神明神社(しんめいじんじゃ)は 一時廃頽し所在不明であった『伊豆国神階帳(1343年)』所載゛みかたま姫の明神゛『延喜式神名帳(927年)』所載の゛甕玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)゛の論社です 又 鎮座地の八木澤は 昔゛米澤゛の地名であったので式内社 稻宮命神社(いなみやのみことの かみのやしろ)との説もあり 現在 二つの式内社の論社となっています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
神明神社(Shinmei shrine)
【通称名(Common name)】
甕玉姫命神社(みかたまひめのみことじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
静岡県伊豆市八木沢80
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》甕玉姫命(みかたまひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
延喜式内 甕玉姫命神社
伊豆國 君澤郡 西豆村八木澤の里小池に鎭坐みかたま姫の明神は今神明社といふ 延喜式に載れる官社なり 干茲静岡縣 君澤田方郡 神官取締分所長 服部忠雄 當社にまうで こよなき事 舊記の殆廃替に属せり その志そゝろに思もひて氏子の人々奉萬歳その里て此石標をたつることはなれり序に記すよし志にて諸願にかく記す
明治二十五年七月 静岡縣神官取締所長 官幣大社三島神社宮司 正七位秋山光條
〈側面〉
當國田方郡函南村塚本 献主 服部忠雄
石碑文より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
神明神社(伊豆市八木沢)は 二つの式内社(①稻宮命神社②甕玉命神社)の論社です
①稲宮命神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 稻宮命神社
[ふ り が な ](いなみやのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Inamiya no mikoto no kamino yashiro)
②甕玉命神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 甕玉命神社
[ふ り が な ](みかたまのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mikatama no mikoto no kamino yashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊豆國 那賀郡 稲宮命神社(いなみやのみことの かみのやしろ)の論社
・稲宮神社(伊豆市土肥)
稲宮神社(いなみやじんじゃ)は 室町時代に稲宮神社の神主が神社の傍で微温湯に正月初頃 試に稻種を浸し発育をまち 社前に設けた神饌田に移植すると 水温適し 霜雪虫害の患もなく発育し結実良好 土用前〈6月〉には収穫ができたといいます 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 稲宮命神社(いなみやのみことの かみのやしろ)の論社です
稲宮神社(伊豆市土肥)
・神明神社(伊豆市八木沢)
神明神社(しんめいじんじゃ)は 一時廃頽し所在不明であった『伊豆国神階帳(1343年)』所載゛みかたま姫の明神゛『延喜式神名帳(927年)』所載の゛甕玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)゛の論社です 又 鎮座地の八木澤は 昔゛米澤゛の地名であったので式内社 稻宮命神社(いなみやのみことの かみのやしろ)との説もあり 現在 二つの式内社の論社となっています
神明神社(伊豆市八木沢)
社号に゛みか゛「」「甕」の付く 延喜式内社について
延喜式内社 大和國 高市郡 波多甕井神社(大 月次 新嘗)(はたみかゐの かみのやしろ)の論社
・波多甕井神社(高取町羽内)《主》甕速日命(みかはやひのみこと)
延喜式内社 伊豆國 那賀郡 甕玉命神社(みかたまのみことのかみのやしろ)の論社
・神明神社(伊豆市八木沢)
神明神社(しんめいじんじゃ)は 一時廃頽し所在不明であった『伊豆国神階帳(1343年)』所載゛みかたま姫の明神゛『延喜式神名帳(927年)』所載の゛甕玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)゛の論社です 又 鎮座地の八木澤は 昔゛米澤゛の地名であったので式内社 稻宮命神社(いなみやのみことの かみのやしろ)との説もあり 現在 二つの式内社の論社となっています
神明神社(伊豆市八木沢)
・山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)
山神社〈山王神社〉(やまじんじゃ)は 創建年代などは不祥です かつて゛子ノ神を宇波明神゛゛山王を山神゛と称していたらしく 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 佐波神社二座(さはの かみのやしろ ふたくら)の内一座とする説があります 又同じく式内社の瓺玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)の論社ともされています
山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)
・山神社(西伊豆町大沢里 禰宜ノ畑)
山神社(やまじんじゃ)は 西伊豆の大浜海岸の辺りから仁科川を溯り 天城連山に分け入る県道59号を進み 仁科の集落を抜けて さらに山道へ〈平家の落人伝説も残る山深い〉祢宜ノ畑の集落に鎮座します 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 瓺玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)の論社とされています
山神社(西伊豆町大沢里禰宜ノ畑)
延喜式内社 武蔵国 那珂郡 瓺
〈(か)は 菱の右に玉〉
・瓺
瓺か神社〈みか神社〉(みかじんじゃ)は 創建は不祥ですが 延喜式内社 武蔵国 那珂郡 瓺神社(みかの かみのやしろ)であるとされています 江戸時代の享保八年(1723)に正一位を授けられたと伝えられ 宝暦八年(1758)に建設された境内の碑にも「正一位みかの神社」とあります 古来 旧那珂郡の総社と称されています
瓺か神社〈みか神社〉(美里町広木)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
土肥の街中 山川の河口にある松原公園から 約1.9km 車5分程度
駿河湾フェリー 土肥港乗り場 から海岸沿いに南下して約850m 車2分程度
R136号の土肥サンセットブリッジ(バイパス)を渡り切った先で 旧道を戻るように迂回し 土肥サンセットブリッジの東側〈陸側〉に鎮座
コンクリート製の小道を下ると
神明神社(伊豆市八木沢)に参着
拝殿にすすみます
社殿の横に建つ石碑には゛延喜式内 甕玉姫命神社 ゛と刻字
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
振り返ると鳥居越しに 駿河湾が広がります
小道を上がり 社殿に一礼をします
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『伊豆国神階帳(izunokuni shinkaicho)』康永2年(1343年)に記される内容
式内社 稻宮命神社が゛いなみや姫の明神゛
式内社 甕玉命神社が゛みかたま姫の明神゛として記されていると云われます
【抜粋意訳】
那賀郡 弐拾四所
・・・
従四位上 みかたま姫の明神
・・・
従四位上 いなみや姫の明神
【原文参照】
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
現 伊豆市八木沢について この地は元々は゛米澤゛と云う地名で゛米の字を分ちて 八木澤と改む゛とも伝わり
この米澤から 八木澤の地を稻宮ノ命ノ神社の鎮座地とする説〈現 神明神社(伊豆市八木沢)〉があります
【抜粋意訳】
豆州志稿 巻之二 村里上
八木(ヤキ)澤
當村の三島神祠の上梁の文に曰 天和三年 豆州井田荘 宇賀加郷 八木澤村と
或いは云 この村は 昔は米澤云 小地名の並びの地に米崎あり 此れ其の證
この後ち村 廣(ひろ)まりて 宇賀加と名づく 又 米の字を分ちて 八木澤と改む 東浦の白田郷来濱と記せししと同じ 漁蝋なし
【原文参照】
式内社の稲宮命神社について 土肥村にあり神明社と呼ばれている〈現 稲宮神社(伊豆市土肥)〉で 神社の周辺の稲は夏初めに熟す と記しています
※〈周囲の水田は 温泉水を用いて 初夏(六月頃)には熟したので 早生稲として献上されていたと伝〉
【抜粋意訳】
豆州志稿 巻之八 神祠上 神名記所載九十五座
稻宮ノ命ノ神社
土肥村
是 古社にて 末社も多し 祠の邊の稲季の夏初めに熟す故に稲宮と称するか 今は 神明と云
鑰取 水口氏
【原文参照】
式内社の稲宮命神社について 前にも述べているが 土肥村の土肥明神〈現 稲宮神社(伊豆市土肥)〉なのだが どのような神が祀られているかは不明 と記しています
八木澤村の濱宮明洞にある神明社〈現 神明神社(伊豆市八木沢)〉について 式内社であるとも云う と記しています
【抜粋意訳】
豆州志稿 巻之八 神祠上 州中總社
稻宮ノ命ノ神社 土肥村
前に見ゆ〇土肥明神
元は 徳深明神と称す古祠なれど 祠の典 何れの命なるや未詳富永氏 鎌倉より八幡を勧請し配し祠る云
伊豆峯記に馬場村 三島大明神 八幡宮とす 舊記曰 當社 八幡宮は古者、下若宮登守須云 村の總鎮守たり 禰宜 植松氏・・・・・八木澤村 〇神明
小池ハタイの濱宮明洞(ほら)に在り
或いは云 式社之 以上伊豆納符
【原文参照】
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 稻宮命神社について 所在は 土肥村〈現 稲宮神社(伊豆市土肥)〉
式内社 甕玉命神社について 不明なのか 社名のみ記しています
【抜粋意訳】
稻宮(イナミヤノ)命神社
日本書紀 稲田宮主簧狭之八箇耳
古事記 大山津見神ノ子 名 足名椎
豆州志稿 君澤郡土肥村 古社にて 末社も多し 祠の邊の稲季の夏初めに熟す故に稲宮と称するか 今は 神明と云甕玉(ミカタマノ)命神社
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 稻宮命神社について 土肥村 神明〈現 稲宮神社(伊豆市土肥)〉
式内社 甕玉命神社について 所在は不明と記しています
【抜粋意訳】
稻宮命神社
稻宮は伊奈美夜と訓べし
○祭神明か也
○君澤郡土肥村に在す、今神明と称す、志
例祭 月 日、伊豆志に、古社ニシテ末社多シ、社邊ノ稻六月ノ初ニ熟ス、故ニ稻宮ト云フカ、
甕玉命神社
甕玉は、美加多麻と訓べし
○祭神明か也
○在所詳ならず類社
武蔵國 那賀郡 甕玉神社
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 稻宮命神社について 土肥村〈現 稲宮神社(伊豆市土肥)〉
式内社 甕玉命神社について 所在は不明 祭神は゛倭大物主櫛���玉命゛と記しています
【抜粋意訳】
稻宮命(イナミヤノミコトノ)神社
今 君澤郡 土肥村にあり、社邊の稲穂早く熟る故に稲宮と名く、凡其 祭七月廿日 十月二十八日を用ふ、伊豆志、神名帳打聞、足柄縣式社取調帳
甕玉命(ミカタマノミコトノ)神社
蓋 倭大物主櫛甕玉命を祀る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 稻宮命神社について 所在は 土肥村〈現 稲宮神社(伊豆市土肥)〉
式内社 甕玉命神社について 所在は 八木澤村鎮座 神明社〈現 神明神社(伊豆市八木沢)〉
更に別の説として・八木澤村の三島明神・伊濱村 三島明神とも記しています
【抜粋意訳】
稻宮(イナミヤノ)命ノ神社
祭神 稻宮命
今按〈今考えるに〉神階帳に従四位上 稲宮姫の明神とあるによらば 稲宮姫命とも称へ奉れるなるべし
伊豆志に祠邊の稲季夏の初に熟す故に稲宮と称するが 今は神明と云
今 衰頽を極めたれど 祠傍に植る所の早稲所謂土用前に熟し 従古 朝廷へ貢献来たるは稲宮の称にも適ひて所由有事を知べしと云る 此に由あり 姑附て考に備ふ祭日
社格(無社格)所在 土肥村 今属 君澤郡(田方郡土肥村大字土肥)
甕玉(ミカタマノ)命ノ神社
祭神 甕玉命
今按〈今考えるに〉神階帳に みか玉姫の明神 とあるによらば姫神なること知るべし 甕玉姫命とも申し奉れるにゆあらん
祭日
社格所在
今按〈今考えるに〉式社攷證に君澤郡 八木澤村鎮座 神明社なるべし
此社は豆志に 神明 小池ハタイの濱宮明洞に在 或云 式社也 伊豆納符 とみえて 今は殆衰廃を極めたれど 舊社なる事灼然きがハタイの称の甕玉の傳にやと思はれ 神明の称に因みて姫神なる事知られ社傍に甕の澤 神田 神地川の地名有等小縁ならず聞ゆるを以て知るべし
亦 同村に三島明神あり 若しくは此社ならむ
又一説に伊濱村 三島明神ならむ と云れど ハタイの濱と云ひ 甕の澤など云地名あるによらば神明社の方 甕玉(ミカタマノ)命に由ありて聞ゆ
【原文参照】
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
式内社 稻宮命神社について 土肥村鎮座の旧称 神明社〈現 稲宮神社(伊豆市土肥)〉と記しています
式内社 甕玉命神社について 八木澤村の旧称 神明社〈現 神明神社(伊豆市八木沢)〉であるが 廃絶してしまっている 是非再興してほしい 若しくは村社の三島神社に合祀して欲しいと切に願う と記しています
※〈現在は 神明社として再興されています〉
【抜粋意訳】
稻宮(いねみやの)命神社
君澤郡 土肥村鎮座 いなみやひめの明神 神階帳
舊称 神明社 是なり 豆志攷証註進特選
当社 頗陵替え属をす余嘗て其の故を聞持る事ありや 雖(いえども)思ふ 昔あきば此に云たず 異日時を待て発する所あらむとに
又 稲宮の称あるや祠邊の稲 季夏の初に熟す故に称すと豆志に云へるが如くならむ甕玉(みかたまの)命神社
同郡 八木澤(やぎさは)小池鎮座 みかたま姫の明神 神階帳
舊称 神明社なるべし 攷証註進特選續攷當社 近来 式徴を究め殆廃替に属せむとす抑 延喜式所載の官社 村中に鎮座するもの幾(いくばく)も村里の光栄ならざるを得ず 今や其の頽傳に及ばむやするを誰が傍観坐視するに忍びむ速に一社殿を再興して神名を将来に垂れ恩恵を後昆に蒙らしむるの擧なくは有るべからざるなり 若しくは村社 三島神社に合祭せるべし
他社にも比類少からず苟(いやしく)も志を比に振起す者あるに於いては何の難き事か之あらむ是余に各地の有志者に切望して止まざる所以なるのみ
【原文参照】
神明神社(伊豆市八木沢)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について