島根郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】35社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "
『出雲國風土記』島根郡(shimane no kori)条 所載の神社の数は「49社」です
「14社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
「39社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)
『出雲國風土記』島根郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】35社
大埼社 (おはし) (ohashi no) yashiro
・大埼神社
大埼神社(おおさきじんじゃ)は 大蘆浦(おはしうら)〈現 大芦浜(おわしはま)〉に鎮座します 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「大埼社(おはし)のやしろ」とされています 御祭神の伊弉冉尊(いざなみのみこと)が諸神の母なので 母坂さん(はんざかさん)とも呼ばれます
大埼神社(松江市島根町大芦)
大埼川邊社 (おはしかわべ) (ohashi kawabe no) yashiro
・大埼川邊神社
大埼川邊神社(おおさきかわべじんじゃ)は 国の主とされる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祀り 通称「国主さん」と呼ばれ 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「大埼川邊社(おはしかわべ)のやしろ」とされます
大埼川邊神社(松江市島根町大芦)
朝酌上社 (あさぐみかみ) (asagumikami no) yashiro
・〈多賀神社に合祀〉朝酌上神社
多賀神社(たがじんじゃ)は 神在月 佐太神社に集う八百万の神々が 帰路に当社に立ち寄り「神等去出祭(からさでさい)」として 多賀明神が 神々の御膳に魚を備えよと宣い 恵美酒神が 魚を筌(うけ)で酌(く)み〈川の中にしずめた竹製の道具で魚を捕る〉猿田彦命が舟の梶を取り その魚獲りの様子を神々が 魚見山から見下ろして 直会をして去っていくと伝わります
多賀神社(松江市朝酌町)
朝酌下社 (あさぐみしも) (asagumishimo no) yashiro
・多賀神社
多賀神社(たがじんじゃ)は 神在月 佐太神社に集う八百万の神々が 帰路に当社に立ち寄り「神等去出祭(からさでさい)」として 多賀明神が 神々の御膳に魚を備えよと宣い 恵美酒神が 魚を筌(うけ)で酌(く)み〈川の中にしずめた竹製の道具で魚を捕る〉猿田彦命が舟の梶を取り その魚獲りの様子を神々が 魚見山から見下ろして 直会をして去っていくと伝わります
多賀神社(松江市朝酌町)
努那彌社 (ぬなみ) (nunami no) yashiro
・奴奈彌神社
奴奈彌神社(ぬなみじんじゃ)は 小浪浦(こなみうら)の東に鎮座した「国司神社」が明治になって古社名に改称されました 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「努那彌社(ぬなみ)のやしろ」とされます
奴奈彌神社(島根町野波小波)
椋見社 (くらみ) (kurami no) yashiro
・〈久良彌神社に合祀〉椋見神社
久良彌神社(くらみじんじゃ)は 『出雲國風土記』の中に登場する有名な「国引き神話(kunibiki shinwa)」で「国来 国来」と引いて来こられて 宇波折絶(unami no oritae)から縫へる国は「闇見の国(kurami no kuni)」とされている 「闇見の国(kurami no kuni)」の総社です
久良彌神社(松江市)
大井社 (おほい) (ohoi no) yashiro
・大井神社(松江市大井町)
大井神社(おおいじんじゃ)は 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載の島根郡 不在神祇官社「大井社(おほい)のやしろ」とされています 社頭には 大井の地名となった清らかに澄んだ湧水「大井の池」〈神々が朝の炊事に用いられたとされる伝説の神池〉があります
大井神社(松江市大井町)
阿羅波比社 (あらわひ) (arawahi no) yashiro
・阿羅波比神社
阿羅波比神社(あらわいじんじゃ)は 少名彦命の神光が 海を照らして寄り来たと云う古事から 江戸期には「照床明神」と称しました 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「阿羅波比社(あらわひ)のやしろ」とされます
阿羅波比神社(松江市外中原町)
・照床神社
照床神社(てるとこじんじゃ)神社は 古くは「寺床神社」と云い 江戸時代には「照床明神」と呼ばれ 明治から現社名となりました 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「阿羅波比社(あらわひ)のやしろ」の論社です
照床神社(松江市黒田町)
三保社 (みほ) (miho no) yashiro
・三保神社
三保神社(みほじんじゃ)は 事代主命(ことしろぬしのみこと)三穂津姫命(みほつひめのみこと)の二柱の神を 大社造りの二つの本殿が並立する構造様式を持つ「美保造(みほづくり)」の御本殿で祀ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「三保社(みほ)のやしろ」とされます
三保神社(美保関町福浦)
・諏訪神社(雲津)〈参考〉
諏訪神社(すわじんじゃ)は 島根半島の雲津浦に鎮座し 美保関の美保神社 福浦の三保神社と同じ 大社造りの二つの本殿を並べる「美保造(みほづくり)」の本殿です かつては向かって右手を諏訪神社 左手を三保神社として祀られていたと伝わります
諏訪神社(美保関町雲津)
多久社 (たく) (taku no) yashiro
・多久神社
多久神社(たくじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「多久社(たく)のやしろ」とされていた宮廻 鎮座「多久上下明神」が 明治4年(1871)現社地に遷座したものです もともと現社地に鎮座していた「熊崎神社」を改めて合祀して 社名を「多久神社」としました
多久神社(松江市鹿島町南講武)& 一夜神社(松江市鹿島町名分)
蜛蝫社 (たこ) (tako no) yashiro
・蜛蝫神社
蜛蝫神社(たこじんじゃ)は 『出雲國風土記』に「杵築の御崎(kizuki no misaki)」にいた「蜛蝫(tako)」が「天羽々鷲(羽の広く大きな鷲)」に捕らえられて運ばれてきた島「蜛蝫島(tako shima)」にあったとの伝承を持ちます
蜛蝫神社(八束町江島)
同蜛蝫社 (おなじきたこ) (onajiki tako no) yashiro
・若宮社〈蜛蝫神社の境内社〉
蜛蝫神社(たこじんじゃ)は 『出雲國風土記』に「杵築の御崎(kizuki no misaki)」にいた「蜛蝫(tako)」が「天羽々鷲(羽の広く大きな鷲)」に捕らえられて運ばれてきた島「蜛蝫島(tako shima)」にあったとの伝承を持ちます
蜛蝫神社(八束町江島)
・地神神社
地神神社(ちじんじんじゃ)は 中海に浮かぶ蜛蝫島(たこしま)〈現 大根島〉に鎮座します 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「同蜛蝫社(おなじきたこ)のやしろ」の論社です
地神神社(松江市八束町二子)〈大根島〉
・三所神社
三所神社(さんしょじんじゃ)は 中海に浮かぶ蜛蝫島(たこしま)〈現 大根島(だいこんしま)〉の入江地区に鎮座します 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「同蜛蝫社(おなじきたこ)のやしろ」の論社となっています
三所神社(松江市八束町入江)〈大根島〉
・三社神社
三社神社(さんしゃじんじゃ)は 中海に浮かぶ蜛蝫島(たこしま)〈現 大根島(だいこんしま)〉遅江に鎮座します 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「同蜛蝫社(おなじきたこ)のやしろ」の論社でもあります
三社神社(松江市八束町遅江)〈大根島〉
質留比社 (しつるひ) (shitsuruhi no) yashiro
・質留比神社
質留比神社(しちるいじんじゃ)は 隠岐の島へ渡るフェリーの発着場の近く 七類湾の南岸に鎮座します 江戸時代には七類湾の北岸に「美保大明神」南岸に「国吉大明神」と二つの神社が鎮座していました 現在の「質留比神社」は明治期に 北岸の「美保大明神」を 南岸の「国吉大明神」に合祀して改称したとされます
質留比神社(美保関町七類)
方結社 (かたえ) (katae no) yashiro
・方結神社
方結神社(かたえじんじゃ)は 須佐能袁命(susanowo no mikoto)の御子「国忍別命(kunino oshiwake no mikoto)」を祀ります 片江浦(katae ura)この地を愛した開拓神は 今でも里人に奉じられます
方結神社(松江市 美保関町)
・木野山神社・宇塚神社〈方結神社の御鎮座古跡地〉
方結神社(かたえじんじゃ)は 須佐能袁命(susanowo no mikoto)の御子「国忍別命(kunino oshiwake no mikoto)」を祀ります 片江浦(katae ura)この地を愛した開拓神は 今でも里人に奉じられます
方結神社(松江市 美保関町)
玉結社 (たまえ) (tamae no) yashiro
・玉結神社
玉結神社(たまえじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「玉結社(たまえ)のやしろ」とされ 鎮座地の「玉緒〈結〉濱(たまえはま)」は「碁石や砥石がある」と記されています 江戸時代には「田前明神(たまえ みょうじん)」と呼ばれていました
玉結神社(美保関町片江)
川原社 (かはら) (kahara no) yashiro
・川原神社
川原神社(かわはらじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「川原社(かはら)のやしろ」とされます 江戸期には 二社大明神とも呼ばれ 伊弉諾命・伊弉冉命の夫婦神を祀ることから「お祓い」「禊」「安産」のご神徳があるとされます
川原神社(松江市川原町)
虫野社 (むしぬ) (mushinu no) yashiro
・虫野神社
虫野神社(むしのじんじゃ)は 鎮座地(現 福原町)に田を荒らす悪虫が住みつき 大穴貴命が害虫を滅ぼしたので 虫原と言ったとの説・『古事記』にある「須佐之男大神が 大穴貴命に命じた 大神の頭の虱(しらみ)を取らせた所」との説があり 『出雲國風土記733 AD.』島根郡 不在神祇官社「虫野社(むしぬ)のやしろ」とされます
虫野神社(松江市福原町)
持田社 (もちた) (mochita no) yashiro
・持田神社
持田神社(もちだじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「持田社(もちた)のやしろ」とされます 別名「丸山神社」として親しまれ 頭痛平癒の御神徳 顕著なる神様として厚い崇敬を集めています
持田神社(松江市西持田町)
加佐奈子社 (かさなし) (kasanashi no) yashiro
・加佐奈子神社
加佐奈子神社(かさなしじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「加佐奈子社(かさなし)のやしろ」とされます 境内本殿裏には県指定の笠無古墳(かさなし こふん)があり 「瘡(かさ)」無しに通じるので瘡病を治すとの信仰があります
加佐奈子神社(松江市東持田町)
比加夜社 (ひかや) (hikaya no) yashiro
・比加夜神社
比加夜神社(ひかやじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「比加夜社(ひかや)のやしろ」とされます 古は 八岐大蛇神を祀っていたと思われ 今でも 4月18日に俗に「おろっつぁん祭り」があり 悪疫退散の守護神として崇敬されています
比加夜神社(松江市坂本町)
須義社 (すぎ) (sugi no) yashiro
・須義神社
須義神社(すぎじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「須義社(すぎ)のやしろ」とされ 鎮座地の須義濱(すぎはま)も記されています 江戸時代には「神畑明神」と呼ばれ 古老の伝えには「昔 神畑明神は〈須義浜にある〉木嶋へ上がり給う」とあります
須義神社(松江市美保関町菅浦)〈出雲國風土記 不在神祇官社「須義(すぎ)社」〉
伊奈須美社 (いなすみ) (inasumi no) yashiro
・伊奈頭美神社
伊奈頭美神社(いなずみじんじゃ)は 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀る古社で『出雲國風土記733 AD.』に稲上浜(いなあげはま)にある稲積島(いなづみしま)と記される地に鎮座します 昔は島であったが 今は陸に続いています 島根郡 不在神祇官社「伊奈須美社(いなすみ)のやしろ」に比定されます
伊奈頭美神社(松江市美保関町北浦)
伊奈阿氣社 (いなあけ) (inaake no) yashiro
・伊奈阿気神社
伊奈阿気神社(いなあけじんじゃ)は 元は 北浦の東側 円錐形をした麻仁曽山(まにそやま)172m山頂に鎮座したと伝わります〈古には「大島」 隠岐 知夫島の渡津から出雲 千酌を目指す船の目印となった島〉『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「伊奈阿氣社(いなあけ)のやしろ」です
伊奈阿氣神社(松江市美保関町北浦)
御津社 (みつ) (mitsu no) yashiro
・御津神社
御津神社(みつじんじゃ)は もとは本宮明神と称され『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「御津社(みつ)のやしろ」とされます 一説に 今は合祀されている 御津湾に浮かぶ小島に鎮座した「男島〈小島〉大明神」をそれとする説もあります
御津神社(松江市鹿島町御津)
比津社 (ひつ) (hitsu no) yashiro
・比津神社
比津神社(ひつじんじゃ)は 社伝に「往昔 鎮座地は宍道湖の入湾にして 古丘左右より突出した津頭の一小丘陵であり 中古には突貫(とっかん)大明神 又 都支努(つさぬき)神社と称された」とあり 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「比津社(ひつ)のやしろ」とされます
比津神社(松江市比津町)
玖夜社 (くや) (kuya no) yashiro
・玖夜神社 (鞍掛社)
玖夜神社〈鞍掛社〉(くやじんじゃ)は 境内地の中に「鞍掛の松」という古い松の大木があり御神木として有名でしたので「鞍掛社」とも呼ばれます 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「玖夜社(くや)のやしろ」です
玖夜神社〈鞍掛社〉(松江市国屋町)
同玖夜社 (おなじきくや) (onajiki kuya no) yashiro
・玖夜神社 (切明社)
玖夜神社〈切明社〉(くやじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「同玖夜社(おなじきくや)のやしろ」で 御子神 国忍別命を祀る〈切明社〉と呼ばれます 又 同じ境内にある「玖夜社(くや)のやしろ」は 父神 素戔嗚尊を祀る〈鞍掛社〉と呼ばれています
玖夜神社〈切明社〉(松江市国屋町)
田原社 (たはら) (tahara no) yashiro
・田原神社〈旧鎮座地は法吉町春日村田原〉
田原神社(たわらじんじゃ)は 御本殿が東殿と西殿の両殿あり 東殿は『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「田原社(たはら)のやしろ」が田原谷から遷座したとされ 西殿は もと亀田山〈松江城〉に鎮座の三所荒神がお祀りされています
田原神社(松江市奥谷町)
・ 〈須賀神社に合祀〉本宮神社(元田原丘上鎮座)
須賀神社(すがじんじゃ)は 合殿に祀られる〈合祀〉本宮神社(元 田原谷鎮座)〈旧称 田原神社(春日神社)〉が『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「田原社(たはら)のやしろ」の論社とされています 当地を春日と呼ぶのはすなわち この神 坐(ましま)す故と伝わります
須賀神社(松江市春日町)
生馬社 (いくま) (ikuma no) yashiro
・生馬神社 〈大岩大明神〉(松江市西生馬町)
生馬神社(いくまじんじゃ)は 道返大神(ちがえしのおおかみ)を祀り 御本殿の下に大岩が坐し大岩大明神(おおいわだいみょうじん)とも唱えられます 『出雲國風土記733 AD.』島根郡 不在神祇官社「生馬社(いくま)のやしろ」とされます
生馬神社(松江市西生馬町)
布奈保社 (ふなほ) (funaho no) yashiro
・布奈保神社
布奈保神社(ふなほじんじゃ)は 『雲陽志』に「伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神が 蛭児尊を生みたまう この神 生れて三年追 脚たたざる故に 天鳥舩に載せて流したまう 天の御船の留り坐す故「船尾(ふなお)明神」と称す」と伝わり 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「布奈保社(ふなほ)のやしろ」とされます
布奈保神社(松江市浜佐田町)
加茂志社 (かもし) (kamoshi no) yashiro
・加茂志神社
加茂志神社(かもしじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「加茂志社(かもし)のやしろ」とされます 元の社地は 海老山に鎮座しましたが 海老山城を築くにあたり この地に遷したと伝わっています
加茂志神社(松江市上佐陀町)
・神魂神社〈雲陽誌に所載〉
一夜社 (ひとよ or いちや) (Hitoyo no) yashiro
・一夜神社(松江市鹿島町名分)
一夜神社(ひとよじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』「島根郡 不在神祇官社 一夜社(ひとよ)のやしろ」とされます 明治期に多久神社(鹿島町南講武)に合祀されますが 現在は旧社地に戻り 鎮座されています
一夜神社(松江市鹿島町名分)
・〈多久神社に合祀〉一夜社 ⇒ 旧社地に再建
多久神社(たくじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「多久社(たく)のやしろ」とされていた宮廻 鎮座「多久上下明神」が 明治4年(1871)現社地に遷座したものです もともと現社地に鎮座していた「熊崎神社」を改めて合祀して 社名を「多久神社」としました
多久神社(松江市鹿島町南講武)& 一夜神社(松江市鹿島町名分)
小井社 (をゐ) (woi no) yashiro
・〈大井神社の相殿に合祀〉小井社
大井神社(おおいじんじゃ)は 大井乃神(oi no kami)と水罔象女神(mitsuha no me no kami)を祀ります 式内社の論社として里人に守られるお社です
大井神社(松江市鹿島町)
加津麻社 (かつま) (katsuma no) yashiro
・加都麻神社跡〈小勝間山跡〉〈大井神社に合祀されたと云われる勝間社の旧鎮座地〉
加都麻神社跡(かつまじんじゃあと)は かつて小勝間山に鎮座していた勝間神社の跡地で『出雲國風土記733 AD.』島根郡 加津麻社(かつま)のやしろ の旧鎮座地とされます 現在は 小勝間山も山ごと取り壊されていて 今は田の中に「名勝 小勝間山跡」の標柱があるのみです
加都麻神社跡〈小勝間山跡〉(松江市鹿島町名分)
・〈大井神社に合祀〉勝間社
大井神社(おおいじんじゃ)は 大井乃神(oi no kami)と水罔象女神(mitsuha no me no kami)を祀ります 式内社の論社として里人に守られるお社です
大井神社(松江市鹿島町)
・〈佐太神社本殿に合祀とも末社に合祀とも〉勝間社
佐太神社(さたじんじゃ)は 国引き神話に記される「狭田(sada)の国」の「佐太御子大神」が坐ます 本殿には 謎多き「秘説神」を擁しています 又 神在月に 全国各地から集われた神々が お泊りに訪れるといわれ 別名を「神在社(kamiari no yashiro)」と称される格式の高い社です
佐太神社(松江市)【前編】
須衛都久社 (すえつぐ) (suetsugu no) yashiro
・須衛都久神社
須衛都久神社(すえつぐじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「須衛都久社(すえつぐ)のやしろ」とされています 初めは 松江城山亀田山に鎮座しましたが 堀尾吉春公が城を築くため 元権現町に移し その後 今の所へ遷座されました
須衛都久神社(松江市西茶町)
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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています
『出雲國風土記(Izumo no kuni Fudoki)に所載の神名帳』399社