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摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)

攝津國(せっつのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)の神社のことです

攝津國(せっつのくに)について

攝津國(Settsunokuni)は  令制国の一つ畿内に属する
現在の大阪府北中部の大半兵庫県南東部

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古墳時代
第15代 応神天皇は 行宮 難波大隅宮 (なにわのおおすみのみや) を定め
第16代 仁徳天皇は 難波に都を定め 難波高津宮 (なにわのたかつのみや)
第29代 欽明天皇は 難波祝津宮 (なにわのはふりつのみや)
当時 国内流通の中心であった港湾都市〈・住吉津難波津が開港

第33代 推古天皇の摂政 聖徳太子は 593年難波の荒陵(あらはか)に四天王寺を造立

第36代 孝徳天皇は 645年に再び難波に遷都 大化の改新はこの地で行なわれた この時以来 国号としての日本 及び 元号の使用が始まった

第36代 孝徳天皇 前期 難波宮難波長柄豊崎宮が完成652年
その後 都は飛鳥に戻る

壬申の乱の後
第40代 天武天皇は 前期 難波宮を副都とする〈畿内の外港を抱える要地
国司を置かずに 津国を摂(管掌)する機関摂津職(せっつしき)を置
摂津職は 京官で 大夫・亮・進・属の四等官で構成された

前期 難波宮は 天武期に焼失した

第45代 聖武天皇
神亀3年(726)後期 難波宮の造営に着手 平城京の副都とする
天平16年(744)恭仁京から 後期 難波宮への遷都が実施
遷都の翌年再び平城京に遷った 後期 難波宮は副都として維持

第50代 桓武天皇は 長岡京遷都に伴って 後期 難波宮解体 副都は喪失
延暦12年(793) 摂津職を廃し 新たに攝津國(せっつのくに)を置

平安期末には
平清盛 大輪田泊(おおわだのとまり)〈神戸港〉を経営 福原に遷都した
鎌倉時代は北条氏 室町時代は細川氏が守護とな
室町時代末期は 交通の要地となり 石山本願寺の門前町として大坂が興

豊臣秀吉 大坂城を築いて 商業の中心地として繁栄した
江戸時代は 大坂城代がおかれ 天領が多く その他,尼崎,高槻,三田,麻田の4藩がおかれた

明治4年(1871) 廃藩置県により4藩はそれぞれ県とな
さらに
麻田県・高槻県の2県は大阪府
尼崎県・三田県の2県は兵庫県となった

摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)

大社26座16社・小社49座46社
 計75座62社
大社16社のうち 名神大社18座9社

※座は神の柱数 社は神社数

郡として
住吉,東生(ひがしなり)(後に東成),西成,島上,島下,豊島(てしま),川辺,武庫(むこ),兎原(うはら),八部(やたべ),有馬,能勢の12
能勢郡は 和銅6年(713) 川辺郡から分立した郡
八部郡は 8世紀には雄伴(おとも)郡呼ばれた

百済郡は 平安時代頃に東成郡および住吉郡に編入され消滅

住吉郡(すみよしの こおり) 22座(大10座・小12座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

住吉坐神社四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(すみよしのます かみのやしろ しくら)(すみのえにます かみのやしろ しくら)

・住吉大社(大阪市住吉区)摂津国一之宮

一緒に読む
住吉大社(大阪市住吉区住吉)〈摂津國一之宮〉

住吉大社(すみよしたいしゃ)は 『日本書紀』に神功皇后が三韓征伐の帰路 住吉三神の神託を得て 住吉大神の和魂(にきみたま)を鎮めて祀ったのが創建と記される 全国に2000社余ある住吉神社の総本社で 摂津國一之宮です 延喜式内社 住吉坐神社四座(並 名神大月次相嘗新嘗)(すみのえにます かみのやしろ しくら)です

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大依羅神社四座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(おほよさみの かみのやしろ しくら)

・大依羅神社(大阪市住吉区庭井)

一緒に読む
大依羅神社(大阪市住吉区庭井)

大依羅神社(おおよさみじんじゃ)は 神功皇后が新羅征討の際 住吉三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉の神託により戦勝と航海の無事を祈り「依羅吾彦男垂見(よさみのあびこをたるみ)」が住吉三神を祭る祭主を務めたことが『日本書紀』に記載されるのが起源とされている 式内社 大依羅神社 四座(おほよさみの かみのやしろ しくら)(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)に比定される古社です

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草津大歳神社(鍬靫)(くさつおほとしの かみのやしろ)

〈旧鎮座地〉式内 草津大歳神社趾(大阪市住吉区苅田)

一緒に読む
式内 草津大歳神社趾(大阪市住吉区苅田)

式内 草津大歳神社趾(しきない くさつおおとしじんじゃあと)は 明治40年(1907)大依羅神社に合祀された 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載  摂津国 住吉郡 草津大歳神社(鍬靫)(くさつをほとしの かみのやしろ)の旧鎮座地です 創建・由緒など不明ですが 跡地に残る大楠が御神木であったことを彷彿させます

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〈合祀先〉大依羅神社(大阪市住吉区庭井)

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大依羅神社(大阪市住吉区庭井)

大依羅神社(おおよさみじんじゃ)は 神功皇后が新羅征討の際 住吉三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉の神託により戦勝と航海の無事を祈り「依羅吾彦男垂見(よさみのあびこをたるみ)」が住吉三神を祭る祭主を務めたことが『日本書紀』に記載されるのが起源とされている 式内社 大依羅神社 四座(おほよさみの かみのやしろ しくら)(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)に比定される古社です

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・大歳神社〈住吉大社 境外摂社〉(大阪市住吉区住吉)

一緒に読む
大歳神社〈住吉大社 境外摂社〉(大阪市住吉区住吉)

大歳神社(おおとしじんしゃ)は 住吉大社の「はったつさん」と呼ばれる゛初辰まいり゛〈商売や家庭の発達繁栄を祈るお参り〉の四社の締めくくりに参拝する習わしのある境外摂社です 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 摂津国 住吉郡 草津大歳神社(鍬靫)(くさつをほとしの かみのやしろ)の論社ともされています

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中臣須牟地神社(大 月次 新嘗)(なかとみすむちの かみのやしろ)

・中臣須牟地神社(大阪市東住吉区矢田)

神須牟地神社(鍬靫)(かむすむちの かみのやしろ)

・神須牟地神社(大阪市住吉区長居西) 

一緒に読む
神須牟地神社(大阪市住吉区長居西)

神須牟地神社(かみすむちじんじゃ)は 式内社 摂津国 住吉郡 神須牟地神社(鍬靫)(かむすむちの かみのやしろ)とされます 慶長年間〈1596~1615〉兵火に罹り 元和四年(1618)八月二十一日再建されました その後 衰頽し廃絶に瀕していたが 元文元年(1736)九月 徳川幕府の命により神須牟地社と多米社の鎮座地に社号を刻した石碑が建てられ 復興して現在に至ります

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楯原神社(たてはらの かみのやしろ)

・式内楯原神社(大阪市平野区喜連)

須牟地曽祢神社(すむちそねの かみのやしろ)

〈合祀先〉金岡神社(堺市北区金岡町)

・須牟地曽根神社(堺市北区蔵前町)

・湯里住吉神社(大阪市東住吉区湯里)

・露天神社(大阪市北区曾根崎)

止杼侶支比賣命神社(ととろきひめのみことの かみのやしろ)

・止止呂支比賣命神社(大阪市住吉区沢ノ町)

赤留比賣命神社(あかるひめのみことの かみのやしろ)

・赤留比賣命神社(大阪市平野区平野東)

天水分豊浦命神社(あめのみこまりとようらのみことの かみのやしろ)

・霰松原荒神社(大阪市住吉区沢之町)〈止止呂支比賣命神社 境内〉

・霰松原神社(大阪市住之江区安立)〈天水分豊浦命神社 旧鎮座地〉

努能太比賣命神社(ぬのたひめのみことの かみのやしろ)

〈旧鎮座地〉式内 努能太比賣命神社 社跡(大阪市住吉区杉本)

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式内社 努能太比賣命神社 社跡(大阪市住吉区杉本)

式内社 努能太比賣命神社 社跡(しきないしゃ ぬのたひめのみことじんじゃ やしろあと)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載 摂津国 住吉郡 努能太比賣命神社(ぬのたひめのみことの かみのやしろ)の社跡とされます 明治40年(1907)大依羅神社に合祀されました

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〈合祀先〉大依羅神社(大阪市住吉区庭井)

一緒に読む
大依羅神社(大阪市住吉区庭井)

大依羅神社(おおよさみじんじゃ)は 神功皇后が新羅征討の際 住吉三神〈底筒男命・中筒男命・表筒男命〉の神託により戦勝と航海の無事を祈り「依羅吾彦男垂見(よさみのあびこをたるみ)」が住吉三神を祭る祭主を務めたことが『日本書紀』に記載されるのが起源とされている 式内社 大依羅神社 四座(おほよさみの かみのやしろ しくら)(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)に比定される古社です

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大海神社二座(元名 津守安人神)(たいかいの かみのやしろ ふたくら)

・大海神社〈住吉大社境内 摂社〉(大阪市住吉区)

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大海神社&志賀神社〈住吉大社 境内摂社〉(大阪市住吉区)

大海神社(たいかいじんじゃ)&志賀神社(しがじんじゃ)は 住吉大社の境内摂社です 大海神社は かつては別宮で『延喜式神名帳927 AD.』所載の式内社 摂津国 住吉郡 大海神社二座(元名 津守安人神)(たいかいの かみのやしろ ふたくら)とされます 社前の井戸は「玉の井」と呼ばれ 山幸彦が海神より授かった潮満玉を沈めたところと伝えられます 志賀神社は大海神社の境内摂社であったと伝わります

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多米神社(貞)(ための かみのやしろ)

〈旧鎮座地〉多米神社之址(大阪市住吉区長居) 

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延喜式内 多米神社之址(大阪市住吉区長居)

多米神社之址(ためじんじゃ のあと)は 延喜式内社 摂津国 住吉郡 多米神社(貞)(ための かみのやしろ)の旧鎮座地の跡です 多米連(ためのむらじ)〈朝廷に供する米作りに関わり 成務天皇の御代「大炊寮御飯を作りて香美なりし」と賞されて多米連の姓を賜わった〉が 創建した神社とされます 多米連の氏人は 住吉大社の神饌に深く関わっていたと伝わります

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〈遷座先〉種貸社〈住吉大社境内 末社〉(大阪市住吉区) 

一緒に読む
種貸社〈住吉大社 境内末社〉(大阪市住吉区)

種貸社(たねかししゃ)は 「はったつさん」と呼ばれる゛初辰まいり゛の一社です 元々は多禰加志宮(たねかしのみや)と呼ばれて 住吉大社から東へ2キロ離れた場所にありましたが 16世紀に火災に遭い 現在地に移されたと伝わります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載 摂津国 住吉郡 多米神社(貞)(ための かみのやしろ)の論社です

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〈合祀先〉神須牟地神社(大阪市住吉区長居西) 

一緒に読む
神須牟地神社(大阪市住吉区長居西)

神須牟地神社(かみすむちじんじゃ)は 式内社 摂津国 住吉郡 神須牟地神社(鍬靫)(かむすむちの かみのやしろ)とされます 慶長年間〈1596~1615〉兵火に罹り 元和四年(1618)八月二十一日再建されました その後 衰頽し廃絶に瀕していたが 元文元年(1736)九月 徳川幕府の命により神須牟地社と多米社の鎮座地に社号を刻した石碑が建てられ 復興して現在に至ります

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舩玉神社(ふなたまの かみのやしろ)

・船玉神社〈住吉大社境内 摂社〉(大阪市住吉区)

一緒に読む
船玉神社〈住吉大社境内摂社〉(大阪市住吉区)

船玉神社(ふなたまじんじゃ)は 神功皇后が三韓征伐の時 船に祀った守護神とされ 由緒には「船玉(船魂)とは 船舶そのものの神霊で 住吉大神とは表裏一体の関係として尊崇され 時には住吉大神の荒魂とされる」とあり 住吉大社の境内摂社ですが 元々は第四本宮〈神功皇后〉の前 海に向かって 4つの本宮の先頭に鎮座していたと伝わっています

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生根神社(大月次新嘗)(いくねの かみのやしろ)

・生根神社(大阪市住吉区)

一緒に読む
生根神社(大阪市住吉区住吉)

生根神社(いくねじんじゃ)は 創建年代は不詳ですが 社伝では「住吉大社が当地に御鎮座の以前より奉祀せられて居り 古伝によれば少彦名命は造酒の祖神であり 神功皇后も当社で酒を造り住吉三神に献ぜられた」とあり 『延喜式神名帳927 AD.』所載 摂津國 住吉郡 生根神社(大月次新嘗)(いくねの かみのやしろ)とされています

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東生郡(ひかしなりの こおり) 4座(大3座・小1座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

難破坐生國咲國魂神社二座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(なにはにいます いくくにさき くたまの かみのやしろ )

・生國魂神社(大阪市天王寺区生玉町)

比賣許曽神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(ひめこその かみのやしろ)

・比賣許曾神社(大阪市東成区東小橋)

・産湯稲荷神社(天王寺区小橋町)〈比賣許曾神社 旧鎮座地〉

・比売古曽神社(大阪市中央区高津)〈高津宮 境内〉

阿遅速雄神社(あちはやをの かみのやしろ)

・阿遅速雄神社(大阪市鶴見区放出東)

西成郡(にしなりの こおり) 1座(大)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

坐摩神社(大 月次 新嘗)(いかすりの かみのやしろ)

・坐摩神社(大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号)

一緒に読む
坐摩神社(大阪市中央区久太郎町)〈摂津國一之宮〉

坐摩神社(いかすりじんじゃ)は 摂津国一之宮として格式高く 大阪では最も古い神社の一つです 神功皇后が三韓征伐の帰途 淀川の河口に神託により神社を造営されたと伝わります 旧鎮座地は 天満橋南詰の「坐摩神社行宮」にありましたが 太閤秀吉の大阪城築城にともない遷座して 現在地 大阪商人の町「船場」に鎮座します

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・坐摩神社行宮(御旅所) (坐摩神社 旧鎮座地)

一緒に読む
坐摩神社行宮(御旅所) (坐摩神社 旧鎮座地)

坐摩神社行宮(御旅所)(いかすりじんじゃ あんぐう)(おたびところ)は 摂津国一之宮「坐摩神社」の旧鎮座地です 神功皇后(応神天皇の御生母)が 新羅より御帰還の折 淀川南岸の大江 田蓑島のちの渡辺の地「現 行宮の地」に奉祀されたのが始まりとされています 全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります

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嶋上郡(しまかみの こおり) 3座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

阿久刀神社(あくとの かみのやしろ)

・阿久刀神社(高槻市清福寺町)

野身神社(のみの かみのやしろ)

・野身神社〈上宮天満宮の境内〉(高槻市天神町)

・野見神社(高槻市野見町)

神服神社(かむはとりの かみのやしろ)

・神服神社(高槻市)

一緒に読む
神服神社(高槻市宮之川原元町)

神服神社(かむはとりじんじゃ)は 第19代 允恭天皇(インギョウテンノウ)〈在位412~453年頃〉の時代に服部氏の氏神として創建し「服部神(ハトリノカミ)」と称した古社です この地は服部連(ハトリノムラジ)の本拠地であったとされ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に「神服神社(カムハトリノカミノヤシロ)」と所載されます 

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嶋下郡(しましもの こおり) 17座(大5座・小12座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

新屋坐天照御魂神社三座(並 名神大 月次 新嘗・就中 天照御魂神一座預相嘗祭)(にひやのます あまてるみたまの かみのやしろ)

・新屋坐天照御魂神社(西福井)

一緒に読む
新屋坐天照御魂神社(西福井)

新屋坐天照御魂神社(にいやにます あまてるみたまじんじゃ)は 第10代 崇神天皇〈推定在位 BC97~BC30年〉が 伊香色雄命(いかがしこをのみこと)に命じ 天照御魂大神(あまてるみたまのおほかみ)を奉祀とあり 亦名を 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(アマテル クニテルヒコ アメノホアカリクシダマ ニギハヤヒノミコト)と云い 神武天皇即位前に大和国を治められていた尊い神であるとされます 創建から2100余年の長い歴史と高い社格を誇る延喜式内名神大社です(西福井)(宿久庄)(西河原)に3社の論社があり その中で中心的な存在が 一般に当神社(西福井)です

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・新屋坐天照御魂神社(宿久庄)

一緒に読む
新屋坐天照御魂神社(宿久庄)

新屋坐天照御魂神社は 3社(西福井)(宿久庄)(西河原)があり その中で中心的な地位を占めるのが(西福井)で背後にある「日降丘」に神が降臨したのが創建とされ その後 神功皇后が荒魂を当地(宿久庄)に勧請したと伝えられています

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・新屋坐天照御魂神社(西河原)

一緒に読む
新屋坐天照御魂神社(西河原)

新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)は 3社(・西福井・宿久庄・西河原)があり その中で中心的とされるのが(西福井)です 異説では『倭名類聚抄』にある「新屋郷」は 当地(西河原)の事であり元社とする説 又 享保14年(1729~1734)編纂『五畿内志(ごきないし)』や『摂津名所図会(せっつめいしょずえ)』〈寛政8年(1796)-寛政10年(1798)刊行〉でも 当地(西河原)を 3社の中心地としています

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天石門別神社(あまのいはとはけの かみのやしろ)

・天石門別神社(茨木市元町)

須久久神社二座(鍬靫)(すくくの かみのやしろ)

・須久久神社(茨木市宿久庄)

・春日神社〈須久久神社〉(茨木市清水)

阿為神社(鍬靫)(あヰの かみのやしろ)

・阿為神社(茨木市安威)

・阿為神社御旅所(茨木市耳原)〈阿爲神社が当初 鎮座した地〉

井於神社(鍬靫)(ヰのへの かみのやしろ)

・井於神社(茨木市蔵垣内)

走落神社(鍬靫)(はしりおちの かみのやしろ)

・走湯神社跡(豊能町切畑) 

一緒に読む
走湯神社旧跡地(豊能町切畑)

走湯神社旧跡地(はしりゆじんじゃ あと)は かつて走湯天王と称し『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「走落神社(はしりおちの かみのやしろ)」とされています 明治40年(1907)9月 小玉神社〈現 走落神社〉に合祀され 現在は旧跡地となっています

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・走落神社(豊能町木代) 

一緒に読む
走落神社(豊能町木代)

走落神社(はしりおちじんじゃ)は この場所にあった小玉神社に 明治40年(1907)に東能勢村にあった8つの神社を合併して 計9つの神社が合併した神社です その際に合併神社の中でも由緒のある式内社の「走落神社」と名称を改称しました

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佐和良義神社(さわらぎの かみのやしろ)

・佐和良義神社(茨木市美沢町)

幣久良神社(鍬靫)(みてくらの かみのやしろ)

・幣久良神社(幣久良の森)
阿為神社(茨木市安威)に合祀〉

牟禮神社(むれの かみのやしろ)

・牟禮神社(茨木市中村町)

三嶋鴨神社(みしまかもの かみのやしろ)

・三島鴨神社(高槻市三島江)

・鴨神社(高槻市赤大路町)

伊射奈岐神社二座(並大月次新嘗)(いさなきの かみのやしろ ふたくら)

・伊射奈岐神社〈五社宮〉(吹田市山田東)

・伊射奈岐神社(吹田市佐井寺)

溝咋神社(鍬靫)(みそくひの かみのやしろ)

・溝咋神社〈下宮〉(茨木市五十鈴町)

・溝咋神社上宮跡(茨木市学園町)

太田神社(鍬靫)(おほたの かみのやしろ)

・太田神社(茨木市太田)

豊嶋郡(てしまの こおり) 5座(大2座・小3座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

為那都比古神社二座(いなつひこの かみのやしろ)

・為那都比古神社(箕面市石丸)

・医王岩〈薬師岩〉(箕面市如意谷)
〈為那都比古神社(箕面市石丸)の創建の地〉

・爲那都比古大明神(池田市綾羽)〈伊居太神社の境内〉

・猪名津彦神社(池田市宇保町)
〈爲那都比古大明神〈伊居太神社の境内〉の旧鎮座地〉

細川神社(ほそかはの かみのやしろ)

・細川神社(池田市吉田町山林)

垂水神社(名神大 月次 新嘗)(たるみの かみのやしろ)

・垂水神社(吹田市垂水町)

阿比太神社(大 月次 新嘗)(あひたの かみのやしろ

・阿比太神社(箕面市桜ケ丘)

河邊郡(かはへの こおり) 7座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

伊佐具神社(鍬靫)(いさくの かみのやしろ)

・伊佐具神社(尼崎市上坂部)

高賣布神社(たかひめふの かみのやしろ)

・高賣布神社(三田市酒井)

鴨神社(かもの かみのやしろ)

・鴨神社(川西市加茂)

伊居太神社(いこたの かみのやしろ)

・伊居太神社(池田市綾羽)

・伊居太神社(尼崎市下坂部)

多太神社(たたの かみのやしろ)

・多太神社(川西市平野)

小戸神社(をへの かみのやしろ)

・小戸神社(川西市小戸)

賣布神社(ひめふの かみのやしろ)

・賣布神社(宝塚市売布山手町)

武庫郡(むこの こおり) 4座(大2座・小2座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

廣田神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(ひろたの かみのやしろ)

・廣田神社(西宮市大社町)

名次神社(鍬靫)(なつきの かみのやしろ)

・名次神社(西宮市名次町)

伊和志豆神社(大 月次 新嘗)(いわしつの かみのやしろ)

・伊和志豆神社(西宮市大社町)〈廣田神社の境内〉

・伊和志津神社(宝塚市伊孑志)

岡太神社(をかたの かみのやしろ)

・岡田神社(西宮市岡田山)〈神戸女学院大学の構内〉

・岡太神社(西宮市小松南町)

・和田神社(神戸市兵庫区和田宮通)
〈岡太神社の神輿が流れ着いた和田岬の地〉

莵原郡(うはらの こおり) 3座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

河内國魂神社(寛大延・鍬靫)(かわちくたまの かみのやしろ)

・河内國魂神社(神戸市灘区国玉通)

・綱敷天満神社(神戸市東灘区御影)

大國主西神社(鍬靫)(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)

・西宮神社(西宮市社家町)

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西宮神社(西宮市社家町)〈えべっさん〉

西宮神社(にしのみやじんじゃ)は 全国の゛ゑびす様゛の総本社で 海上守護神 商賣繁盛の神として崇敬されています 平安時代末期には既に高倉上皇の御奉幣をはじめ皇族神祇伯の参拝が著しく社勢は極めて盛大でした 延喜式内社 摂津國 莵原郡 大國主西神社(鍬靫)(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)の論社でもあります

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・大國主西神社〈西宮神社 境内社〉(西宮市社家町)

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大國主西神社(西宮市社家町)〈西宮神社 境内社〉

大國主西神社(おおくにぬしにしじんじゃ)は  『延喜式神名帳927 AD.』所載の大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)との説があり 明治7年11月に県社となります 西宮神社では 元は境内の仏堂であった阿彌陀堂に享保20年(1735)国土経営に尽力した二柱 大己貴命・少彦名命を勧請した神社と伝えていて  戦後は西宮神社の境内社となっています

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・越木岩神社(西宮市甑岩町)

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越木岩神社(西宮市甑岩町)

越木岩神社(こしきいわじんじゃ)は 古代の磐座信仰の霊石として゛甑岩(コシキイワ)゛をご神体として 神社の創始は 600~700年頃と推定される古社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 摂津国 菟原郡 大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)は当社の地主神である大地主大神(おおとこぬしのおほかみ)として末社「土社」にお祀りされていると伝えます

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甑岩〈越木岩神社の御神体〉&末社「土社」大國主西神社〉

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甑岩〈越木岩神社の御神体〉&末社「土社」〈大國主西神社〉

甑岩(こしきいわ)は 越木岩神社の御神体霊岩〈周囲約40m・高さ10m〉〈酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ているので「甑岩」と名づく〉 末社゛土社゛は 大地を司る〈地震の神様〉大地主大神を祀り 推古天皇の時代(599)飛鳥京の東西南北に地震の神を祀った内の西社であろうと推定され 式内社 大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)の論社です

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保久良神社(鍬靫)(ほくらの かみのやしろ)

・保久良神社(神戸市東灘区本山町)

八部郡(やたべの こおり) 3座(大2座・小1座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

生田神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(いくたの かみのやしろ)

・砂子山〈円山〉(神戸市中央区葺合町布引山)〈生田神社創建の地〉
・生田神社(神戸市中央区下山手通)〈砂山の大洪水により 遷座の地〉

長田神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(なかたの かみのやしろ)

・長田神社(神戸市長田区長田町)

汶賣神社(あぬめの かみのやしろ)

・敏馬神社(神戸市灘区岩屋中町)

・七宮神社(神戸市兵庫区七宮町)

有馬郡(ありまの こおり) 3座(大1座・小2座)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

有間神社(貞)(ありまの かみのやしろ)

・有間神社(神戸市北区有野町有野)

公智神社(鍬靫)(くちの かみのやしろ)

・天上公園(西宮市北六甲台)〈公智神社旧鎮座跡〉
・公智神社(西宮市山口町下山口)

湯泉神社(大月次新嘗)(ゆのいつみの かみのやしろ)

・有馬山温泉寺(神戸市北区有馬町)〈湯泉神社 旧鎮座地〉 
・湯泉神社(神戸市北区有馬町)

能勢郡(のせの こおり) 3座(並小)

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

岐尼神社(きにの かみのやしろ)

・岐尼神社(豊能郡能勢町森上)

久佐佐神社(くささの かみのやしろ)

・久佐々神社(豊能郡能勢町宿野)

野間神社(のまの かみのやしろ)

・野間神社(豊能郡能勢町地黄)

畿内に鎮座する 658座『延喜式神名帳』の所載一覧 に戻る

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畿内に鎮座する 658座『延喜式神名帳』の所載一覧

『延喜式神名帳(engishiki jimmyocho)』は 延長5年(927年)に編纂されました
当時の「全国の官社」(祈年祭(毎年2月)に神祇官から幣帛を受ける神社)の一覧表が所載されています

このページは
「畿内」に鎮座する(658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427)神社の一覧表です

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世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

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出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています