神明神社(しんめいじんじゃ)は 『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉には 神社名を「文梨神社(Fumunashi no kamino yashiro)」「八幡(ハチマン)神明(シンメイ)あわせ祀る」と記されています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
神明神社(Shimmei Shrine)
(しんめいじんじゃ)
[通称名(Common name)]
神明八幡神社(Shimmei hachiman Shrine)
【鎮座地 (Location) 】
静岡県沼津市西浦江梨77
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天照大神(Amaterasu okami)
櫲樟日命(Kusubiko no mikoto)
品陀和気命(Homudawake no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社の論社
【創 建 (Beginning of history)】
不詳
【由 緒 (history)】
不詳
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・鳥居の先 石段手前 左右に境内社
・社殿の向かって左側 境内社
・社殿の向かって右側 境内社
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 文梨神社
[ふ り が な ](ふむなしの かみのやしろ)
[How to read ](Fumunashi no kamino yashiro)
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)所載社の論社について
伊豆国(izu no kuni) 田方郡(tagata no kori)文梨神社(Fumunashi no kamino yashiro)の論社
・左内神社(三島市)
左内神社(さないじんじゃ)は 三嶋大社の御門の守護神として 右内神社とともに下田街道の左右に祀られていました その旧鎮座地は手無という地名です 『延喜式神名帳』の論社とされいて 手無にある「手無地蔵」は「式内社・文梨神社」の旧社地とも云われます 更に通称名として「天地(ame tsuchi)宮」とも呼ばれていて「式内社・阿米都知(ame tsuchi)命神社」の論社とも云われています
左内神社(三島市中島)
・満宮神社(函南町)
満宮神社(まんぐうじんじゃ)は 第84代 順徳天皇の著『八雲御抄(yakumo misho)』〈鎌倉時代〉の歌論書に「伊豆国 田方郡(たがたのこおり)」にある鎮守の杜を指す言葉として「田方の杜(たがたのもり)」と称されたとする伝承があります 「田方の杜(たがたのもり)」ですから 田方郡でも 重要な神社として認識されていたであろうことが伺えます
満宮神社(田方郡函南町)
・神明神社(西浦江梨)
神明神社は 『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉には 神社名を「文梨神社(Fumunashi no kamino yashiro)」「八幡(ハチマン)神明(シンメイ)あわせ祀る」と記されています
神明神社(沼津市西浦江梨)
鎮座地の「西浦江梨(Nishiura enashi)」について
現在の住所は「沼津市 西浦江梨」駿河湾に面して 伊豆半島の北西にあたる地域です
昭和30年(1955年)に愛鷹・大平・内浦・西浦の4村は 沼津市に合併します
旧 西浦村は 明治22年(1889)の町村制の施行に伴って9ヶ村「・木負・河内・久連・平沢・立保・古宇・足保・久料・江梨」が一つにまとまり 君沢郡西浦村として発足したものです
鎮座地「西浦江梨(Nishiura enashi)」は 江戸時代までは「江梨村」です
『江梨(enashi)』は 戦国時代の古文書には「江梨郷」とあり この地に入り江がないので「江なし」と呼ばれ この「なし」が「梨」に転化したとも伝わりますが定かではありません
「西浦江梨(Nishiura enashi)」は「集落地の江梨」と「大瀬崎のある大瀬」とに分かれます
西端に突き出た砂洲は「大瀬崎」と呼ばれ 伝承では684年(白鳳13年)の白鳳地震で 海底が「三百丈余」も隆起し 琵琶島(びわしま)として出現したとされ その後 砂洲の形成によって 陸繋島となり現在の大瀬崎になったと伝わります 古くから「引手力命神社」が祭られていて 近くには伊豆七不思議の一つとされる 真水の湧く「神池」があります
集落地の江梨村は 海岸線まで傾斜地で農耕地に恵まれませんが その山肌を活かして 西浦ミカンの産地の一つになっています
歴史的には 縄文 弥生 古墳の各時代の遺跡があり 太古から人々の営みがあります
この集落地の江梨の鎮守が現在の「神明八幡神社(Shimmei hachiman Shrine)」です
江戸時代までは「えなし明神」とも呼ばれたようで「え梨」と「文梨」の近さから 式内社の「文梨神社(Fumunashi no kamino yashiro)」ともされていました
鎌倉時代から室町時代にかけて江梨を本拠地とした「江梨鈴木氏(enashi suzuki shi)」〈藤白鈴木氏の一族 日本書紀・古事記にも記される穂積氏を本姓とし藤白神社の社家として続いた名門〉の影響もあったのであろうと推測します
藤白神社の記事をご覧ください
神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
県道17号が江梨の集落で浜辺に出ます そこでで山側に入るとすぐ
神明神社(Shimmei Shrine)に参着
鳥居と社号標が建ち 社号標には「村社 神明 八幡 神社」とあります
一礼して 鳥居をくぐります
鳥居の先は 石段の参道があり その参道石段の手前には 両側に境内社が鎮座します
石段を上がるとすぐ右手に手水舎があり 清めます
ここからは 階段の上に 拝殿が見えます
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿向かって左手の境内社にお詣りをします
中央に建つ覆屋には「菅公霊」と扁額が掲げられていて 3基の祠が鎮座しています
拝殿の向かって右手の境内社にお詣りをします
参道を戻ろうと 振り返ると 肉眼では木々の間から駿河湾が望めます 写真ではちょっとわかりずらいです
手水舎の辺りまで戻ると 民家の屋根越しに僅かに駿河湾が覗いています
鳥居を抜けて振り返り一礼をします
神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
神明八幡神社(Shimmei hachiman Shrine)は「文梨神社」とされています
『伊豆国神階帳(izunokuni shinkaicho)』には「從四位上ちゝなしの明神」と書かれていて 文梨は「父梨」の誤記とも言われいてると記されています
意訳
文梨神社(Fumunashi no kamino yashiro)
江梨(エナシ)村八幡(ハチマン) 神明(シンメイ) あわせ祀る
末社は 多し
或いは 神名記に云う「文」を「父」に作る共に衣の草書を誤り記したと
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
神明神社(Shimmei Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
伊豆国(izu no kuni) 田方郡(tagata no kori)文梨神社(Fumunashi no kamino yashiro)の論社
・左内神社(三島市)
左内神社(さないじんじゃ)は 三嶋大社の御門の守護神として 右内神社とともに下田街道の左右に祀られていました その旧鎮座地は手無という地名です 『延喜式神名帳』の論社とされいて 手無にある「手無地蔵」は「式内社・文梨神社」の旧社地とも云われます 更に通称名として「天地(ame tsuchi)宮」とも呼ばれていて「式内社・阿米都知(ame tsuchi)命神社」の論社とも云われています
左内神社(三島市中島)
・満宮神社(函南町)
満宮神社(まんぐうじんじゃ)は 第84代 順徳天皇の著『八雲御抄(yakumo misho)』〈鎌倉時代〉の歌論書に「伊豆国 田方郡(たがたのこおり)」にある鎮守の杜を指す言葉として「田方の杜(たがたのもり)」と称されたとする伝承があります 「田方の杜(たがたのもり)」ですから 田方郡でも 重要な神社として認識されていたであろうことが伺えます
満宮神社(田方郡函南町)
・神明神社(西浦江梨)
神明神社は 『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉には 神社名を「文梨神社(Fumunashi no kamino yashiro)」「八幡(ハチマン)神明(シンメイ)あわせ祀る」と記されています
神明神社(沼津市西浦江梨)
伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る
伊豆国(いつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 伊豆国には 92座(大5座・小87座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
伊豆國 式内社 92座(大5座・小87座)について