志多留能理刀神社(したるのりとじんじゃ)は 対馬の稲作の発祥伝承〈伊奈に 白い鶴が飛来して稲穂を落とし それを志多留の榎田に植えたのが 対馬での米作りの始まり〉を持つ式内社の「伊奈久比(イナクイ)神社」の山麓にある 湿地帯の小高い地 伊奈の志多留に鎮座しています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 行相神社」の論社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
志多留能理刀神社(ShitaruNorito Shrine)
(したるのりとじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
長崎県対馬市上県町伊奈381
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》雷大臣尊(Ikatsuchioomi no mikoto)=〈中臣烏賊津使主〉
霊町命
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
・不詳
【由 緒 (History)】
『対馬州神社大帳』によれば
熊野権現社
旧号 志多留能理刀神社 里人之伝云 同郷 志多留村 榎田之榎枝ニ顕ルト謂 卜部十郎尉之ヲ迎奉リ 今之地祭也
【境内社 (Other deities within the precincts)】
式内社の「伊奈久比(イナクイ)神社」の山麓にもあたります
かつては どちらかが末社としていたとの説もあります
・伊奈久比神社(対馬 伊奈)
伊奈久比神社(いなくひじんじゃ)は 由緒書きには 白鶴が 伊奈の原に 稲穂を落とし その所を穂流川と云う 里人がその穂を取り 榎田に植えて 御食(ミケ)として神田(カンダ)としたのが 対馬の稲作の起りで それで「伊奈(イナ)」という地名となった「穂落し神」として「大歳神」を祀ると伝わります
伊奈久比神社(対馬 伊奈)
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 行相神社
[ふ り が な ](ゆきあいの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Yukiai no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
「對馬嶋 上縣郡 行相神社」の論社は2つです
① 行相神社(対馬 田)
行相神社(ゆきあいじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 行相神社(ゆきあいの かみのやしろ)」の論社とされています 鎮座地は 豊玉町 田ですが この地は もともと 寛元4年(1246)以前は 上県郡に属していたとしています
行相神社(対馬 田)
② 志多留能理刀神社(対馬 伊奈)
志多留能理刀神社(したるのりとじんじゃ)は 対馬の稲作の発祥伝承〈伊奈に 白い鶴が飛来して稲穂を落とし それを志多留の榎田に植えたのが 対馬での米作りの始まり〉を持つ式内社の「伊奈久比(イナクイ)神社」の山麓にある 湿地帯の小高い地 伊奈の志多留に鎮座しています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「對馬嶋 上縣郡 行相神社」の論社です
志多留能理刀神社(対馬 伊奈)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
対馬空港からR382号を北上 約47km 車60分程度
仁田の街中で伊奈方面に道を折れます
伊奈漁港の手前の山に 伊奈久比神社(対馬 伊奈)が鎮座します
その山と伊奈漁港の間を流れる川の河口に鎮座しますので 見当をつけて 山の麓を河口へと進みます 草が生い茂っている箇所は危険なので マングローブのような木立の中を進みます 漂流物が散らばっているので 海水が上がって来ることもある位置だと承知しながら進むも 参道らしきものもなく不安
不安的中 足元がぬかるんできたと感じたら 正面は湿地帯から 沼地に変貌 多分この先にある筈なんだがなあと思いつつ これ以上は進めず 道路まで戻ります
道路に戻り 数10m先の川まで行くと 土手に歩ける幅があり これを進みます 先程とは違い歩きやすい
しかし 又 ちっと荒れた感じの河原になります
この道も駄目かなと思った矢先 なんと 赤い鳥居が建っています 一安心するも 対馬には珍しく 稲荷社が祀られているかもと思いつつ近づきます
どうやら
志多留能理刀神社(ShitaruNorito Shrine)に参着
赤鳥居には「能理刀神社」と記されていました
一礼をして 鳥居をくぐります
建屋があり 社殿のようです
拝殿かと思った建屋は 社務所か神饌所のようで その横に西の方角を向いて 本殿と思われる祠があります
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
元々は石垣があったようです 祠の裏手には 先程 行く手を阻まれた沼が広がっていました 方向の勘所は合っていたようです
鳥居を抜けて 振り返り一礼をします 右手には海が広がり 河口であることがわかります
川沿いの来た道を戻りながら 反対の岸から見れば 正面が見えるかもしれないと思い向かうと 案の定 河口の向こう岸に良く見えました 少し高い波が来れば社ごと流されてしまいそうな位置に見えるのですが 再度一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承
對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています
行相神(ユキアイノカミ)と記されます
意訳
貞観12年(870)3月5日 丁巳の条
詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに
對馬嶋(ツシマノシマ)の
正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下
従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』の神階の昇叙が記されるのみで 詳細はありません
意訳
行相(ユキアヒノ)神社
神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承
式内社として 志多留能理刀神社(対馬 伊奈)をこれとしています
意訳
行相神社
行相は 由岐安比と訓ずべし
〇祭神 詳(ツマビラカ)ならず〇佐護 伊奈二郷の堺村に在す
神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容
式内社として 行相神社(対馬 田)をこれとしています
意訳
行相神社
祭神
今 按〈考えるに〉
明細帳 長崎県式内記に祭神 邇邇芸命とあれど いかなる由ありて 祭られ給へりと云う事 詳(ツマビラ)かならねば 信じがたし 姑附て考を俟つ神位 清和天皇 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上
祭日 9月9日
社格 村社
所在 田村 字 氏神山
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
志多留能理刀神社(ShitaruNorito Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る
對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています
對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について