千尋嶽神社(せんぴろだけじんじゃ)は かつて はるお(原)集落のモッチョム岳〈千尋嶽〉への岳参り(たけめ)の山口のお札所とされ 一般の人たちは ここより奥へは迎えに入ることは許されませんでした 現在も奥岳に参詣できない場合は この場所から参拝祈願し 奥岳への参詣の代りとしています
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
千尋嶽神社(Senpirodake shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
鹿児島県熊毛郡屋久島町原
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》山の神
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
・無病息災、五穀豊穣、大漁祈願
【格 式 (Rules of dignity) 】
・奥岳〈モッチョム岳、雪岳、太忠岳、花之江河、栗生岳、宮之浦岳〉の遥拝所〈山口のお札所〉
【創 建 (Beginning of history)】【由 緒 (History)】
屋久島岳参り(たけめ)
原(はるお)岳め道 山口お札所 物語屋久島は山岳信仰の歴史を今につなぐ島です。
昔から、神とする山々への感謝や、無病息災、五穀豊穣、大漁祈願など、さまざまな願いを抱えてどの集落でも年に一度、山へのお参りをしていました。その登山道を岳め道といい、山の神の領域と人の領域を区別するところが詰所・守所(お札所)です。この地はその場所にあたります。
当、はるお(原)集落では、岳参りの行事が現在も一部縮小され行われております。詣でる山は、モッチョム岳、雪岳、太忠岳、花之江河、栗生岳、宮之浦岳の六山であります。うち雪岳、太忠岳、花之江河、栗生岳、宮之浦岳への参詣は、当地、山口のお札所をとおり二泊三日の日程で行われていました。
一般の人たちは、ここ山口のお札所より奥へは迎えに入ることは許されませんでした。
現在も奥岳に参詣できない場合は、この場所から祈願しております。
千尋嶽神社はその場所に建立されています。
ここでの参拝は奥岳への参詣の代りとなります。現地案内板より
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
・山頂奥宮 一品法寿大権現(いっぴんほうじゅだいごんげん)
・里宮 原益救神社(はるおやくじんじゃ)
原益救神社(はるおやくじんじゃ)は 往古は旧県社 益救神社の末社であったとも 益救神社(やくじんじゃ)そのものであったとも伝わります 益救神社は 長い歴史を持ち 元々は屋久島中央部の三岳(宮之浦岳・永田岳・栗生岳)の神を祀ったものと云われます
益救神社(屋久島町原)
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
モッチョム岳〈千尋嶽〉への信仰の遥拝所
はるお(原)集落では 岳参り(たけめ)の行事が現在も一部縮小されながらも行われており 詣でる山は、モッチョム岳、雪岳、太忠岳、花之江河、栗生岳、宮之浦岳の六山です
かつて 当地は 山口のお札所とされ 一般の人たちは ここ山口のお札所より奥へは迎えに入ることは許されませんでした
現在も奥岳に参詣できない場合は この場所〈千尋嶽神社(せんぴろだけじんじゃ)〉から参拝祈願し 奥岳への参詣の代りとしています
案内看板によれば ここから モッチョム岳山頂までは 往復およそ7時間のコース と書かれています
屋久島中央部の三岳(宮之浦岳・永田岳・栗生岳)の神の遥拝所
やはり同様に山口の遥拝所があります
・牛床詣所(うしどこもいしょ)
牛床詣所は 屋久島中央部の三岳の神の遥拝所です 里人が山に守られている畏怖の念と感謝をお山に詣でて お伝えする原初の山岳信仰の形式を今に伝えています 標高1936mの宮之浦岳は益救神社の奥宮で かつては毎年春と秋の2回 男衆の「嶽参り」があり 牛床詣所で女子供は山に参った男達を出迎えた里人の聖地とされています
牛床詣所(うしどこもいしょ)〈山に参った男達を出迎えた里人の聖地〉
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
岳参り〈垂直信仰〉と 森林や海への信仰〈水平信仰〉ついて
日本には 高天原に代表される〈垂直信仰〉と 常世の国に代表される〈水平信仰〉があります
この大陸からの垂直信仰としての御岳信仰 と 東南アジアからの水平信仰としての森山信仰は 屋久島で交わっていると興味深い説を載せています
2006年発行の『屋久島、もっと知りたい 人と暮らし編』 著 下野 敏見に詳しく記されています
7 森林の神
岳参りは、海辺の集落から奥岳へ、高山を目ざしての登拝(とはい)であり、垂直信仰の観がある。これに対し、集落ちかくに神をまつる水平信仰の観のある森林信仰がある。
屋久島内に、森山あるいは森山神社と称するところが、栗生(くりお)、中間(なかま)、原(はるお)、吉田、永田などに見られる。栗生では、今は森そのものはないが、森山と称した跡はある。中間の森山の神は、昭和30年代のことであるが、中間神社の境内の脇の森のなかに、タブの大樹があって、木製の祠(ほこら)をおいて おかんでいたのを見たことかある。
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御岳信仰は、御岳(山宮)---前岳・山口詣所---益救(やく)神社{里宮}という垂直構造をなし、森山信仰は、平地の森山だけという水平構造をなしている。
垂直信仰は、道教の五山の例のように中国にも古くからあり、その流れは、大陸-朝鮮半島-日本-南西諸島へとつづく。
日本では、高山の御岳が多く、御岳信仰はいっそうさかんになった。南西諸鳥のなかでも沖縄では高山はすくないが、平地の森山を御岳(うたき)といって、いわゆるウタキ信仰がさかんになった。森山に精霊をみとめ、神聖化するのは、東南アジアから南中国~沖縄・奄美・屋久島・種子島へとつづき、さらに南九州のモイドン信仰、本州の荒神森(こうじんもり)(山口・島根)ニソの杜(もり)(福井)へとつづく。
大陸からの垂直信仰としての御岳信仰と東南アジアからの水平信仰としての森山信仰は屋久島で交わり、一方は南下し、一方は北上しているといえるようである。
発行 南方新社『屋久島、もっと知りたい 人と暮らし編』 著 下野 敏見 より抜粋
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
屋久島の南に流れる鯛ノ川には 有名な滝があります
河口から付近の トローキの滝
竜神の滝
千尋の滝
竜神の滝から千尋の滝へと向かいます
千尋の滝の展望所には 整備された駐車場があります
駐車場から千尋の滝へと歩く途中に千尋嶽神社は鎮座しています
案内図には 千尋周辺の見どころ として 一枚岩の間を流れる落差80mの千尋の滝 と書かれています
千尋嶽神社(屋久島町原)に参着
かつて 当地は 山口のお札所とされ 一般の人たちは ここ山口のお札所より奥へは迎えに入ることは許されませんでした
現在も奥岳に参詣できない場合は この場所〈千尋嶽神社(せんぴろだけじんじゃ)〉から祈願してます 千尋嶽神社での参拝は奥岳への参詣の代りとなります
案内看板によれば ここから モッチョム岳山頂までは 往復およそ7時間のコース と書かれています
祠にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
遊歩道を進み 千尋の滝へ進みます
一枚岩の間を流れる落差80mの千尋の滝 山の上まで続くとてつもなく大きな一枚岩です
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
屋久島に住むとされる 妖怪「げじべえ」の伝承
げじべえの里
げじべえ由来書き「げじべえ」って、なんなーつか(なんだろう)
「げじべえ」は屋久島の山に住む妖怪です。
屋久島の山には、いろいろな妖怪が住んでいます。その代表的なものが、「げじべえ」「山姫」「山のもん」「川のもん」などです。
「げじべえ」は、森の精の妖怪で大木や老木などに住み着いています。
昔のきこりたちは、老木などを切るときには、ヨキやのこを供え、お神酒を奉ってことわりを言って切り倒しました。
その昔、木炭が重要なエネルギー源であった頃、屋久島では炭焼きが盛んにおこなわれていました。
そのころ集落の人たちも組合を作り国有林を払下げ どんどん森を切っていったのです。
これに怒ったのでしょうか、「げじべえ」は山で炭を焼く人たちに 夜な夜ないたずらを仕掛けてきました。
それは、昼間に人たちがしていた事をまねするのです。
まず、木にヨキで切り込みを入れる、そして、ノコで引き、矢を打ち込み、木が倒れる。
それを本物と寸分も違えずに再現してくるのです。
その倒れる木が如何にも自分たちのいる炭窯に打ちかかって来るようで大変怖かったそうです。
このことは、自分たちの棲家が荒らされていく事への「げじべえ」たちから
人間への無言の抵抗だったのかもしれません。
今でも屋久島の山、そしてこの森にはおおくの「げじべえ」たちがいて
私たちの行動を監視しています。
人間のわがままで山や森を傷つけると「げじべえ」はいたずらを仕掛けてきます。
「げじべえ」は決して私たちに悪意は持っていないはずです。
私たちの思いや願いを聞いてくれるに違いありません。
何か聞こえてきませんか?
この山、この森とともに生きてきた先人たちの知恵 これからの私たちの生き方を考えてゆきたいとの思いで この地を「げじべえの里」と命名しました。現地案内板より
千尋嶽神社(屋久島町原)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)