島御子神社(しまみこじんじゃ)は 『延喜式神名帳〈927年〉』所載の「對馬嶋 上縣郡 嶋大國魂神御子神社」の論社ともなっています 六国史の記録としては『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条に「嶋御子神(シマミコノカミ)従5位上」と 對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに記されていて 対馬でも有数の由緒を持つ古社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
島御子神社(Shimamiko Shrine)
(しまみこじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
長崎県対馬市豊玉町曽114
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大国主神(Okuninushi no kami)
八上姫命(Yakamihime no kami)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
・不詳
六国史に 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条に「嶋御子神(シマミコノカミ)従5位上」と記されています
それ以前には 存在していたことになります
【由 緒 (History)】
・不詳
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・不詳
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 嶋大國魂神御子神社
[ふ り が な ](しまおほくにたまのかみの みこの かみの やしろ)
[Old Shrine name](Shimaohokunitamanokami no Miko no kami no yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
式内社「對馬嶋 上縣郡 嶋大國魂神御子神社」の論社は3つです
①嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)
嶋大國魂御子神社(しまおおくにたまみこじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される「對馬嶋 上縣郡 嶋大國魂神御子神社」の有力な論社とされています 参道には 天然記念物であるムクロジと大杉の立派な御神木があります
嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)
②島御子神社(対馬 曽)
島御子神社(しまみこじんじゃ)は 『延喜式神名帳〈927年〉』所載の「對馬嶋 上縣郡 嶋大國魂神御子神社」の論社ともなっています 六国史の記録としては『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条に「嶋御子神(シマミコノカミ)従5位上」と 對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに記されていて 対馬でも有数の由緒を持つ古社です
島御子神社(対馬 曽)
③国本神社(対馬 瀬田)
国本神社(くにもとじんじゃ)は まさしく神社名に相応しい 対馬の国本の神を祀る古社です 六国史『日本三代実録』貞観12年(870)3月5日 丁巳の条には「国本神(クニモトノカミ)」として記されています 御祭神は『古事記』によれば 日本創成を語る「国生みの段」に 6番目に津島〈対馬〉が生まれていて その別名を「天之狭手依比売(アメノサデヨリヒメ)」であると記されています この神が対馬国の大本であるとわかります
國本神社(対馬 瀬田)
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
対馬空港から R382号経由 北上 約24km 車30分程度
万関瀬戸(運河)〈明治33年(1900)当時の帝国海軍が軍事上の必要から開削して浅茅湾から東の日本海への航路とした〉があり ここに万関橋が掛かります ちょうど この位置が 対馬島の上島と下島の境にあたり これから対馬島の上島(北部)に入ります
対馬の上島の東海岸を北上する県道39号を右折して 豊玉町曽に向かいます
しばらくして 曽郵便局を見て左折します
そこから500m程で
島御子神社(Shimamiko Shrine)に参着
しかし 道路と神社の間には川が流れていて 渡れません
200m程戻ると 橋が架かり 川の向こう岸に渡り 田の畔を再度 進みます
石の欄干がある神橋があり 一の鳥居が建ちます 注連縄がかかり そこから先は鬱蒼とした鎮守の杜となっています
二の鳥居の手前には 狛犬が座し 御神域は 石垣の漆喰壁に瓦屋根が載せられている立派な塀〈玉垣〉が廻されています
すぐ左に 石碑が立てられていて 延喜式内社を謳っています
文中の「厓斉」とは何だろうか? 崖を整えたことの意でしょうか
貞観式 延喜式社 村社 島大國魂神御子神社
對馬仁位村 大字 曽
維持成立 厓斉 大正十一年二月二十日
塀の手前には「曽の力石」が置かれています
石には「雨乞紀念」とあって 説明板には「「力」を奉納して雨をもとめたのか」とあり 純真な人々の営みを窺う事ができます
塀の隅が拝殿に半分かかるのを見ても判りますが 参道は拝殿と直線にはなっていません 神の通る正中を 参拝者が歩かないように配慮がされているようです 古社では見かける配慮です
境内の下草は綺麗に刈られています
拝殿にすすみます
賽銭箱が見あたらないので 拝殿の扉を開くと 内部には 畳が引かれていて 拝所が設けられていました
立派な奉納物が掲げられています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿に繋がりながら奥の斜面の高い位置に本殿が建ちます
境内から参道を戻ります 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承
對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています
意訳
貞観12年(870)3月5日 丁巳の条
詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに
對馬嶋(ツシマノシマ)の
正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』の神階の昇叙が記されるのみです
おそらくは 島大國魂神御子神社についての 詳細が 不明であったのであろうと思われます
意訳
島大國魂神御子神社
貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・・並びに 従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承
本居宣長の随筆『玉勝間』に順じて 佐須奈村に鎮座する「現 嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)」を これとするとしています
しかし 祭神については 不詳としていて 特定できていないようです
意訳
島大國魂神御子神社
島大國魂神御子は前に同じ
〈島大國魂は 志麻乃於保久邇多麻(シマノオホクニタマ)と訓ずべし〉〇祭神名詳(ツマビラカ)ならず
考証 事代主命(コトシロヌシノミコト)という 今従わず〇佐護郷 佐須奈村に在り 〈玉勝間〉
神位 三代実録 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・・並びに 従5位上---
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』と同様に 佐須奈村に鎮座する「現 嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)」を これとするとしています
やはり 祭神については 特定できていません
意訳
島大國魂神御子神社
祭神
今 按〈考えるに〉
式内社記もと 大己貴命(オオナムチノミコト)一座なれど
国史を考えるに 狭手依比賣神(サデヨリヒメノカミ)なるべし
依って これを加祭るとあるのは 島大國魂と云うに 就(ツ)けての説ながら その島大國魂ノ御子神なれば 必ずしも狭手依比賣(サデヨリヒメ)とも定めがたく 又 大己貴命(オオナムチノミコト)にもあるべからず
神位 清和天皇 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・・並びに 従5位上
祭日 11月1日
社格 村社所在 佐須奈村 字 地主山
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『式内社調査報告』昭和51年(1976)に記される内容
当社「島御子神社(対馬 曽)」を論社とする説が記されます
意訳
(現在の島大国魂御子神社)を式内社 島大國魂御子神社と考定してから、多くの論者が この説を容れ、いつしかこれが定着したやうになっている。
これに対して 曾の島御子神社は、中世の文書にも「しまのみこ」とあり、藩政時代を通じて「島之尊大明神」と呼ばれている。これは古い神名を伝へたものと見られ、そこで當社を「島御子神」とすることは何人も異存はない。しかし 式内の島大國魂御子神社とすることには積極的でない人が多い。
これは 貞観12年3月の授位の記事に、「嶋御子神」とあるところから、それに當社を當てるからである。
ところが 延喜式には嶋御子神社といふのはない。そこで、これは式外古社といふことになり、嶋大國魂御子神とは別神と見るのである。そこで三代実録の神位奉授の記事を検証すると、貞観12年(870)3月5日丁已、多久頭神、和多都美神等と共に、嶋大國魂神、嶋御子神が載っているが、嶋大國魂御子神といふのはない。
続日本後記の承和4年(837)が、対馬の神々に授位された初見であるが、それ以来の授位の記事を調べても、嶋大國魂御子神なるものは載っていない。さうなると神位を授かつたのは嶋御子神であつて、嶋大國魂御子神ではないのである。
それなのに延喜式には、嶋大國魂御子神社が載つて、嶋御子神社はないのだから不思議である。
そこで『対馬島誌』の編者が、「島御子は、農大國魂御子の前名、若くは異名と推定し得べき理由あり、」と述べているように、これは同一神と見るべきである。さうなれば、嶋大國魂御子神社といふ式内社は、曾に祭られている島御子神社を措いてほかにない。
「曽の力石」 所在地 豊玉町曽 所有者 嶋之御子神社
Chikara-ishi,
the stones from ancient festivals representing male strength and poewr
豊玉町指定民俗文化財(有形) 平成15年(2003)3月3日指定
対馬市指定文化財(有形民俗) 平成17年(2005)5月1日指定
曽の力石
「力石」とは、労働を人力に頼らざるを得なかった時代に、労働者間に発生したもので、力比べや体力を養うのを目的にした石をいいます。
昭和初期まで全国でみられた力石も、現在はその役割を終え、なくなりつつあります。(これまで対馬では正確に確認されていませんでした)。ここ嶋之御子神社にある6個は、力石としての大きさ、形を持ち、そのうち3個には切付もあることから、力石として使用されていたようです。おそらく、切付のある3個は奉納用として、他の3個はその以前から使われたものでしょう。「雨乞紀念」の切付からは、「力」を奉納して雨をもとめたのか・・・郷土対馬の民俗文化財として貴重なものです。
対馬 豊玉町教育委員会
島御子神社(Shimamiko Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る
對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています
對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について