〈現 劔刀神社(伊豆の国市戸沢)〉と記しています

【意訳】

劔刀乎夜尓(ツルキタチヲヤニノ)命神社

志 君澤郡 戸沢村 今 劔刀明神 又 訛を タチヲヨギ云う

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

戸沢村 今 劔刀明神〈現 劔刀神社(伊豆の国市戸沢)〉と記しています

【意訳】

劔刀乎夜命神社

劔刀は都流支多知と訓ずべし 枕詞なり 乎夜爾は仮字なり
〇祭神明らかなり
〇君澤郡 戸澤村に在す 今 劔刀(つるぎ)明神と称す 

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』➁

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

戸沢村 今 劔刀明神〈現 劔刀神社(伊豆の国市戸沢)〉としていますが
他の説として

谷田村小山の多賀神社〈現 多賀神社(三島市谷田)
大場村赤王明神〈現 赤王神社(三島市大場)〉を参考に挙げています

【意訳】

劔刀乎夜(ツルギタチヲヤニノ)命神社  称 刀大明神

祭神 劔刀乎夜爾命
祭日 1月15
社格 村社

所在 戸澤村小川原 〇今属す君澤郡(田方郡川西村大字戸澤)
今按 式社考證に豆志に 当社の事を今云う君澤郡戸澤村 今 劔刀明神 又 訛て 多知乎預疑と云うとあり この村20戸に足らぬ小社にして 旧社有るべくも非ず 他に微証なしと雖も 国圓にも然記され 寛政元年碑文にも劔刀乎夜爾命神社あるなど思うに 既くより然称へたること知るべし

一説に 谷田村小山の多賀神社なるべしと云えるは

谷田の称と小山地名乎夜爾に通ふより云えるにて 証なし

今按に 大場村赤王明神云う旧社あり 赤王山の麓に笹原云う 所有は神階記に ささはらの明神 と有る社と聞こえ 社伝に劔刀石床別命神社なる由 伝えたれど 小谷の奥まりたる所にして 石床など云う 巌石なく乎夜爾の称にかなへれば 劔刀の冠より錯ひて 石床別命とは訛りたるかと云えど明証とも云い難し 但し縣の注進にも戸澤村と定めたれば之に従う

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』➁

『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承

戸沢村 今 劔刀明神〈現 劔刀神社(伊豆の国市戸沢)〉と記しています

【意訳】

劔刀乎夜(つるきたちをやにの)命神社

君澤郡戸澤村鎮座 旧称 劔刀(つるぎ)神社なるべし 國園豆志考證注進特選續攷

今は一小村の土神にして 頗陵夷を極めるまで社地 小河原(をがはら)の称あるを思うる 神階帳の河原の明神ならむも知るべあらず能く探ねまほしくなむ

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6  編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』➁

多賀神社(Taga Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る       

一緒に読む
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について

伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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  • B!

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