実践和學 Cultural Japan heritage

Shrine-heritager

須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)(『三代實録』菅神『延喜式』湏義神社)

須義神社(すぎじんじゃ)は 社伝によると応神天皇四十年の創祀」と云う 一説には 神功皇后が熊襲征討のため出石神社に戦勝祈願をした時創祀とも云われる 三代實録貞観10年868従5位下に叙せらた「菅神は当社の事とされる 延喜式内社 但馬国 出石郡 湏義神社(すきの かみのやしろ)です

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

須義神社(Sugi shrine

通称名(Common name)

荒木の八幡さん(ああきのはちまんさん)

【鎮座地 (Location) 

兵庫県豊岡市出石町荒木字竹ヶ原273-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》由良度美神(うらどみのかみ)

《配》誉田別神(ほむだわけのみこと)

※御祭神 由良度美神について

日本神話の人物菅竈由良度美(すがかまゆらどみ)」のこと 

父親は 但馬 清彦(たじま の きよひこ)
『日本書紀』但馬清彦〈天日槍の3世の子孫 田道間守(たじまのもり)の父〉
『古事記』清日子〈天之日矛の4世の子孫 多遅摩毛理の弟〉

母親は当摩之咩斐(たぎまのめひ)

菅竈由良度美(すがかまゆらどみ)」は 清日子と当摩之咩斐の子として誕生 伯父の多遅摩比多訶に娶られた 神功皇后の母方の祖母である と伝わります

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由 緒

 応神天皇40年(309)の創立と伝え清和天皇貞観10年(868)従5位下に叙せられし菅神は当社の事にして延喜式の制小社に列し文永年間(1264~1274)修理田を有し神田6町2反ありき。

 吉野朝時代当社附近は菅庄とて八幡宮領となり八幡宮をも併せ称したり。降って江戸時代宝永元年(1704)本殿を建立し、明治6年(1873)10月村社に列せらる。大正4年(1915)拝殿を新築し、同13年(1924)社務所を新築し郷社に昇格せり。

2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6323013.html

【由  (History)】

『出石名所旧跡略記』〈明治45年(1912)〉に記される内容

【抜粋意訳】

村社 式内 須義神社

 町の西南 室地村字荒木 敦土山の麓にあり 延喜式に出石郡 須義神社といへるはこれなり

【原文参照】

倉品昭夫 編『出石名所旧跡略記』,浅田書籍店,明45.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/765406

四 近代出石の文化 - 神社明細帳〔出石郡役所〕より抜粋

1 出石の神仏 85神社明細帳〔出石郡役所〕

出石郡〔室植村]ノ内荒木村字竹ヶ原

郷(村)社 須義神社

所在地 小字 明細帳「竹ケ原」トアルモ、官有社寺土地台帳「竹ノ原」卜アリテ一致セス

 祭神 由良度美神

 由緒 創立年度不詳 明治六年十月村社格加列

  大正四年九月三十日神饌幣帛料ヲ供進スルコトヲ得へキ神社ニ指定セラル、大正十三年十二月十二日郷社ニ列セラル

 社殿 神殿 参籠殿 鳥居 (石造) 拝殿廊下
  (新築ノ義、大正四年九月六日許可、同日知事へ報告済 )

 境内地 二百九十四坪 官有地第一種

社司 黒田純一

神社明細帳〔出石郡役所〕より

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

須義神社 社殿〈拝殿 本殿覆い屋

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須義神社 拝殿

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・〈境内社〉稻荷神社か?

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・御神木

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・手水舎

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・参道石段・狛犬

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・参道石段入口・石燈籠

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・鳥居

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・社号標「式内 湏義神社

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

但馬国の正六位上大岡神・左長神・七美神・菅神を並びに従五位下を授く とあり この菅神を須義神社とする説があります

【抜粋意訳】

卷十五 貞觀十年(八六八)閏十二月廿一日庚戌

○廿一日庚戌

授くに
肥後國 從四位上 阿蘇比神 正四位下
因幡國 從四位下 宇倍神 從四位上

但馬國 正六位上 大岡神 左長神 七美神 菅神
播磨國 正六位上 射目埼神
土左國 無位 宗我神 並從五位下

是日 宣詔内外曰 春日大原野兩社 齋女 藤原朝臣可多子 太政官貞觀八年十二月廿五日下所司 注藤原朝臣須惠子 今追改焉
訳文〔同日 内外に詔を宣して次のように告げた

春日社および大原野社の斎女は 藤原朝臣可多子とする 貞観8年12月25日に太政官が役所へ出した文書では藤原朝臣須恵子と記されていたが 今回これを改めた〕

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)但馬國 131座(大18座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)出石郡 23座(大9座・小14座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 湏義神社
[ふ り が な ](すきの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Suki no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載されている「須伎神社(すきの かみのやしろ)」について

延喜式内社 伊勢國 河曲郡 須支神社(すきの かみのやしろ)の論社

・須伎神社(鈴鹿市長太栄町)

一緒に読む
須伎神社(鈴鹿市長太栄町)〈『延喜式』須支神社・大木神社〉

須伎神社(すぎじんじゃ)は 社伝には 上古 津島の神を奉じて南下した人々が長太村に祠を建て祀ったと云う 元禄三年(1690)当地に移転鎮座した 延喜式内社 伊勢國 河曲郡 須支神社(すきの かみのやしろ)とされ 又 明治40年(1907)大木神社(長太の大樟)を合祀し 同じく式内社 大木神社(おほきの かみのやしろ)の論社でもあります

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延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社

・須岐神社(大衡村駒場下宮前)

一緒に読む
須岐神社(大衡村駒場下宮前)〈『延喜式』須伎神社〉

須岐神社(すきじんじゃ)は 創祀年代 鎮座 由来等は詳かでない 昔時は今の社地の西方の宮高森上に在り 建久二年(1191)に地頭 児玉弥太郎がここに遷座して 赤崎大明神と称え椚千本を植え神境としたと伝わります 延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)の論社です

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・鶴ケ峯八幡宮(大和町宮床赤坂)
〈本殿合祀 賀茂明神〉
〈境内社 鳴上賀茂明神宮〉

一緒に読む
鶴ヶ峰八幡神社(大和町宮床赤坂)〈『延喜式』須伎神社〉

鶴ヶ峰八幡神社(つるがみねはちまんじんじゃ)は 寛文3年(1663)古縁起等を焼失し創祀年代等は不祥 一説には推古天皇6年(598)一宮波神 賀茂三社を本社に合祀と云う 又 別当正善院清範は この賀茂明神社を延喜式内社 陸奥國 黒川郡 須伎神社(すきの かみのやしろ)と伝えます 又 賀茂明神社は境内社との説もあります

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延喜式内社 加賀国 加賀郡 須岐神社(すきの かみのやしろ)の論社

・須岐神社(金沢市東蚊爪町)

一緒に読む
須岐神社(金沢市東蚊爪町)〈『延喜式』須岐神社〉

須岐神社(すきじんじゃ)は 元正天皇 霊亀2年(716)浅野川河口付近で右岸側の地に創建と伝わり 後に聖武天皇 天平元年(729)赤澤八幡神社が須岐神社の境内地に創建されたと云う 度重なる水害によって遷座 現在の鎮座地は明治になり遥拝殿を拝殿としたとの事 延喜式内社 加賀国 加賀郡 須岐神社(すきの かみのやしろ)です

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〈参考〉延喜式内社 但馬国 出石郡 湏義神社(すきの かみのやしろ)の論社

・須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)

一緒に読む
須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)(『三代實録』菅神『延喜式』湏義神社)

須義神社(すぎじんじゃ)は 社伝によると「応神天皇四十年の創祀」と云う 一説には 神功皇后が熊襲征討のため出石神社に戦勝祈願をした時の創祀とも云われる 『三代實録』貞観10年(868)従5位下に叙せらた「菅神」は当社の事とされる 延喜式内社 但馬国 出石郡 湏義神社(すきの かみのやしろ)です

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 豊岡駅からR426号 県道2号経由で南下 約12.6km 車での所要時間は20~25分程度

荒木の敦土山の麓に鎮座します

須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)に参着

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参道石段の入口には石燈籠があります

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石段はかなり長かったと想います

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石段を上がり切ると 境内があり 社殿の隣に境内社が祀られています

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社殿の前には 御神木〈二又の大木〉があります

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿は 拝殿の奥に覆い屋の中 本殿が祀られています

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拝殿の前には 幹が二又に別れている御神木

社殿に一礼をして 境内を戻ります

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石段を下ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 須義神社について 所在は゛菅谷荒木村に在す、今 八幡宮と稱す、゛〈現 須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)〉と記しています

【抜粋意訳】

須義神社

須義は假字也

○祭神 三輪同體〔頭

○菅谷荒木村に在す、今 八幡宮と稱す、〔但馬考〕

 但馬考に、三代實錄 菅神コレ也、』
 國人衣川長秋云、二方郡ニ 須加神社アレバ、三代實錄ナル菅神ハコレと云へり、

類社
 伊勢國河曲郡 須伎神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 須義神社について 所在は゛ 室野郷荒木村菅谷(スゲダニ)に在り、八幡宮と云、゛〈現 須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)〉と記しています

【抜粋意訳】

須義(スゲノ)神社、

 室野郷荒木村菅谷(スゲダニ)に在り、八幡宮と云、〔但馬考、神名帳考、神名帳打聞、〕

清和天皇 貞観十年閏十二月庚戌 正六位上 菅神に從五位下を授く、蓋是神也、〔三代実録〕

後宇多天皇 弘安八年、菅莊八幡 神田凡四百一町三百步ありき、〔但馬國太田文〕

凡 其祭 九月十五日を用ふ、〔神社明細帳〕

【原文参照】

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『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 須義神社について 所在は゛荒木村 (出石郡小坂村大字荒木)゛〈現 須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)〉と記しています

【抜粋意訳】

須義神社

祭神
 稱 菅八幡

 今按 姓氏錄 中臣習朝臣同神 孫味瓊杵田命之後也とあり 須義神と云によらば 習義朝臣の氏人の祖 饒速日命を祭れるか 神名帳頭註に三輪同體とあるは須義をすぎと訓て 三輪の神杉を思ひよせたるならん 猶よく考べし

神位
清和天皇 貞観十年閏十二月二十一日庚戍
  但馬國正六位上 管神 從五位下

 今按 この神位を神社覈録に衣川氏の説を引て 二方郡 須加神社の事ならんと云れど 須加は すか にて すが にあらず 須義神は 菅神なる事著きが上に 但馬考にも此神位を須義神と云る當れるに似たり 故今之に從ふ

祭日 九月二十五日
社格 村社

所在 荒木村 (出石郡小坂村大字荒木 )

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原) (hai)」(90度のお辞儀)

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但馬国 式内社 131座(大18座・小113座)について に戻る

一緒に読む
但馬國 式内社 131座(大18座・小113座)について

但馬国(たじまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 但馬国には 式内社 131座(大18座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

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  • B!

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